無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年05月01日(水) 疲労度の爪/『コミック伝説マガジン』No.6ほか

 そりゃ、三百冊以上も活躍してたらペリー・メイスンもお疲れでしょう。
 って、日記タイトルがどこかで聞いたような(^o^)。
 いやまあ、真似するつもりはないんだけれど、つい思いついちゃったものでねえ。でもこういうのって、思いつくのは大変でもやりだしたら止まらなくなりそうだなあ。
 「疲労イック・ファンタジー」とか「警部真疲労度」とか、「疲労か達朗」とか「『枕草子』は『疲労・ブック』」とか「甲斐よし疲労の『ひーろー』」とか。
 ……芸風に合わないからやめとこう(^_^;)。

 なんでこんなタイトル考えたかって言うと、つまりは疲れてるからである。ともかくからだがダルイし、頭が重い。熱はないから風邪じゃない。ただただ疲労だ。「疲労末涼子」。もういいって(-_-;)。
 連休中の仕事の中日って、こんなに疲れるものなのかなあ。
 去年はそこまでのことはなかった気がするが。
 仕事の最中に居眠りすることはしょっちゅうであるが(コラコラ)、それでもこれまでは会議の時間とかに遅れることはなかったのだね。
 仕事中はあくまでカラダは仕事モード。
 昼休みに爆睡しようが、時間になればシャキッとする。
 けれど、今日、初めて昼休みが終わっても目が覚めなかった。
 ほんの5分の遅れではあるけれど、こんなことは初めてだ。
 睡眠時間が取れてなかったわけではない。夕べだって、6時間は寝ている。
 ……本気でトシを取ってきたのだなあ。

 しげも疲れがぶり返してきたのか、夕べから眠りつづけて、送り迎えはなし。
 ……って、夕べ寝たの何時だ? しげの仕事が終わったのが12時で、それから一緒に本屋に行って、でもそう長居はしなくてさっさと帰ってきて寝たから、2時前には寝てるんだよなあ。で、起きたのが私が帰宅した午後7時と。
 ……17時間は寝とるなあ。疲れてるのは分るけど、まだ20代だろ? 絶対5年後にゃカラダにガタがクルぞ。


 アニメ『ヒカルの碁』第二十九局「桑原本因坊」。
 ……そう言えば、桑原先生の下の名前ってなんて言うんだっけ?
 「桑原」ってのは本因坊秀策の本姓から取ってたんだよなあ、たしか。主要キャラより脇キャラの方に惹かれるのは昔からの私のクセみたいなものだけど、桑原先生は特にイチオシ。「食えないジジイ」って言ってたのは緒方九段だったかな? こういうひとクセもふたクセも有りそうなキャラが書けなきゃ、ドラマ作り自体、できやしないやね。
 設定もストーリー展開も薄っぺらなくせに、見てくれだけのキャラ人気で長期連載していたクズマンガの多かった『少年ジャンプ』で、『ヒカ碁』はマットウ過ぎるほどマットウな展開ゆえに、逆に異彩を放っていた。桑原先生みたいに、ただトシ食ってるだけじゃなくて、ちゃんとライバルの一人として登場してくるキャラなんて、ほかのジャンプマンガには見られなかったのだ(ほかのマンガのは全部「ヨーダもどき」。結局は主人公を「善導」するしか能がない)。
 桑原先生がヒカルとすれ違って、佐為の気配を感じるってシーン、原作でもすごく好きだったんだけど、そこでCM入れちゃ、せっかくのタメが消えちゃうでしょう。結構いい出来になってるだけに、惜しかったなあ。


 ここんとこしばらく自粛していて顔を出してなかった某チャットに復活。
 何人かの顔馴染みと会話することができて楽しかったのだが、しげにはこれがどうにも気にくわないらしい。
 私がチャットにかかずらわっていて、自分の相手をしてくれないことに対するヤキモチを妬いているだ。
 友人から「いい加減復活しなよ」と勧められて、別に頑なになってたわけじゃないし、自粛していた原因が解消したわけではないにしろ、多少は薄らいだのであるなら、まあ復活するに吝かではないと思っていたのだが、しげの心の中ではまだまだ拘りがあったようだ。
 心の狭いやつというのはどこまでも狭い。


 作りおきのお茶が、一日で腐った。
 冷蔵庫にもしまわずに放っておいたので、仕方がないと言えば仕方がないのだが、ほんの二、三日前までは常温でも数日は持ってたのに、いよいよ夏が近いってことなのかな。
 明日からはお茶作ったら間を置かずに冷蔵庫に入れにゃならんなあ。
 ……でもどういうわけか、こういう単純作業ほど、やること忘れちゃうんだよねえ。
 

 マンガ雑誌『コミック伝説マガジン』No.6(実業之日本社・680円)。
 おお、急にボリュームが倍増した。というのも、今まで週刊誌形式の中綴じ(二つ折りにして真ん中をホッチキスで止める形式のやつね)だったのを、平綴じ?(背表紙つき)に変えたおかげだ。
 なんたって、表紙の『8マン』の復刻だけじゃない、吉田竜夫の『宇宙エース』は別冊フロクで付いてくるわ、ジョージ秋山の『デロリンマン』は三度目の復活を果たすわ、若い人たちに読んでもらって、「こんなすげえマンガがあったのか!」と驚いてほしいものばかりだ。

 私たちの子供の頃、「一番うまいマンガ家は誰か?」と質問されたら、同世代の者ならたいていが「桑田次郎」と答えていたと記憶する。今ならば、マンガの上手下手は単に「絵のうまさ」に帰するものではないと考えるところだが、シャープな線、スラリとした等身の桑田氏の絵は、ダントツに「うまく」見えていた。それこそ手塚よりも石森よりも。
 桑田氏が例の銃刀法所持違反で逮捕、マンガもアニメも中断してしまった事件は、当時の私はほんの数歳であったのだが、鮮烈に記憶している。正義のヒーローである8マンと、作者が犯罪を犯したという事実とが、イメージの上でどうしても結びつかなくて困惑したことを覚えている。
 後年、アレが警察のイヤガラセ的摘発ではなかったか等の指摘があることを知って、ようやく「桑田さんに罪の意識はなかったんだろうな」と納得することができた。持ってるだけで犯罪になる、とは余り深く考えていらっしゃらなかったのだろう。
 アレが世間に対するデモンストレーションっつーか、「見せしめ」だとすれば、警察も相当タチが悪い。今更だが、桑田さんに8マンの新作を描いてほしいくらいである(平井和正の原作をナレーションまでそのまま移しただけの『魔人コズマ』とかじゃなくてね)。
 桑田次郎のインタビュー、これまででもよく語ってたことだけど、あの人、全然自分の原稿に執着ないのね(^_^;)。原稿を散逸してるばかりか、自分が描いてきた作品自体、覚えてない。おかげで今回の表紙も綴じ込みポスターも全部「新作」だ。ああ、でも全然、線が衰えてない! 新作描いてくれよ〜、原作無視して(^o^)。 

 しかし『デロリンマン』復活とは誰がしかけたワザか。
 『黒ヒゲ探偵帖』や『パットマンX』、『ほらふきドンドン』などで、生粋のギャグマンガ家だと認識されていたジョージ秋山が、一転、シリアスマンガどころか超異色の問題作を発表し続けるキッカケとなったのが、母親による子殺し、人肉食らいなどを扱った『アシュラ』。このマンガと永井豪の『ススムちゃん大ショック』のおかげで、我々の世代は、佐川くんの事件にも昨今の子殺しブーム(おいおい)にもたいしてショックを受けずにすんでいる。ま、人は人を殺すもんだよってか?
 『デロリンマン』がジョージ氏の作品群の中でも特に異色なのは、オリジナル版がギャグで、リメイク版がシリアス&ギャグの折衷、そしてどうやら今回の再々作品が完全シリアスで描かれるらしいというところだ(もっともこの作者にギャグとシリアスを区別する意識はさほどないように思うが)。
 同じ題材でこれほど作風を変えて描かれるというのも、『鉄腕アトム』並ではないか(^_^;)。
 旧作を知っている人に解説は蛇足だろうが、エリートサラリーマンだった男が苦悩の末自殺、奇跡的に命は助かったが、その容貌は化け物のごとく変貌し、「魂の故郷へ帰れ!」と道行く人を折伏しようとする○○○○になっちゃったという、今考えても相当にアブない設定。
 しかも今回、いきなリデロリンマン、道端でアーサー・ミラーの『セールスマンの死』を演じだすんだものなあ。うわあ、一段と説教臭くなってやがる。……でも、やっぱり出るぞ、今回もアレが。
 そう、「オロカ面」。
 もう一人のデロリンマン、救済の象徴がデロリンマンとすれば、絶望の象徴がオロカ面だ。ところが皮肉なことに、○○○○でホームレスという「異界の住人」と化したデロリンマンの言葉は、人々には全く届かない。そして彼に「絶望こそが救い」と語り続けるのが、「デロリンマンにしか見えない」オロカ面なのだ。
 デロリンマンの言葉はどうしようもなく偽善だ。
 ○○○○になってもなお偽善にすがらねばならない人間の現実は余りにも悲しい。
 しかし、自殺も死も、実は欲の産物に過ぎないとオロカ面は語り、デロリンマンを追いつめる。彼の言う「絶望」とは「死」をもまたささやかな希望と否定し、「ただひたすら存在を否定され続けることを受容せねばならない永劫の苦しみ」だと訴えるのだ。
 だいたい、オロカ面の言うように「全ての欲」を捨てたならば、生きることも死ぬことも不可能なのだ。そんなアンビバレンツを抱えていることを受容することは確かに死をも超越した苦しみだろう。
 そう、我々は「愚か者」の仮面を脱ぐことは出来ない。
 脱げばその先には「デロリンマン」という狂気が待っているだけだ。
 ……ってこんなマンガ、小学生時分に読まされてたのかよ、オレたち(^_^;)。こまっしゃくれたガキがひねくれたオトナに育つのもわかるなあ。マンガの影響は偉大だ。
 もしもみなさんが少しでも『デロリンマン』に興味を持ったなら、『浮遊雲』を読むよりも、『灰になる少年』や『ザ・ムーン』を手に取ってほしい。『銭ゲバ』や『ピンクのカーテン』や『ラブリン・モンロー』でもいいよ。『シャカの息子』や『海人ゴンズイ』はアレだが(^o^)。
 ジョージ秋山という作家が一筋縄ではいかない人だということが解ると思う。

2001年05月01日(火) 実は某大学推理研OBです/『チーズはどこへ消えた?』(スペンサー・ジョンソン)ほか



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