NY州在住 <旧『東京在住』・旧旧『NY在住』>
kiyo



 これから会う人

 最近になってのことでもないのだけれども、思うことがある。特にNYに来てから。どこにいっても、私はとても素敵な人に会ってきた。尊敬できる人ばかりだし、私はこの人やあの人と話せる機会を得たこととても幸せに思っている。いくら私が大好きでも、いつか私とコンタクトがとれなくなってしまうかもしれない。特にNYみたいな外国にいるとね。
 どんどん素敵で魅力的な人とふれあっているうちに、いつかくる未来の別れよりも、今一番気になることは、実はその人の過去になってきた。というのも、この人はNYに来るまで何をしていたのかな?誰に笑顔を見せていたのかな?どんな幸せを実現したのだろう?きっと、自分の国に帰れば、自分よりももっとその人のことを知っていて、好きでいてくれる人が沢山いるに違いない、と考えるようになりました。別に嫉妬しているわけではないのだけど、気になる。どんな人がその人を待っているのか。自分のフィールドに帰ったときにその人はどんな表情を見せるのか。きっとちょっと違うはず。私は、故郷で待つ友達にはなれないし、でも、もうちょっと先の未来では、その人を待つ立場になれるのだ。私たちは時間的空間的にとどんどん先に進んでいくし、その先々で出会いが待っていて、いろんな人とのいろんな関係が始まる。
 それは、たぶん、ここが外国だから?それだけじゃないと思う。年を取ったせいだと思う。木がどんどん生長するように、私たちは上へ上へと伸びていく。すると木の根っこはどんどん太くなり、その木にとって大切になっていく。でも、私はそんな素敵な木の大切な部分になるにはずっと年月が必要なんだ。それでも、その人の根っこには負けてしまう。木の先が地面とは違う所にあるだけが原因じゃない。根っこから先まで伸びるのに時間を沢山かけたことが原因。
 それでも、私はこうしてかけがえのない、とてもとても大切な人たちとふれあい、少しでも言葉を交わすことが今は一番の幸せである。

2005年10月31日(月)



 郷愁とナショナリズム

 いやー更新しなくちゃなー、って思っていてもどんなことをすればいいか思いつかないのです。なんかバトンとか死んでもいやだし、もはや日記を書いても自己満足っぽいものばかり。オルタナティブな視点を提供するっていうのも数年前にやってしまったし。かといって何もしないと言うのもいやだ。嫌みにならない程度に面白い話題を提供できたらな、って思って書いたのだけど、失敗しました。ごめんなさい。_| ̄|○

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 ず〜〜っと前にどこかで書いたことですが、私が高校生のころある国立大学の推薦入学試験の論文課題は、「ナショナリズム(Nationalism)・リージョナリズム(Regionalism)・エスニズム(Ethnism)をそれぞれ説明した上で、相互の関連を説明せよ」ということでした。高校生でこれを上手に説明できた学生は今頃どんな人になっているんだろうなことをしてるのだろう?といつも気になっています。(因みに私は受験すらしなかった。もっといえば大学院も戦わずして諦めたw)
 日本から一歩出てみると、この手の目に見えない、お腹一杯になりもしない価値にすがって誇って、よりどころにして生きている人が沢山いることに驚きます。数日前のニュースで自分の国の国際的な影響力について自信を持っていない国民というランキングの中で、もっとも自信を持っていないのは、日本だそうです。そして、この数字について誇りに思うのは日本人だけで、世界の人は理解できないのでしょうね。特に大陸の人たちには。
 ここ数年思うのです。誇りって必要ですか?数千年戦争をし続けたヨーロッパの国々は、戦争が始まる前から講話の準備を進めると言います。そこには意地とかプライドとかは存在しません。被害と戦後得られる利益だけを天秤にかけるだけ。翻って身近な問題を見てみましょう。営業目標を達成するために、意中のかわいい彼女をgetするために、あなたは○○大学卒業だとか、△△県出身だとか、きにしますか?普通は、モノを売るためには嫌いな人にも頭を下げるし、大好きなスペイン人あの子のためなら必死でスペイン語も習おうというものです。ほら、プライドなんて、目標の前には無駄なだけだ。
 日本人だなーって思うのはこの辺でしょうか?母国とは帰ればおいしいしゃぶしゃぶが食べられるところ、くらいの意識でいた方が世界の人と仲良くやっていけるし、それなりの成果も上がるのではないかと思うのです。比べてみましょう、誇り高いどこかの国々と。そこにあるのはつまらない誇りにすがったためある「惨状」だけだということです。

2005年10月30日(日)



 夏の思い出 韓国編 最終回

 夏の思い出最終回です。今回は、夏の経験を通したまとめも韓国レポートに引き続いて書いてみたいと思います。
 さて、日本人が韓国について思うことってなんでしょう?韓国ブームという言葉を耳にしますが、私の周りで一人たりとも韓国産コンテンツに興味を持っている人はいないので、きっとメディアが勝手に騒いでるだけの話でしょう。日本海の無効の話なんてだれも興味を持っていないと思います。その中で、韓国のイメージといえば、焼き肉とエステ以外ないんじゃないか?そしてこれは一般性を持つんじゃないかと思います。
 エステは、私、男の子だから、あんまり行く気は起きません。でも、この国にきて焼き肉は食べなくちゃ!!と思ったわけですよ。一番の目的はお友達に会うこと、だから、きっと誰か連れて行ってくれる、と思いました。そしてそれは正しくて、韓国の人が普段楽しむ街に連れて行ってもらったのです!そこはまさに異国情緒満載。マイナスイオンよりもこの雰囲気を浴びれば心踊るものがあるし(そもそもマイナスイオンにそのような効果はない?)たった二時間弱のフライトで、NYよりも見慣れないものが沢山あるじゃないですか。観光客の大半は日本人と中国人らしいけれども、あの街の中で外国人は私だけ!小さなレストランが建ち並び、全て、焼き肉テーブルが無造作に置いてある!レストランとレストランの間には、小さな竈(かまど)があって、炭火をおこしている!テーブルには、カルビ・豚バラ肉・ホタテ・蛤などを焼いて、酒を酌み交わしてる人々ばかり。なんとエキゾチックなんでしょう。やっぱりおいしかった!NYで試した同じ料理は三倍くらいの値段を払ったけど、韓国で食べた方が三倍くらいおいしかった!!そしてなんといっても楽しい。実は他の日に、韓定食という伝統料理を食べに行ったけど、あの半分な、クーラーなんて無いところで汗して食べる焼き肉の方が私はすきですね。韓定食ってあんまりおいしくない、とみんな(韓国の人も、外国の人も)いうけれども、八割くらいはおいしかったよ。食べきれないくらい出てくるので、悔しい思いをしたけれども。(私の韓定食の一番の印象は、箸が金属で出来ているので重くて、食べていて手が疲れることでした)みんな、初めてであった韓国のお友達も、NYで出会った人も私を温かく出迎えてくれたのは、この国で一番幸せな出来事であったように思います。
 きっと、この国の人は、仕事や学校の終わりに、友達とこんなところで楽しく騒ぐのが生活のスタイルなんでしょうね。私は今NYにいるけれども、この国にはこの国の人の市民の生活スタイルがある。プライベートの楽しみ方がある。週末散歩をしていると、小さな公園でみんなお祭りをしている。フォークソングを歌う仮設舞台がせっちされていて、歌に会わせて輪になって踊っている。そして、その周りにはホットドッグやクレープの屋台・移動遊園地がある。そうしてアメリカの人々は週末を楽しんでいる。日本の場合はどうでしょう?たぶん、週末は小旅行と称して郊外の温泉にでかけたり、仕事や学校の終わりは、ビヤホールや神宮球場で夜空の下ビールジョッキを片手に語らうことなのかもしれない。
 そうした、生活スタイル、プライベートの楽しみ方、というのは各国でとても独自なものがあるんですよね。そこに優劣がないことは明らかです。実を言うと、NYで出会った多くの韓国人はとてもとてもいい人だったけれども、彼らの価値観に私は違和感を持っていました。いつも彼らの考え方や目的を聞く度に、"Are you truely happy?"と聞きたくて仕方がなかった。本当に、それを達成することがあなたにとって幸せですか?聞いているとどうしても価値観の根本的な部分があやふやで、盲目的に信じている感じがする。NYをはじめとした、他のスタイルはきっと韓国の人には窮屈なんだと思いました。なのに自分が好きだと思いこんでいる。焼き肉をみんなで食べて楽しむことを数百年やってきた人に、一人分が別々に運ばれてくるレストランで楽しむには、やっぱり違和感があるんじゃないかと思います。もちろん、それをみんながフォークとナイフでつつき合ったら、そのスタイル自体破綻してしまう。それと同じように、アメリカや日本のゴールと韓国のゴールは全く違うことに気づいたらみんなが満足できる韓国が出来るのではないかと思いました。お金を稼ぐことは、満足することではありません。お金はいくら貯めてもお腹が一杯にならないから。
 韓国でずっと暮らしている人と友達になって気づいたことがあります。その国でどうすれば楽しめるか、みんなと幸せに暮らせるか知ってるのだと思いました。だから、他の国のスタイルは興味は持っても盲目的にそれが優れているのだ、と思いこむ事はないのだと思いました。いくらがんばっても、アメリカや日本で生み出された、技術力や生産システム、ビジネスモデルを凌駕することは永遠にできもしないし、それらの国の生活スタイルで本当に幸せになることは出来ません。それは日本や日本人についても同じことがいえます。日本人はきっとあんなレストランで焼き肉を食べても、本当に満足は出来ないのです。きっと、不衛生感が目についたり、他の客との距離が気になりだすから。(偶に楽しむから良いんです。)アメリカのビジネスモデルはやっぱり日本には馴染みませんでした。同じです。私がこの国の好きな部分は、ずっと昔から韓国人に愛されているものでした。こうしや焼き肉のスタイルしかり、ちいさな路地裏の景色しかり。本当に素敵だった。でも、新しいソウル駅や他の国の車メーカーの各パーツを模した韓国産の車には全く魅力を感じませんでした。昔から市民の間で親しまれてきた経済的・地域的・政治的システムを活かせば、盲目的に他の国の価値観に憧れていつまで経っても幸福感を感じない迷路に迷い込むことなく、みんなが満足できる社会がこの国にも生まれるのでしょう。翻って、個人個人にもいえます。自分がしていることは赤裸々な自分の欲求によるものなのか、なんとなくいいね♪、という気分からしていることなのか、はっきり認識してこそ日常の充足感は生まれるのだな、と感じました。

 今食べているものはあなたの好物ですか?
 あなたの隣にいる人は好きですか?
 メディアで喧伝されている価値観にあなたは本当に同意していますか?
 今着ている服はあなたの好みの服ですか?
 今している仕事は好きだからしているのですか?
 
 何も、好きなことを全部すべき、といっているわけではありません。世の中自分の思うように回らないことは多々あるでしょう。ただし、それが自分が望んだ結果なのかどうか?好きだからしているのではなく、必要だからしているのか?そうした正確な認識が幸せになるためには必要に思うのです。

 Now. Are you happy?


韓定食


焼き肉屋さん


私を案内してくれた韓国のお友達の一人。(感謝を込めて)

2005年10月10日(月)



 夏の思い出 韓国編 その2

 ちょっと間が開いてしまいました。韓国編その2です。お友達にもあったので、そのことを書こうか?とか、いろいろ考えている間に、もう数日経ってしまったとは。
 きっとこれ、その4くらいまで書こうと思います。やっぱり異国は全部が違いますからね。信号一つとっても珍しいし、その国を理解することが出来る。今日は名所編。
 名所といっても、歴史的建造物や景観の良いところ、というのはあんまりソウルにはきっと無いのだと思います。いや、探せばあるんだろうけど、ここは行かなくてはいけない、というところはせいぜい一つ二つなんでしょう。やっぱり、旅行者にとって見てみたいのは、この建物!とか、この場所!っていう個別のものではなくて、全体の雰囲気なんです。星々が集まって初めて正座として意味をなすように、旅行者がほしいのは、細部まで韓国を味わえる街。街灯、舗装道路、屋根、看板、空、そんな何気ないもの達を全て残してこそ、その国の良さをあじわうことができるのですが・・・。なんせ、大都市ですし、あんまり先見性のない都市計画や開発の関係でずいぶん失われてしまったのでしょう。街並みをエンジョイするという感ががあんまり無いのかと思いました。
 私がリクエストしたのは景福宮と、ソウル駅。景福宮の一番の感想は、大きい。それにつきます。同じような建物が奥に何十と続いています。サイズが違うだけで、屋根とか建築様式は基本的に一緒。あー、昔の王様は、面倒だったんだな、感じます。同じような建物ばかりで迷わなかったんでしょうか?建物の説明には日本語で書かれているものがありますが、歴史的な事件や人名など全く知らないものばかりで、あんまり意味がわからなかった。でも、あの大きくて屋根がたくさん見える景色は、軒下で休んでいると、涼やかな気分になるものですね。残念なのは、復元技術が低いのか、当時の建物を再現し切れていない点でしょうか。コンクリートで補強された屋根や土台があるとやっぱり上で述べたように、全体としての気分が壊されてしまいますね。極彩色の建物を見ると、なるほど、この国はやっぱり大陸なのだな、と思います。赤を基調とした艶やかなデザインは、無味乾燥とした書院造りなど、日本の建物とは違った趣があります。
 ソウル駅。これを見てみたかった。どうやら、古いソウル駅は戦前に日本が作ったらしい。東京駅をモデルにしたというだけあってにて無くもない?どうだろ。東京駅と比べると、四分の一以上小さい。新ソウル駅も同様。何でだろう、と考えてみると、理由は簡単。特急にしても、ここからでているのは釜山行きだけでいいんです。南北に長く、ほぼ北端にあるソウルは、終着駅であって、中継駅ではない。そして、国土もそれほど広くないので、南北一本の路線で十分なんですね。もうちょっとNYのグランドセントラルや東京駅のように行き交う人々の模様がみれるかと思ったのですが。今は古いソウル駅は、博物館に改装中だとか。隣、ほんとに全く隣に新しいガラス張りのソウル駅があります。首都の顔の駅として、このデザインは疑問が多く残るところですが、鉄道文化が発展した日本と比べてはいけないのだと思います。この国の国土であれば、高速鉄道も、鉄道を利用した物流も実は必要ではなく、車を中心とした発展をしたのでしょう。車の登場以降に発展をし始めた国の模様がここでもわかってとても興味深い。


景福宮

新ソウル駅

旧ソウル駅


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2005年10月09日(日)
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