無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年05月13日(月) アッパレパソコン大合戦/『アニメージュ』6月号ほか

 第2書庫(ウチの3LDKのうち、二部屋は本で埋まっているのである。寝室と居間にも本棚は出張ってるが)の本のスキマで寝ていると肩だの腰だのがごっつ痛いわ。
 充分、眠れはしなかったけれど、仕事は休めない(休みたいという本音がアリアリだね)。頑張って起きてみると、なぜか足元でこうたろう君が等身大綾波レイのタオルケットに包まって寝ている。
 ……なんで? 居間を片付けて、寝られる空間、作っといたというのに。
 しかもしげのスカタンめ、ずっと以前、例のエヴァブームの時に、トチ狂ってうっかり買っちまったまま、もう何年も押入れのどこかに仕舞いこんでたアヤナミタオルケットを、なんでまた今頃引っ張り出して来たのか。……こうたろう君へのイヤガラセ?
 しげのどてかぼちゃ、いったいどうしてるかと思って、居間をヒョイと見てみたら、まさしくどてかぼちゃのように高イビキで寝ていた。
 客を追い出して自分はなにを悠々としてやがるか(--#)。
 私が起きた気配にこうたろう君も起きてくる。
 寝心地、相当悪かっただろうに、平気な顔をしてくれる。
 昨夜も、公演後の片付けを手伝わせたくなかったから、スタッフを残してさっさと撤収したかったのに、彼は「代表が残ってないと悪いんじゃない?」と、私をダシにしてしっかり居残り、最後まで片付けを手伝ってくれたのである。
 ああ、マメだなあ。
 このマメさ、当日は殆ど手伝わないで、文句だけ垂れてた誰かさんに分けてやりたい。……おっと、女のケツ追っかけるのだけはマメだったな(^o^)。
 ……読んでないフリして実はタマに読んでるんなら、少しは反応しろよな。

 こうたろう君を見送ることもできずに仕事。
 いつもはしげに職場まで車で送ってもらうのだが、今朝はこうたろう君、よしひと嬢の二人を空港と駅まで送らねばならないので、私はタクシーで出勤。ここんとこ出物が多いってのに、片道2千円の出費は結構イタイ。
 職場についても疲労が体の芯に蔦のように絡まってる感じがするが、これは懐具合が寂しいせいもあるのかも。

 午前中ずっと、体がダルくて頭が重いままだったが、午後からは何とかヒマになったので、ひと息つく。と言ってもお茶飲んで自分の席でぼーっとしてるだけだけど。
 しかし、それも5分と休んでいられない。
 何しろ、先週一日休んだだけで、またぞろ仕事が溜まりまくって、半端じゃない量になっているのだ。
 で、オソロシイことに、その仕事の中には「パソコンを使って○○○○を作る」というものまで混じっているのである。
 なんと!
 この私に!
 パソコンを使えと言う指示が来るとはあああああ!
 L(>0<)」オーマイガッ!
 ……いや、こうやって、ネットに日記まで公開しといて何をパソコン使うくらいで慌てふためいているのかと、ご疑問もありましょうが、実は私はえらいパソコンオンチでしてね、未だに文字打つ程度のことしかできないんですよ。……いやホント。
 じゃあ、この日記はどうやって立ち上げたんだ? と思われるでしょうが、これも実はセッティングとか全部しげにやってもらったんですよ。えいちてぃーえむえるとか全部。あとはもう、字を打てばいいだけにしてもらって。
 だから私はなんにもしてないし、未だになんにもできないのよ〜。私は『電脳炎』の課長さん〜。そんな私にパソコンをプログラムからどうにかしろなんて、土台無理なハナシなのよ〜。
 ヘ( ̄ω ̄ヘ)(ノ ̄ω ̄)ノアーコリャコリャヘ( ̄ω ̄ヘ)(ノ ̄ω ̄)ノ
 ……踊ってる場合か(-_-)。
 だもんだから、職場のパソコンにだって、これまで触れようともせず、その手の仕事は全部同僚にまかせっきりだったのである。
 ところが、ハイテクの波に押されるように(と言うほどのもんかい)、私もついにパソコンを使わざるをえなくなってしまったのである。
 けれど、ムチャクチャ単純なところでやたらと引っかかる。
 具体的なことは仕事の内容がバレちゃうんで書けないけれど、キーボードがウチのと型が違ってるせいで、カタカナ変換一つできない。だってアルファベットばかり並んでて、ウチのキーボードにある「カタカナ変換」ってボタン、ないんだもの(T.T)。
 例えば「いけん」と打ちこめば、ウチのパソコンだったらすぐに「意見」「違憲」などのほかに「イケン」というカタカナ変換もしてくれるのだが、なぜか職場のパソコンは漢字のみしかしてくれないのである。
 ……なぜ? どうして? カタカナなんてやたら使うじゃん。それがどうして変換文字の中に入ってないの? 理不尽じゃんかよう。
 しかもコイツ、カタカナ変換一つできないくせに、こちらが助詞の「の」を三連続して使ったら、「『の』がたくさん続き過ぎています」ってご注意メッセージ出してきやがった。
 ……この性悪機種、いったいどこのなんだよう。
 fujitsu? epson?
 ここに宣言します。パソコン初心者は絶対にこの二社の機種を使ってはイケナイ(←自分の未熟さを棚に上げた偏見)。
 義憤に駆られつつ、私、パソコンの前で5分くらい固まってましたよ(-_-;)。
 どうしたらいいのか、同僚に聞けばイッパツでわかるんだろうけど、ほかの同僚だって忙しくて、とても私の方にまで手は回らないのだ。でなきゃ、どうして私なんかにパソコンの仕事が回ってくるものか。
 私も、他にも分らないことがやたらとあるのに、あえて同僚の仕事を邪魔してまで、とてもその程度のことをいちいち聞いてはいられないのだ。
 私は悩んだ。
 いかにしてカタカナを打ち出すか。
 悩んだ末に思いついた名案とは!
 単語を入力したあと、そのあとに促音の「っ」をつけるのである。
 つまり、「いけん」を「いけんっ」と入力するわけね。
 すると、「意見」なら漢字変換できても、「いけんっ」じゃあ、たとえいかなるパソコンと言えども、漢字にはできない。仕方なく「イケンッ」とカタカナに変換してくれるのである。で、そのあと「ッ」を削除すれば(deleteくらいの英語なら私にも分るぞ)、見事にカタカナ字の完成!
 いやあ、私も最近、脳が随分と軟化してきてるんじゃないかと危惧してたんだが、案外とっさの知恵が働くなあ。小学校のころ「頓知小僧」と一部で言われていたのを久しぶりに思い出したぞ♪ ……って、トンチなのかこれは(-_-;)。
 でもおかげで私の書いた文章、初めは「イケンッ」「カイカンッ」「ショウテンッ」「テンカンッ」「ナンバンッ」「パイパンッ」「モンブランッ」「ヤンバルクイナッ」とか、やたらリキんだようなコトバばかりが並ぶハメになった(^_^;)。
 ああ、単語は職業がわかんないように適当にでっち上げてますから。
 「モンブラン」とか「ヤンバルクイナ」とか、「っ」付けなくてもカタカナ変換できるっちゅーに。
 休憩を間に挟みながら、なんとか勤務時間内に仕事を終える。
 ……疲れた(-_-;)。

 しげ、迎えに来てくれてるかと思ったけれど、昨晩、片付けの時に痛めた腰が痛くて動けないと連絡。
 もともと腰の骨が一本欠けてるんで、ちょっとした拍子ですぐ腰を痛めちゃうんだが、だったら日頃から腰の筋肉をちゃんと作るように鍛えてればいいものを、肉食うばかりで遊んでばかりいるからすぐギックリ腰になっちゃうのだ。
 仕方なくまたタクシーを拾う。
 ……だから2千円の出費は痛いんだってばよう(T.T)。
 帰宅してみると、しげ、「助けてええええ……」と全然、深刻さのカケラもない声を出しながら寝ている。
 「医者には行ったんかい」
 「医者に行っても湿布しかくれないから行かない」
 実際、この近辺の整体医はヤブ医者ばかりだ。
 骨が一つもともとないなんて、私に言わせれば結構なフグだと思うんだけれど、筋肉つけるしかないですね〜とか簡単にこきゃあがる。年とって運動できなくなったらどうすんだよ、そこまで考えてモノ言ってるのか。
 治療の手段、本当にないのか?
 手術して失敗したくないから逃げてるだけじゃないのか?
 医者のスキャンダルとかよく聞くものだから、どうにも疑心暗鬼になってしまうのである。
 ネットで知り合った医者の方々とかに相談してみたいようにも思うけれど、私自身、しげの病状をキチンと把握しているわけではないので相談がしにくいのである。第一、「腰の骨が一本ない」って、何科に相談すりゃいいんだ。
 とりあえず、しげの希望通り、腰に湿布だけは貼ってやる。
 しげ、「はああああ!」と冷たさに悲鳴を上げるが、構わず2枚目を貼る。
 「ふへえええええ!」
 ……こういうアホな声出して喜んでるなら大丈夫かな。


 晩飯は昨日の仕出し弁当の余り。
 一応、全員分を用意したらしいが、食べずに働いた人も多かったらしくて結構余りが出た。いくつか持って帰ってもらった人もいるのだが、それでもウチに三つ残っている。
 その中から高菜弁当を選んで食べる。多分、しげは辛いもの苦手だから、これは食わないだろう。
 ……あ、奥さんのキライなモノを食べてあげてるんだ、優しいダンナサマ、などと勘違いしないで頂きたい。下手にしげの残しておいたもの食うと、あとで「私の食ったねえええええ!」と、悪鬼のような形相で迫ってくるのである。
 だったらせめて冷蔵庫には入れておいてほしいもんだ。

 
 『アニメージュ』6月号。
 巻頭特集は巷で話題の個人アニメ『ほしのこえ』。
 アニメージュ編集部は、ここ数年、「アニメとは何か」というマニアックな方向にどんどん進んで行っている気がする。しかし、読者の興味関心は相変わらず、美少女アニメや美形アニメ萌え〜の、声優萌え〜であるわけで、その乖離の具合はとんでもないレベルまで開いちゃったんじゃないだろうか。
 この巻頭特集などはそのあたりを象徴しているように思う。
 何しろ、「アニメグランプリ」を巻頭から押しのけて(ここ数年、アニメグランプリは全く盛り上がっていない)、個人制作アニメを特集しちゃうんだからねえ。オタアミ会議室でも話題になってたし、こうなるとぜひとも『ほしのこえ』、見てみたくなるぞ。

 それはそうと、アニメグランプリの淋しさといったら、もう20年前の盛況ぶりが今となっては信じられないくらいだ。
 1・2・3位の『フルーツバスケット』『犬夜叉』『スクライド』にケチをつけたいわけじゃないが、少なくともこの三作がベスト3になっちゃうとは、アニメージュの読者、殆どそれ以外のアニメを見てないんじゃないかね。
 第一、1位の『フルバ』にして、得票数がたったの461票。
 あの『千と千尋の神隠し』ですら7位で、118票しか取ってない。
 この程度の得票では「ベストテン」なんて作れるはずもないが、これは単に投票者が少ない、という数の問題だけではないような気がしている。
 日本人の五人に一人が見た計算になる『千と千尋』だけれど、それすらアニメージュの読者は見ていないのか、それとも見ていてかつ『フルバ』や『犬夜叉』を選んだのか。別に『千と千尋』がそれらのテレビアニメより格段に優れてるとまでは思わないが、「そういう読者しかいない」状況と言うのは、余りにも今の読者の住んでる世界が狭すぎはしないか。
 またぞろエラソウなこと言いやがってと腹立てる人はいるだろうが、私は一応、ベスト20の中で一度も見たことないアニメ、『最遊記』と『シスタープリンセス』と『NOIR』の三本だけだったのだ。
 少なくとも「お前こそ最近のアニメ見てないんじゃないか」とは言わせない。
 私も含めて、第一オタク世代と言われる人たちは(この区切り方にはいろいろ異説があるので、まあ、『ヤマト』ブームにハマった世代としておこう)、誰に強制されたわけでもなく自然に過去のアニメ、あるいは特撮やSF映画をキチンと評価した上で「今のアニメ」を見ようという気持ちを確実に持っていたのだ。

 日本アニメの歴史を語ろうと思ったら、戦前の大藤信郎の『くじら』や瀬尾光世の『くもとちゅうりっぷ』くらいはせめて見ておきたいと我々は思っていたし(実際、たまにテレビでやっていた)、「日本アニメのベストワンは?」と問われれば、すぐに『わんぱく王子の大蛇退治』『太陽の王子ホルスの大冒険』『長靴をはいた猫』などの東映アニメの傑作群が口をついて出た。
 これらの作品は、制作後何十年も経った今見ても、決して古びてはいない。
 それどころか、現在のデジタル技術では表現しきれない、細やかな演出がアニメ職人たちの技術に支えられてもいたのである。
 これも言いきってしまうが、『ホルスの大冒険』のヒルダのような、単純な線でなおかつ万感を表現するようなアニメ技術の冴えを見せてくれたキャラは、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ! 戦国大合戦』の蓮姫を見るまでは皆無に等しかった。

 今のアニメに感動すること、ハマること、それは別に構わない。
 しかし、どうしてこうも過去のアニメや映画を見ない世代が増えてきたのか。
 昔に比べて今はビデオもある、BSもCSもある。情報も盛んに提供されている。なのに、今の10代、20代は本当に昔の映画を見ようとしないのだ。
 理由を聞いても「興味がないモノをなぜ見ないかと言われても……」とキョトンとする。その「なぜ興味がわかないか」ということを問題にしてるんだがねえ、私ゃ。
 我々の世代なら映画を見ていく段階で自然発生的に生まれていた好奇心が、彼ら彼女らには見事なくらい、ケツラクしているのだ。
 増えすぎた情報に対処しきれなくなっているというのもあるのだろう。
 実際、今から生まれてくる子供は、私と特撮モノについて語ろうと思ったら
『ゴジラ』『ガメラ』『ウルトラ』シリーズは言うに及ばず、『ガッパ』も『ギララ』も『ゴケミドロ』も(キリがないので止める)、全部見なけりゃ対等に話せないのである。
 アニメにしたって、せめて東映動画の長編全作(短編は私も何本か見逃しがある)くらいは見ていてくれないと、「ああ、千尋の階段落ち、あれ『長猫』のルシファーの変形だよ」とかいうこと話したって、何のことだか全然わかるまい。
 けれど、我々だって、全ての映画やアニメに通じているわけでは決してない。
 カネもなく、なかなか時間が取れずに、若いころは見たい映画も見られなかったのだ。それでも衣食住の出費を削り、古本を買い込み、映画館に通い、電器屋のディスプレイで未見のテレビアニメを見た。
 未だに見ていない過去の名作・愚作は腐るほどある。
 しかし、それを見ることを今の人のように「諦めて」などいない。
 昔も今も、情報量の多さにメゲたりはしていないのだ。
 私ゃ未だに明智小五郎と金田一耕助と多羅尾伴内の映画を全て見るまでは死ねないと思ってるんだが。

 若い人、みんな人生をどこかで「諦めて」ないか?
 若い癖にどうしてそんなに「焦り」がない?
 若い今の感性でしか感じられないものを手に入れようって欲求がなぜ生まれない?
 結局、そういう若い人たちと話をしていても思うのは、「つまんない生き方」しかしていない人間が、映画やアニメを「つまんない」と馬鹿にしているということなんである。
 『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲』はわずか9票で62位。アニメージュは今アニメファンに支えられているわけではないと断じたところで構うまい。

 規定枚数を越えたので、この話題、明日の日記に持ち越す。
 ……書き出すと、本当に止まらないね。
 

 『キネマ旬報』5月下旬号。
 亡くなったビリー・ワイルダー監督の特集号だけれど、一番読んでてジンと来たのは蛭子能収さんが寄稿してるエッセイ。
 亡くなった奥さんとの映画三昧の日々を、かつての投稿時代の貧乏生活を背景にして綴られているのだけれど、ご本人はおおマジメに書いているのだろう、けれどその筆致は、どこかユーモラスで切なく、内容も切ないけれど何となくおかしくて笑ってしまう。
 蛭子さんが若いころ、よく行く画材店の従業員が、『去年、マリエンバードで』を見に行った時に偶然来ていたこと(もちろんそれが後の奥さん)。
 『パリ、テキサス』を見ながら腹を立てて席を立とうとした奥さんを、「最後まで見て評価しようよ」と一生懸命なだめたこと。
 死ぬ前日に見た映画がティム・バートン版の『猿の惑星』で、「せめて死ぬ前日くらい『最高に面白かった』と言える映画を見たかった」と述懐するおかしさ、悲しさ。
 やっぱり映画で繋がってる夫婦って、とてもいいものなんである。


 夜、こうたろう君に電話。
 無事帰りついてくれてたようで安堵。
 また、しばらくは会えまいが、いずれそのうち。

2001年05月13日(日) 愛の嵐/DVD『BLOOD THE LAST VAMPIRE』コンプリートボックス



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