恋のさじかげん
れのん



 不倫と同性愛の共通項

彼と出会って、私がえることの出来たもの、
彼と出会って、私が与えることの出来たもの、
そんなものがあるのだろうか、と考えてみたり。
えることの出来たものは、精一杯、これ以上ないぐらい最大限の、切なさ。
与えることの出来たものは、きっと、恋愛。
「結婚したいの。」とか、「子どもが欲しいの。」
この言葉を跳ね除けるほどの力を持たないのが、不倫と同性愛。
同性愛が、報われないのも、主流でないのも、虐げられる傾向にあるのも、
不倫に似ているような気がしてしまう、、。
両方とも社会一般から見たら規範がずれてる。
けど、両方とも、充分どうしようもない関係って、言えるのかも。
ただ、同性愛ほど、深刻じゃないのが不倫なのかもしれないけど。
好きになっても、気持ちを打ち明けることすら出来ないぐらいの切なさと、
好きになっても、その人の子どもを産むことも、
たった一人にもなれない切なさ。
私は女だから子どもを生みたい。結婚だってしたい。
けど、不倫では無理。
同性愛の人だって、子どもを産みたいし、結婚だってしたいんだろうなって、
今日、テレビの特集を見て思った。
人はみんな、自分の愛する人と一緒になりたいんだって思ったし、
人はみんな、自分の行き方を認めてもらいたいんだって思った。




2001年08月31日(金)



 愛情の形

結婚して主婦になった友達と話していると、
ゆっぱり、不意に、指先にまで寂しさがこみ上げてくる。
私は、彼女たちの敵にあたるんだなぁって思うと、
子どもの話、旦那の話を、平然と聞くことが辛くなってくる。
私は、仕事が地方公務員で、子どもを預かる仕事をしてる。
だからこそ、子どもたちを前にすると、
自分の罪の重さを感じずにはいられなかったりもした。。。
不倫が辛いのか、この人と付き合っているのが辛いのか、
時々、分からなくなる。
そうやって、分からなくなると私はここの日記の更新をする。
時々メールをもらって、また、考える。
私たち二人にしか出来ないペースと、かたちで付き合ってる。
けれど、世の中には、いろんな不倫があって、
いろんな不倫も、いろんな愛情の一部に過ぎない、、。
間違っているとか、いないとか、そんなことよりも、
自分にとって必要な愛情が、今、得られるのであれば、
自分にとって価値ある人生を送っている自信があるのであれば、
責任を取る覚悟があるのであれば、
責任が取れるのであれば、
人の目も、価値観も関係ないって思う。
ただ、誰の迷惑にもならないことって、世の中にはそうそうないのだけれど。


2001年08月30日(木)



 恋愛ごっこ

あの喧嘩の後、彼とは2度ほど会った。
彼は毎回会いに来てはくれてる。それが彼の誠意ということになるのかな。
前よりも優しくなって、前よりも大切にしてくれてるのは、分かってる。
けど、前よりっていう比較の対象があるのがどうも、、、、。
同じ人なのに、こんなに違うのって不自然だし、信じがたい。。。

不倫をしながら、時々「恋愛ごっこ」をしてるように感じる。
そんな「ごっこ遊び」をしていられるほど、人生に余裕ないのに。
焦るような、急かされるような事が有るわけでもないけど、
女25は、揺れる年頃だと思う。
「誰かにとって一番大切な人になりたい」って思ってきた私は、
「許されるので有れば、ずっと恋人でいて欲しい人」に成り下がってる。
「恋愛のゴールは結婚ではない」とは、ずっと思っていたけど、
それと同時に分かったのは、
「恋愛は、積み重ねであって、結婚がゴールでない以上、
その積み重ねは、永遠に継続される」ということ。
私はいつまで積み重ねれば、飽きるのか?
癒されるのか?納得がいくのか?満足できるのか?
、、、、幸せになれるのか?
「一人でだって、幸せはつかめるような人間にならないと、
結局は誰かの人生に依存するような主体性のない人間になっちゃう。」
不倫は、女にとってリスクの大きな「恋愛」。
だからこそ、女は上等の女でなければいけない。
上等の女にならなければいけない。
「ごっこ」であっても、ついつい真剣になってる。ムキになってる。
現実に、何かが残ることも、何かを残すことも、無理なのに、
何かを望むことも、何かを成し遂げることも、難しいのに、
やっぱり、その「ごっこ」の魅力は尽きないようで、、。



2001年08月12日(日)



 喧嘩と、結果

些細な事、というわけではないんだと思う。
喧嘩のきっかけは、彼の何気ない言葉ではあったけれど、
結婚についての、ことだったから。
結婚できない私に、彼がいった言葉は、もう、最悪なものだった。
友達とのチャットのさなかで、
其の言葉は、私を含めた友人へのものだったけれど、
ショックだった。涙が出ないくらいの、ショック。。。
結果的に、彼が出した答えは、
「いずれにしても、
私はあなたには出来る限り幸せになってほしいと思う
あなたの幸せが、私以外にあるのなら、それはそれで享受するという意味です」
ということ。
つまり、結婚できないことを認めた上(家庭が一番大切だと名言したも同然)で
私が別れると言えば、それに従って別れ、
私がつき合っているまま結婚できる相手を捜すと提案すれば、
それにも従うというものらしい。(確認済み)
それって、愛情深いのか?
それとも、愛情が歪んでないか?
私にはさっぱり理解できない。それは独占欲とかそう言ったものの在処を
感じないとか、感じるとかそんな事じゃない。
この人は、私に何を求めてつき合っていたのか分からないということ。
自分の希望を言わないんだもん、何がなんだか。。。
私の望むとおりになるとして、それでも自分はこうして欲しいと言えてこそ、
関係は作り上げるだけの価値が有ると思うのだけれど。。。
私が勝手につくって、壊して、、、なら、一人遊びと変わらない。
そんな物足りなさと、突き放された感を感じずにはいられなかった。
そして、私はまた、泣いた。
悔しくて、その程度の自分に、情けなくなって。。。
私と彼は、あわないんだという、結果になりそうです。。。。


2001年08月04日(土)
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