無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年05月05日(日) トンデモさんの系譜/『こんなにヘンだぞ!『空想科学読本』』(山本弘)ほか

 しげの足、「圧迫されなきゃ大丈夫」と本人は言う。
 整形にかかるの連休明けだからな〜。それがホントならいいんだけどな〜。


 「日本人のメンタリティは、戦前から変わっていない」とは、『人生は五十一から』で、小林信彦氏が語っていることである。
 戦後生まれである私が「戦前」がどうであったか、ということを語ることはまさしく愚挙ではあるが、「戦前を知る人」(ま、私の亡母なんだけど。実は小林さんと全く同い年だ)の言をモトにして考えることはできる。
 「敗戦によって、日本人や日本の社会が完全に一変したというのはフィクション」=「大衆は権力者に常に騙され、大新聞とテレビが権力者に寄りそう」というのはまさしく母の意見とも一致する。変わったのは表面的な「マスコミの意見」であって、日本人の「中身」ではないのだ。
 「大衆操作なんて簡単だよな」とは某氏の言葉であるが(この人の本音だろうけれど、公共の場での発言とは必ずしも言えないので、名を秘す。でも誰のことか分る人も多かろう)、実際、権力者に「洗脳」されているのは宗教がかった人々ばかりとは限らない。カリモノの意識を持ち、それを自らの意志と錯覚して生きている人は確かに数限りなく存在するのだ。
 まあ、いわゆる「トンデモさん」ってヤツね。
 「別にそんなヤツほっとけばいいじゃん」と言われりゃ、その通りであるのだが、だって向こうから絡んでくるのだもの(^_^;)。しかも困ったことに、そういう「トンデモさん」が生まれてくるのは、その人本人に責任があるとは限らないところだ。言うまでもなく、戦前において、そういった「トンデモさん」を世間に排出させたのは、「国家」による「洗脳」だったからである。
 見えざる「洗脳」に対抗するには、無責任だろうが何だろうが、小林さんのように、今、ここで考えていることをただひたすら書いていく、ということでしか対抗できない。それは必然的に、既存の価値に対する、悪口、愚痴、揶揄、罵詈雑言、という卑俗な形を取る。卑俗にこそ、実は大衆のエネルギーが存する。それはまさしく無責任な「井戸端会議」であり、「床屋政談」であるわけだ。私が政治についてマジメに発言してないのも、そんなことしたって何かが変わるわけじゃないからなのよ。しちめんどくさいこと言うより、「あの総理アホか」という声が大衆間に高まれば自然に結果に表れる。それを少なくとも「マスコミ先導にしない」ことが重要なのよね。
 そのことをまあ、「無意味にこそ意味がある」とか「意味がないほどいい」とかいうイディオムで表現してるんだけどね。
 「無責任な書き散らしをしたいんだったら、『2ちゃんねる』に行け」とも言われそうだが、発言自体は無責任であっても、パパッと書きこんだらいつでも「逃げ」が打てる匿名サイトには、私の文章はいささか長すぎるんでねえ(^o^)。
 だからこそ、私自身の意見に対しても、批判もいくらでもどうぞ、というのがこの日記のスタンスなわけである。まあ、「覚悟」なんて言ったらカッコつけだけどね。

 「ありふれた日常」を書く、ということを軽く考えている人は多い。自分の意見なんて、たいした知識を背景にしているわけでもないし、書いたところで「それがどうした」ってものにしかならない、と卑下している。
 しかし、2ちゃんねるも含めて、ここまで巨大化したネット環境は、「洗脳」されている人間も、それに抵抗している人間をも全て包含し、その一つ一つの様相が今の「時代」の鏡となりえている。
 非力な我々が「時代」と切り結ぶためには、まさしくその個々の「日常」をもって、「全体」を相対化する以外にない。……簡単に言っちゃえば、「挙国一致だ!」と言ってる連中がいくらいても「そんなんオレ知らんもんね」と言うヤツがゴマンといれば、戦争になんかなりっこないってこと。
 小林よしのりはタクシーの運ちゃんが「自衛隊に入ってりゃ、いざというとき逃げられるよねえ」と愚痴ったのに反応して激怒したそうだが、実際に日本国民がみんなでこの国を脱出したら、そもそも戦争自体が成立しないじゃん(^o^)。
 もちろん、「お国のために」戦う人はある程度は残るだろうが、逃げた人は日本が勝てば戻ってくりゃいいし、負けたら逃げっぱなしでいれば得なんである。それじゃ卑怯じゃないか、とか、残るものが馬鹿を見る、とか言われそうだが、そもそも「戦争」に突入しなきゃならないような状況を作り上げた責任がどこにあるのか、と言われれば、それは「国」にあるってのが当然の理屈。戦争を回避してもらうために選んだ政治家が戦争を始めたんじゃ、国民に見限られても仕方ないだろう。
 その「お国」に従って戦う人間が、巻き添え食らいそうになって逃げる人間を恨むのは筋違い。ちゃんと守って帰って来れるようにしろよ、それが「責任」の取り方ってもんだ。「非国民」なんて呼ぶなよ、こっちは「自主疎開」してんだ(^o^)。
 一見「逃げている」ように見えるかもしれないが、それが「自分の日常を守る」ということなのである。「国」が逃げるのは責任逃れだが、個人が逃げるのは当然の権利だ。重ねて言うが、「みんながそうしているからそれに従わなければならない」という「洗脳」に対抗するためには、平凡な日常を書き続けることが最も有効な方法なのである。
 ……あ〜、そこのアナタ、また職場で何かあったな、とか、勝手に憶測しないようにね。まあ、あったんだけど、そこは突っ込まないのがマナーってもんです(^o^)。


 ……とまあ、こんなことを考えてたのも、この本読んでたからなんだけども(^^)。
 山本弘『こんなにヘンだぞ!『空想科学読本』』(太田出版・1365円)。
 いまやチマタで大論争の柳田理科雄『空想科学読本』の批判本なんだけど、山本さんのHP、「SF秘密基地」でも、先刻から何度もBBSを賑わせてるんだよねー、トンデモさん同士が(^_^;)。
 『空想科学読本』シリーズのほうはしげが毎回買ってくるので、一応、何となく全冊読んではいるんだけれど(感想はいちいちアップしてません。私が読んだ本をいちいち全部日記に書いてるかと思ったら大間違い)、よく批判されてる「愛がない」って批判以前に、「芸がない」というのが正直な感想。
 腹が立つほどのものでもないので、無視してりゃいいじゃん、と思ってたんだけど、まさか山本会長がこれだけご立腹されてるとは。\(°o°;)/
 ノストラダムス本批判の時もそうだけれど、山本会長、ある一定以上の読者がクズ本についちゃうと、「このままでは正しい知識が伝わらなくなる!」と義憤を感じられるのだね。でもその「批判されてる」状況がまた、クズ本に脚光を与えて読者を増やし、結果、「山本弘の言うことより、柳田理科雄の言うことの方が正しいんじゃない?」という読者も増やすことになってるのだから、逆効果の面もあると思うんだけれど、ホントに心底マジメな方だから、もう止まらないんだろうなあ。……まず確実に『空想科学読本』シリーズ、4巻まで来てりゃ発行部数自体も落ちてるし、ほっといて数年後に笑い飛ばした方が無難だと思うんだけどねえ。
 同人誌でご一緒させて頂いた縁から言えば、山本さんのヒイキをしたい気持ちもあるのだが、ただやっぱり批判するにしても、もちっと「芸」がほしかったなあ、というのが正直な印象なのだ。
 山本さんに対しての批判の代表的なものは、
 1、「山本会長の科学的知識にも間違いがあるので、柳田氏を批判するのは目クソが鼻クソを笑うようなもの」
 2、「批判をするのに、その説ばかりか、作者個人の人格攻撃をするのはいかがなものか」
 3、「売れてる本に便乗するな」(^_^;)
 というものだろう。
 どれも実は批判と言うよりはただの難癖だ。
 1のような「山本会長のミス」についての批判はもちろんあってしかるべきだろう。事実、山本会長自身も執筆後にミスがあったことを認めている。ただ、「山本会長の本にもミスがあったから、柳田理科雄の方が正しい」とか、「山本会長の本は読むべきではない」という方向に批判者が持っていこうとするのは筋違いだ。批判者がトンデモさんだと、すぐそういう方向に暴走するのよ。
 2についても、批判者は、「なぜ個人攻撃がいけないのか」について、アタマを使って批判してはいない。柳田さんの執筆姿勢そのものを山本会長は批判しているのだから、「個人攻撃をするな」というのは、「本を書くな」というのと同義だ。そっちの方がよっぽど個人攻撃だし、ただの言論弾圧である。実際には、個人攻撃は行わなきゃならないときには行わねばならなくなるものだ。私のこの日記に対してだって、「書いてる姿勢に問題はないか」って思ったら批判は自然と私個人への攻撃になるでしょ?
 3については、まず間違いなく、そんな意図は会長にはないよ(出版社にはあるだろうけど)。会長、マジメ過ぎなだけだから。でなきゃ、自分の小説の執筆時間も削られるってのに、「本書で取り扱えなかった『空想科学読本4』の誤りについては、次のHPでフォローしています」なんて後書きに書いたりしねーよ(^_^;)。
 まあ、私がこの本にツッコミ入れるとしたら、102ページのイラスト、ギャオスのスーツの中に入ってた亀山ゆうみさん、タンクトップ着てるけど、ホントはアタマからすっぽりボティスーツ着てたんだぞ、とか、別にしなくてもいい程度のものだな(^^)。いや、そんな野暮な批判、しませんて(^_^;)。
 柳田理科雄の肩を持つ人ってのが、かつて『空想科学読本』に騙された経験のある人じゃないか、という想像は容易につく。自分が信じていたものが否定されれば、ムキになるってのはよくあることだ。それが「洗脳されてる」って証拠なんだけどもね。
 どっちもどっち、と考えてるのなら、そもそも批判自体、書く必要がない。これも某氏が某所で語っていたことであるが、「小林よしのりを擁護する方も批判する方もトンデモ」同様、この論争に関わること自体、「トンデモ」になっちゃうんである。
 ……しまった、ちょっとだけ関わったか?(゜゜;)/ギク!


 しげとよしひと嬢、つぶらや君、3時になってようやく帰宅。
 映像編集が終わらないので、これからまだ作業するとか。……この時間まで寝ずに待ってたってのになあ。
 「……寝ないのかよ」
 「寝るよ」
 と答えつつ、しげ、全然、寝ない。
 三人とも、神経が高ぶっているのがアリアリと分るので、まさしく、触らぬ神に祟りなし、である。寝る場所がないので、隣室の本棚のスキマで寝る。
 もう、ケガはどうしたと言う気もない(-_-;)。

2001年05月05日(土) 東京ドドンパ娘/葛飾柴又寅さん記念館



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