NY州在住 <旧『東京在住』・旧旧『NY在住』>
kiyo



 食事観察

 いろんなことについて書いているつもりでいても、ずらーっと今まで書いた目次を見てみると、結構食事ネタとか、何かに挑戦してみたネタ、航空機ネタとかがメジャーな潮流みたいですね。それもそのはず、毎日食事はするし、しょっちゅう飛行機にのるし、なんか挑戦してみたくなるのも人間の性というものですから。

 さて、今日は食事の観察がキーワード。食事は毎日必ずしていることですね。そんな食事に対する態度って彼や彼女の人生に対する態度と共通しているかもしれません。


 適当に食事を済ませても、体は一回満足します。人生も、豊かな国にいる限り、適当に済まそうと思えば結構どうとでもなる。ところが、嫌でも、向き合わなければいけない。避けて通れない。(何もしないというのもアクションとしましょう)以下のように考えられないでしょうか。


・超忙しくても、ご飯を炊いたり、薬味のネギを切るのを忘れない人は、少しの手間で人生が豊かになるなら、その手間を惜しまない人。
・ご飯は栄養をとる手段として割り切る人は、自分の目的に向かってリソースを究極的に集中できる人。
・失恋したり、上司とケンカした後のご飯がまずくなる人は、気分転換が苦手な人。
・俺は口に入れるなら高級品しかいれないぜ。金がないなら、食わん!という人は、自分のポリシーをどこまでも貫徹している人。
・ご飯?ああ、もうなんでもいいよ。という人は、人生についても適当にごまかし続ける人。
・一人で食べるご飯は味気ない〜!という人はとっても寂しがり屋で誰かと幸せを共有しないと、自分が幸せになれない人。
・和食以外は受け付けない、という人は、好奇心が薄く、未知の分野への探求をしない人。
・ハンバーグが好きなんだ、毎日ハンバーグで良いよ!という人は、一度はまると、どっぷりはまる人。
・酒がないと夕食は始まらない、っていうか酒とつまみで夕食はOKという人は・・・アル中だよ。
・外食は好かんなー、という人は、味以外に、雰囲気やサービス、道中のドライブなど、目的外の目的を楽しむ心がない人。
・嫁(彼女)のご飯が超最高!という人は浮気の心配がないかも。
・今日は、和食、明日はフレンチ、明後日は中華、と毎日違ったものを食べたい人は移り気が多い人。


 とまあ、その人の食事に対する態度の観察やそこからの推測は色々できるのがその人の食事態度じゃないかな、と思うわけです。どうでしょう?将来の伴侶になる人を選ぶときはその人の食事態度から自分との相性を推測してみれば?


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2007年10月22日(月)



 空気を読み違える人・読まない人

 数年ぶりに、何日も寝込んでいる。困ったことだ。頭はクリアなのに体が言うことを聞かない。

 ま、それはそれとして、このイサカにも若干「痛い」人が観察できるわけですよ。

 痛いってどういうことだろう?見ていて痛々しい人?いうなれば、見聞きするに堪えない、と定義したら良い感じじゃないだろうか。例を考えてみよう。


(1)コンビニバイトに臨んで「日本経済を支えているんだ」と意気込んで雑誌を並べている人
(2)三日間徹夜して、具合を悪くしてまでセーターを編み、彼氏でもない一目惚れ人に「こうすれば私のこと好きになってくれるよね?」つぶやく女
(3)教養科目でしかも必修で仕方なくとらされている学生に対して、生徒の習熟度合いが云々と悩み続けている講師
(4)祖国のためにノーベル賞を、と意気込んだ挙げ句、業績をねつ造し出す研究者

 等々。いずれも、痛い。何故だろう?
 コンビニバイトでマクロ経済云々することがナンセンスだし、そもそも日本経済が悪ければ、どうなんだ、という話だ。尽くせば良い、信じ込めば良いと思って周りをみないバカなのに、捨てらたら、すわ被害者意識だけは天下一品。君の授業をとりにこの学校に来たわけでもないのに、プライドだけは名誉教授。妄想でしかないナショナリズムをリアリスティックな科学に持ち込むアホさ加減。


 とまあ、そんな「痛さ」が以上の例には散見される。そしてその痛さを観察すると、その原因は、空気を読み違えているからに他ならないことが分かる。言い換えれば、相手や周りの期待を勘違いしてるからだ。

 黙ってレジを売っていれば良いものを・・・。電話やメール程度で良いものを・・・。教科書通り教えていれば良いものを・・・。普通に研究していればいいものを・・・。

 と、周りの期待を大きく読み違えている。

 そこで、思ったのですが、むしろ空気を読まない人のほうがましじゃないですか?痛くない。

「レジ打ち楽しいなー、最高だぜ。」
「あの人超好きだから、セーター編んでるだけで幸せ。それだけでお腹一杯♪」
「自分の予定平均点以内に実際の平均点の結果が出たときは快感を感じます」
「牛の体細胞をいじってると、それだけで給料は要りません」


 ほら。なんぼか「まし」じゃありませんか?なぜなら、他者はこの場合関係ないから。自分で好きにやってるだけ、で完結している。「おいおい、俺らの事誤解するなよ。君のことなんて眼中にないからさ・・・」と相手に思わせてると、その「痛さ」は倍増するように思えます。

 空気を読み違えるくらいだったら、むしろ読まない方がいいのかも。

【追伸】写真は、上から、東京でみつけたデモパレードと、ソウルで見つけたデモパレード。いずれも、こうすることで周りの支持を失っている事に気がつかない空気を読み違えた連中。


2007年10月14日(日)



 この街に馴染みすぎる私。

 目の回るような忙しさが続いていますが決して、本当に目が回ったりしないのは、キャンパスが広いから動き回っても結局円運動にならないからでしょうか。勉強することや講義をすることで忙しいはずなのに(要は事務職的なこと)、何故か足が太くなり、運動後のようなお腹の好き方をするのは、面白いことです。(スロープを何度も往復するからね)
 
 これまで何度か、イサカの生活を紹介してきましたが、今度こそ、「お前はどんだけイサカになじんでいるんだ」ということを紹介しましょう。イサカの街は、カユガ湖という大きな湖の湖畔の猫の額ほどの小さな平地に街の中心が作られています。(実際に猫の額を観察したこともないし、そんだけ小さいはずもない)
 他は山々に囲まれ、ある山の上には私の大学があり、他の山の上には、イサカカレッジという大学があり、他の山の上には住宅街があったり、畑があったり、ゴルフ場があったりするわけです。そしてその山々を私や鹿が行き交うと。(鹿とすれ違うことは滅多にない)

 何を思ったのか、体育の授業でスキューバダイビングを取った私は、一体何処で実地訓練(プールや教室以外)をするんだろうか、と思っていたんですが、やっぱりカユガ湖。イサカにすむ誰もが知っている湖ですが、まさか潜ってみるとは・・・。週末の二日間、朝8時に集合した私たちは、重い道具を積み込み(タンクとかもね)、車で移動すること5分。(そうよたった五分)湖畔に到着、ダイビング専用ボートに乗り込み潜ってきましたよ。

 ま、湖なので湖底に水草がいっぱいあったのが印象的で・・・。魚なんて、ほんの一瞬みかけた程度でしたが、海とは違った感慨深さです。私は、環境保護の取り組みについて勉強をしていますが、今まで、中国で環境がやばいとかきいても「あ、そぉ・・・」と勉強は勉強とクールな態度を決め込んでおりました。しかし、今は立ちションしている人を見つけようものなら背中から押しかねないくらい環境は大切よ、と思ってきました。なんせ潜ってるんだから。

 週明け。くたくたの体をひきずってキャンパスにいくと、いつものように挨拶されます。
“How was your weekend?”
 こう答えたくて、このコースを受講したのかもしれない。実際答えた訳だが・・・
“well,,, I was UNDER the lake, Cayuga lake.”


 追伸:この記事はシラキュース空港の待合室で書いているが、今のところ飛行機の出発時間が三回延長された。私は今日飛ぶことができるのだろうか・・・。


2007年10月06日(土)
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