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■ 雑記
遠く旅立つ人もいるということで、忘年会はやらないわけにはいかない。 営業最終日は、1時間ぐらい抜けて忘年会をして、それからみんなで電車がなくなるくらいまで仕事をした。 営業支社は月末が〆日だから、当然だけれど。 今回ばかりは、だめかと思った。 自分が悪いんだけど、重めの風邪をひいていて、それでも休めず結果的に悪化させるし、とにかく時間がなくて頭がおかしくなりそう。 せっかくお別れのために代理店さんからいっぱい声をかけてもらうのに、 その間も(あの仕事、この仕事、ああ早くやらなくちゃ)っていう気持ちでいっぱい。 お客様への電話応対もいつも以上に乱暴になるし、申込書も気持ち悪くなるくらい大量で、もう見ているんだか見ていないんだか。 自分が悪いわけではないけれども、最終日までいろいろ始末書みたいなものを書いたりもして。 あちこち交渉、電話待ち、お客様に謝り倒したり、最後まで山積みのトラブル抱えたままで、終わりきらないものを引き継ぐのもしんどかった。 ごめんなさい、そんなものを押し付けて。
やっと今日から休みになり、死んだように寝ていた。 風邪のぶり返しはこれ以上避けたい。 それでも、通常は30日まで営業だそうだから、今年は本当に楽な年だと思う。
みんな、新しい支社立ち上げのメンバーに選ばれたことはすごいよって言うけれど、大変なぶん楽しいよって言うけれど。 そういう重圧と、環境変化と、何より今以上に人数が減ってきついだろう人間関係に、つぶれそうなんだってば。
そんなこんなで、気の置けない同期だけでの忘年会は、 しばらく呑んだことのないレベルまで呑んだくれて、(カクテル6,7杯以上だから私にしたらびっくりの量)、異動発表になった日、泣きながら電話してきてくれた大好きな女の子とがしっと抱き合いながら泣いて。 お餞別は、ほんと大変だった社員旅行のときの、同期だけで取った写真を入れたフォトフレームだったから。 そこでまたうるると来て。 会社は友達をつくるところじゃない、と今も思う。 でも、この絆がなかったら、きっともっと辛かった。 傷の舐めあいかもしれないけれど、いてくれてありがとう。
自分の異動については、新しい支社立ち上げの全貌が見えてくるにつれて、 期待どころか、不安と拒絶反応でいっぱいになってしまう。 悲観的になるのはいけないって思うんだけれども、プラス情報がほとんどなくて、事務はたった二人しかいなくて、しかもその先輩はクールなことで有名な人で、新しくボスになるひとは、社内旅行でほんの少し話をしただけでもわかるくらい、私が一番萎縮してしまう高圧的なタイプのひとで。 今までだってかなり軋轢のある人間関係のなかにいたのだし、これからのことも、とにかく乗り切っていくしかない。 頭では、わかってるのだけれど。 少しでも平和に過ごせるように、とにかく踏ん張るしかないんだよ。 会社の決定はもう覆らないんだから。
もっと異動の多い会社もなかにはあるかもしれないし、 社内で日本語の通じないような外資もあるだろうし、 うち以上に忙しくて会社に寝泊りしっぱなしのようなところもあると思う。 だから、このくらいの状況で愚痴るのはおかしいのかもしれない。 でも、自分にとって泣きたいくらい辛いことだったりしたら、 それはやっぱり、“当前”じゃないことなんだ。
その他、いつもどうでもいい日常。 ランダムに。
高校時代、天敵だった同じ部活の同級生が結婚するみたい。 昔から恋愛体質だった、勝気な、勝気な娘で。 何事も負けず嫌いで、あまり真面目に勉強しない私より負けるのが我慢ならなくて、いろいろ喧嘩したっけ。 この私に「男好き」とのたまったのは、あとにも先にも彼女くらいだわ。(苦笑) 探し物をしていて、偶然見つけてしまったらぶらぶ日記。 理解してくれる、甘やかしてくれる、彼氏話が盛りだくさん。 ああ彼女らしいなって思ったり。 恋愛があれば、仕事も我慢できるっていう感じなのね。 普段、のろけ話は嫌いじゃない私なのに、なんか、微妙な気分だった。 …く、暗い。 心が狭い。 純粋にいいなーっていうより、なんでもいいから私も逃げたーい。 どうせ恋愛になんて逃げられるタイプじゃないけどさ。
同期と社内便を使ったクリスマスプレゼント交換なる企画をして、 わたしは、おおなり由子さんの「天使のみつけかた」をあげてみた。 忘年会のときに会ったら、「いま天使をみつけてるの」って言われた。 嬉しかった。 うん。
かつてクラスメートだった女の子が、 気がついたら歌人になっていた。 テノヒラタンカ。 どきどきするくらい、けっこうツボで。 一浪したと風の便りに聞いたので、ちょうど就活中かな。 そういう短歌があって、うなづくことしきり。 みずみずしさをうしなわないまま、おとなになった、そういうひとへの憧憬。 すこしの、くやしさ。 書くことをつづけるとこんなにも化けるのかと、思ってしまった。 いや、物覚えの悪い私が印象に残っているくらいだから、高校時代からもちろんすてきな文章を書くひとだったけれども。 天道なおさんというひとです。 Rにはわかるか…。 リンク張ることはできないので、よかったら探してみてください。
高校は、カオスだった。 大学なんかよりはるかに自由で、自由と責任とを考えさせられる、そのうえでの遊びの許される場所だった。 そのとき同じ場所にいたひとたちは、いまおとなになって、社会人になって、それでもあのときの光みたいなものを、突き進む力をうしなわないで、たとえば書き物を続けていて、たとえば政治活動に携わっていたりもして。 自分はなにをしているのか、と思わずにはいられない。 もう、書けないのかもしれない。 冬眠中なのか、もう書く必要がないのか、書けないほど酷いのか、 よくわからないけれども。 書かずにはいられないだけの、自分がない。 たぶん、ない。
それも、日常。
さらに思いつくまま。
眠いのだけれど、何ヶ月かぶりに、日記を書いた後もさまよっています。 いまちょうど4時44分。 明日高校時代の腐れ縁たちと会う約束があるのに。
配属から8ヶ月過ごして、いまはどんな姿勢でも電話が取れます。 口は回らないけれども、受話器に向かって瞬間口をつくのは、会社名から始まるいつもの名乗り。 それが悪いことだとは思いません。 思わないけれども、ただ自分を名乗る、自分のコトバはどこへいってしまったのか。 「かしこまりました」の不自然さを感じていた自分は、どこへ消えたのか。 成長…とわたしは呼びたい。 それまでまともにバイトさえしたことのない私にしたら、 社会への適応ですから。 変わることは悪くないし。 ささやかに楽しみにしていることも、なくはない。 だったら、いいじゃないか、と。 真剣に悩まなくても。 もう、書かなくても。 そう思えたら、いいのだけれど。
仮面…なのだろうな。 そして、それ自体がもう、じぶんになっていて。 はぎとる自由もない。
感じたいなら。 書きたいなら。 というより先に。 想う、想え、想えば、想うとき。 でも想えばよけいに辛いから、 よけいなことを想わずにただ動くほうがじぶんにとってはやさしくて。 想わないということはできないけれども、 半分くらい想うことをやめていて。 やっぱりそんなふうにしかできない。
お金は意識せずに、あっというまに飛んでいって。 だめだな、とおもう。 たいして大きいものは買っていないから、ただの浪費。 心底、楽しくなんかない。 ほんとはいらない。 でもつかわなかったら、いまのじぶん、ふんばっている意味がない。 そんな強迫観念? 観念なんてたしかなものさえない気もしますが。
2002年12月30日(月)
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