unsteady diary
riko



 オムレツ日和

昨日は厄日だった。
電話も来店応対も積極的に出てくれる後輩さんがいなくて、更に社外巻き込んだトラブル続出で、半泣きになりながら夜10時まで残って仕事をしていた。
本気で「辞めたい」と思う一瞬があった。
もちろん、そんなことが出来るはずもないのだけれども。


帰り道、苛々の大きな一因である新しい派遣さんのことで話し合いもした。
どうすれば最良の選択が出来るだろう。
事務全員、今のままじゃ辛いと解っている。
ただ、数ヶ月我慢をすれば、徐々に仕事を覚えて役に立ってくれるだろうという見通しがまったく持てないのだ。


例えば、電話やドアホンが鳴り続けても、それが自分の仕事じゃないと思っているから都合の悪い音は聴こえないとか。
何度言っても単純な機械操作や書類の分類の方法すら覚えられない、いや覚えようとしないとか。
何度教えても、郵便物の切手を貼ることすらできないだなんて…。
隣で付きっきりで教えても、excelファイルの中の範囲指定の操作が何度やっても出来なくて、それでもまったく焦る様子もなく「あー、失敗しちゃいました~」とむしろ笑っている。
そんなでも、就職活動では一般事務のOLを目指していたそうだ。
自己分析を間違っているだろう、と思わず突っ込みたくなってしまった。



彼女、木曜日は一日休みだった。
金曜日に出社してきて、「一日休んだらすっかり頭から抜けちゃいました」と全開の笑顔で言われた。
この週末は二日ある。
彼女はまた「すっかり抜けちゃう」んだろうか。(呆)


知らないというのは仕方がない、私だってそうだった。
これから覚えようとするなら、いくらだって何度だって根気強く教えるつもり。
でも本人が覚えようとしないのに、どうやって教えればいいのか。


まあ、それでも仕事の飲み込みには個人差があるとは思う。
でも、もっと苛々しているのは、仕事に対する姿勢の問題。
1個年下というのもあるのか、どうしても自分の時と比べてしまう。
新人で自分に出来る仕事が少なければ、周りの人が眼の回る忙しさで走り回っているのを見て、少しでも役に立てる仕事を探そうとしないだろうか。
せめて、インターフォンが鳴ったら率先して出て相手の名前を聞いて通す位はできるのではないか。
「いらっしゃいませ。どちらさまでしょうか?」と言うのに、何の知識が必要だというのか。



最終的には、仕事の要領でも記憶力でもスピードでもなく、根底にある「意識」の問題だと思う。



駄目だ。
昨日のショックからまだ立ち直れていないや。
人の悪口を言って、不満をぶちまけて、楽しいことなんてない。
私の尊敬する事務リーダーも、悪く言うのを嫌がる。穏やかな人だから。
それでも、言わずにはいられなくて、でも上記のような不満をぶちまけた後に思いっきり後悔した。
人を責めるには、常に自分と向き合わなくちゃいけない。
他人を責められるような立派な人間なのか、とか。




ともかく自分にやれることをやるしかないね。>りょうかさん
私がもし辞めるとしたら、事務リーダーがいなくなって、自分がリーダーになってしまったときだと思う。




後味の悪い金曜日を吹っ切りたくて、今日は朝食にオムレツを焼いた。
これが見た目もかなり綺麗で、ふんわり黄金色で、中は半熟で美味。
思わず母に自慢すると写真を撮ってくれた。(笑)
いつもはお高い「パルミジャーノレッジャーノ」が安売りしていたので、初めて買ってみた。(これまでは普通の粉チーズね)
摩り下ろして入れたら美味しかったので、次はリゾットでも作ってみようかなと思って、リゾットのレシピを探していたら、美味しそうなお菓子のレシピを発見。
りょうかさんが高校時代に作ってきてくれた(私のためではないが)アマレットのタルトは美味だった。
そんなことを思い出しつつ、とりあえず買い置きのココナッツミルクパウダーを溶いただけで出来るデザートを作ってみた。
「糖朝」のフルーツ入りココナッツミルク(単品だと630円也←高っ!)には劣るけど、普通にココナッツミルクの味がした。
今夜はぶりとねぎを焼き付けて鍋をつくる予定。


基本的に料理は苦手だけど、ちょっとだけ凝ってみるのは楽しい♪

2005年02月26日(土)



 期待

社会人として「それなりの姿勢」を求めるのはいけないことなのか。
思わず出てしまいそうになるため息を飲みこむ。


明日は新しい派遣さんがお休みする日。
「正直、休みだと思うとほっとしてしまう」と事務リーダーが呟いた。
いつも冷静で、他人のミスにもめったに怒ったりしない人が。
終始見張っていないと何をしでかすか分からないという緊張感。
「いない方が気が楽だ」というのは、理解できる気がした。
尤も、その状態を超えなければ、いつまでも先には進めないのだけれども。


多くを望みすぎないこと。
少しずつ、相手のキャパなりに対応していくこと。
一向に進まなくても、何度同じミスされても、態度にやる気が感じられなくても、とにかく苛々せずに、根気よく見守ること。
嗚呼。
言葉にすればそれだけなのだが、なんと難しいこと。


他人は自分を映す鏡だと思う。
「理不尽に同じレベルを押し付けないで」と悲鳴を上げた3年前の自分を、思い出さなければ。


2005年02月23日(水)



 「消耗財」は毎朝コーヒーを淹れる

先日の派遣さんが辞めたことを受けて、派遣会社もかなり焦ったらしく、すぐに次の人を探してきた。
24歳ということだったけれども、それより随分上に見える。
外見重視のミーハー支社長としては、面接でそれが不満だったらしい。
27歳の後輩さんに対して「きみの方が断然若くて綺麗!」と。
「賢明」にも私については触れず。
そもそも仕事が出来れば用は足りるはずなのだが、失礼な発言はさらりと聞き流す。
いつものことだから。
根本的に「観られる」消耗財なのだ、職場の女は。


これまでの採用関係のあれこれで、私がもしこの人に採用される立場だったなら絶対に落とされるな、と確信することが多かった。
外見や印象もあるけれど、そもそも機嫌を取ることなんて逆立ちしても出来ないし、したくない。
自分に迎合しない部下は扱い辛いらしく、向こうも距離を取るようになる。
評価が低くなる一端には、そんな人間関係も影響しているのだろうと思う。
それでも、とにかく仕事上は上司なのだから割り切るしかない。
それだけだ。


で、新しい人だけれども。
証券会社の営業を2年していたというが、“営業畑”という感じは受けなかった。
コーヒーの淹れ方、水遣り、掃除などの説明をしていると、こんなことは初めてやるのだと言う。
大学卒で営業も経験していながら、派遣でお茶を淹れることに、少なからず抵抗はあるようだった。
うちの会社にとって、それも営業事務という仕事の一端。
同じように空しさを感じた頃の自分を思い出す。
それでも、そんなことしか出来ない自分がいるのだから、出来ることをやるだけだった。
そして今は、それが日常になっている。


終日、緊張で顔が真っ赤で、とにかく真面目そうな感じの人だった。
不器用なのはお互い様。
頑張ってくれるなら、こちらも頑張って教えるだけ。
それにしても、赤面症といい、少々理屈っぽくて理解が遅いところといい、どうも他人事とは思えなくて。


確かに大変な職場だが、今度は長続きしてくれるといいのだけれども。

2005年02月20日(日)



 呟きで

「日記を再開した」というよりは、単に「書く」と「書かない」の間にある壁が低くなった感覚に近い、と思う。
それまで、日記を書くことは言葉をいじりながら「考える」作業だった。
けれども、キャパを大幅に超える状況が続いて言葉が出てこないくなっていたし、半ば思考を止めている状況で、敢えて書こうと思えることもなかったというか。

でも「敢えて書きたい」までたどりつかなくても、日常をメモをしておく。
それも日記のスタイルだっただろうと思うから、とりあえず寝不足にならない範囲で書いてみる。
呟き?
そんな感じで。



そういえば、明け方の地震は相当に怖かった。
この辺りは震度5弱だったようで、本棚のCDや香水瓶が一斉に崩れ落ちてきた。
CDと本に囲まれている身としても、さすがに埋もれて死ぬなら本望とは言い難く、慌てて飛び起きた。
普段はあまり地震を怖がる方ではないのだけれども、前日に仕事の取引先のおじ様から、「地震オタクの友人が『地震雲が出ていたから2,3日中に大きな地震が来る』と連絡してきたから注意して」と言われたところだったので、余計に怖かった。
地震予知は出来ないと専ら言われているけれども、当たることもあるのだろうか。
災いは、ある意味では当たらないほうが幸せだ。
起きなければそれにこしたことはないし、今回のように予知が正しかったとなると、次を考えて憂鬱になってしまう。

災害時の荷物、作るべきか。
その前に、日常の荷物整理からかしらん。
この部屋で死体で発見されることを考えたら、みっともなくて死に切れない。




最近またジェットストリームをよく聴いている。
今夜はエリック・クラプトンの「tears in heaven」が流れている。
イントロがかかると、思わず目を閉じて無言になってしまうほど、好きなナンバーなので、しばし聞き入る。


高校時代の英語の授業を思い出す。
ハイカラ(死語)な先生で、洋楽の歌詞を配って、その曲がヒットした社会的背景、創作秘話などを交えて、オリジナル教材にしていた。
次はどんな曲だろうといつも楽しみにしていたのを覚えている。


そんな授業の中で出会ったのが、このナンバー。
幼い息子を事故で亡くしたクラプトンが、果てしない絶望の中で、その哀しみを乗り越えるためにつくった曲だという。

“きみは僕の名前を覚えていてくれてるだろうか。”

という切ない問いかけに始まり、

“天国にいるだろうきみに会いたいけれど、自分はまだ「そのとき」を迎えていない。天国にいてはいけない人間だから、この別れの苦しさを乗り越えて、強く生きていかなければいけないんだ。”

と自分を奮い立たせていく。


切なさが胸に迫るけれども、一筋の光を感じさせる歌詞が好き。
もしもギターが弾けたなら、ぜひあのイントロを弾いてみたい。


そういえば、アルバム「アンプラグド」も持ってたっけ。
引っ張り出してみようかな。


2005年02月17日(木)



 “27歳”の姿


“27歳”は、キーワードだったと思う。>前回の日記


私の抱いていた“27歳”のイメージは、
“社会と自分をきちんとつなげた上で、揺るがない自分(揺らぐ自分から逃げないという意味も含めて)を強く持っている人”。
遠く高く感じたけれども。
そういう27歳になりたいと思ってきた。
目標としたい在り方だった。


でも年月じゃないのよね。
27歳でも、39歳(上司)でも、尊敬できない人はそのままだし、
年下でも、はっとするほどひたむきに生きている人もいる。
気づかないうちに、同じだけの姿勢を求めていたのかもしれない。
辞めてしまった派遣さんはじめ周囲の27歳あたりの人たちに。
勝手に期待して失望したのだとしたら、それもたいがい勝手なことだろう。


あと2年。
漠然と、在りたいと願ってきた“27歳”になれるように、今から何が出来るだろう。
今の立場を大きく変える決断は出来そうにないけれども、自分に対して「がんばったね」と言えるようにしたい。
誰に評価されなくても、自分自身が納得できるよう目指して。


派遣さんが辞めた理由は「求めていた仕事より忙しすぎる」だった。
でも。
仕事がなくて、ぐだぐだ時間をつぶすような職場より、走り回る職場のほうがまだ救われると思う。
低い評価に見合うように手を抜くことべく努めるよりは、認められなくても走っていたほうがいい。
そのほうが、私には性に合っている気がする。


2005年02月14日(月)



 仕事に対する姿勢とか

結婚退社してしまった派遣さんの後任が2月から来ていたのだが、1週間ちょっとで、すぐに辞めてしまった。

理由は「ストレスで蕁麻疹が出ちゃって。そんな職場ではこれ以上働けません~」だそうな。
ストレス耐性は個人差があるから、責められないけど。
辞め方もひどかった。
「具合が悪い」と金曜日に電話をかけてきて、理由も言わず、その日の昼にはスタッフ○ービスから電話がかかってきた。
担当者を通して、上記の理由で辞めたいという意思表示があっただけ。
一度でもちゃんと勤めようと思った会社なら、もう少し伝えようがあるだろうと思うのよ。
酷い逃げ方。


決して無理な仕事を押し付けたりしていないと思う。
簡単なチェック作業とかを朝から昼過ぎまでかけてやっているかと思えば、FAXひとつ正しい宛先に送ることも出来ず、間違ってしまった送信先から苦情のtelが来ても、知らん顔。その電話をほかの人に平気でつなぐ厚顔っぷり。


お昼時間も、話題と言ったら、化粧品と髪型とブランドと遊びの話だけ。
私の指導っ子さんはスタイル抜群の美人なんだけど、彼女のことが気になるらしく、どこの化粧品を使っているのか、ヘアスタイルはどこからレイヤーを入れているのかとか、そんな質問ばかり浴びせていた。休憩中に何をしても構わないのは構わないのだけれども、新しい仕事で、いっぱい覚えなくちゃいけないことがあるだろうに、とあまりいい印象はもてなかった。
案の定、毎日いい加減な仕事で周りを苛々させても全然気にしないで、へらへら笑って誤魔化すばかりで。
なんだろう、こんな27歳って初めて会った。
責任感の欠片もない。
仕事って、お金をもらうって、そんなものじゃないでしょう。



そんな困ったチャンが派遣に決まるまでには、一応3人面接していて、その中で一番はきはきしていたのが彼女で、支社長には「社員になりたい」とのたまっていたそうな。
もちろん社員経験もあって、明○製菓で最近まで働いていたらしい。
そこで何してたか知らないけど、私でも知っているちゃんとした会社で。
社会人って、どこでもそれなりに大変なんだと思っていた。
だから自分も、この会社しか知らないけど、どこに行っても楽になることなんてないって言い聞かせてきたけど。


あんな態度で通用する会社が普通にあるのか。
それとも、その人が“困ったちゃん”だったのか。



自分から辞めてくれてよかった。
というべきなんだろう。
事務がどう言ったって、上司である支社長は可愛い子には甘いので、よほどじゃない限り辞めさせることは出来なかっただろうから。
だけど、なんか腹が立つのよ。
一生懸命仕事しているこっちが、馬鹿みたいで。


彼女に苛つく度、入社したばかりの自分が周りとうまく行かなかったことも思い出して、こんなだったんだろうかと凹んだりもしたけど。
それでも、仕事の覚えが悪くてもどんなに空回りしていても、とりあえず責任感と必死さだけはあった。
それだけは、伝わっていたと思いたい。



以前の派遣さんについても思ったことだけど、
結婚するまでとりあえず腰掛で、ただ椅子を温めていれば時間給がもらえて。
そういう仕事を求めて、適当にやり過ごしている年上の女の子の横で、
あたしは一人すでに"ベテラン”と言われ、身勝手な営業相手に、本社の頭の固いスタッフ相手に、歯を食いしばって踏ん張って。
自分でさえ嫌になるくらい、とんがってる。


ああもうっ!


近頃、事務としての自分に対する待遇と、求められる仕事と評価のギャップが、だんだん許せなくなってきているのかもしれない。
昨年を振り返った業績考課の過程でも、目標を大幅にクリアしているにも関わらず、周囲とのバランスや事務としての上限があると言われ、かなり下げられた。
…がんばったんだよ、ほんとうに。
実際、あたしがいなくちゃ支社が回らないでしょ。
それだけは言えるはずなのに。
何も言えなかった。
世の中、そんなものかもしれない。
肩の力が別な意味で抜けた。



話は変わるけど。
彼女が辞める数日前、営業の人と飲む機会があって、そのときに"恋人”の話題が出た。
"家事手伝い”という名の無職で、お金は親からもらえるので不自由はしないとのこと。
だけど、実家を出て彼氏と同棲するために就職しようと考えたそうなんだけど、「寒かったから」と面接日に行かなかったらしい。
すっぽかしたことを面白おかしく告げるメールを見せてもらって唖然とした。
その子も27歳。


彼女たちはそれでも世の中渡っていける。
何の疑問も持たず、これっぽっちの罪悪感も迷いもなく。
「女」だからというだけで。



目の前の仕事をこなすのに必死で、しばらく"フェミニズム”的な意識とは縁を切っていたけれど、「女」だっていうことはそういうことなんだと思い出す。



それでも。



同じ土俵で戦いたくない、戦う武器もない「女」がここにいて。
営業の男の子には「結婚するならあと1,2年だよ」と言われて。
「結婚したくないからいいの」と言い返しても。
それは私の意思でなく、「結婚できない女の負け惜しみ」だと憐れまれるくらいなら、舌噛んでやるとか思ったりして。



ああ疲れた。



2005年02月13日(日)
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