unsteady diary
riko



 争う

祖母と母と私。
京都旅行に行ってきた。


彼女は随分年を取った。
健脚で、記憶力も衰えてはいないけれども、印象が違うのだ。


初めてで、もしかしたら2度とない3人旅かもしれないと思って、喧嘩するのだけはやめようと、抑えていた。
それでも2日目の夜、やっぱり言い争いをした。


若くて綺麗な時間はわずかで。
お前はそれを無駄に生きている。
いつ結婚するのか。
親はいつまでも生きていない。
一生ひとりでいるというなら、
経済的にも、どうやって生きてゆくつもりなのか。


私は。
他の25歳の女の子とは明らかに違うことがある。
恋愛にきちんと向き合ったことはない。
そもそも、誰かを恋愛対象として深く好きになったこともない。
そういう自分があって、「まだ若いから結婚は考えられない」とは言えない。
今になっても出来ないことは、たぶん5年後でも出来ないことだと思うから。


結婚して幸せになれない自分というものだけは、イメージできる。
仮に誰でもいいと焦っている人がいても、お互いに不幸になるだけだと思う。
料理が出来ないとか、整理整頓が苦手だとか、そんなレベルの話じゃない。
他人と合わせて、ずっと一緒にいることが、苦痛でしかない。


そういう結婚でなく、幸せな結婚も、中にはあるのだろう。
それでも、知らないものは想像ができないし、知らないからこそ自分がつくっていけるのだという楽天的な自信も、あたたかな気持ちも抱けない。
あたたかい家庭、笑いのあるホームドラマ、好きだったものは、手に入らない別の世界だからこそ、あこがれたのだと思う。


そういうことを、何と伝えればいいのか。


結局諦めて、押し黙った。


仕事を辞める訳には行かない。
ひたすら続く残業も、わずかな手取りを増やすためには、なくす訳には行かない。
たとえぼろぼろになっても。
ひとりで生きていくということは、そういうことだ。





数日後、彼女は母に電話をかけた。
「可愛い顔をしているんだから、もっとスタイルよくなれば…」だそうな。
小さな頃から散々なことを言われてきた容姿を、妥協の末に「可愛い顔」と。
そう言えば少しは自分を好きになって、結婚でもする気になると思っているのか。
馬鹿にしないで。



もうやめたの。
生理が何ヶ月も止まって、無気力で、何も食べる気がしなくて。
夜にふと涙が止まらなくなるような。
自分を必死に世間の女の子に近づけるために、生身を鉋で削り取るような行為。
それで何が変わったの。
何が生まれたの。
そもそもそのピラミッドの中にいることが嫌だったはずで。
結局、中身の薄っぺらさに気づいた。
どんなに化粧をしても、生き生きした人の表情にはまったく敵わない。
話すことも何もなくて。
いろんなことが、ただ恥ずかしかった。


そのあと、年上でも同じように尊敬できる中身の濃い人ばかりじゃないんだってことは、社会に出て知ったけど。


今も中身は薄っぺらい。
本当は運動くらいしないと、と思ったりもする。
とりあえず、マッサージ。
肩と背中と首が重過ぎて、吐き気や頭痛が酷くて、仕事しながら何度か吐いた。
凝りもここまで来ると、立派にビョーキな気がしてくる。
それでもやるしかないんだからと言い聞かせて、
これでいいんだと、そう許して生きていく。

2005年04月29日(金)



 

今日の出来事。

「スープ・ストック」のオマール海老のスープが美味だった。
某ケーキ屋さんでプディングを買ったら、ドライアイスをミントグリーンの薄紙で包んで、贈り物のようにそっとのせてくれた。
美味しいアイスティが飲めるように、会社の冷凍庫で氷をつくった。
立ち読みをした本に載っていた手作りの明かりが素敵だった。

新しいこと、なにか始めたくなる春。

後輩さんはゴスペルを習いたいらしい。
身体壊すまで仕事に明け暮れるのはあほらしいと、急に気づいたとか。
その通りだね。
一生懸命やることと、過度な自己犠牲は、たぶん違うことのはずだから。

とりあえず、マッサージがやっている時間に退社することを目標に、明日も働く。

2005年04月19日(火)



 ぱちぱちと油の弾ける音がする夜 

昨年も頑張って、2年連続で社内の賞を勝ち取ったうちの支社。
ささやかながら賞金が出たので、縁の下で支えた事務にもご褒美をということで、丸ビル35階の天婦羅屋さんにGO。
瑞々しい竹の子、春の味覚ふきのとう、肉厚のしいたけ、などの春の天婦羅をコースで頂きました。
運良く予約の取れた夜景の見える個室で、揚げたての天婦羅を静かに味わう時間はあまりに贅沢で。
思わず「人生最初で最後かもしれない」と口走ったら、他の人に「また来ればいいじゃない」とあっさり言われました。
そうだよねえ、生きていればまた来ることもあるかもしれない。
望みを叶えるのは自分なんだから。
明日死ぬとしたら最後の晩餐に何を食べたいか、メニューリストにでも入れておこうかな。

小市民の私には縁のない世界ではありましたが、
目の前で次々と揚げてくれる天婦羅は確かに絶品。
機会があればぜひご賞味ください。








現実は色々、本当に色々あるような気もするのだけれども、誰に言うわけにもいかないので、とりあえずひたすら寝て忘れます。
辛いこと、明日に生かそうって真面目に思っていたこともあったけど、忘れることもたぶん必要。
迷っても、立ち止まらないことも。
勢いで流されて、そうやってどうにかやり過ごしていくことも、たぶん必要なこと。
忘れないと次に進めないから。


2005年04月17日(日)



 光と闇のはざまで


3月末で同僚が退職した。
コトブキではなく、身体を壊したのでもなく。
上海に行くらしい。
以前から中国で働きたいと言っていた彼女らしい選択だった。


「友達」というのとは少し違った。
同期の中でも連絡をあまり取っていない方だった。
ただ、就職活動中で知り合った彼女とは、出身大学がライバル校だったこともあって、周囲は一流総合職が当たり前という雰囲気の中で、敢えて一般職を選ぶという理由も、他の女の子のように安易なものではなかったという共通点もあって。
いわば「戦友」のようなものだった。
滅多に連絡を取らなくても、彼女が頑張っていることを思えば、歯を食いしばって耐えなければと思った。


未来へ歩む彼女へ、精一杯の餞のメールを送った。
その言葉に嘘はない。
それでも、言葉にならない思いもある。
置いてきぼりにされたような気分で。
羽ばたいていってしまった。
同じ3年、苦痛にあえぎながら、それでも彼女は膝をかがめて、伸び上がる力を蓄えていたのだろう。
そう思ったら、いたたまれなくなった。


私は何をしているのだろう。
何が出来るのだろうか、と。




力を蓄える人もいれば、力を奪われる人もいる。




去年一緒に飲んだ同期の一人が、心を病んで出社できない状態にある。
彼女が営業職として配属されたその支社は、私が新人で配属された支社であり、一時期、あまりの忙殺ぶりとストレスに、ばたばたとスタッフが心を病んで倒れていった支社だった。
正直無理もないなと思いながらも、貴重な戦力のひとりが長期間出社しない状態で、他の人が死んだ魚のような眼をしているのを目の当たりにすれば、同情だけでは済まないのだ。


他の支社でも、何人も籍を置いたまま出社できないで「傷病休暇中」となっている現状が続いている。
それでも欠勤中の社員をクビにするのは容易ではないらしい。
体調不良ならともかく、心の病となると、会社にも責任があるために、そのまま籍を空けておくしかないという。
そして残された人たちは、空いた席が埋まることのないまま、永遠に欠員として認められない欠員を抱えたまま、より一層負担が増えることになるのだ。



鍋をした週末に。
心の病で出社しない人に対する会社の対応について、同期がもらした一言が、強烈に残っている。

「うちの会社は甘えたもん勝ちなんだよ」

不調を不調でないと自分に言い聞かせながら、必死にメンテナンスをして、重い身体を引きずって、来る日も来る日もただ我慢を重ねて。
そうしてどうにか出社している者が、出社できない人をカバーする。
そういう仕組みが正しいなんて、私は絶対に思えない。
ストレスがどれだけ身体に影響するか、わかっているつもりだけれども。
それでも、それでも。
きっと病に苦しむその人を、恨んでしまいたくなるだろう。
想像してぞっとした。


何が悪いのか。
思いやる余裕のない、私たちなのか。
心を病むほどのストレスと労働環境を与える会社なのか。
心を病んでしまった本人の耐性の問題なのか。


こんな会社でも、今年の就職人気企業ランキングでは、同業他社の中でダントツ人気急上昇だそうだ。
思わず笑ってしまった。
業績が好調なのは、人が文字通り犠牲になっているから。
イメージが良いとすれば、それは末端の私たちが、どんなにぎりぎりの状態でも踏みとどまって、お客様にだけは舞台裏を感じさせないように笑顔で接しているから。
若い人が活躍している会社がいいと言うなら、うちはオススメ就職口です。
なにせ30代まで残っていられる人は少なく、40代の人なんて役員以外には存在しないから。
丸3年持ちこたえた私は立派な中堅ベテランです。
うちの平均勤続年数を知るのが怖いったらない。


嗚呼。
就職活動中の学生さんに幸あれ。


2005年04月12日(火)



 春の鍋

仲の良い同期と、季節外れの鍋してきました。
一人暮らしの男子の部屋があんなに綺麗だとは。
やっぱりセンスと几帳面さは努力では身につかないと思うこの頃。
新築でけっこう広くて、かなり居心地がよかったし。
ゆず胡椒を入れた鍋は、シンプルだけどなかなかに美味しかった。


甘やかされるのは嫌いじゃない。
酒好きの男子なので、カルーア・パッシモなどの小瓶がディスプレイされていて、色々カクテルをつくってくれる。
久しぶりに会ったのに、私がビールが飲めないこと、フルーツ系のリキュールが好きだってことを覚えていて、買出しのときもオレンジジュースとか自分は飲まないのに買っているあたりが、ちょっと嬉しい。
「カルーアミルク作れるように、牛乳も買っといたから」って、うわーって感じ。(何が?)

さりげなく優しい気遣いのできる人は、素敵です。
ただ、友達として優しいというだけで、たぶんそれ以上だったら優しいだけではいられないわけで。
それでもきっと、穏やかな人はどこまでも穏やかなんだろうかと思いながら、そんなはずはないのかなあ、と信じきれない自分がいる。
まあ、そういう対象じゃないので、関係ないんだけど。


ほろり酔い加減で家に帰ってくれば、母が父のCDプレーヤーを無断でこっそり使っていたのがばれたらしく、血走った眼で怒鳴っていた。
自分のCDが埃のつくように無造作に置かれていて、母のCDが中に残っていたからばれたらしい。
代わりにそのCDを壊してやるとか、わめいていたさ。
私のコートとかかけてあったものが床にぶちまけられていて。
ああ、大切なマークのスプリングコートも、着る前から汚されたよ。

こういう夫婦を見て育てば、恋愛とか結婚とかに希望を持てるわけもなく、男という生き物を信じられないのも無理もないよ、と思ってしまう。
別に、女も、自分自身も、あまり信じてはいませんが。


絶対に怒鳴らない人。
優しい心遣いでほっとできる人。
自分を好きでいてくれる人。

どこの王子様ですか?それ。

ありえないから。


2005年04月10日(日)



 歪んだ鏡

最近少しばかりメイクすることが苦痛。

閉塞感というのか、楽しくない。
土台が土台なのでバリエーションがないのは仕方がないのだけれども。
たくさん持っているはずのアイシャドウも、ほとんど使えてない。
色を選ぶにはポジティブな理由が必要だ、と思う。
口紅は社会的には必要なはずなのだけれども、唇の皮膚が汚く剥がれ落ちるので、習慣づけることが出来なくて。
土台(肌)と眉とマスカラで「社会的素顔」だけ作成して出かけていく。
ああ楽しくない。
自分のために、気持ちよくなるために、テンションを上げる工程が、メイクであるはずなのに。

それでも化粧という鎧はどんどん濃くなっていく、気がする。

ポジティブじゃなきゃ引き算も出来ない。

歪んでる。

2005年04月09日(土)



 雲丹と帆立とサラ・ヴォーン


とりあえず、四半期の〆が目標達成して終わることが出来たので、
今日は“お疲れ会”だった。

以前通っていた高校の近くにあるお鮨屋さんへ。
雲丹と帆立が非常に甘くて味がぎゅっと詰まっていて、美味だった。
こんなところにお店があるなんて知らなかったけれど、地元ではけっこう有名らしく、企業のお偉方らしき貫禄あるスーツ姿がカウンターを埋めていた。
職場から歩いて5分程度。
お昼も営業しているそうなので、また行ってみたい。

いつものように支社長は会計前に「お先に」と笑顔で消えた。
あとで経費で落とせるとは言え、高額な支払いを下っ端が行う。
カードが使えない店だと知って、慌てて下ろしに行ったらしい。
せこい話ではあるけれど、現金を引き出す時間外手数料はもちろん自腹。
支社長という立場と収入を考えたら、会計まで残って自分の財布を開いてもバチはあたらないと思うんだけど。

その後は、残った人でジャズ・バーへ。
こんなところが地元にあるんだ、と驚くほど、ちょっと素敵な空間だった。
壁にはびっしりレコードが並んでいて、サラ・ヴォーンやコルトレーンが気持ちよい音量で流れている。
他の人はワインを頼んでいたけれど、私はワインが苦手なのでお店のオリジナルカクテルを注文した。
夕陽に染まった空の色で、見かけどおりに甘ったるく、ちびちびと飲むにはちょうどよい。
店の隅にはグランドピアノが置いてあって、音大生らしきスーツ姿の女性が、生演奏を聴かせてくれたりもする。
正直演奏は「まあまあまあ」というところだったけれども、生の音が流れる空間は久しぶりで、それだけで満足。


高校生のときは、ただ田舎だとしか思わなかった地元の街。
今もほどほどに田舎で芋っぽい感じは残っているけれども、少しずつ街並みは変わって、裏通りにはこだわりのつまったお店もオープンしていたりする。

地元の街。
裏通りを歩いてみたくなった。



○私信○

>Rへ
チケット予約ありがとう。
「万難を排していざ観劇へ行かん」ということで。
お互い調整を頑張りましょう。

2005年04月01日(金)
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