無責任賛歌
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2002年05月07日(火) |
この文も詭弁かもしれない(^o^)/アニメ『十二国記』第五話「月の影・影の海 五章」 |
とりあえず、しげの足、跛は引かずにすむようになったようだ。 舞台でうまく演技できるかどうかは分らないけれど、少なくとも日常生活に支障はない。 「上から押さえない限り大丈夫」ということだけれど、スリッパはまだ履くと痛いらしい。それでも一応順調に回復しているようで、読者のみなさまにはご心配をお掛けしました。まだ医者からは「もしかしたら治ったように見えててもヒビが入ってるかも」と言われたらしいけど、気がついたらツイスト踊ってるから大丈夫でしょう。 「オレって意外と頑丈?」 とか言ってるけど、なんだかホントにしげって死なないような気がしてきたよ。
山本弘さんのHP、『SF秘密基地』の特別掲示板、相変わらずトンデモさんに荒らされている。 当たり前だけれど、トンデモさんは自分がトンデモさんだとは認識してない。 トンデモさんをトンデモさんたらしめる「トンデモ要素」ってのは、実は誰にでもちっとはあるんだけれど、そのことをしっかり認識してないと、「自分もまたいつトンデモさんになってしまうかも」という自分を客観視する視点が生まれない。 一見、頭よさそうで、日常生活でもごくフツーに見える人が、「それゆえに」トンデモさんになっちゃうってこと、あるんだよね。掲示板の書きこみを見てても、論理的な文章書いてるつもりで、「ああ、この人、自分に酔ってるだけだなあ」って人がもう集まってきてること(^_^;)。 余りにもトンデモさんの応酬が多かったのだろう、いちいち反論しきれなくなって、山本さん、『詭弁論理学』(野崎昭弘著)という本を紹介して、「トンデモ理論」というものが、どのように構成されるかを総括している。
http://homepage3.nifty.com/hirorin/bookkiben.htm
この本自体は読んだことないんだけれど、本当に「人と会話した」経験のある人なら、いちいち頷ける事例がたくさん載ってる感じだ。私も「二分法」でやられること多いし(^_^;)。 その人の人格と意見の正当性とは別物ってこと、判断できない人間の方が世間にゃ圧倒的に多い。それこそ「論理的にものを考える」人間なんてこの世には存在してないんじゃないかって思えてしまうくらいに。 私もつい、「所詮、○○○って○○○だからな」みたいな言い方することあるけど、それが非論理的な物言いだってことは知ってて使ってますよ。会話するためには相手に「突っ込ませる」ことも必要な場合があるんで、ワザと穴を作ってるのね。会話が進めば、ちゃんと自己批判してます。 もっとも、そういうレトリックすら、「人を馬鹿にしてる」と勘違いされることもあるんで(会話シミュレーションで、あえていくつかのデータを無視して語ることはフツーなんだけどね)、最近はそれもしなくなった。実際、「会話のできる」人自体が年々少なくなってきてる気がしていて、もしかしたら私は将来誰とも語らず無言のまま過ごす老人になるのではないかと危惧するくらいだ(オマエにそれができるかというツッコミが聞こえてきそうだが)。
けど、ここで紹介されてる「小児型強弁」のタイプの人間ってホントに多いよなあ。
(1) 自分の意見がまちがっているかもしれないなどと、考えたことがない。 私もこう批判されること多いけど、たいてい、会話が進んで相手が反論できなくなって、こう言い出されること多いんだよな。「オマエ、自分がいつでも正しいと思ってるだろう」とか。負けそうになったからって、そんなこと言われても、私ゃ「そりゃオマエ自身のことだよ」としか言えないんだけどね。 私は自分の意見が「絶対に正しい」と思って喋ったことなんて実はない。 ある事実をもとに「仮説」を立ててるだけで、これは論理学の基本でもある。データが違えば別の結論が導き出されることもあるわけで、私ゃ、自分が勘違いしてるとわかったらすぐに訂正してるんだけどなあ。 でも、そうやって私が「あ、間違えちゃった。ゴメン」と引いてるときの記憶って、相手はたいてい忘れてるのな。で、自分か批判された時の記憶だけで「アイツはいつも自分の立場だけ強弁してる」と思いこむ。妄想ですな。 まず、会話を「勝ち負け」で判断してる時点で、トンデモさんだってこと。
(2) 他人の気持ちがわからない。 (3) 他人への迷惑を考えない。 これも、本人は「相手のこと考えている」気になってるのな、たいてい。 論争中は確かにこちらだって、相手の気持ちを考えてやる余裕がないことは多い。会議の最中、今、現実に討議すべきことがあるのに、遠慮ばかりはしてられないから。たとえ、論争の相手が常軌を逸していて、とても冷静に討議できる状態になかったとしても、批判しなければならないことは最低限しなければならない時もあるよねえ。 それでもこちらは自分の「引け時」くらいは考えて喋るけどな。 トンデモさんは、それ考えないで、どんどん理不尽なことを言い出す。こちらが困った顔してると「私を無視してるのか」なんて言い出す。 日常の会話だったら、「今はちょっと、時間がないから」とか適当なこと言って断れる時でも、会議だとそうもいかない。相手の不毛な説明や難癖が延々と続いていても、それ、ずっと聞いてなきゃなんない(-_-;)。 どーせーってんだろうね。 (4) 世間の常識など眼中にない。 「常識」という言葉使いたがる人間にかえって多いね、これ(^o^)。 現実には「常識」なんてものは、時代によって国によって文化的環境の違いによって、いかようにも変化するものだから、絶対的かつ普遍的な「常識」なんてものはないってのは「常識」だ(^o^)。 だから、実のところ、その「常識」という言葉を使う時には、それがどの程度社会的に通用するものなのかどうか、やはりデータをきちんと解析した上で考えていかなきゃいけないんだけれど、「常識だろ? そんなの」と言いたがる人って、余り考えてない場合が多いんだよなあ。 だから、「常識」という言葉を使う時には、その常識のバックボーンが何であるかを明確に示さなきゃいけないわけだ。 「ミステリーを人に紹介する時には、トリックや犯人をバラさないことが常識」とかね。限定された状況でなきゃ、この言葉、使っちゃいけないとか、これも人と話した経験があれば、先刻ご承知のことなんだけどなあ。 この常識が通じないヤツ、多いよ。
(5) 自分が前に言ったことさえ忘れてしまう。 それだけならまだしも、記憶を捏造するヤツもいるし。 ここまで来ると、ホントに会話が出来ない。 「オマエ、前にそう言ったろ」 「覚えてない」 だもんな。で、こっちが言ったことだけは曲解して覚えてるし。 「オレ、もうオマエとは会話せんわ」という結論を私が出したとして、誰が私を責められようか。
で、この(1)〜(5)の条件にバッチリ当てはまってる例が、この十年、私のウチにいるのです(^_^;)。「アンタのモノイイって、人を鼻で笑ってるように聞こえる」とか文句言ってるけど、自分がトンデモさんだって自覚、持てよな。 身近に実例がいるだけに、山本さんのご苦労はイタイほど察せられる。 「柳田理科雄の人格まで批判するのはどうか」とか言って、不快感を表明する人は多いけど、「柳田理科雄に科学的文章を書く才能がない」というのは冷静な分析結果による「批判」であって、ただの「悪口」ではない。「不快感」を示しているほうこそ、非理性的な感情を発露しているだけの「難癖屋」なのだ。 どんなにコトバが悪かろうが、根拠が広範囲なデータをもとに示されていれば、それは純粋な批判たりえるってことが分ってないのだな。そんな人間が多いってのも、「仲よきことは美しきかな」って美徳が歪んだ形でこの国に根差しちゃってるからなんだねえ。もう冷静な批判だろうがなんだろうが、「人のことを悪く言うのはよくない」と思いこんでる。で、そんなやつに限って、自分が同じことしてることに気づいてない。「ケンカが嫌い」と言ってるやつが率先してケンカしてどうする(^_^;)。 もちろん、批判の前提となっているデータに漏れがある可能性は常にある。山本さんを批判するなら、見逃しているデータを見つけ、それを指摘するだけで充分なのだ。 トンデモさん、ホントに狭い範囲のデータだけで、鬼の首でも取ったかのように批判するからなあ。 けれど、山本さんも覚悟の上でHPを開いたんだろうからなあ。たとえ、一人のトンデモさんをつぶしても、第二、第三(既に第百以上になってる気はするが)のトンデモさんは現われるだろう。今後も山本さんの苦労は絶えないものと推察する。 私には「がんばってください」としか言えない(^_^;)。せめてシロウトが不毛な書きこみはしないように気をつけるくらいの謙虚さは持つようにしましょうかね。
アニメ『十二国記』第五話「月の影・影の海 五章」。 初めて見たけど、OPには素直に感激しましたね。 音楽もいいし、演出もいかにも「歴史モノ」って感じで壮大な雰囲気だし。 脚本が會川昇、キャラデザインが山田章博ってのも「おお!」と思いましたからね。あの独特のラインをどうアニメにするのかって、否が応でも期待が盛りあがろうってもんじゃありませんか。 で、本編。 ……山田章博じゃないじゃん(-_-;)。 作画監督は田中比呂人か? 『キイ』の時のキャラのまま、山田章博やってどうすんだよ。アニメ創世記ならいざ知らず、イマドキゃ、原作の絵柄を忠実に再現できるアニメーターだって増えてきてるってのに、どうして山田絵を再現しようとしないか。 いや、テレビシリーズでそれだけ手間かけるのムりだってことは分ってるんだけどねえ。ちょっと期待が膨らんじゃった分、落胆も大きかったのよ。 筋は途中から見たんでまだよく分らん。 しげが原作を全部買ったのはいいものの、そこいらに適当に置いてくれてるからなあ。1巻どこにあるんだよう。
しげは今日も何やら練習らしい。 大詰めでちょっと煮詰まってるか? 『十二国記』を見終わったちょうどそのとき、しげから電話がある。 「父ちゃんへの土産、もう持って行った?」 「いや、まだだけど。どこに置いてるんだよ」 「風呂場のノブに袋に入れて下げてるよ」 なぜ風呂場に? 今更、そんな常識的ツッコミをしたって、意味ないので、やり過ごして「メシはどうする?」と聞く。 「『五風』に行く!」 ……あー、もう、「肉」に関するツッコミもしない。某所で「肉しか食わないヤツ」と感嘆されたしげだ。もはやこれはしげにつく冠詞であろう。「肉好きしげ」、略して「肉しげ」。おお、ちゃんとシャレになっている! ……このままだと私もコワレそうなので、しげの帰宅を待って、父に東京の土産を持っていく。
『五風』で焼き肉、今日はメニューにサザエの壷焼きがあったので、頼んでみる。……ハッと気付いたけど、ツボ焼き食うの、これも20年ぶりくらいじゃないか? 中学か高校の頃、呼子で炭火焼きしてるの食って以来って気がする。 ガスの火で食うのは味気ないけど、垂らした醤油の匂いがプンと漂うのはいいなあ。 帰り道、本屋に寄った頃から、土砂降りの雨になる。
夜中も11時を過ぎて、いきなり鴉丸嬢、其ノ他君、C−1こと藤田真也君、公演の打ち合わせに来訪。 来た者は断れないけど、ちったあ時間っつーものを考えろ……って公演が近いとそうも言ってられないんだよなあ。今日は早寝しようと思ってたのに、そうもいかなくなってしまった。 それにしても藤田君と会うのは一年ぶりくらいである。 「やあ、いろいろ噂は聞いてるよ」 「え? 何の噂ですか?」 「○○○○で○○○○して、○○○○になっちゃったとか」 「どこからそんな噂が!」 「私から」 とりあえず生きちゃいたか。早いとこ○○○○○(しかし伏字多くしなきゃならないような生活してるんじゃないよ)。 公演には仕事で来られないそうだけれど、リハには来るそうである。何か役割があるのかどうかは知らないが。 舞台で流す音声の収録を始めて、私にも協力を依頼されるが、体力がないと断って寝る。藤田君が何やら叫んでいたが、これで藤田君も一応、出演したことになる。……とゆーと、藤田君のウチの公演連続出演記録も未だに途切れていないことになる。 藤田君のウチでの演技力は、一番ヘタというのが衆目の一致するところなのに、運がいいような悪いような。
夜食にレトルトカレー。 レトルトでも、すき焼きのタレと醤油と牛乳をちょっとずつ混ぜて(たくさん入れると水っぽくなるので注意)焦がすと、メチャクチャ美味い。 みなさんも、ぜひ、おためしあれ。
2001年05月07日(月) フライド・エッグ・ムーン/『三毛猫ホームズの恐怖館』(赤川次郎・竹内未来)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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