無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年03月11日(月) また一人のスケープ・ゴート/『新千年記(ミレニアム)古事記伝 YAMATO』(鯨統一郎)ほか……“NEW”!

 小泉首相誕生の頃くらいから、政治が結構面白くなっていたのだけれど、「その人気の凋落が起こってから」、また、昔のように興味が薄らいでいる。
 小泉首相に失望したというより、それを支持していた大衆の「堪え性のなさ」に、ちょっとガッカリしたのである。
 「小泉さんは結局、口先ばかりでリーダーシップが取れない、実行力がない」って意見、多いみたいだけど、そんなの、総理就任以前からみんな言ってたことじゃん。「にもかかわらず」、大衆は小泉さんに期待してたんじゃなかったのか。今更そんな分りきったことを理由に「失望」するなよ。
 これだから「大衆」ってヤツはマスコミの「洗脳」にコロリと騙されるのだよな。
 鈴木宗男の証人喚問についても、だから世間が騒ぐほど興味を持たなくなっている。
 マスコミも大衆も、攻撃したい「悪者」を作りたいだけだものねえ。
 ただ、その対象として選ばれたのが、「いかにもコツブ」な鈴木宗男だと言うことが情けない。
 情報操作の基本の一つに「憎まれ役を作る」(もちろん真の巨悪から大衆の目を逸らすため)ってのがあるけど、アンタ、鈴木宗男なんて、時代劇の悪人のレベルで言えば、せいぜい庶民の上前ハネる小商人でないの。外務省に影響力があった、とか騒いでるけどさ、実のところは政治家の官僚への影響力なんて、日本じゃ諸外国ほどにはないのよ。
 騙されちゃいけないのは、一見、政治家の影響があるように見える場合でも、それはもともと官僚が望んでる場合がほとんどだってこと。政治家の圧力があったとか、後ろ盾についたとか、言われるけど、それって政治家を「お墨付き」として利用してるだけなんだよね。NGO閉め出しの件だって、もともと外務省自体がそれ望んでたの、はっきりしてるじゃん。
 今回の北方四島のナンタラにしてもよ、本人も「一所懸命思い出して答えてるんですよ!?」とボケるくらいに、どの政治家も日頃やってる程度の微々たる不正だ(大金が絡んでるじゃないか、という向きもあろうが、私ゃ「頻度」のことを言ってるのね)。あの程度の男を責めることで「溜飲を下げられる」、あるいは「義憤を感じて正義感に浸っていられる」程度の意識しか持ちえていないってのがねえ、「日本人はもっと政治に関心を」と言ってる連中なんだよ。
 ……だからそれはそっちの勝手だから、私を巻き込まないようにってば(-_-;)。


 モヤシマヨネーズばかり食っていてもいっこうに痩せない。
 しげも「美味くない」を連発するし、結局、今日は「焼肉もやし」にする。……って、それただの鉄板焼き(-_-;)。
 まあ、「焼肉のみ」にしないあたり、まだ、いささか「良心」が残っているのだと考えよう。考えてね(誰に言うとんじゃ)。


 キッズステーションを漫然と見る。
 今、『うる星やつら』の再放送をずっとやってて、このシリーズはまあ、原作を無視して暴走したことで、賛否両論呼んじゃったんだけど、今日の放送は珍しくも原作に忠実に映像化された48話、「飛べよイモちゃん!」。
 ……え〜っと、イモちゃんの声優、TARAKOさんかな? この頃は今と違って(失恋)、可憐な少女の声とかもやってたんだなあ。
 後の暴走を考えると、原作に忠実なだけに、かえって間延びして感じられちゃう部分もあるが、「どうしたら原作のイメージをアニメに起き変えられるか」ってこと、スタッフは真剣に考えていたんだろうと思う。
 やはりこの独特のピンクがかったような美術は、当時は実に斬新だった。押井演出等の爆発が語られることは多いけど、荒井寅雄や小林七郎の美術の功績について語られることが少ないのは不当な気がする。
 『うる星やつら』は私の精神形成の5分の4を占めているので(ホントかよ)、DVDシリーズを買うべきか買わざるべきか、未だに悩んでいるのだが、今の目で見ると、結構駄作も多いんで(原作に忠実なものも暴走したものも)、購入に等しく躊躇するのである。
 「てっきりLDボックスも持ってるものと思ってましたが」と言われることも多いんだけどね。
 今に至るも、私の『うる星やつら』テレビシリーズのベストは、第86話『竜之介登場! 海が好きっ!!』(脚本・伊藤和典)と、第87話『さよならの季節』(脚本・押井守)の2本である。かたや原作に忠実、かたや原作を逸脱した両極の傑作2本が、このときは連続したのだ。
 ……あの年の夏は満たされていたなあ。


 鯨統一郎『新千年記(ミレニアム)古事記伝 YAMATO』(角川春樹事務所/ハルキ文庫・630円)。
 前編の『ONOGORO』は途中で妙なミステリ風味を入れたために、かえってリアルな物語をやりたいのかファンタジーをやりたいのか、ハッキリしない話になってしまったが、そこんとこ反省したんだろう。この後編、特に「謎解き」の要素は持ちこまれず、ただひたすら海幸山幸から推古女帝に至る歴史が、作者の「解釈」に従って紡ぎ出される。
 かつて『邪馬台国はどこですか?』で展開された「邪馬台国東北説」、ひいては、「邪馬台国+伊都国=大和国」説も、いささか唐突な印象を与える形で語られる。実際、鯨さんのこのデビュー作を読んでいなければ、「どうして?」と首を捻る読者も多いのではないか。
 私にもよく分らないのは、聖徳太子(厩戸王子)の娘である馬屋古女王(うまやこのひめみこ)を推古天皇に擬していることだ。
 史実は、推古天皇の本名は額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)、ないしは豊御食炊屋比売命(とよみけかしきやひめのみこと)であり、推古帝の摂政として皇太子となっていたのが聖徳太子だったのである。……えーっと、確か『邪馬台国はどこですか?』中の『聖徳太子はだれですか?』では、鯨さん、聖徳太子と蘇我馬子と推古天皇が同一人物、とかいう説、唱えてなかったっけ?
 史実とも自分の説とも違ってるけど、これ、どういうわけ? もう一人「同一人物が増えた」ってことなのかな? ……「馬」って字がつきゃ親子だろうが同じ人間ってか。ちょっとムリがありすぎるぞ。
 欽明天皇の本名が「ハルキ大王」ってのは、角川さんに媚びてるのか? これも正しくは天国排開広庭天皇(あめくにおしはるきひろにわのすめらみこと)であって、 省略するなら「ヒロニワノ大王」が妥当なところだ。「アメクニオシハルキ」は、「この天地を押し広げられたもうた」という意味なので、途中では切れない。
 論理をアクロバット的に展開していた「邪馬台国」は傑作だったが、ただ解釈を押しつけるだけの、この「新千年紀」シリーズを読んでいても、知的興奮は何ら感じられない。「おお、なるほど!」と膝を打つ快感が与えられていないからである。
 ……ま、でもね、その辺はまあ、たいしたことないのよ。
 読んでて一番、「……なぜ?」と思うのは、ヤマトタケルの謎についてだろう。ミステリーではないから、ネタバレしたって構うまいが、要するに、この宇宙自体が、時を遡ったヤマトタケルの意志から生まれたって言うのね。……(°θ°;) は? ここまで来ると「はあ、そうですか」と言って黙るしかないわな。
 最初の印象がよくて、それ以後これだけ印象が悪くなってく人も珍しいよなあ。もう、おカネのためだけに書き飛ばしてるのかね? 才能がもう尽きたってことなのかね?
 いくらなんでもそこまで悪口言わんでもいいじゃないか、と仰る方のために、「これはやっちゃいかんだろう」という本文中のギャグを一つご紹介。
 多分、タイトルの『YAMATO』に引っ掛けてるんだろうけど、時を遡るヤマトタケルが初めの「淤能碁呂(オノゴロ)島」を見つけて一言。
 「淤能碁呂か、なにもかもみな懐かしい……」
 確かに千年に一つ出るか出ないかの超氷河期ギャグだ(-_-;)。

2001年03月11日(日) 多分、猫たちにもある愛/『CYBORGじいちゃんG』2巻(小畑健)ほか



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