あふりかくじらノート
あふりかくじら



 ひとり、目覚めるとき。

なんだか忙しく働いている世間のひとたちには申し訳ないのだけれども、午前中少し作業をしたら眠たくなってしまってお昼寝をした。

でも、とても浅い眠りでかえって疲れてしまった。

お約束のように、夢を見る。このところ、淋しい夢とか怖い夢とか(ワニとかね)、ともかくこころがくたびれてしまうようなものばかり。


そこでわたしはハラレにいて、いつもとてもお世話になっているお二人のフラットの前に立っている。もちろん長年ジンバブエで活動をされているあの方たちだ。

でも、わたしはその前まで来たものの、会わずに立ち去ってしまう。ハラレの見慣れたあの町並みのなかを歩き、今夜の宿を決めようと考えている。


過去、何度も夢の中でこういう例があるのだけれども、わたしはたとえ地球を半分回って遠い国まで来たとしても、そこにいるはずの大切な人やら友人やらに会わないで帰る、というパターンがほとんどだ。
そして、その後味たるや、やっぱり物淋しいのだ。

でも、わたしは、実際に古い知り合いなどにあってしまうよりも、そっと会わずに帰ってしまうような選択をしたほうが良いと思っている。


旅に出るとき、わたしはやっぱり「場所」を訪れたくて行く。特別なことがない限り、人に会いに行くことはない。小さなころから色んな町に移り住んできたけれど、いつもわたしは思う。そこに、自分の知っているひとがいなくなったらまた戻ってみよう、と。

はっきりとした理由はないけれど、たぶんわたしはひとより少しだけ多くそういう「淋しさ」を知っているんじゃないかと思う。子どものころから、一度その場所を離れたらもう居場所はなくなっているということに気づいていた。同じ人に会ったとしても、もう関係性も時間も変わってしまっている。だったら、会わないほうがいいのだ。と、わたしは思っている。

なぜなら、わたしにはわたしの新しい時間が、すでに別の場所で始まっているからだ。自分が去った場所が、自分を含まずに新しい時間を歩んでいるのと同じように。


次に行くとき、ジンバブエでは、ジンバブエ人の大切な友以外、日本人はもちろん外国人には会いたくないと思っている。彼らは、わたしがジンバブエに行く目的にはもちろんなりえないし、むしろ全く異質のものだからだ。
きっと、すべてのひとがいなくなってからか、それとも行ったとしても会わないか、ということになるはずだ。

これは、淋しい考え方だとは思わない。
わたしにとっては、これがいちばん良い人との距離なのだ。そう思っている。



淋しい夢から醒めたあと、ずっとぼんやりと何をしていいのかわからない状態に。

帰宅して、まだどうしていいかわからずにアントニオ・フォルチオーネを聴いている。ハラレの夜空に響く、あのギターが忘れられない。

2007年10月02日(火)
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