無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年03月01日(金) 福岡デパート事情/映画『吸血鬼ハンターD』(1985)/『20世紀少年』8巻(浦沢直樹)ほか

 福岡の老舗のデパートに「岩田屋」ってのがある。
 んーと、江戸時代から続いてるのかな、最初は確か呉服屋だったはずで、それが百貨店になって発展してったってのは、よくある話。
 天神の目抜き通りにドドンと面積占めてて、福岡のデパートの中じゃまあ、一番の古株、っつーか、ほかがつぶれまくっててもう岩田屋しか残ってない、そういう状況だった。
 バブルが弾けても、ほかの地区と違い、福岡は元気だとは言われていた。なんたって、キャナルはできるわ、ホークスタウンはできるわ、リバレインはできるわ、どこからそんなカネが流れてくるんや、みたいな状況だったんである。
 デパート競争も激化の一途をたどっていて、岩田屋と手を切った西鉄福岡線が三越と提携して最大のフロアを誇る巨大ビルをおったてる、対抗して岩田屋は裏手に「Z−SIDE」を建てる、アオリを食らったマツヤレディスはついに今度撤退を余儀なくされる……。
 なんかスゴイことになっていたのだ。
 結果として「勝った」のは三越だった。
 岩田屋は「老舗」であることに慣れ過ぎていたのか、「ZーSIDE」はまあまあの集客は見せたものの、当初の予定ほどではなく、本館・新館の客は激減した。
 そして、今度、社長の引責辞任が決まった。
 そして岩田屋は「伊勢丹」に吸収される。屋号の「岩田屋」は残すという話だが、江戸時代から血族運営して来たN一族の撤退は大きい。何しろよかれあしかれ、彼らはまさしく福岡の「顔」だったからだ。毀誉褒貶、激しい人たちではあっても、「福岡の百貨店は岩田屋」、そういうイメージを築き上げていたのだ(オレは博多人なんで「玉屋」派だったけどな)。
 地元に密着した経営が結果的に破綻をきたしたということは、ぶっちゃけた話、「福岡の人間に裏切られた」結果として、こうなった、ということなのだ。

 福岡人は、情に厚いと言われる(自分たちで言ってんだが)。
 そのことを否定はしないが、この「情」って、必ずしも「義理」に縛られたものではないよなあ、と昔から常々思っていた。
 いったん見切りをつけたら、「乗り換え」が実に早いのだ。
 「淵上」が「ダイエー」に吸収された時も、ライオンズがホークスにとってかわった時も(厳密に言うとちょっと違うが)、いとも簡単にみんな「乗り換え」たしな。
 この実利的というか、粘着質でない妙にサバサバした気質は確かに私自身もそうかなとは思うし、まあいいとこだと言えはするのだろうが、反面「福岡人のナミダは信用できん」ということにもなってるのだ。
 つまり、感動してくれはするが、約束守ったり責任取ったりはしてくれない(^_^;)。「人情はあるが義理はない」って、そういうことなんだよね。……ある意味、サイテー? かも。

 岩田屋もがんばった(放埓経営と批判はあっても)。玉屋だってリバレインだってがんばった。けど、一度行ってみてつまんなかったら、もう足は運ばない。実にハッキリしている。それは「仕事に厳しい」、あるいは「結果を出すこと」を何より重視しているのだと評価することもできる。
 けど、それってホントに「情が厚い」って言えるんかな、とは思う。「義理と人情」は本来不可分なものではないのかなあ。どっちかが重いってことでなく。 私ゃ岩田屋自体に義理はなかったから別にかまわんのだが、昔ながらの岩田屋ファンはどうしちゃったんだろうかね。三越に乗り換えて、はいオシマイ、かね。三越が岩田屋に比べて格段なサービスを提供したとも思えない。「新しいもの」「見栄えのいいもの」「イメージのいいもの」に飛びついた、それだけじゃないのかね。
 実は私も三越は話のタネにいっぺんしか行ったことがない。本屋がつまんなかったので興味をなくした(それだけで判断するかね)。
 私も福岡の人間である。移り気なところは確かにある。けれど「福岡人」とは言っても、「博多」の人間、実を言えば「博多の職人」の血筋である。「福岡は商業の街」とは言われるが、「商売人の血筋」ではないのだ。はっきり言わせてもらえれば、イメージ戦略のみに騙し騙される福岡の商売人気質を嫌ってもいる。
 岩田屋が敗退したことを口惜しいとは思わない。下手に岩田屋に百貨店業界の一党独裁みたいなことをやらかしてもらっても困るからだ。けれど福岡の人間たちが選んだその「目」が確かなものかどうか、そこに疑義を差し挟む必要はあるのではないか。
 不況だろうがなんだろうが、使うときにはパアアッと散財するところが多い福岡の人間である。そんな気質だからこそ、目先のイメージにまんまと乗せられて高い買い物させられてるところはあるんじゃないのか。
 インケツな商売人にとってはオイシすぎる購買層になっちゃってるぞ、きっと。

 庶民なもので、お高く止まった岩田屋の思い出はそう多くない(まだつぶれてないって)。
 両親が友の会に入っていたので、会員観劇コースとやらで、両親の時間が取れないときは代わりに芝居を見に行ったことはある。
 ちょうど市川右太右衛門の『旗本退屈男』で、生前の右太衛門丈のあの豪快な笑いをナマで聞けたのは(オトシを召しててちょっとカスレてたけど)嬉しかった。
 経営陣が伊勢丹に代わっても、観劇コースでいいのやってくれたら入ってもいいかな(やっぱ移り気じゃん)。
 

 さて、今日は仕事でちょっと泣くことがあった。
 しかも人前でだ。
 つらい涙ではない。
 嬉し涙ではある。
 ただ、自らを「泣く」方向にあえて持っていったことは事実だ。
 曲がりなりにも役者のハシクレであるこの身にしてみれば、涙を流すことくらい、演技の基本だ。感情を高ぶらせればできないことではない。
 では、ここで流した涙が「ウソ」であるかと言えばそうではないのだ。
 「ウソ」をつきながら泣くことなんてできはしない。
 実際、私はそのとき本気で嬉しくて、そして口惜しくもあって、それで泣いたのだ。感動の涙であるには違いない。
 ただ。
 「ここで泣かねばならない」と判断したもう一人の自分がここにいる。
 その「自分」が別の「自分」に「泣けよ」と指示を出した。それゆえにこの涙は紛れもなく「打算」の上に流された涙であると言える。
 詐欺働いてんなあ、と思う。
 実際、ウチの職場、詐欺師の集団だし。
 ただ、彼ら同僚と私の違いは、私が自分が詐欺師であると自覚を持っているのに対して、彼らが全くの無自覚で詐欺を働いているということである。
 ……どっちが罪深いか即断はし難いが、私は彼らが羨ましくはある。
 なぜって、彼らは少なくとも自分に「心」があると信じていられるから。
 自分が善人であるという錯覚の中に無意識のうちに浸っていられるから。
 私のように、自分自身の苦悩すらも「演技」であると自覚している人間に、果たして「心」というものがあると言えるだろうか。……ああ、こんなこと考えてるから「押井守のしっぽ」と言われる(誰が言ったんだ。それは私です)。
 

 なんだかんだで今日は半ドン。
 しげに人前で泣いた話をしたら「ケチ」と言われる。
 「なんでケチなんだよ」
 「私には涙を見せてくれん」
 「映画見てるときなんか結構泣いてるよ、オレ」
 「映画見てるときはオレも映画見てるじゃん。アンタの方見てる暇ないよ」
 「だから泣けるんだけどな」
 「ホラ見てん。やっぱし、隠しとるやん」
 「なんでそんなに見たがるんだよ」
 「日頃見せんもの、見たいやん。たまにはサービスしてくれたっていいのに」
 「……サービスで涙を見せるんか。『ほーら今日はサービスだ、今から泣くからね〜」って言って涙見せるんか。……アホか」
 「やっぱケチやん」

 なんだかんだ言いあって、結局私が悪かったことになったらしい。
 お詫びにスシをおごることにする。
 回転寿司のくせにくそ高い、でもネタは極上の『すし大臣』。
 特別メニューとやらで「カニの味噌汁」のチラシが貼ってあったので注文。……なるほど、身をケチらずに使ってあって、味噌汁の味にカニが負けていない。味噌汁の味のあと、舌にカニの風味が残って美味い。
 今日はできるだけ安いネタを食おうと、中トロ、大トロ、イクラにウニも見逃す。一番たかいネタでサーモントロの400円ほど。なんとか五千円以内に抑えようと必死である。
 努力の甲斐あってか、支払いは3700円。しげと合わせても20皿ちょっとしか食べてないから、今日はしげも控えたのだろう。
 カウンターで、何気なくしげに「3700円だからおまえ、1700円でいいよ」と言ったら、しげ、ウカウカと乗せられて何も考えずに1700円を出す。
 300円安くなった、と喜んでいたのかもしれないが、モトモトはおごりだったはずなのになあ(^^)。これぞ「朝三暮四作戦」。ってしげは猿か(^o^)。
 ひどい夫だと思われるかもしれないが、ほかのところで結構搾取されているので、これもたまにはサービスである。だいたい、割り勘が普通だろうがよう。


 帰って数時間、疲れて寝る。
 と言っても最近はそんなに体調が優れないので、二、三時間寝ちゃ起きで、まとまった睡眠時間を確保できていない。
 夕方には目覚めてしまうが、しげはまだ爆睡状態。
 しげがいつ起きるかわからないので、その間にパコパコと日記書き。更新もここまで遅れると殆ど自分の記憶力との戦いである。
 ……ボケ防止にはいいかもなって、もうそんなトシかよ(ーー;)。


 CSファミリー劇場、アニメ映画『吸血鬼ハンターD』(本編での表記は『VAMPIRE HUNTER D』)見る。
 先日公開された川尻善昭監督、マッドハウス製作版ではなく、これは1985年の芦田豊雄監督、葦プロダクション製作版。当時、ビデオで見たか劇場まで足を運んだかは忘れたが(イベントかなんかで見たような気もするがうろ覚え)、ともかく見はした。で、誉めていいんだか貶していいんだか当惑した記憶がある。
 なぜってねえ、「天野喜孝キャラデザイン」と銘打っておきながら、実際にキャラデザインを担当したのは『ナジカ電撃作戦』の山内則保、しかもこのころは芦田豊雄の絵柄の影響が濃厚で、天野キャラとは似ても似つかないんだもの。
 ……芦田系の絵って、どんな絵かわかります? あれですよ、『Dr.スランプアラレちゃん』とか『銀河漂流バイファム』、『超力ロボガラット』。丸っこくって、ホームベースがふにゃっとした感じの輪郭線が特徴的な絵柄。……天野さんの絵とは水と油なのよ。
 もちろんこれは確信犯で、メイキング映像で「子供にもわかる絵柄で」と山内さん自身が語っていた。更に『スレイヤーズ』のサムシング吉松さんが、「天野さんの繊細な線と、芦田さんのイヤらしい絵とをどう近づけるか」なんてはしゃいでインタビューに答えてる。無理やん、そんなの(^_^;)。去年のマッドハウス版だって天野キャラとはとても言えない絵柄だったのに、ましてや芦田豊雄……。
 いや、芦プロはね、決して悪い会社じゃないのよ。実際に制作してるのはスタジオライブなんだろうけど、その後エンタテインメントに徹したアニメの秀作を発表し続けてることを考えたら、この『D』だって悪くはない。
 けど『D』じゃないんだよ〜。明らかに。
 それは原作を結構改変した脚本もそうだしねえ。
 麗銀星、あんなにあっさりとした殺し方しちゃ、せっかくの「空間をゆがませる」特殊能力の意味がないでしょ。あれは絶対に原作通り、その能力を逆手に取った殺し方をしなけりゃねえ。伏線の張り方ってものが解ってないよな、平野靖士。
 このころのOVAに定番の女性キャラのシャワーシーンも今見るとなんとかしてくれって感じだが(どこが子供向けだよ)。

 でも、これって明らかにプロダクションの選択ミスだものなあ。当時から今に至るまで、原作ファンの怒りの声は高いが、芦田豊雄に文句つける前に、原作の菊地秀行、製作のムービックやCBSソニーの責任を追求すべきじゃないのか。
 仮にスタジオジブリで高畑勲が作ってたらどうなってたか(^o^)。
 Dも天野キャラのような美形はリアルじゃない、もっと現実的に、とか言っちゃってさ、柳葉敏郎をモデルにデザインされたりしたら困るだろう。
 名倉靖博にさせときゃなあ、絶対すげえDになってたんだが。今回のマッドハウス版も、『メトロポリス』に名倉さん使うくらいだったら、どうして『D』に回さなかったか。……私ゃマッドハウスも傑作作ってるんだか、駄作作ってんだか判別しづらいところがあるのだ。

 あ、それと声優はDに故・塩沢兼人さん。これは当時の声優界を見渡してみてもベストに近い形でしょう。ヒロインのドリスは、まつざか先生や神崎すみれみたいなおねえ様的役が多くなってる富沢美智恵さんなんだけど、これは気丈だけど可憐な美少女って設定なんで、もうブリブリしてる。本人もインタビューではすっげーブリブリしてるし。もう声が半オクターブ高くて見るからに不思議ちゃん。
 やっぱり宗○に走る人は……ああ、いやいやいやいや(^_^;)。



 アニメ『クレヨンしんちゃん』、「運命の合格発表だゾ」「アパートに大集合だゾ」の二本。
 年度末になったせいか「区切り」をつけるエピソードが増えてきた印象。
 四郎くん(これを「よんろう」と読ませるムリヤリギャグからして好きなんだが)の大学の合格発表、靴ひもが切れたり、バナナの皮ですべったりと不吉な状況が立て続けに起きる定番ギャグ(『奥様は魔女』だの『じゃじゃ馬億万長者』だのでイヤというほど見せられてきたヤツ)だけど、でもオモシロイ。放送コードがあるせいなのか、余り過激なギャグができない代わりに、ツッコミで間を取る演出で着実に笑わせてくれる。文章で書くとその面白さが伝わりにくいんだけどね。
 オチもまあ、予測はできるんだけど、アメリカのシットコムのパターンを、ヘタなコント番組よりよっぽど『しんちゃん』の方が再現してるってのが嬉しいような、日本の喜劇の層の薄さが悲しいような……。
 ……あ、でも、予告編で「四月から『あたしんち』放送開始」ってあったけど、ま、まさか『しんちゃん』終わるの?!(と思ったらただの時間移動でした。土曜日の夜なので、外出したら見られない日も出るかも。クスン)


 晩飯はロイヤルホスト。
 初めタンタン麺を頼んだが、品切れと言われ驚く。
 今時分、ロイホでわざわざタンタン麺を頼む客って、そんなに多いのか。
 ファミレスの中でもロイホはちょっと「高級」ってなイメージで売ってたように思うんで、客もそれに合わせて料理注文するもんだと思ってたけど……。
 でも、ロイホが高級なら初めからタンタン麺なんかメニューに入れないか(^_^;)。
 しかたがないのでハンバーグとトンカツ定食を頼む。
 しげはステーキ丼。ハンバーグとトンカツをいつものように分けてやる。こうやって外食のときでも食事はちゃんと控え目にしてるからそんなに太らないはずなのになあ。なかなか痩せないなあ。

 食事中、しげが唐突に「聞きたいことがあるんだけど」と言い出す。
 「なんだいったい?」
 「だめ。今ここでは話せない」
 「なんでだよ。そんなにヤバイことか」
 「うん」
 しげ、いつになく真剣な面持ちなので、私もそれ以上は聞けなかった。
 食事を終えて車に乗って、改めて、しげに切り出す。
 「で、聞きたいことって?」
 しげ、深呼吸して、一拍、間を置いてヒトコト。
 「……忘れた」

 「……は?」
 マジメな顔して聞いて来たの、つい10分前だぞ?!
 それをいきなリ忘れるかあああ?!
 しげも必死になって思い出そうとする。
 「ええっと、ともかくロイホでは話せないことだったんよ、『アニサキス』じゃなくてぇ、『パリダちゃん』じゃなくてぇ」
 「なんじゃそりゃ?!」
 結局、しげは聞こうとした中味を全く思い出せなんった。
 ……読者のみなさん、私がしげのことをアホだアホだと言うのを誇張だと思ってるでしょう。
 違います。
 しげはモノホンのあほです。
 だいたい、しげには「大切な話」なんてものがもともとなかったのです。つい、しげの話に真剣に耳を傾けようとした私もアホでした。
 今度からしげの話は常に話半分で聞くことにします(^^)。

 家に帰ってみて、しげがまた唐突に「そう言えば『やややんやん』は『愛して愛して愛しちゃったのよ』だったねえ」と言い出す。
 「何だよまた」
 「あー、こないだからずっと、『やややんやん』って口について出てたから、これ、なんの歌だったろうって思ってたんだけど、あとのフレーズが出てこんかったんよ。で、今思い出して」
 それなら、「アニサキス」の正体もいつかわかるだろうよ。百年先かもしれんけど。

 「そう言えば、アンタ優しくなったね?」
 「またいきなリなんなんだよ、もう(ーー;)」
 「ガメラの人形、どこかにやったやろ? 俺が怖がるから隠してくれたんやないんね」
 「別に隠してないよ」
 「じゃあ、どこにやったん?」
 「寝室の棚の上。ちょうどおまえの頭の上かなあ。死角になってたから気づかなかったんだろ」
 「……いやん!」
 ガメラのどこが怖いと言うのだ。ガメラは子供の味方だぞ。

 
 マンガ、浦沢直樹『20世紀少年』8巻(小学館・525円)。
 う〜、第2部になって、すごく好きな展開になってきたなあ。
 人によっては好き嫌いが分かれると思うけど、私はプッシュするぞ、小泉響子(^o^)。
 第1部でとことん真剣になっちゃったケンヂたちをやや影に引かせたのは展開が重くなるのを恐れたせいだろう。悲劇であってもコメディリリーフは必要なんである。
 いかにもなコギャルのコイズミだけれど、名前とは違って、これ、モデルはフカキョンじゃないかな。63ページの絵を見るとそう見えるぞ。
 で、この全くのパンピーである彼女が、「ともだち」の内部に潜入、その実態を探索する羽目になっちゃうわけだけど、これがモロにヒッチコックばりの「まきこまれ型サスペンス」で楽しいのよ。
 なにか危機に陥るたびにこのコイズミ、ショックを受けて「楳図かずお顔」になる。このギャグを使うマンガ家さんって腐るほどいるけど、まさか浦沢直樹さんまでやるとはねえ(^^)。いやあ、意表ついてるよ。『モンスター』読んだ人がこっちに来ると、ちょっと唖然としちゃうんじゃないか。おもしろい。
 「春 波夫」のギャグなんか、明らかにいしかわじゅんの『約束の地』を借りてきてるものなあ。はっきり過去の「ギャグマンガ」を意識しながら浦沢さんはこの作品を描いているのだ。
 こういう楽しい展開が作れるなら、できることならあまり人は殺さないでほしいなあ。特にコイズミ。実はケンヂは死んでてみんなはその遺志を継いでレジスタンスしてるって展開もありえるけど、そんなことにしてほしくはないのだ。
 もしかしたらこのマンガ、マンガ界での『オトナ帝国』になるかもしれないのだから。

2001年03月01日(木) ダブルマインド/『ブギーポップ・パラドックス ハートレス・レッド』(上遠野浩平)



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