unsteady diary
riko



 祈りのことば


なんて素敵な言葉だろう。
メモしておく。
いつか、思い出せるように。
きちんと奥底まで響く日のために。



THE SERENITY PRAYER

O God, give us
serenity to accept what cannot be changed,
courage to change what should be changed,
and wisdom to distinguish the one from the other.


Reinhold Niebuhr




以下、対訳。



「ニーバーの祈り」

神よ、

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。


ラインホールド・ニーバー(大木英夫 訳)




2005年03月31日(木)



 

めげない。

逃げない。

一度逃げたら、何度でも逃げたくなる。

弱いから。

たぶん、一度崩れたら立て直せない。

だから。

逃げたくない。

そんな後ろ向きな理由でも。

前を向いていられるなら。



2005年03月29日(火)



 荒れ模様


周りが騒がしい。
トラブル続きの母の人間関係を聞くにつけ、自分の嫌いなところの縮図を見ているようで気持ちがささくれだつ。
ああもう、どうしてこんなに大人気ないのか。
「負けるが勝ち」っていう言葉を、どこまでも理解できない50歳の母。
子供の喧嘩じゃあるまいし、どこまでも相手を責めたって、こじれきった人間関係はもとには戻りはしない。
せいぜいどうやって幕を引くか、考えないと。


会社もまた荒れている。
というのも、何人も面接をしてやっと決まった派遣さんが、派遣前に断りの連絡を入れてきたから。
理由を聞いてまた唖然とする。
朝9時からの仕事が希望だったのに、うちは始業が8時50分からだったから嫌だったんだそうな。
2時間とかかかるならともかく、30分で通える距離にあって、それが理由ですか?
言葉もないよ。
社会人としてまともに働いたことのない人だったのだけど、面接ではやる気を見せるべく「社員になりたい」とか云ってたらしい。
ちなみに、「社員」って、「自己犠牲」と同意義ですから。
そんな単語が即座に浮かんでしまう自分も悲しい。


「断る」という選択肢がある人に、少しの嫉妬もあるかもしれない。
本当なら、自分を大事にするのは当たり前で、それが許されていない今の状況の方が問題なんだろうとは思う。
思うけれども、それが現実。


とりあえず、休暇は確実に遠のいた。
上司や営業が勝手に休むのを横目に、なぜ事務がぎりぎりのローテーションで動いているのか。
それは、残された人が味わう地獄が、目に見えるから。
酷い状態になるとわかっていて、誰が休めるっていうの?
マッサージだのサプリドリンクやらの服用で、何が何でも行くしかない。
理不尽だと思いながら、しばらくこの状態が続きそうだ。


2005年03月28日(月)



 

昨日の日記への戒めとして。


2月に書いて、内容的にそこまで強くなれていないと思い、更新しなかった日記をアップしておく。


ひとりで立っていく。
そう思い切りたかった。


ただ、その想いが、誰かとつながる努力を諦めたことから来るものであるならば、ひとりであたたまろうとしても、たぶん出来ずに終わるのだろう。







「生命は」   


              吉野 弘


生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする


生命はすべて
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ


私は今日、
どこかの花のための
虻(あぶ)だったかもしれない
そして明日は
誰かが
私という花のための
虻であるかもしれない









久々に一節「生命はすべてその中に欠如を抱き…」を思い出して、
家に帰ってすぐに詩集を紐解いた。



吉野弘は、好きな言葉としてサイトでもたびたび取り上げたことがある。
平易でいながら時折はっとするほど美しい言葉がこぼれ、このひとにかかれば、濁った水さえも澄んだ水に濾過されてしまうような、稀有な詩人である。



「ベターハーフ」だとか「相方」だとか。
そういう言葉にひどく焦がれていた頃。
当時中学生だった私は、この詩がとても好きだった。
欠如を、いつか誰かが埋めてくれることを願っていた。
花に集う、虻のように。



いまは。



私は、ひとりで生まれてきたような顔をして、
ひとりで立っている。
欠如を抱いたまま、永遠に満たされることなどないのだろうと知った、いま。
この先も、完全に埋まることなどない空洞をそのままに。
欠如を埋めてくれる存在を望むのをやめて。
自分で自分を愛せるひとに、
ひとりでちょうどよくあたたまれるひとになりたい。
そう思いながら、ひとりで立っている。



闇雲に求めるのをやめたとき、遠くから虻の羽音が聴こえるのだろうか。


2005年02月01日(火)



2005年03月27日(日)



 

感じたことがあって、言葉にしようと思っても、全然言葉にならなくて。
ぼやっとしている、漠然とした気持ち。
やっぱり、「書く」ことは大変だと思う。
そうして書かずに閉じこめてきたことがたくさんある。
そうするうちに、霧散してしまって。
忘れた頃にもう一度形をとりはじめる。



“仕事人間”というと、イメージするのは二つある。
ワーカーホリックと云う、本当に仕事が好きで、趣味イコール仕事である人。
そして、仕事が好きなわけではないが、生活の大半が仕事で占められていて、それ以外の自分の過ごし方を持たない人。


就職して以来、私は仕事が好きでもないのにそれをこなすためだけに24時間を使っている。
仕事をしていない時間は、次の仕事をするためのエネルギーを補給すべくひたすら休む。
不器用なので、普通の人が5割の力で出来ることが、全力でかからないといけないのだと思う。
だから、仕事以外に何をしているのかと問われれば。
何もない。
そんな気がしてしまう。


食事買い物その他、1人で楽しむことはある程度覚えたけれど、
ふと1人でいいのだろうか、と考える時がある。
かといって、他人と一緒にいても1人よりもっと寂しいなら、同じことだと思う。


ただ以前と違うのは、埋まらない寂しさを、仕事上の社交的コミュニケーションが上滑りしてゆくこと。


引きこもりがちだった学生時代に比べれば、表面的にはダメ人間ではなくなったのだろう。
毎日規則正しく起床して、夜遅くまで働いて。
自分には到底無理だと思われた電話応対も来店応対も、傍目には卒なくこなしているのだから。


それでも。
何かに飢えていることに変わりはない。
つながろうとしていないのだから、振り返って誰も傍にいなくてもしかたがない。
それはわかっている。
何をしたいのか。
何をすれば気持ちよくなれるのか。
答えはたぶんひとつなのだ。
触れ合いたいと、つながりたいと、強く願い行動に出なければ、叶わないことなのだろう。
でも、それはできない。
できそうにない。


仕事を離れたら、ろくに会話もできない、もとの自分に戻ってしまうのだろうか。
それでも、上滑りした会話をし続けるより、ましなのだろうか。

2005年03月26日(土)



 癒しな3日間

危うく土曜日出勤か?というところだったのだけれど、
なんとか無事3連休に突入した。


金曜日。
どうにか20時前に退社できたので、突然思い立ってマッサージに行く。
以前R嬢と一緒に行ったきりだったのだけど、あまりに首と肩が凝って痛くて回らなくなってきたので、恐る恐る1人で行ってみた。
30分で3150円也。
普段電話を左の肩と首で挟みながら、パソコンを叩いているために、短時間では完全にはほぐれないけれど、少しは軽くなった気もする。
安くはないけれど、真面目に身体が動かなくなってきている気がするので、少しはまめに通おう。


土曜日は新宿へ。
相変わらず新宿伊勢丹は誘惑が多い。
地下にアロマ系のお店が入っているので、いつも素敵な香りが漂っていて、思わずふらふら誘われたくなる。
「癒し」のためだけに万単位の資金投入ができるような身分じゃないが、アロマセラピーアソシエイツのバスオイルとか普通に使える生活をしてみたいものだ。
ダイアナ妃にでもならないと無理だろうけど。
とりあえず、地元にショップのある「生活の木」で地味にアロマオイルを手作りする日々。
それはそれで楽しい。

春服も購入し、気持ちも春めく。
ピンク、ミントグリーンなど、最近の私はパステルづいている。
自分史上最も酷い状況なのに、ある意味開き直ったか。
まあいいや、これも自分のための癒しだから。
最近ようやく黒が自分には似合わない色だということを分かってきたので、
周りの声に耳を傾けて、似合う色を探しているところ。



日曜日は久しぶりに上野へ。
目的のミュシャ展は入場制限するほど混雑していて、ゆっくり自分のペースで鑑賞することはできなかったが、有名な作品がずらり並んでいて、やっぱり綺麗だなあ、と感激しきり。

「花」4部作などの華やかな図柄が特に有名だけど、今回は、空気にそのまま色がついたような曖昧模糊としたパステル画などもあって、それはそれは幻想的で、初めて触れるミュシャの世界だった。
あとは、色彩を抑えた「月」という作品も、息を呑むほど幻想的。
人物画ではなくいたって地味な作品だったけど、「冬景色」っていうのも印象的だった。童話の挿絵にぴったりな、隙間から物語がいくつも見えてきそうな作品。勝手に空想してしばらく見入ってしまった。

香水やタバコなどのポスターも、退廃的なムードが漂っていて時代を切り取っているかのよう。
アクセサリーデザインでも有名なミュシャなのだが、今回出品が少なくて少し残念。
ともあれ、展示数が多くて有名な連作が一挙に見られるので、平日にゆっくりできる人なら、非常におすすめです。




そういえば、ゴスロリな女の子たちが出口付近でたむろっていたのには驚いた。
ゴスロリもひとつの自己表現ではあると思う。
ただ、同じ格好をした人同士が大勢集って騒ぐだけなら、ミュシャ展でなくてもいいのでは?
少しでも周りに眼を向ければ、自分たちが通路を塞いでいることは分かるでしょう。
作品を楽しむために美術館はあるわけで、待ち合わせや友人とおしゃべりするためにあるわけではないと思うのよ。
もともとミュシャが好きだというのならいいけれど、私が見かけたゴスロリな女の子は全然興味がない様子で、ろくに見もせず出口まで行ってしまった。
見る見ないは個人の自由だけど、勿体ないなーと思ってしまうよ。


ここでこっそり云っても仕方がないけど。

2005年03月21日(月)



 辞めたくなかったら…

愚痴一辺倒注意報。


他人事ではないという焦りと、不信感が募る。


28歳、仲の良い別支社の事務の女性が、来月から営業に異動となる。
最近元気がなくて、色々悩んでいる様子だったのだけど、
人事異動の内情を聞いて、少なからずショックを受けた。


彼女が担当していた業務が今度から他の部署に移管されることになり、移管先である部署への異動を打診された時に、通勤に2時間以上かかることを理由に断ったら、後日支社長に呼ばれて言われたそうな。
「先日君は異動を断ったが、それなりの覚悟があってのことだろうな。事務にはもう要らないので、会社を辞めたくなければ営業に異動するしかない。道は二つに一つだ」と。


断った時には、断ったらどうなるか、何も示されていなくて。
そんなの詐欺じゃないか。
彼女のやっていた業務がなくなるとは云え、営業事務全般を担当できるスキルがあって、次期事務リーダーになると思われていた人材だ。
いくらでもつぶしは利くのに。
完全な嫌がらせとしか思えない。


本人は散々悩んで、今は無理やり吹っ切ったようだった。
それでも。
結婚を理由に総合職なのに堂々と事務に逃れた(本人談)同期がいれば、総合職ではなく本人も望んでいないのに営業職に追いやられる人もいて。


正直、この会社は何を考えているんだろうって、思った。
やりたくない人間に、脅しをかけてまで異動させて。
事務としては優秀なスタッフを、本人が能動的に取り組むことの出来ない職務につかせて、全体の生産性が上がるとも思えないのに。



これまでもいっぱい疑問に思うことはあったけれども、会社の方針であれば従わなきゃいけないって自分に言い聞かせてきた。
けれども、実際、女性が年齢が高くなると、嫌がらせのように営業職に異動させて、本人がギブアップするのを待っているような気がする。


「辞めたくなければ…」という切札に、何が言えるだろう。
自分だったら、どうしただろう。





どうでもいいけど、最後まで愚痴。


>支社長

事務が毎日遅くまで残らざるをえないことを知っていて、早く帰るなら帰ってくださって結構です。
「子供をお風呂に入れる」だとかわざわざ言い訳しなくて、堂々と帰ってください。
あなたにとって事務の破綻は所詮対岸の火事だということを、改めて思い知らされています。
だからせめて、邪魔はしないでください。
この際誰でもいいから早く新しい派遣を決めろとか、無神経なことを云わないで。
すべてこちらが泥水をかぶるのですから。

2005年03月18日(金)



 道程

仕事を辞めるという選択。
このまま居続けるという選択。
自分が選ぼうと思うなら、多分いつでももう一つの道がある。
そう。
自分が、踏み出そうとするならば。


来月で、気がつけば就職して3年が経つ。
ずいぶん逞しくなった、その分鈍くもなった。
最初は1年でさえ続くとは思えなかった。
それが3年も。
「あっという間」と云ってしまうには、喪うものが多かったけれども。
それでもあと3年後、ましてや5年後なんて、想像がつかない。


私の中では勝手に“戦友”と思っている人が、
仕事を辞めるみたいだ。
3年間、ほんとうにお疲れさま。
自分を褒めてあげなきゃ、だよね。
現実ではすれ違うこともないけれど、とりあえず日記がたまに更新されると嬉しい。
お互い生きていて、どこかでつながっているんだと思えるから。


みんな、それぞれに大変な場所で、踏ん張って生きてる。
自分自身も。
どういう形でも、とりあえず頑張って生きていて。
その選択が、幸せかどうか、正しいかどうかは、たぶん今決められることじゃないよね。
ずっと先に、自分でも忘れた頃に、これはこれでよかったんだと思えればいい。
…思えるかな。


2005年03月13日(日)



 TRUTH

1ヶ月前から周囲に訴えてきたた結果、ようやく半休をもぎ取れたので、キャラメルボックスの「TRUTH」を観てきた。


今回、上川さんが久しぶりに舞台に立たれるということで、
正直はじめて生で拝見することにミーハー心が疼かなかったと言えば嘘になる。
でも、実際に観はじめたらそんな気分は吹っ飛んだ。
もちろんずば抜けてリズムがよいし、見せ場なんてすごい緊張感で引き込まれたけれども、上川さんだから…というよりは、そのキャラクターの持つ魅力のせい。


誰が悪いわけでもないのだけれども、遣り切れない想いが残る。
「SKIP」とは違ってぼろ泣きするものではなく、観終わった後に、込められたメッセージをひとりで考える、反芻する、そんな面白さだった。


ネタばれになるからあまり書かない。
でも、また好きな役者さんが増えたし、キャラメルらしさというのが少しわかって来て、演出だとかちょっとしたアドリブや音楽のことなんかを友と語るのも、また楽しい。
チケットが取りにくいらしいけど、当日券狙って、もう一度観にいけたらいいなあ。


それと、ちらしを見てスタジオ・ライフの「OZ」が上演されている(?)ことを知った。
樹なつみさんの「OZ」、いま読むとどんな反応をするんだろう。
当時はぼろぼろ泣いて大変だったけど、もう泣けないのかもしれない。
それはそれで、成長…なのかもしれなかったり。
思いっきりSFなアレをどんな風にお芝居にするのか、かなり興味があるので、機会があったら観てみたい。

2005年03月08日(火)



 過去が生きている

好き嫌いの激しい私ばかりが苛々するのかと自己嫌悪に陥っていたのだが、
温厚そのものの先輩後輩にも、それぞれに不満と苛々は募っているらしい。
堪忍袋という袋があるなら、あと数滴で満タンになりそうな予感。

派遣社員さんの件は、今週様子を見て変化が見られなかったらほかの人を探そうということになった。
支社長から、本人に厳しい状況であることを伝えているはずなのだが、本人は「もっと自己アピールして、実力発揮していいよ」と励まされていると勘違いしているらしく、もう周りは何もコメントできない、というよりその気力もない。
彼女が「気づく」のを待ち疲れ、苛々しすぎて、もうどうでもよくなりつつある。
もう無理だってば。


言葉の通じない人に、なんて云えばいいんだろうね。
こちらの想いが届かない、どんな言葉も響いてくれない、自分だけ楽が出来ればそれでいい、という人には。


とりあえずひとつ収穫があるとすれば、事務3人の結束が強まったこと。
それぞれに自分の出来ることを精一杯やることは勿論、その上で出来る限り周りをみて、声をかけ、率先してより大変な状態の人をサポートする。
これまで自然としてきたことだけど、そういう気持ちを持たない人が入ってきて、改めて思いやることの大切さに気づかされた。
確かに眼が回る忙しさではあるけど、その中で、自分だけじゃなく、皆が少しでも楽になれるように、それぞれが思いやって行動する。
だからこそ、ぎりぎりのところでもなんとか頑張れるのだと思う。


後輩さんと色々話した。
自分が入った当時の辛さと、それを踏まえて、何でも下っ端に押し付ける先輩にはなりたくないと思っていること、それぞれに責任を負って辛い仕事をしているのだから、後輩さんだけがやらなくちゃいけない仕事なんてないわけで、出来そうにないときはちゃんとヘルプを出して欲しい、それをこちらも受け止めるよう努力するよ、と。
ほんとうに真面目な人なので、このぎりぎりの忙しさと精神状態とで、つぶれてしまわないように。
とりとめなく話しながら、自分自身少し大人になったな、と思った。
以前は自分自身が早く仕事を出来るようになりたいという気持ちが強かった。今は、もちろん自分も未熟だけれども、後輩さんに健全に育って欲しいという気持ちがある。思いつめないようにしてあげたいという気持ちがある。
この気持ちが、入社当時のいじめに近い状況への反発から来るものであるなら、毎日毎日線路を覗き込んで衝動的に死にたくなっていた日々も、無駄じゃなかったのかもしれない。


ただ、事務の中ではこの辛さと危機感を共有しているけれども、支社長はじめ、営業社員には何も見えていない。
どうすれば、このピリピリ感、ぎりぎりな感じを伝えることが出来るだろうか。

2005年03月02日(水)
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