unsteady diary
riko



 こんな日もあって


はじめて職場で泣いた。
誰も責めなかったけれど、むしろ慰められたけれど、
そういう問題ではなかった。
悔し泣きなんて、高校生のバイトの子だってきっとしないと思う。
やっぱりなりきれていないんだって思った。
本当の社会人なら、クレームとしてなにを言われても、どんなに理不尽でも、言い返すことはいけないはずなのに。
悔しいって思うこと自体が、本当は変なんだろうと思う。
確かにお客さまを怒らせたのは、うちの会社の誰かであって。
企業そのものを、私の人格を、何もかもを否定されたとしても、黙って聞き続けることが求められているはずなのだから。
あまりに理不尽でむちゃくちゃなので、反論したくなるのを必死で抑えたけれど。
言いたいことを抑えるというだけで悔しくてしかたがなくて、
挙句の果てに一方的にすごい勢いで電話を切られたときには、ボールペンを机の上に投げて、あまりにどうしようもなくて笑えて、泣けた。
わかってるのよ、わかってる。
ああ大人気ないったら。

それにしても、あれほど人のことを傷つけられるせりふを次から次へと飛ばせる人がいるのだということ、ある意味感心してしまった。
すごいものだ。



ここのところ、狂ったように本とCDを買い漁って、寝る暇も惜しんで詰め込んでいた。メールチェックする余裕もないのに、CDだってセットしたら即寝ているくらいなのに、とにかく何かを詰め込みたい、満たしたい。
そんな気分で。
なまじ、一駅歩けばなじみの本屋があるのがいけないのかなあ。
疲れているはずなのに、それでも根性で歩きとおす自分がふしぎ。
だって130円もったいないんだもん。

通勤のあいだ、冷蔵庫みたいになにも感じない物体になることを少し覚えたので、最近は本を持ち込んでいる。
満員電車のなかで、ほんの数センチ本を開いて、逃げるように読み続ける。
そんなときに限って、暗かったり、辛かったりする本にばかり当たるのだけれど。
なにも欲しがらない、手に入らないとはじめから思っていて、自分の望みがなにかすらわからなくなっている切ない人間のお話だとか。
自殺未遂を繰り返してでも、相手を引き止めてしまう最低な恋人の話だとか。
朝からなにを読んでいるんだか。
のめりこめなくちゃダメだし、高尚すぎるものはもっと落ち着いた状況でなければ読めないし、内容がなさすぎても嫌だし、結局そこそこのところに落ち着くのよね。
最近開発した物書きさんたちのが深くて痛くて面白くて、しばらくは充実していたけれど、また読むもの探さなくちゃなあ。
最近辛いものばかり読んでいるけれど、やっぱりハッピーエンドがいい。
現実以上に辛いお話なんて、できれば読みたくないんだけどなあ。


2002年05月25日(土)



 simple


ぼけっとテレビを見ていたら、インドでカーストを越えて恋愛結婚するカップルの取材レポートが流れていて、昔読んだ本のことを思い出した。

タゴール瑛子著「嫁してインドに生きる」

タゴールという姓にピンと来る人もいるだろうけれど、
ノーベル文学賞をとった有名な詩人の一族へ嫁いだ日本女性の手記。
古きよきインドの上流階級の暮らしを身近に感じたいなら、読みやすい1冊。

今も印象に残っているのは、カーストが違う結婚は基本的に認められないけれども、女性が身分が低い場合には許されるのだということ。
身分の低い男ならば、それと同じレベルまで、女を引きずり降ろしてしまうが、逆の場合、身分の低い女は身分の高い男によってその価値を引き上げられるからだ。
その根底には、男性こそが女性を位置づけるという根本概念がある。
逆に言えば、女は、自分の性だけでは男を貶めることもできないということだ。
性とカーストがどこまでも人間を支配する社会。

だからといって「正さなければならない」などというレベルで語れるような単純な問題ではなくて、どちらかというと、インドでは昔からそうやって人が生きているんだという、圧倒的な差異を意識した。

今は少しずつ恋愛結婚が増えてきたりして、宗教的な儀式の為の装飾が観光みやげとして売れるようになったりもして、徐々に伝統的なインド社会も変わりつつあるようだけれども。
そのときの私は、初めから決められているように生きるという選択肢しかなくて、そのことに疑問を感じないまま生きるということが、少しだけ羨ましかった。


どんなきっかけだったのか忘れたけれど、看護婦になろうとしている従妹に、半陰陽の子供の性の決定の問題などを話したことがある。
彼女は、お産に立ち会ったばかりで、現実として、命の誕生を知っていた。
看護士見習いの男の子と、乳房マッサージについて打ち合わせをしたり、お産を一緒に見たり、という話をしていて、「私が妊婦だったら嫌だろうな」と私が言うと、どうして、という顔をしていた。
そんな彼女の前で、私の話すことは机上の空論に過ぎなくて。
だって男の子は男の子、女の子は女の子でしょ、と。
性同一性障害については知識があるのだが、それはすなわち男が女に、女が男になりたがるということでしょ、と言うだけ。
最後に、「私はあまり深く考えないから」と彼女は笑った。
シンプルだから、強い。


生きる目的って必要だろうか。
自分の身体が息をしていること自体を忘れて、
もっと“素晴らしいこと”を探しつづけて。
ただ生きているだけでは、なぜ生きられないんだろうか。


2002年05月19日(日)



 新人たちの呟き


別に死ぬほどおなかが空いているわけでもないんだけど、
最近さらによく食べている。
ロッテのアーモンドチョコレートの大容量を一箱とか。
笑っちゃうほどの量で、胸やけがするんだけど。
仕事が終わっても張り詰めていた空気はすぐには溶けなくて、
妙に元気な顔のまま、自分でもなにかおかしいなと感じながら、
何かを口にしている。
そうやって、やっと“疲れ”を取り戻す。
でも、味もよくわからず食べたものの重さ分、憂鬱になる。


こんな風に味わずにやけ食いするでもなく、午後の仕事のことを考えながらランチを先輩たちと一緒に食べるのでもなく、夜に残業しながら差し入れのアンパンを詰め込むのでもなく。
本当はもっとゆったり幸せな食べ方をしたいなあって思う。


今日は、そんな風に食べることの出来た日だった。


8ヶ月ぶりに、高校時代の友人たちと待ち合わせ。
ひとりは以前日記にも書いた、服飾関係の専門学校に入りなおしたエネルギッシュな友人なのだけれど、課題に追われて不参加とのこと。
…会いたかったなあ。
それでも、SEとして就職したほかの2人には会えた。
愚痴とか高校時代のこととか、話すことは別に大して面白くもないのだろうけれど、なにひとつ装うこともなく過ごせる時間がうれしかった。
皆ビンボーなので、ガストでお昼を済ませ、高島屋で母の日のための買い物をして、(私は祖母用のみ)あとは安い居酒屋で呑んで食べて。
あっという間に11時になってしまった。
もともとべたべたする関係でもないのだけれど、珍しく名残惜しい気もして、駅の構内でも電車が来るぎりぎりまで一緒にいた。


元気なときは思い出さなくても、弱っている時はお互い会いたくなる。
どこかの誰かのようにすごく惚れているわけじゃないのだけれど、
気心が知れているというか、楽というか。
マジメな話をマジメな顔でできる数少ない友人たちだから、今までもこれからもきっとめったに会わないけれど、どこかではつながっていられる気がする。


ちなみに、乾杯のときの合言葉は、「生き残ろう」だった。
ひとりが金銭的にも人間関係においてもかなり厳しい状況にいて、普段は穏やかなのに、相当やけっぱちになっていたので。
何があっても、自分を守ろうな、と。
そういうこと。


新入社員という立場上、今のところは似たり寄ったりなのだけれど、
3人のなかでただひとり、仕事を長くやっていても特にスキルを身につけられなさそうな私は、彼女たちの将来の展望を聞きながら、ときどき言葉が見つからなかった。
私の勤める支社で、現在事務のリーダーをやっている女性が、
身ごもっていることが判って、仕事をやめることになった。
正直残業も多く、代理店の我侭と本社の主張の板ばさみになって、毎日ストレスが溜まりにたまっていたというし、いい機会だとのこと。
仕事がすごくできて、なおかつ新人への教え方も上手くて人柄も男前で、正直かなり頼っていたこともあって、ショックだった。
それと同時に、心底疲れてしまったときたいがいの女性には休める場所があるんだなと思ってしまった。
そんな逃げの発想は嫌いだったはずなのに。


たとえ他に選択肢がなかったとしても、
今を選んだのは私だ。
だから今の環境で頑張ってみるのはもちろんのこと。
ただ、その先のことはまた別に考えなくてはと思う。

2002年05月11日(土)



 営業的呑みスタイル

新人歓迎会。
ま、それなりに和やかに。
下ネタも交えつつ。
同期で営業として同じ支社に入った男の子と二人、
色んな意味で洗礼を受けたというか…。

たった二人の新人だから、私と彼はそれなりに仲がいい。
助け合っている部分もあるし、それでなくとも普通に話せる相手は貴重なので。
彼にとっては、どこまでが営業スマイルなのかわからないのだけれど、
常に気遣ってくれて、穏やかで、礼儀正しくて、とにかく優しい人だ。
彼女がいるらしいのだけれど、きっとその恋人をとても大切にしていそうな気がする。


支社のほかの人は、彼に恋人がいることを知らなくて、
歓迎会の席で、なんとなくいい雰囲気だとか、悪ふざけでからかい始めて。
その場がちょうど結婚式みたいになってしまって、
なんかイロイロ言われたり。
それを否定したら私に失礼だと思ったのか、彼は否定しなくて。
むしろ悪乗りしているくらいで。
「幸せになります」くらいの、ただの言葉のあや。
過剰に思えるくらい、優しくするだとか。
それだけの、酔った席でのたわごとなのだけれど、
なんだかいやだった。
私は笑えなかった。
私が潔癖なんだろうか。
それとも、私にもっと自信があったなら、なんとも思わず、卑下することもなく、一緒に悪乗りできたんだろうか。


たいがいのことは笑って流せる大人にならないと、この先過ごしにくそうだ。

2002年05月09日(木)



 スリーピングウィーク


3日からお休みだったんですけど、
ネットを長くつなぐ余力もなく、ひたすら寝ていました。
2日の夜は残業が本格化してしまって、帰宅後は化粧も落とさず電気も消さず、いつの間にか意識がなくて、気がついたら朝だったという…。
先が思いやられるわ。
連休に入って体がひと安心したのか、知恵熱が出て笑っちゃいました。
そろそろ恐怖の歓迎飲み会なので、その影響もありそう。
考えたところで、なるようにしかならないってのに。


今日は熱も下がったので、やっと部屋の掃除ができました。
それなのにちっとも片付かないのはなぜなんだろう。


話は変わって、楽しみにしていたGW映画のこと。
といっても、テレビのね。
本当は指輪物語を見に行きたかったけど、混んでいそうで諦めて。
スターウォーズで始まり、スターウォーズで終わりました。
局は違うとはいえ3日の続編を5日にやるという形だったのに、吹替えがまったく違ったのが気持ち悪かったです。
こういうことをやるなら、字幕でやれっての。

映画自体の感想としては、実はスターウォーズをまともに見るのってはじめてでした。
ものすごくB級の内容を、あほらしいほど派手に作るとあんな感じ?
私はけっこう好きかも。
笑っちゃうほど正義かざしたりもしているけれど、それはそれでいいんじゃないかな、と。
アルマゲドンみたいに、真綿でくるんでオトナ向けにしておきながら、実際はあほらしい正義かざしているだけの映画より、よほどいい。
小学生の頃に好きだった要素が寄せ集められている感じなんだけど、
細々した設定とかレトロなロボットなんかが面白くて、くだらないと思いつつも見てしまいました。
ただ、世界中がアレを熱狂的に好きだとしたら、
オトナってなんだろうな、とは思いましたが。(笑)
いや、私もオトナなんだろうけど。

以下、見てない人は当然、見てた人にもきっとわからない話。
金曜日のほうのルーク役を当てた役者さんは、
これまで主役級の役に恵まれなかった人なので、
ああ出世したなあ、なんて感慨深げに見てしまいました。
繊細な芝居をする人なのだけど、声質が少年に限定されちゃうのが悪いんだろうな。
ちなみに、7月公開のエピソード2も、吹替え版のオビワン@ユアン・マクレガーは前作と同じキャスティングらしく、さきほど予告編を見ただけで、のた打ち回っていました。
母の冷たい視線も関係なし。
ユアン本人の声はちっとも好きじゃないのになあ。

2002年05月05日(日)
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