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■ 仁侠くじらの盃
すべては、死のために。 劇的なる生の軌跡は、仁義とか義兄弟だとか そういうものにまみれ渦巻いたまま、死に至るのみ。
午後8時のエディンバラ、雲の多い夕暮れの空に 血しぶきの中、何度でも撃たれ弾かれる身体を フラッシュバックさせる。
北野 武 『BROTHER』 夕べの映画の記憶から。
たとえば彼は、そうやって生きていくしかなかったわけで、 あまりに孤独な魂が生きるには、もう誰かを殺していくより ほかに術がなかったのだ。 彼の淋しい人生は、人を殺し続けることで彩られていたし、 それはあまりにも遠くうつくしい孤独。 そうして、自らの死の瞬間に収縮されていく、ただそれだけの すべての営み。 ぷつりと切られるエンディングは、そのことばの重みと 死と愛と、永遠に続くしかないそういう人生を示唆している。
哀しい人生。
死の感触を知っている人間。 それはこういう哀しすぎる作品を描かせるし、哀しい人生を 創造させる。
「仁」とは、思いやりでありいつくしみである。
仁義とか義兄弟の盃とか、堅く古典的なことば。 その哀しさを、繰り返し執拗に描き出す誰か。
わたしの祖父は、その一文字をわたしに遺した。
誰かが撃ち殺されるシーンをみておかしく笑うことは、 わたしにはとてもできない。
2001年04月10日(火)
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