無責任賛歌
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2001年09月12日(水) |
誰かあの飛行機に「テロチルス」と仇名をつけたやつはいないか(^_^;)/『あずまんが大王』3巻(あずまきよひこ) |
さて、本日も朝っぱらからテロの続報。 夕べ11時ごろまでの段階では、1機目の激突映像はニュースに間に合わず、2機目の映像も手前のビルに隠されてたが、半日も経たぬというのに、あらゆる角度の映像が出揃う(笑)。 全く、いったいどこから調達して来るんだろうね。 1機目の映像なんか、事件が起きることが予測できていたはずはないから、民間人が撮った、偶然の映像だろう。 さあ、いったいいくらで売った(^▽^) 。 この事件に関して不謹慎な言動を行うやつらは腐るほど出るだろうが、その第一号はあのカメラマンたちだな。マスコミの誰も指摘はすまいが。
その後の映像も、逃げ惑う人々、崩れ落ちるビル、道路を走る粉塵等々、バラエティに富んだ映像が目白押しである。 テロップも殆どドラマのノリである。 「1機目が激突!」 「2機目も連続して」(とここで、3度に渡って多角度から繰り返し映像) 「ペンタゴンも黒煙に包まれる」 「ビルが崩壊」 「そして残りのビルも……」 事件の悲惨さを伝えるよりも、いかにそのショッキングかつスペクタクルな演出で視聴者をクギづけにできるかということを各局が競っているようにしか見えない。 ニュースの担当者は、いや、あくまで事件の悲惨さを伝えたいのだ、と言うかもしれないが、そんなものウソに決まっている。 もしそうなら、既に発見されて運ばれているであろう数々の遺体の惨状をなぜ映さないのか。 それが「遺族に対して不謹慎だ」とか、「むごたらしくてお茶の間には不向き」とかの理由で放送できないと言うのであれば、所詮は臭いものにフタ、現実の悲惨さから目を背けさせてるだけってことだ。 これを「史上最悪のテロ」と本気で認識しているのなら、ホコリまみれで逃げてるどこか間抜けな印象を与えるような人間の姿より、瓦礫に押しつぶされてグチャグチャになった死体くらい流せ。血を映せ。遺族の哀しみもへったくれもあるか。全世界規模の人間に怒りを感じさせたいのなら、現実の「死」に無理やり向き合わせるくらいのインパクトのあるシャシンを見せてみろ。それくらいやらなければ、「真を映した」とは言えないのだ。 本当に伝えるべきものはなにか、それを認識しているジャーナリストがただの一人もいないから、あんな気の抜けた報道しかできないのだ。 いいか、子供があの映像を見て「わあ、スゲエ」と反応してるんだぞ? はっきり言うが、あれだけで「テロの悲惨さ」を感じ取れる人間は、映像自体を分析してそう感じているのではなく、「テロ=悲惨」という図式が予め脳にインプットされているからそう反応してるんであって、マトモなアタマなんか全然使っちゃいない。言わば、シミュレーションであり、ただの条件反射。もっと言えば、「自分は善人」という妄想の中に逃げこんでいるだけだ。 映像自体が与えている印象は、まさしく「映画のような迫力」にすぎない。 だからオトナよりずっと本能的なコドモが、あれを見て「テロはカッコイイ」と感じたとしても全然不思議はない、というより、ごく自然なことなのである。
……何だかなあ、知り合いの若いやつらがみんなして私に聞くわけよ。 「ねえ、戦争が起こるの?」とか、 「ビルってなんであんなに崩れるの?」とか、 「『ぱれすちな』って何?」とか(おいおい)。 この日本人の大多数はそういう馬鹿で成り立ってるということがマスコミにはわかっちゃいないのだよなあ。 で、いちいちそいつらに私ゃ返事をしてやってるんだけど、どうしてみんな、私にだけそう言うことを聞いてくるのかな(^_^;)。
ブッシュ大統領、「これはテロを超えた戦争である」と盛んにアジをトバしていて、小泉首相は「アメリカを全面的に支持する」と明言している。 おーっと、コイズミサン、「戦争放棄宣言」を「放棄」しちゃったぞ。 いっいのっかなっ。 ……もちろん、これは戦争でもなんでもなく、規模がでかいとは言え、ただのテロだ。首謀者が戦争のつもりで行い、被害を受けた方も戦争と受け取ったとしても、国家間の争いでない限り、戦争とは言えない。だから、一応アメリカに協力したって、戦争協力にはならないのだけれど、「アメリカの報復に対して異は唱えない」程度に押さえとかないと、飛んだ火の粉を浴びることになるぞ。
日本の企業が国際貿易センタービルに多数入っていたとしても、それをもって「日本企業も狙われた」と解釈したがるのもムリがある。それは、「『スターウォーズ』はクロサワの影響を受けた」と声高に言いたがるのと同レベルの日本ビイキ、軽い国粋主義の表れに過ぎない。つまり、日本の国際的経済成長を誇示したい気持ちがどこかにあるわけ。 「日本も危ない」とかやたら言ってるやつらがいるけどよ、こんなことでまで「ジャパン・アズ・ナンバーワン」って主張したいかね。そっちの方がよっぽど不謹慎だと思うがねえ。 たかがアジアの端っぺたの島国がちょいとコガネを稼いだからって、国際的テロリストがそんなもんを標的にするか。 だったら平和ボケした日本、とうの昔に新宿副都心が瓦礫の山になってなきゃオカシイじゃないの。これで大騒ぎしてること自体が平和ボケなんだってば。
ネットであちこちのサイトを覗いてみると、やっぱりと言うか、「こんな残酷なテロは赦せない」とか、キレイゴト言ってるやつが目白押しだ。自分には無関係な対岸の火事だと思ってるからこそ、気軽にそういうことが言えるわけで、さて、本気で自分が戦争に巻きこまれる危険を感じてるんだろうかね。 どうせ対岸の火事を決めこむなら、ことさら善人の演技なんかせず、しげのように完全無視を決めこんでた方がよっぽど潔いぞ。……なんだか今の状況は、葬式になるとどこからともなく現れた遠い遠い親戚が、「お悲しいことでしょうねえ」なんて言いながら遺族に向かってウウウと泣きマネをして見せて、そのあとチョイと香典ちょろまかしていってるみたいで、見ていて胸糞が悪くってしかたがない。
日本人がよく知らなかっただけで、テロなんて全世界で頻繁に実行されている。多分、今放映してる映像のインパクトが薄れたら、かつてのテロ事件なんかも引っ張り出してきて、「こんなに世界は危険」とニュースは煽りたてるんだろうが、これまでそれが我々の眼に全く入ってこないくらい、日本人は世界に背を向けて生きてきていたのである。 今更、「テロ赦すまじ」なんて言ったって、ずっと「高みの見物」決めこんでたやつらの発言なんか、聞いたって腹が立つばかりだろう。世界がマトモに相手にするか。
朝から晩まで仕事に合間がない。 ちょっと新聞を読むヒマもない。 もちろん、職場でもテロ事件についてはもちきりで、いろいろ面白い話題もあるのだが、全部オフレコにせざるを得ないのが残念だ。 ……私の職業バラした上で、その裏話セキララに書きまくって本にしたら絶対に売れる自信あるんだがなあ。 もちろん、そんときゃ私はクビになってるだろうが。
帰宅して、晩飯は買い置きの煮物。ところが冷凍庫に入れていたわけでもないのに、野菜の類が全部凍っていて、コンニャクなんかカチンカチンである。 湯がいたら元に戻るかと思ったら、硬くなって縮んだスポンジのように、歯応えが。こ、これはグミ! ……マメ知識です。 コンニャクは凍らせて解凍すると「グミ」になる。 ……今度、試してご覧あれ。 あと、サバを焼いて、晩飯はそれだけ。一応、退院後も控えめにはしているのだ。テレビニュースに齧りついているので、あとは食器洗いと洗濯をしたら一日はあっという間に終わり。 しげ、宮部みゆきの『模倣犯』も『R.P.G.』も全部読み終わったらしく、「面白かったよ。けど、アンタはすぐ先が見えちゃうんじゃないかな」とか言っている。何だか買い被られてる気はするが、ミステリーは作者と読者の知恵比べ、という古風なものが性に合う私としては、確かに宮部さんの作品も好きなものが多いのである。でもさすがに上下巻合わせて1000ページ以上というのはちとキツイ。じっくり一日かけて読む時間、なんとか取らねば。
マンガ、あずまきよひこ『あずまんが大王』3巻(メディアワークス・714円)。 さりげない女の子のカラダの線をリアルに描ける点では、今、日本一のマンガ家(^^*)、あずまきよひこの最新刊。 どうも、私の世代では「あずまんが」と聞くと、どうしても『アズマニア』を連想して、「吾妻ひでおのことか?」とか思っちゃうのだが、「ともかく徹底的に女の子がかわいい」という点では共通項があろうか。 表紙絵は、私のイチ押しの、一見クールに見えるけれど、実はただの引っ込み思案で、大の猫好き(だけどなぜか猫には嫌われちゃう)、ファンシーグッズ大好きな、背が高くてロングヘアー、超巨乳な美人、榊さんのニット姿。……なんだか男の妄想を絵に描いたような(絵だってば)キャラだな。 4コマが主体だけれど、間にたまに入る短編スペシャル、「榊さんの初夢」とかが面白い。 よくわからないが、12歳だけれど頭がよいので飛び級してきた高校2年生のちよちゃんちは大金持ちなのである。 榊さん、お年始にちよちゃんちに来るのだが、お手伝いさんはペンギン、お父さんは多分猫である。でも立って歩くし、妙に平べったいしヒゲは生えてないし、ホントのところ何なのかよく解らない。 喋ってることもよく解らなくって、「一緒に夕食でもどうかね? 赤いものもはいっているが」と、なぜか赤いものにトラウマがあるらしい。……こういう「不条理をトラウマに絡めて描く」感覚も吾妻ひでお的だ。 クラスの担任のゆかり先生が、美人なのにグータラで、生徒のことなんてまるで考えてないってのはいしいひさいちの藤原先生の影響かな。「あーいいわよ好きにして。生徒の自主性をそんちょーとかゆーので」。……セリフだけ書き出したら、本当にそっくりだな。 完全にオリジナルなギャグなんてのはそうそう作れるものではない。でも従来のギャグの語り口を変えて今の読者にウケるようにし立てるのは、必ずしも手抜きではあるまい。パロディから出て来たとはいえ(多分エロも描いていたのであろう)、あずまきよひこの活動は、もう少し評価してあげてもいいのではないか(相原コージなんかが、あがいているのが見える分、逆に笑えなくなってるのに比べると遥かに面白いし)。
2000年09月12日(火) 打ち身とワンピースの続きと/『ONE PIECE』6〜15巻(尾田栄一郎)
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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