恋のさじかげん
れのん



 恋のPTSD

信じる気持ちがなくなったら、おしまいです。
いつも不安なのに、それにすら気づかない。
必要としているときに、何の音沙汰もない。
電話をかけることも出来ない。
ただ、待ってるだけ。メールの返事を。
恋は好きの綱引きみたい。
けど、試合放棄をされたら、不戦勝にすらならない。
相手がいなかったら、勝ちも負けもないし、
何より、孤独でしかない。
寂しくなったら、おしまいです。
指の先にまで、悲しみが充ちてきて、
涙がこぼれる。
そして、癒される間も、涙が乾く間もなく、
心まで凍てついてしまう。
恋は心が凍てついたら、おしまいです。
恋はトラウマになったら、おしまいです。
どんな素敵な一日も、どんな楽しい記憶も、
その分、痛みを伴って、ただ、放心状態。
去ってしまった日々も、そのころ抱いていた憧れも、
灰燼に帰していくばかり。
過去の裏切りを許せることと、
愛情の深さは、決して連動していない。
愛が深いほど、裏切りの記憶は、私を締め付ける。
愛していても、許せない、
それは私の罪なのでしょうか?

2001年07月30日(月)



 裏切りの記憶と戦い続ける。

涙をぼたぼたこぼして、泣いた。
どうしてこうなってしまうのだろうと思う。
辛い記憶がよみがえっても、その思い出に私は埋め尽くされて、
ただ、泣くことしか出来なくなってしまう。
彼になんて、慰められるわけないと思うし、彼に言っても分からないと思う。
そうやってどんどん自分の殻にこもって、
躰を堅くして、周りからの一切の音を遮断して、
悲しみに打ちひしがれているしかない。。。
今日、悲しみがやってきたキーワードは、「花火」だった。

二年前の夏、それは私と彼がつきあい始めてから半年ぐらいだっただろうか。
そのころから亀裂が生まれていたのか、慣れが悪い方向へ出始めた頃だったのか。
彼と私の共通の友達(二人は当時恋人同士だった)を招いて、
彼の自宅で、彼の家族(妻と男児)とで、
花火を見ながら焼き肉をしたとか、、。
そのことを知ったのは、次の日の夜で、友達が何気なしに教えてくれた。
もちろん、友達は、私と彼が不倫していることなど知らなかった。(今も)
彼は、私が知っていることを知っても、何も言ってくれなかった。
家族で友達を交えて食事をするのは当たり前のこと。
でも、その事実を黙っていた彼にも、その後の対応にも、失望してしまって、
私は彼に対して、誠実であることをすこしずつ歪んだものとして
捕らえ始めていた。
それからも私は、彼に裏切られ続ける。
私は彼を裏切らなかった。つき合っている期間においては。
一度中断した(今となっては中断となってしまうのだけれど)時、
私は3人の人に告白されたし、そのうちの一人とは幼い恋をした。
彼は外国人だったから、今は会うことも出来ないのだけれど。。。

彼とつき合うと言うことは、そういった過去の痛みを引きずること。
忘れようにも、忘れられない、それぐらいの深手。
その痛みに耐えながら、その痛みを恐れながら、
私は彼と、これから、つき合っていけるのだろうか。。。。
傷つけられることになれる事なんてない。
そして、裏切りは死に値するぐらい、重要な問題。。。。



2001年07月24日(火)



 何を喜べばいい?

会いにきてくれること?
抱かれること?
一つづつ新しい瞬間を重ねていくこと?
思い出を作ること?
出会えたこと?
愛されていること?
大切に扱われるということ?

時々、自分が何を求めているのか分からなくなる。
愛されていたとしても、今は大切に思われているとしても、
結局の所、私は一人になる選択肢を選ぶしかない。
彼の苦悩ぶりを見れば、何も言えなくなる。
もし、私が彼を好きではなく、単なる遊びで会っているのだとしたら、
彼の家庭を壊す事なんて、ゲーム感覚になったかもしれない。
「棄てられるぐらいなら、棄ててやるし、
これまでの時間を、貴方の崩壊で片を付けてあげる。」
とも、言えたのかもしれない。
不倫をしていて責められるのは、いつも独身の女のような気がする。
どうして、結婚しているのに、他の女に好意を持った男は責められないのだろう。
私は罪の意識について考える。
そして、罰についても。
神様は、私をいつか罰するだろうし、今、その罰の最中かもしれない。
関係は作り上げるものだとしても、
夫婦間に割って入った私を、不貞と見なされても仕方ない。
罪も認めるし、罰も受ける。
けど、そこまで腹をくくってでも、しなければいけないモチベーションって何?
恋は盲目で、そして恋は、限りなく不可解な代物。。。

2001年07月23日(月)



 「初めて」の記憶

私はこれまで、つき合ってきた人には、
アクセサリーをもらわないようにしてきた。
それが高価なものであることもそうだし、
特に指輪は、約束を迫られているようで苦手だったのだ。
西洋の言い伝え、「左手薬指の血管は心臓へと繋がっている」は、
薬指に指輪をはめたものは、一生の約束を交わしたことになる、
ということを意味しているものだった。(ように思う)
私は古い考え方なのかもしれないけれど、
ものをもらうのには、それなりの意味があって、
その意味を汲めない人は、当然の事ながら責任はとれない。
人の真心に答えるというのは、そう言った覚悟すら伴うものだと思ってきたから。
今日、そんな私が「初めてネックレスをもらった」のである。
いつの間にか、一緒に選んでいて、いつの間にか、首に飾られていたそれ。
これまで、全く何ももらったことがなかったわけではないけれど、
もともと、もらうような筋合いにないと思ってきたし、
何より、私の存在自身が重荷になりかねないと、
自分を殺してきたのだから。
彼が「似合うから、買うよ。」と言ってくれたのは初めてだった。
すごく戸惑ったし、でも、すごく嬉しかった。
「大切にする・・・」そう言って受け取ったその瞬間は、
ちょっといいものだった。
「初めて恋愛をしているのだ」と感じた瞬間でもあったから。
不倫だからと、たくさんの枠を設けてきたし、
いろいろな可能性から目を背け、自分の行動を制限してきた。
不倫は、普通の恋愛と違って、「レンタル」してるようなものだとも思ったし。
だけど、人を好きになる事は、決して悪いことではないのだと感じた。
いずれ、別れる人だとしても、
一緒に居られる間は、一生懸命恋愛していてもいいよね?

2001年07月15日(日)



 「食べてしまいたい、それぐらい、好き。」

彼は私の胸に顔を埋めながら、つぶやく。
いっそのこと、食べられてしまいたいって思った。
そうしたら、もう、離れている時間の切なさも、
不倫を犯しているという罪の意識もなくなる。
彼の躰の一部になれたらなら、
ずっと彼の躰の中で生きていられるのなら、
きっと、それが一番幸せだと思った。。。
どうして二人は別々に生まれてしまったのだろうと思う。
気持ちで求めあっても、
お互いを大切に思っても、
一緒に居たいって、二人で思っても、
その引力に歯止めを効かさないと、みんなが不幸になってしまう、
そんな風に生まれついてしまうなんて。
気持ちに線を引くことは、断腸の思い。
いずれ別れるんだって思いながら、抱きしめられる時の腕の確かさは、
残酷なものでしかない。
どうしてこんなにしっくりと、こんなに安心させてくれるのに、
別れることが前提で、そのことを、お互い否定し切れないんだろう。
どんな可能性があって、どんな未来があると言うのだろう、、、。
でも、私は彼に会えたことを喜びに変えたいって思う。
出会いは別れの始まりかもしれない。
不倫はどんな理由を付けても、正しいこととは言えないのかもしれない。
それでも、私は、この出会いを喜びに変えたい。
彼に出会えて、私は恋をして、その恋は辛くて、切なくて、
時に別れを決意するほど、痛みを伴ったけれど、
出会えなかったよりも、幸せで、濃い時間だったと思うから。


2001年07月11日(水)
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