無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年02月23日(土) トンデモさんが一杯/映画『カタクリ家の幸福』ほか

 しまったしまった。
 昨日NHKBS2で見た映画『姿三四郎』の感想を書くの忘れてた。
 と言っても黒澤明の有名なデビュー作ではなくて、岡本喜八が三浦友和主演で1977年に映画化したもの。
 公開当時は見に行こうかどうか迷った末、上映時間が2時間半で、しかもヒロインが秋吉久美子ってんで止めたんだが、止めて正解だったかな。
 いやね、秋吉久美子も悪い女優じゃないけど、芝居に幅がある人じゃないからね。乙美はダメだよ乙美は。可憐で健気でだけと心は強くってってクラリスみたいなキャラだからな乙美は。
 70年代のよ、シラケ派女優の代表だった秋吉久美子に演じられる役じゃあないのだ。
 ヅラは合わねえわ、セリフは棒読みだわ、拗ねた顔も現代っ子で明治の空気はまるで出せてねえわ、かわいくもなんともねー。
 こんなブスな乙美を私は認めん!(`‐´≠)凸
 あ、特撮ファンには三四郎の最後の敵、檜垣兄弟が矢吹二郎と宮内洋ってのがキモです(滝和也と風見志郎の共演!)。
 特に宮内さんの「あきゃきゃきゃきゃー!」って叫ぶ既知外演技が必見(いや、ホントに基地外って設定なんです。よく放送したな、NHK)。


 誰か期待してる人がいるかもしれないので(^^)、『千と千尋』金熊賞に関わる続報。
 どうせこの受賞で、誉めるにしろ貶すにしろ、トチ狂ったことを言うヒョーロンカが出るだろうなあと思ってたけど、期待に答えて早速出たよ。
 しかもお約束の人がねえ。
 まずはオタクアミーゴス会議室で紹介されてた毎日新聞の記事を抜粋。

 東浩紀氏の『千と千尋』評でありんす。

 僕はもともと宮崎アニメが好きだし、「風の谷のナウシカ」以降は全作品を見ています。ただ今回の「千と千尋」には、僕は否定的なんですよ。これまで宮崎監督は繰り返し、「少女の成長物語」を描いてきました。しかし今回の「千と千尋」だけは違う。主人公の少女「千尋」は物語の中でちっとも成長しない。

 異世界に迷い込んだ「千尋」は、常に指図されるがままに行動する。指示通り新しい場所に向かい、人に会い、次々に襲い来る困難をクリアしていく。このプロセスはロールプレイングゲームとそっくりです。

 「千尋」自身はその過程で、迷いもしなければ、悩みもしない。主体的な決断を下すこともほとんどない。「自分は本当はどうしたいのか」と自問する場面がない。主人公の内面の葛藤(かっとう)が一切描かれていないのです。

 これまでの宮崎映画では、主人公は悩みに直面し、自分の人生を主体的に選び直す人物として描かれてきました。ところが「千尋」は、迷いや悩みの契機となるはずのさまざまな困難を、幸運なハプニングやアイテムだけで解決してしまう。
(中略)
 この20〜30年の間、社会は徐々に変質してきた。面倒くさい内面を必要とせず、適切に役割分担(ロールプレー)することで円滑なコミュニケーションをはかる社会へと変わってきた。誰も「自分の本当の願い」などに直面しなくても生きていける。僕はこの変化を「動物化」と呼んでいます。人間も、文化も、社会のあらゆる領域が「動物化」してきていると言っていい。

 ああ、のっけからなんて恥ずかしいこと言ってるかな。
 「『風の谷のナウシカ』以降は全作品を見ています」
 ……そんなんジマンにもなんにもならんて。
 知識量なんて、常に上には上がいるんだから、「これだけ見てる」って威張るやつくらいアテにならないものはない。
 っつーか、恥ずかしい行為だぞ。それは。
 しかも威張るにコト欠いて『ナウシカ』以後……。それ、宮崎監督のフィルモグラフィーの1/10も見てないじゃんか。マニアは『わんわん忠臣蔵』で宮崎駿がどこの動画を担当したかまで知ってるぞ(私は知らんが)。
 知識がなければ批評ができないというわけではない(もっとも東氏の無知ぶりは「これでよう『千と千尋』を評論しようなんて考えたなあ、と言いたくなるくらい低いが)。
 批評の主眼となるのは知識よりも分析力、洞察力であるからだ。
 けれど、その分析する力も、東氏の場合、ちょっとトンチンカン過ぎるんじゃないかという気がしてならない。
 「これまで宮崎監督は『少女の成長物語』を描いてきました」
 「主人公の少女『千尋』は物語の中でちっとも成長しない」
 半可通がよく言うセリフ……というか、これ、宮崎監督自身が言ってるセリフとか、他の批評家が言ってたことをを鵜呑みにしてるだけなんだよね。
 宮崎さんは、『ナウシカ』を作った時に、「なぜ少女を主人公にするのか?」と聞かれて、「現代では男に力がなくなっている、女をヒロインにするしかないでしょう」と語ってたり、今度の『千尋』についても、「今まで私が描いた少女は映画の中で成長したけれど、今度の千尋は成長しない」と語っている。
 東さんは、実はそれを「何の批評もせずに」ただ「それがよくない」と語ってるだけだ。
 でも、『ラピュタ』でも『もののけ姫』でも主役は男だし、千尋が本当に「成長していない」と言えるのかどうか。
 いや、そもそも少女にとっての「成長」とはなんなのか。
 人間にとって「成長」とはなんなのか。
 単に体が「おとな」になる、ということを指しているのではあるまい、ならばそれが「精神的成長」を指すのだとすれば、どのような状態に変化することが「おとな」だと言えるのか。
 そのあたりの基本的な洞察がなされていないから、結果的に東さんの文章は全て勘違いの連続になってしまう。
 
 「常に指図されるがままに行動するプロセスはゲームとそっくり」
 出ましたねー、「ゲーム」論。
 でもこの「ゲーム」って言葉を「会社人間」とか「全体主義国家の人間」とか「家長制度」とかに置き換えたって通用しちゃうんだよな。
 要するにいつの時代、いつの社会であっても誰かが誰かを支配し、虐げようという構図は存在するんで、別段「ゲーム」に例えなきゃならない必然性なんてないのよ。
 第一、千尋は「あの世界から脱出する」ために、まずはハクの言うことを聞かざるを得なかったわけで、最初の段階で反逆してたら千尋死んでるでしょうに。
 アホな批評。
  
 「主人公の内面の葛藤が一切描かれていないのです」
 「さまざまな困難を、幸運なハプニングやアイテムだけで解決してしまう」
 千尋がみんなが嫌がるヘドロだらけの河の神を洗ってやったり、淋しそうなカオナシを中に入れてあげたり、勇気を奮い起こして銭婆のところへ旅立ったり、の描写は、全て心の葛藤なしに、しかもただのハプニングで行ったことなのかねえ?
 第一、千尋、何度も泣いてるじゃん。
 そりゃ、心にどうしたらいいかわからないっていう「葛藤」があるからでしょ?
 宮崎さんが「千尋は成長する子じゃない」と言ったのは、「もう、あの年頃の女の子には、おとなの力が心の中に眠っていて、それが目覚める物語だ」という意味で言ったんだけどね。
 読解力のないアホが言葉を言葉通りに受け取ると、東さんみたいにトンチンカンな解釈をしちゃうことがある。
 他山の石、他山の石。

 「面倒くさい内面を必要とせず、適切に役割分担することで円滑なコミュニケーションをはかる社会へと変わってきた」
 それ、ここ最近じゃなくて、近代以前の社会もずっとそうだよ。
 日本も世界も、「人間の内面」が生まれて来たのは、「職業選択の自由」が生まれた産業革命以降だってことはハッキリしてるよ。「親の職業を継がなくてもいい」自由が生まれたから、「自分はどう生きたらいいか」ってことが人間共通の命題になったってことは社会学の基本中の基本じゃん。
 中学生以下の知識しかないのか、こいつは。

 なんだかここまでレベルの低い批評を読んだのも、例の『エヴァ』騒動以来かなあ。
 こんなアホ批評を載せた新聞の方もやっぱりアホばっかってことなのか、それとも「どうか笑ってください」ってことなのか。
 なんにせよ、こういうトチ狂った批評が生まれて来るのも、『千と千尋』が国民的なヒットになったって証拠だ。なにを言われたって、一度培った評判は、宮崎さんが少女にイタズラでもしない限り落ちはしないんだから(^o^)、どうかもっともっと、宮崎監督には大ヒット作を作っていってほしい。
 そうすりゃもっともっと世界中からトンデモ批評が寄せられて楽しいから。


 作家の山本弘さんが、『山本弘のSF秘密基地』というHPを16日から開設している。
 わずか数日で4000人を突破するという盛況振りだが、人気者の宿命っていうか、早速、掲示板に荒らしが入って来ている。
 例の「ホロコーストはなかった」とやらかして、花田紀凱さんの『マルコポーロ』を廃刊に追い込んだ御仁の書き込みである。
 トップページに「トンデモさんお断り」とハッキリ書いてるのに、全く効果がなかったようだ。つーかねー、最近のと学会本読んでてもねー、「この物件がトンデモです」って紹介してる人の方がちょっとトンデモっぽい気がしてててねー、こんな「お断り」文なんか掲げてたら、かえって「自分はトンデモじゃないぞ」と思いたい人々が大挙して押し寄せてしまうのではないかという懸念があるのだ。
 というわけで私も掲示板に書きこみ(^^)。
 一生懸命自分がトンデモでないふりをして、小林よしのりを貶したりするのであった(あ、でも私本当に「南京虐殺」はちっとはあったと思ってるからね)。 面白かったのは、高木彬光のトンデモ本、『成吉思汗の秘密』を紹介したら、ある人から、「どうしてこの本がトンデモ本なんですか?」とレスがついたこと。
 30代後半以上の人なら知らない人もあまりいないと思うけど、これ、あの源平合戦のヒーロー、源義経が実は奥州平泉で戦死してなくて、大陸に渡ってジンギスカン(チンギス・ハーン)になったってことを証明しようとした小説なのね。
 この義経=ジンギスカン説ってのは、中国大陸の覇権の正統性を謳うために、近代になってやたら語られ始めた説なんだけど(説そのものは近世から庶民間にあったが、これも清朝に対抗する意識があったと思われる)、ともかくその推理の証拠ってのが、「義経がジンギスカンにならなかったという証拠がないから、義経はジンギスカンだ」というアホなもの。
 ……んなこと言い出したら、私が小泉純一郎でないという証拠がないから、「私=小泉純一郎」だってことも証明できちゃうぞ。田中真紀子でもいいな。
 しかも小説のラストで更に決定的な証拠として挙げられた理由がもうただのオカルトで……。まあ、後は自分で読んでみてください。ミステリなんで、結末だけは隠す(必要ない気はするけど、一応の礼儀)。
 昔は角川文庫だったけど、今は「ハルキ文庫」で復刊されてます。
 この『成吉思汗の秘密』や、架空戦史の元祖、『連合艦隊ついに勝つ』、更にはヘタレSFの『ハスキル人』と、高木さんには「三大トンデモ本」があることはミステリファンのあいだではつとに有名だったんだが、若い人たちはもう全然知らなくなっちゃってるんだろうなあ。
 やっぱりこのHP、トンデモさんが寄ってくるページになりそうだな。


 芝居の練習帰りのしげと待ち合わせて、シネリーブル博多駅で、映画『カタクリ家の幸福』。
 以前見た韓国映画、『クワイエット・ファミリー』の三池崇史監督によるリメイクだけれど、あまりの意味不明さにぶっ飛ぶ。

 オープニングがいきなり粘土アニメ。
 レストランの皿の中から突然現われたキューピーちゃん、悲鳴を上げたお客さんのノドチンコを見て一目ぼれ、思わずちぎってプロポーズするけど、チンコちゃんはキューちゃんの腕をすりぬけて空の彼方へ。
 追いかけたのはいいけれど、カラスに食べられ、キューちゃんは哀れ糞に。
 けれど不屈の闘志で復活! でもやっぱり、カラスに食べられる(^o^)。
 そのカラスめがけて飛んで来るまきざっぽう!
 パカーンと当たって、カラスくんはひゅるるるると地面に落っこちたのでした。
 ……って、何? このオープニング。
 あーこれが本編に何か関係するかっつーと、しません。全くしません。
 強いて言えば、これから起こる全ての不幸はキューピーちゃんを飲んだカラスを殺したタタリか?

 このまきざっぽうを投げたのが、カタクリ家のマイペースお爺ちゃんニヘイ(丹波哲郎)なのでした。
長年勤めたデパートをリストラされたカタクリマサオ(沢田研次)、知り合いに「ここにもうすぐ大きな道路が通るから」とそそのかされて、つい建てちまったペンション「白い恋人たち」。
 でも火山の中腹の荒野に経ったペンションになんか、客は来るはずもない。
 テレビはどこのチャンネル回しても竹中直人しか映らないし(^o^)。
 たまに通りかかるのは死出の旅かの巡礼さん。
 お気楽なマサオの妻テルエ(松坂慶子)、子連れで出戻りしてきた娘のシズエ(西田尚美)、ヤバい事件で会社をクビになった息子マサユキ(武田真治)、シズエの娘ユリエ(宮崎瑶希)、そして愛犬ポチ(ガタピシ!)。

 家族の間に険悪なムードが流れる中、ついにやってきたお客様第一号!
 けれどやけに陰気なこの男、部屋に入るなり、「たどりついたら行き止まり〜♪」と踊り出す。
 ……そう、予告編で知ってはいたが、これは「和製ミュージカル」だったのだ!
 それにしても、一曲目をいきなり「自殺の歌」で始めるか?
 このミュージカルのセオリーはずしてるところがいかにも怪作。
 翌朝、家族で起こしに来てみると、男は部屋のキーを首に突き刺して死んでいた! なんでそんな難儀な死に方を。
 驚いてミュージカるマサオ・ニヘイ・マサユキ・テルエ。
 ……踊ってる場合かよ(ーー;)。
 ここで警察沙汰になっては、二度とお客が来なくなってしまう!
 悩んだカタクリ家の面々は、裏山に死体を埋めることに……。

 それからというもの、やって来る客来る客、死んだり死ななかったり。
 人気絶頂の力士・歌の海は女の子連れでやって来て腹上死。
 女の子は歌の海の下でぺちゃんこになって腹下死(^_^;)。
 またまた裏山へ埋めに行くカタクリ家。
 でも、次に泊まったいかにも行き詰まった貧乏そうな一家四人は「あの……ヒモを貸していただけますか? 丈夫なやつ」とか言って期待させときながら(おいおい)、期待に反してそれは切れたベルトの代わりなのだった。

 一方、町に出たシズエは、自称イギリス王室出身アメリカ軍人のリチャード佐川(忌野清志郎)と知り合う。
 ひと目で恋に落ちた二人は急接近。
 で、やっぱり踊るのよ。
 「らりるれ ローズ色の世界〜♪ たちつて ときめきながら〜♪」
 私は〜今までぇ、これほどぉ〜、いい加減な作詞を〜、見たことがなぁい〜♪(『悲惨な戦い』のメロディーで)。
 書いたのは脚本の山岸きくみさんだそうだけれど、何者だ。パンフにプロフィールが書いてないぞ。ネットで検索しても、あとは『つげ義春ワールド「やもり」』しか書いてない。謎だ。

 すっかり妄想のトリコになったシズエに、リチャードは、「シィズエのこぅとぅ、エぃリザベスおぅばさんにセッツメイするたぁめにィ、イぃギリスへ行ッかなくてぇはぁ。でもミーにはおカネが今ないディス。飛行機代、貸してくゥれマスかァ?」と借金の申しこみ。
 ……イギリス系アメリカ人(ってなんだよ)が「イィギリス」なんて発音すんなよ(ーー;)。
 実は、リチャード佐川は名うての結婚詐欺師だったのだ!
 ……バレバレやがな。
 ペンションまでやってきたリチャードを怪しいと見破ったニヘイは、格闘の末、リチャードを崖から突き落としてしまった! いや、トドメさしたのはシズエだけど。
 ついに殺人か!
 しかも、てっきりガセだと思っていた道路が、ペンションの前から裏山にかけて開通することが決まったのだ!
 ……え? 裏山……?!
「……移し変えなくちゃ! 死体!」
 ペンションへ向かってやって来るパトカー!
 突然乱入する殺人犯!
 脈絡なく爆発する火山!
 踊るカタクリ家の面々!(だから踊ってる場合か!)

 ……あ〜、この映画の超絶的かつ、信じられないラストをご紹介したいところですが、さすがにそこまでバラすと映画を見る楽しみが殺がれると思いますので、隠しておきます。
 ともかく、この日記を書いてる今でも、あのラストはもしかしたら私の妄想か白昼夢ではないかと疑っております。
 アレは確実に『シベリア超特急』『ちんちろまい』を越えました。
 もう三池監督にかなう人は世界に存在しないと断言していいでしょう。
 ……誉めてんのか、これ。

 ああ、でも、惜しむらくはムダなカット、ムダなシーンがちょこちょこあること。あと10分短くしたら、シマリのいい映画になってたのになあ。
 沢田研次と松坂慶子のデュエットがヘタクソにしか聞こえないのはワザとそう歌ってるのか、ダンスが『勝手にしやがれ』&『愛の水中歌』のヘタなパロディにしかなってないからか。
 なにより、これだけのキャスト揃えてて、ホントに踊れるのが武田真治ただ一人というミュージカルにあるまじきものすごさが、この映画の全てを語っているだろう。
 ……ニッポンにもラジー賞作ろうよう。
 お客に投票させるんだったら、票集めしてやるから(^^)。


 帰りにUFOキャッチャーに寄ったら、一発で「ガメラ3」のソフビをゲット。これがまたリアルに出来てて、高さも20センチくらいあって、ごっつカッコエ〜んだわ。
 カタクリ家の幸福のオスソワケだろうか(^o^)。


 しげ、車の中で、今日、其ノ他くんが練習に遅刻したことに腹を立てたことを話す。低血圧がひどい其ノ他くん、しょっちゅう練習に遅刻しているらしいのだ。
 「でも、腹は立てたけど、嫌いになったわけじゃないんだよ。なのに、鴉まっちがビビって、『間に立った私はどうすればいいの!』ってハラハラしてんの」
 「……間に立たなきゃいいんじゃん」
 まあ、それでもうっかり立っちゃうのが鴉丸嬢の心配性なところだろうが。
 「あんまりビビらせるなよ。だって実際に怒ってりゃ、いくら『嫌いになってない』って言ったってそうは見えないだろ?」
 だいたい私がしげを怒った時は、しょっちゅう「嫌いになった?」と聞いてくるのだ。自分だって人に怒られたらビビるくせに、他人のちょっとしたミスを許せないとはココロが狭い、狭すぎる。
 ……不満そうな顔してるなあ、しげ。
 やっぱり分かっちゃいないんだよな。
 
 またまた「びっくりドンキー」で食事。
 珍しいものが食べてみたくてパインハンバーグを頼む。肉と果物って意外と合うよな。
 しげ、カフェオレを頼むがこれが苦かったらしく、泣きそうな顔になる。
 こんなこともあろうかと、私は例のコーラ三本分は入ってんじゃねーかという「びっくりコーラ」を頼んでいる。
 カフェオレをもらって、コーラを二人で分けて飲んだが、たまにこういうカンが働くところが自分でもコワイ。
 大学時代、「なんでオマエに彼女がいる!」と散々文句つけられたが、まあ、要所要所で女の子のツボを押さえてたせいだろう。大層なことでなくってさ、ささやかでいいのよ、たまにその子がほしいものを先読みしてあげる程度でね。
 でも、しょっちゅうやってると期待されるっつーか甘えられるようになるからやらない。女の子はある程度飢餓状態に置いておいた方が付き合い易いんである。
 そういうインケツなところが人間としてどうかと言われそうだな(^_^;)。


 夜はまたチャット。
 別に示し合わせたわけでもないのに16人も集まる。
 けど、残念ながら身近なネタばっか喋ってたんで、詳しく書くとさ、見られたくない人に見られた時、とっても困る状態になりかねないので書けんのよ。
 悪しからず。

2001年02月23日(金) 哀愁列車/『ちょびっツ』1巻(CLAMP)ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)