無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年02月22日(金) また買ったぞDVDBOX/『墨汁一滴』『ボクのらくがき帖』『石ノ森マンガ学園』(石ノ森章太郎)ほか

 年がら年中風邪引きまくってる感じだが、今日もノドが痛い。血便は薬がやっと効き始めたのか、ここ数日は止まっているのだが(やっとかよ)、今度はノドに来やがった。
 一つが終わると次のが来るって、までローンがローンを呼ぶようだな(借りたことあるのかよ、おめーは)。

 仕事もひと段落ついてるので、半日で帰ろうとしげにメールを入れるが、「ごめん。ムチャキツイから、一人で帰って」とのこと。
 ……確かに私もキツイが、かといって、またタクシー使うのも散財だしなあ。
 せっかく時間があるのだから、と、そのままバスと地下鉄を乗り継いで天神へ。
 今日は『コメットさんBOX(上巻)』と『仮面の忍者赤影/第三部根来編』というデカイのが二つもあるので、他にもほしいDVDがあるのだが、泣く泣く諦める。……と言っても、悩んでいるのは『シベリア超特急2 完全版』(劇場公開版に更に「どんでん返し」を付けたとよ)とか『クイーンコング』だったりするのだが。
 ……AIQのどなたかが買わないかなあ……と言っても、みなさんが既に「あのBOX」や「かのBOX」をご購入の予定であることも知っているので、押しつけるように「買ってくれよう」なんて言うことはできない。
 劇団の連中はそろって貧乏ときてやがるし。
 ……そういえば東京のこうたろうくんにも「『シャーロック・ホームズの冒険BOX』(NHKの実写版の方ね)買ったかよ」と聞いたら泣いていたっけ(^o^)。
 家族がいるとなあ、どうしても泣く泣く諦めるって事態になるからなあ。
 けど、家族がいなけりゃいないで、今度は歯止めがなくなってカネもないのにBOX衝動買い、なんてことになりかねないのだ。
 そうなると今以上に生活が逼迫するのは必然なので、これでもガマンしているブツがゴマンとある。
 私だって、『コメットさんBOX』をゲットするために、『どろろ』BOXと『悟空の大冒険』BOXは諦めたのだよ。
 服なんて買わなくていい!
 食事は毎日カップラーメンだ!
 タクシーなんか使うな、歩くか自転車だ!
 溜めたカネは全部イベントかハード・ソフトに回せ!
 オタクたるもの、こう行きたいとこだね。

 「LIMB」を回ると、ちょうどこの連休限定で「石ノ森章太郎版画展」をやっている。
 たいてい「松本零士」とか「天野喜孝」とか、この手の「版画展」は、法外な値段で複製リトグラフなんかを売りつけようってのが殆どなんで、あまり足を踏み入れることはしないのだが、今回は『サイボーグ009』の原画展示があるというので、つい覗いてしまう。
 う、うわああああ!
 まさしくナマのナマのナマ原稿、しかも「009誕生編プロローグ」に「地下帝国ヨミ編」最終回!
 あの、「ジョー、君はどこに落ちたい?」のシーンが石森さんが今描いたばかりのような筆致で筆致で筆致で!
 原画には、印刷されたものでは防護服なんかに貼られてたトーンが一切ないのね。代わりに薄く色鉛筆で青く塗ってある。たしか出版社によって、トーンがあるものとないものの異動が激しいから、この「鉛筆」は色の指示で、その時々で版下作ってトーン貼ったり貼らなかったり、色塗ったり塗らなかったりしてるんだろうな。
 白黒マンガをカラーマンガに描き換えたりする機会があることを考えての処理だろう。たしか『009』、オールカラー版が出たことあるし。
 斜線はやっぱり時代が時代だから、全部手描きだなあ。
 この辺はアシスタントだろうけど、そう線に乱れがないのはさすが。なのにちゃんと温かみがある。定規で引いた線じゃ、この味は出ないんだよね。
 ああ、見に来てよかった。
 やっぱり売り子が「スーツケース買いませんか?」と寄って来たけど(^_^;)。

 スーツケースは買わないで、ネクタイと、『墨汁一滴』と『ボクのらくがき帖』の2冊を買う。
 ネクタイはちょっとシックな薄いグレーか銀色の(色弱なんで細かい色の区別は分からん)地に、うっすらと009の柄が浮かんでいる。ポツンと何ヶ所かだけ、赤い防護服を着た009が。
 これくらいならたいして派手じゃないし、職場にもしていけるな、と購入。ほかにちょっとほしいもので、抱き枕があったんだけど、お値段がちょっとお高めだったので断念。
 やっぱり売り子が側に寄ってきて、「あっ、この絵柄が私も一番好きなんですよ!」と見えすいたおべんちゃら。だから、版画は要らんてばよ。
 そんな手にやすやすと乗るほど、私が若いムスメに弱いように見えるのかねえ。
 まあ、タマには弱いのは否定せんが(^o^)。


 福家書店に回って新刊の小説やマンガなどを購入。
 歩きながらでもげほげほと咳が出るのでだが、あと映画『カタクリ家の幸福』の前売券を買わねばならないので、博多駅に回る。
 つい、紀伊國屋書店に足を向けたのがウンの尽きで、扶桑社文庫から山田風太郎の『妖異金瓶梅』の完全版が出ているのを発見。今までの版は『銭鬼』と『人魚燈籠』の二編が未収録だったのだ。
 ……全部読んではいるからまた買うのもなあ、と思ったが、考えてみたら、細かい内容は忘れている。すぐには読まないだろうが、「保存用」と自分を騙して購入。
 既に角川文庫や廣済堂文庫で買ってる、という人もおられようが、これはもう一度買いなさい(^^)。値段は820円とお高いが、江戸川乱歩、高木彬光が「山田風太郎本格探偵小説の最高傑作」と絶賛したシリーズなのだ。

 考えてみたら昼飯もまだ食ってないや、それで力が出ないんだと、バスチカのラーメン屋で遅い昼飯。
 博多のラーメンではここが標準のようなもので、可もなく不可もなし。
 食べ終わってバス停に上って行くと、ちょうどグッドタイミングでバスが来る。タクシー代を使わずにすんでよかったよかった。

 帰宅して後は夜まで泥のように眠る。


 今夜もまた某チャットで『グインサーガ』話。
 「某」「某」となんではっきりどこのサイトか書かないんだと文句を言われそうだが、書きたくっても書けない事情があるのよ。わかってる人にはバレバレなんだけどもさ。
 初めは、『グインサーガ』の第1巻、『豹頭の仮面』が、ある病気の方を差別する表現があったということで、改訂された話から始まって、「差別とは何か」ってな話題、引いては「現代教育論」みたいなマジメな話に移って行く。
 「現代のサラリーマン教師に、本当に教育改革ができるのか」とかいう話になるものだから、昔っから学校否定論者である私は、「できるわけねぇベ」と茶々を入れる。
 そこでつい、断定的な言い方をしてしまったものだから、おかげでチャットに参加した何人かの人を怒らせてしまった。
 言葉遣いには気をつけなきゃならないなあとは思うが、でも、言葉で伝達できる情報量なんて実はすごく少ないのである。本気で相手と心と心をつなぎ合わせようと思ったら、諍いくらいは覚悟して当然なんである。
 誤解は必ずあるのだから、何が誤解かをハッキリさせていこうという会話こそが、一番していて楽しいのだ。
 こーゆーマジメな話がここのチャットで展開されることは珍しいのだが、日頃はシモの話とかシモの話とかシモの話とかしかしない人間が、その底のとこではマジメなんだなあ、ということがわかってオモシロイ。
 根っからフザケタ野郎ってのはもしかしたら私だけなのかも(^_^;)。


 石ノ森章太郎『墨汁一滴』『ボクのらくがき帖』(H2O・2500円)。
 説明の必要もないほど有名な、若き日の石森さんほか、赤塚不二夫、長谷邦夫、徳南晴一郎、高井研一郎ほかが集結して作っていた肉筆回覧誌、『墨汁一滴』。その中から石森さんの執筆した分だけを集めたものと、石森さん個人のスケッチブックや絵コンテ帖から抜粋したデッサンや未発表マンガを集めたもの。
 トキワ荘グループの中で、「天才少年」と称されていた石森さんだが、絵自体を見ると、「これくらいのデッサン力なら、今日びの美術学校に通ってる学生でも描けるんじゃないか、と誤解されてしまうのではないか。
 けれど、石森さんの凄さは、その描く「スピード」にあったと伝えられる。
 「よほど自信がないとあの線は描けない」と評したのは藤子Fさんだったと思うが、マンガのみならず、生物や人物の素描においても、その直観的な対象把握能力は発揮されたのであろう。
 オードリー・ヘプバーンや、ジャン・ギャバンの素描など、精密なデッサンもあればラフなやつもある。実際にマンガに使えそうなキャラクター化したものもあれば、アート風なものもある。まるで一つの対象からどのようなデフォルメが可能であるか、あらゆる方法を試そうとしているかのようだ。
 ……私もやったのよ、へプバーンは何枚も。
 やればやるほど、似ねえ似ねえ(^_^;)。
 必ずしもうまいとは言えないデッサンも多いが、その全てに感じられるのはマンガに対する情熱だ。
 線を一本引く。その線がつながる。やがて線が形をなし、人になる、家になる、山になる、風になる。
 この無から有が生まれて行く過程が、まさしく自分の手によって紡ぎあげられているのだという快感を一度味わったら、絵を描くことが(たとえヘタでも)好きでたまらなくなる。
 その思いが伝わってくるのだ。この画集からは。
 ちょっとくらい値段が高くたって、へっちゃらだい(ホントか?)。


 今日は石ノ森三連発。
 石ノ森章太郎『石ノ森マンガ学園』(集英社/ホーム社漫画文庫・700円)。
 石森章太郎は、マンガ入門書を何冊も描いている。
 もちろん、それは手塚治虫の『漫画大学』などの顰に倣ったものだろうが、昭和40年代までの一時期、マンガ家を目指す者にとって、石森さんの『マンガ家入門』、『続・マンガ家入門』は、手塚さんの諸作以上の「バイブル」であった。
 もちろん、私も、学校の図書館にあった『マンガ家入門』をページが破れるほどに熟読した(破んなよ)。
 私も手遊びにマンガを描いたりするが、よく「高橋留美子に似てる」とか言われてるけど、ベースにあるのは石ノ森章太郎であり、永井豪なんである。
 藤子・F・不二雄さんが当時マンガ家入門書を描いていたら、そちらにもハマったと思うが、残念ながら『藤子不二雄漫画ゼミナール』を藤子さんが描くのは昭和50年代に入ってからである。しかも、質・量ともに、とても石ノ森さんの労作に及ぶものではなく、ガックリしたものだった。
 何より、情熱が違った。
 単に「マンガの絵が描ける」というレベルの問題ではない。
 プロットの立て方、ストーリーの組み立て方、構図、コマとコマの間、後に夏目房之介・竹熊健太郎が分析していくマンガの心理的効果を、自作の『竜神沼』などを例に使って、微に入り細に入り詳細に説明してくれていたのだ。
 今でも、マンガ家入門書みたいなものは色々な形で発行され続けている。けれど、例えば私が『コミッカーズ』にいまいちハマれないのは、そこに「テクニック」重視のあまり、マンガにおける「ドラマ」とは何かって要素が欠落してることが多いからだ。
 石森さんの技法は、今の眼で見ると稚拙に見えるかもしれない。
 けれど、我々マンガ少年は、何よりあの昭和40年代、石森さんの「新しき人目覚めよ」のコールに魂を揺さぶられたのだ。
 「この本を読めば、マンガ家になれる」、ではない。

 「この本を読んで、マンガ家になろう」、みんな、そう思っていたのだ。
 実はまだ思い続けている(^_^;)。

 この本は、『マンガ家入門』のさらにその後、「少年キング」に連載されたものを単行本化したものを、30年ぶりに新編集して再刊したものだ。前著ほどにページが与えられていないせいか、やや薄味の印象があるが、それでも『佐武と市捕物控』や『さるとびエッちゃん』など、自作を使った作品分析は貴重である。
 特に『サイボーグ009』ファンには、その設定資料が紹介されているのが必見だろう。


 マンガ、水木しげる著、京極夏彦監修・装幀、ラルフ・マッカーシー訳『バイリンガル版 ゲゲゲの鬼太郎』2巻(講談社インターナショナル・998円)。
 今回はバラエティー編というところか、セレクトされたのは『水虎/THE H2OGRE』『妖怪城/GOBLIN CASTLE』『おばけナイター/NIGHT GAME WITH MONSTERS』『磯女/THE BEACH WITCH』『猫娘とねずみ男/CATCHICK AND RATMAN』『夜叉/THE YASHA』の6本。
 「妖怪」を、一つとして同じ訳で表してないのはスゴイが、だとしても「水虎」が「エイチ・ツー・オーグル」ってシャレはちょっとふざけてるよなあ。もっとも水木さんのマンガには怪奇ものでありながら天然のユーモアが混じっているから、何となくピッタリしてるような気もする。
 「カマイタチ」を“PSYCLONE”と訳すのは迷ったんじゃないかなあ。確かに風が真空を作って人の体を切る現象だけれど、言葉を直訳すれば、“SICKLE WEASEL”だし、こっちのほうが妖怪っぽくはある。
 けど、「鎌を持った鼬がどうして旋風のことなのか?」って説明はできないから仕方ないかな。
 あちこちよく見ると、意外と訳しかたが適当である。
 猫娘がねずみ男に飛びかかる時の音「ぴょん」が、英語では“PYOING”……こりゃいくらなんでも造語だろう。ほんとに外人さんに伝わってんのかって気もするけど、その適当さも水木さんのマンガらしいのかな。
 どうせ異文化の産物、根っから理解できるわけもないんだから、ヘンな言葉が出て来て混乱するのも、読む楽しみの一つと考えてもらおうかな。『時計じかけのオレンジ』みたいに(^o^)。

2001年02月22日(木) 霧の摩周湖(行ったことない)/『スレイヤーズすぺしゃる』2巻(神坂一・トミイ大塚)ほか



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