無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年09月13日(木) コロニー落としの報復は/『ヘブン』『ヘブン2』(遠藤淑子)ほか

 劇団ホームページの方で、よしひとさんに「1年遅れの恐怖の大王」というネタを使われてしまったので、タイトルを捻り出すのに苦労をしている。
 一昨日は「地球人と宇宙人との友好を描いた」(笑)米映画、『地球が静止する日』をモジり、昨日は『帰ってきたウルトラマン』の始祖怪鳥テロチルスをネタにしたわけだが、ああ、くそ、ノストラダムス先にを使われてしまった。
 まあ、誰でも思いつきやすそうなネタだけどさ。
 しかし、よしひとさんも被害者に全く哀悼の意を表さないわ、マスコミが慎重に使用を避けている「狂人」というコトバを遠慮なく使ってるわ、恐怖の大王で落とすわ、遠慮のないこと。
 ……よしひと嬢、ウチのメンバーの中では一番の人格者で通っているのである。他のメンバーの性格がいかようなものか、推して知るべしであろうヽ(^。^)丿 。
 で、やっと思いついたタイトルはもちろん『ガンダム』から取ったもの。
 自分の武器使わないで大量殺戮ってとこが似てるよな。
 アラブゲリラにもオタクがいたりして(^_^;)。


 ゆっくり読めなかった新聞をまとめて読む。
 犯人グループの目ぼし、イスラム組織のセンが濃厚になってきたようだ。
 頭目と目されているイスラム原理主義者のオサマ・ビン・ラーディン(ウサマ・ビンラーディンという表記の方が正しいとか>。どっちでもえーわい)、アフガニスタンに匿われているそうだが、「犯行には無関係」と声明を発表しているそうな。
 声明の代理人は、「あんな犯行を行うチカラはラーディン氏にはない」と言っているが、チカラの問題か? 別にラーディン本人がハイジャックする必要はないわけだし、この声明はいかにも不自然だ。
 でも「犯人の行動は支持する」んだって。それじゃ「アタシが黒幕です」って言ってるようなもんではないの(^▽^) 。

 予想通りではあるが、ロシアもフランスも、西欧諸国の殆どが今回のテロに対する米の報復宣言を支持するコメントを寄せている。
 日本は小泉首相の声明が事件発生の12時間後で、各国に比べてずいぶん遅れたと、どの新聞も非難している論調だが、アンタ、戦争放棄してる国でそんなに簡単に「軍事報復」に賛成する意見が吐けるわきゃないでしょうが。
 ついこの間まで「靖国がど〜の」と小泉首相の戦争肯定とも取れる言動に対して文句つけてた新聞が、「はよう戦争協力せんかい」と全く逆の責め方をするのは、いくらなんでもアタマが悪すぎるのではないか。
 もっとも、ア○ヒだろうとヨ○ウリだろうと、毎日、記事を埋めるだけの仕事に追われているカワラバンヤに、アタマを鍛えるヒマもなかろうことはよっく解るが。

 それに対して、アラブ諸国のいくつかは、逆に歓迎するコメントを発表。サダム・フセインはもちろん後者(^o^)。
 さすがにイスラエルとの和平を模索中のパレスチナ自治政府のアラファト議長は、遺憾の意を表明しているらしいが、さて、ホンネは奈辺にあるか。
 ……昔、伊丹十三が『お葬式』を撮った時に、「葬式というのは死者のために行うものではなく、生きている人間が自分たちの関係を再確認するために行うものだ」と喝破したことがあったが、今回、まさしく世界各国は、この「大量殺戮」をきっかけに、その立場を明確にするよう求められることになりそうだ。
 既にマスコミも世間も、興味の関心は「死者」から「生者」たちの動向に、完全に移ってしまっている。未だに犠牲者の確認すらできない状態であるってのに、いいのかねえ。
 そんなこんなで昨日までの「哀悼ムード」はすっかりどこかへすっ飛んじまってるが、その「不謹慎さ」にはマスコミの連中、全く気づいてないのな。
 死んだ者はいずれ忘れられる運命とはいえ、ちと早過ぎないか? 人間、ホントに「死んだらそれまで」なのだと思うと、今生きてる者の醜態すら、バカバカしく見えてくるよ。

 最初に誰が言い出すかなと思っていた「アラブ擁護」、元ベ平連の小田実が、しっかり「アメリカの一党支配に対するアラブの報復」というような意味のことを述べている。いかにもなヒトがいかにもな発言をしているのは実に微笑ましいな(^.^) 。なんだかんだで、アメリカに原爆を落とされた日本、どんなに安保同盟を結んでいようと、内心アメリカに対して「いい気味だ」と思っている連中は結構多いのではないか。
 そう言った潜在的な反米勢力が、あと1ヶ月の間に第2、第3のテロを繰り返し、アメリカを半壊状態にまで追いこめば、世界の勢力地図は相当、様代わりすると思うが、急激な行動は犯人たち自身のチカラをも減じかねない。
 既に彼らは「持久戦」の構えに入っているのではないか。各国の影の協力者の間に潜伏し、アメリカが報復しあぐねて隙ができたところでまたテロを起こす。ベトナムゲリラがアメリカ軍に対して行った作戦の応用だ。アメリカはじわりじわりと国際社会での信用をなくし、ジリ貧になっていく。
 私が犯人なら、そういう作戦を取るが、さて、犯人たちの真意はどこに。

 あ、念のため言っとくけど、私ゃ別に「アラブ支持」じゃないからね。これはあくまで「現状分析」に過ぎないので、またミョーな勘違いをしないように。


 『國文學』10月号、「ことばの最前線」特集。
 こういうのではたいてい「若者コトバ」の採集が行われるのが常だが、若い女性たちに、「あなたは『違うよ』を『ちげーよ』って言いますか?」ってアンケートを取っていたのが面白かった。
 2001年6月の調査で、女子短大生105人と、2001年1月の世論調査2192人とを比較しているのだが、世論調査では「使う」がわずか5.4%であるのに対し、女子短大生は45.7%。
 圧倒的に「若い女性のコトバ」として世間では流通しているのだが、笑っちゃうのは、その肝心の女性たちの大半が、この言い方を、「男言葉で乱暴だから、ホントは使わないほうがいい」と答えていることだ。
 だから使ってるのは女ばかりだって。
 自分のことが見えていない女がどれだけ多いか、それが言葉のデータから見えるってことですな。
 自分の彼女が「ちげーよ」なんて使ってたら、その人はかなりの「馬鹿」である可能性があります。注意しましょう。
 ……って、しげも使ってたんだ、これ。あたた(^_^;)。

 
 夕方、テレビアニメ『フルーツバスケット』、入院中からチラチラと見てはいたのだが、今日初めてじっくり見てみた。
 女の子に相当人気があるということだけど、さて、いったいどんなものなのか。大地丙太郎監督ということでもちょっと期待したんだけどねえ。
 ……貧乏でマジメでちょっとドジだけど人に尽くすのが大好きな、まあ「お人好し」な女の子が主人公。
 劇中で、ある男の子が、その女の子を好きな男の子たちに向かってお伽噺を語るシーンがあるんだけど、その話ってのが「バカな旅人がいろんな人からモノをねだられるけど、バカな旅人はバカだから、どんなに騙されてもモノを与えつづけ、自分の体までバラにしてあげちゃった」というアホなもの。
 なのに、男の子たちがそれ聞いて感動するのな。
 「ああ、あの女の子は、自分のなけなしのバイト代まで、ぼくたちへのバレンタインチョコを買うのに使ってしまったんだ」って。
 ……そんなバカに惚れるなよ(^_^;)。
 どうも毎回こんな調子らしいんだな、このマンガ。
 つまりこれは武者小路実篤の『馬鹿一』とか、遠藤周作の『おバカさん』みたいな「バカ=純粋」って図式をいささか妄信的に賛美している小説の流れの上にあるのだな。
 まあねー、キレイなものだけ見てたい永遠の女の子にはいいかもしれないけどねー、ヒネタおやじにゃ感動できるところがカケラもありませんがな。
 せめてドストエフスキーの『白痴』みたいに、最後あの女の子が破滅してくれたら、リアルで感動できちゃうんだがなあ。まあムリだろうなあ。


 CSファミリー劇場『ハレンチ学園』第1話『トイレット作戦』。
 いやあ、ついに見たよ、懐かしの東京12チャンネル版『ハレンチ学園』を。
 もう、子供のころ、見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たいと思い続けていて、当時はネット局が福岡になかったために、全く見られなかった番組を、ほぼ30年ぶりに見られたのだ。
 もう、出来なんてどうでもいいね。
 原作の小学生の設定を高校生に変えちゃいるが、ストーリーは殆ど原作通り。実写のドラマ化がことごとく改変されることがジョーシキだった中で、これは意外だった。
 大辻伺郎のヒゲゴジラ、井上昭文の丸ゴシも原作の扮装のまんま。用務員の左卜全ってのもハマってるよなあ。
 ……しかし、子供のころは児島みゆきのことをとてもきれいなお姉さんだと思ってた記憶があるが、今見ると、理由が全く解らない。やはりブームに乗せられていたというべきか。


 冷蔵庫に紅シャケの切り身が残っていたので、焼いてシャケ飯にして食う。
 このシャケッてやつも私には昭和30年代を思い起こさせるなつかしアイテムなんだが、今の若い人にはただの貧相なオカズにしか思われてないのかもなあ。


 マンガ、遠藤淑子『ヘブン』『ヘブン2』(白泉社・各410円)。
 短編シリーズがその殆どで、長編は殆ど描かない遠藤淑子、これが初の2巻に渡る長編と言えるが、やはり本領発揮とはいかなかったようだ。
 『ヘブン』の前日譚が『ヘブン2』という、変則的な構成になっているせいか、この2作、設定がうまくつながっていない。
 元軍人の少女、マットが偶然拾った中古ロボット、ルークは、実は要人暗殺用に作られた殺人ロボットだった。しかし、マットの「人は殺すな」の言葉を聞いて、ルークの中で何かが変わっていく。
 ……でも結末が尻切れトンボなんだよなあ。てっきり、『2』でその続きを描くのかと思ったら、そのルークのモデルになった男の子の話で、こっちはラスト近く以外は全然SFでもなんでもない。
 こりゃもう、『ヘブン3』を描いてもらって、ちゃんと『1』からつながる話にしてくれないと、どうにもおさまりがつかないぞ。
 しかし、遠藤さんの作品、旧作は殆ど絶版になってるんだなあ。
 『エヴァンジェリン姫』シリーズはさすがにデビュー作だから古すぎるってことがあるのかもしれないけど、『ぐーたら姫』シリーズはほんの2、3年前の作品だぞ。なのにもう絶版か?
 遠藤さんだけじゃない、日渡早紀も桑田乃梨子も、初期作品は軒並み絶版だ。白泉社、見切りをつけるのがいくらなんでも早過ぎるぞ。

2000年09月13日(水) シゲオと誕生プレゼントと009と/『遊びをせんとや生まれけむ』(石ノ森章太郎)



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