unsteady diary
riko



 radio

ラジオから流れてきた言葉に直撃される。


「心のやわらかいところを守るために、
 鍵をかけることは全然かまわない。
 ちっとも悪いことじゃない。
 鍵あけることも、あけないことも、どっちだっていい。
 あけようと思えば、いつかは自分であけることが出来るから。
 いまは鍵かけたままでもいいから、
 生き抜いてほしい。
 
 勇気を出して鍵をあけたひと。
 がんばったね。
 怖かったのにね。」


「鍵のありかは、いつかわかる時が来る。
 最後に俺の大っ嫌いなことばを言います。
 一緒にがんばろう。俺と一緒にがんばってください。」


たぶんこの瞬間、あっちこっちで同じように泣いているひとがいるだろう。


聴こうと思って聴いたわけじゃない。
私はあなたのファンでもない。
たまたま周波数と時間が合っただけで。


でも、ぼろぼろ泣いたよ。
思春期のこどもみたいに、なぜか泣けた。
確かに届いた。
そういうの恥ずかしいとか、おこがましいとか、思うひともいるのだろうけど、
私には、確かに響いた。


がんばってるよ。
ちゃんと毎日がんばってる。
積極的に死にたいわけじゃなく、手首に傷があるわけでもなく、ストレスで身体ぼろぼろっていうわけでもなくて。
でもけっこうギリギリまで張り詰めて。
誰にも伝わらなくても、がんばってるから。
「がんばったね」って自分が自分に言わなくちゃ誰も言ってはくれない。
それがオトナという生き方だろう。


だから。久しぶりに耳にした気がする。


「がんばったね。
 えらかったね。
 がんばろう。
 がんばってください。
 生きるということは恥をさらすっていうこと。
 恥さらしても、生き抜いてください。」



沁みこむ言葉とつながる心とその歌声に。
ありがとう。




ちなみにBUMP OF CHICKENのラジオでした。
はじめて聴いたら最終回とは…。
ぼろぼろと、よく泣いたな。
ちょっとすっきりした。
少し元気が出た気がする。
ああ、言葉って凄い。

2005年12月28日(水)



 師走いろいろメモ

大切な、いつも一生懸命な後輩さんがぶっ倒れた。
昏倒して、痙攣して。
しばらく意識が遠かった。
脳貧血なのかよくわからないけど、紙みたいに真っ白な顔をして、
虚ろな表情をして、帰っていった。

心配だ、と思う。
その気持ちの中には、彼女に倒れられたら年末の忙しい時期に死にそうになるとか、そういうエゴもあるけれども。
「無理はしないで」と言える状況ではないとは言え、そう言うしかないじゃないか。
お休みが必要なのだ。
あなたにも、本当は私にも。

「迷惑をかけてすみません…」と力ない言葉。
痛いほどわかる、その気持ち。
今はただ、何も考えずに休んで欲しい。
本当に。



そんなハプニングもありながら、代理店さんの忘年会にお仕事として参加した。

「あなたが応対してくれると安心するんだよ。つい指名しちゃう」
「叱られても頑張ろうって思うんだよね」
「なんか可愛いんだよね〜」

以前なら、顔が引きつってただろう「可愛い」という台詞。
おばさん・おじさん世代、及びおじいちゃん世代にとって、
「可愛い」というのは「子供みたい」「孫みたい」という意味なわけで。
人間的に「可愛い」なら上等じゃないか!
卑下することなく笑顔で返せるようになった。
進歩、進歩。


そして、信頼されてるということ。
役に立っているということ。
いつでも挿げ替えられる存在だろうけれども、
今の今は、とりあえず「私」が必要とされているということ。
時々はそうやって自分の足元を確かめて、どうにか踏みとどまる。
しばらくは頑張れる。



そういえばフィギュアでは、ミキティよりは中野由加里選手が好き。
「表情がたまに似てる」と言われて以来気になってしまう。
そうしたら今日も、フィギュアを見ているという代理店さんから「なんか似てる」と言われた。
あら不思議。
でも、あの笑顔が似てるなら、ちょっと嬉しい。(そこまでは言われてないけどさー)
オリンピックに出られないのは残念だけれども、他の舞台での活躍を応援したい。


今月は2回もキャラメルボックスの「クロノス」を観に行ってしまった。
映画「この胸いっぱいの愛を」と同じ原作の舞台化。
これがなんとも、ツボにはまった。
なんかねえ、ストーリーはある意味単純なんだけど、とにかく主人公「吹原」を演じた菅野さんの一生懸命さ、純粋さが心に沁みて。
心の、とてもきれいな部分を思い起こさせる舞台でした。
次に菅野さんの演技を見られるとしたら、1年後?
わー、もう1回見たいよ。
年明けの横浜に遠征するしかないのか?



2005年12月27日(火)
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