unsteady diary
riko



 伝えたい人はしばらく見ることはないと思いつつ

本当はずっとなんだか泣きたかった。
でも泣く理由がないし、塞ぐ理由もないから、
泣くことも出来ないのでした。
今の訳の分からなさは、
もう誰にも話せなくなっていました。
1年前まで話せた部分が、話せなくなって。
もちろん誰のせいでもなくて。
友人たちはあたたかかったし、優しかったし。
遊びに行って楽しかった。
ただ、私の側に、問題ができてしまったのだと思う。



最後のお別れ(でもないのか…)を言うために、
顔を見るのが少し怖かった。
どうせ顔を見て話しても、ちゃんと寂しいとか言えないくらいなら、
いつものように明るく軽口をたたくだけで、
自分が自分でない明るさで接するくらいなら、
会うほうが辛いと思った。
これまでどれだけ支えられてきたか、再認識する前に、
今だってほとんど連絡をとらないでいたように、そのままの遠さで引っ越していくほうがいいと思った。

中途半端に「またすぐ会えるよね」とか「ずっと友達でいようね」とか
簡単に言ってしまえる私ではなかった。
そんな風に言えるほど、薄い付き合いをしていたとは思わない。
でも、なにをしても絶対に会いたいと言えるほど、
私は素直になれず、気持ちの強い状態でもなかった。


私は、距離や時間を越えられる付き合いをしたことがありません。
近かったから、仲が良かった。
学校が一緒だったから、仲が良かった。
でも長いあいだ会わなければ、ぎこちなくなる。
私がもっとぼろぼろで、いろんなものを見失っていくとき、
全部分かっている人がいたら、虚勢さえ張れなくなる。
誰にも言わないことでだけ、虚勢が、本当の私の明るさになる。
そうやって、しばらくずっと通してきたし、
弱みを見せたくなければ、これからもそうする。


相手が未来に向かって前向きに必死に頑張ろうとしているとき。
後ろ向きな人間が、そばで泣いていたくはなかった。
自分が頑張れない気持ちでいるときに、
頑張ってと笑顔で言うほど、白々しいものはない気がした。
でも、そんな白々しいメールを書いてしまった。
メールですら、感じていることを書き出したら止められなくなるから。
そんな風にしか書けなかった。


さようならメールを書いたのち、返されたメールを読んで、久々に泣きました。
悔しいとか腹が立つとか。
全部、どうしようもなく、自分に対して。
鈍くなって、図太くなるしか、切り抜けられる方法がないと思ってた。
たぶん実際そうせざるをえないと思うし、
だからしばらくは泣くのを封じるけれど、
よくわからないけれど、こんなに涙が出てくるんだ、と思った。
地団太踏んで、子供みたいにわーわー泣きたかった。
でも、もうしてはいけないと思ったから、
他人行儀になるしかなかったのだと思う。
本当はどうでもよくない相手だったからこそ、
いなくても大丈夫なはずだと自分に言い聞かせたのだと思う。


意味が通じなくてごめんなさい。
いつ私が落ち着くかわからないけれど、
落ち着いたら、会いに行くと思う。
新幹線に乗れば、すぐだもんね。
そのときはプー太郎になっているかもしれないけれど、
酒でも飲みましょう。

2002年03月27日(水)



 

今日記を書くとこのことしか浮かばないけれど、
このことはどうあっても書いてはいけないから、
従って今日記は書けない。

そんなことが多い。

研修に備える為、荷造りしています。
他の人なんてお引越しを控えていたりするくらいなのに、
たかが3週間の荷物でどうしてこんなにスムーズに行かないのか。
要領が悪いったら。

人生、普通に行けば先は長いですよね。
気がつけば、就職しない知り合いもかなりの数になります。
ほんの少し…いや、もう少し多く、彼らに嫉妬してしまった。



unsteady diaryは、大学生の日記でした。
先の分からないことが前提にあって、だから「不安定な日記」なのでした。
この日記で知り合うことのできた人を失いたくはないけれど、
一方では、学生でなくなって、もうこのスタイルのままの日記は無理なんじゃないかとも思います。
日記を書くのに、時に泣きそうになりながら、時に怒りながら、何時間もかけて書くことは、もうなかなかできないでしょう。
だからって、他のエンピツユーザーさんが沢山面白いのを書いていらっしゃるような内容を書くことは、もっとできない。
正直に私の暗い思考回路の一端を書いてきたからこそ、
読んでくれる人がいたのだとも思います。

でも、私がこれから過ごそうとしている日常は、ある程度感じることを止めなければ成り立たない気がするんです。
吐き出すことによって、より一層クリアに痛い感情を認識するような日記は、私にとって、重荷になるだけかもしれない。

もっとも、やってみなければ何も分かりませんが。




とりあえず、研修は祖父母の家から通うので、
しばらく連絡が取れなくなるかもしれません。
おやすみなさい。

2002年03月26日(火)



 春色コスメ


夕方、外を歩いていたら、桜が白っぽく光っていた。
庭から漂ってくる沈丁花の香りも、強すぎるくらい。
つまりは春ってことなのね。
それでも私の中での気分は全く切り替わらないのだけれど。

ひょんなことから、春色コスメをもらってしまった。
ずっと雑誌を見ているだけでうっとりしていた、シャネルの新色4色アイシャドウ、ルミエール・ポリクロームだったので、びっくり。
親戚のコスメフリークなお姉さま(母とあまり年変わらないけれど…汗)がとりあえず手を出したものの、一重でクールな顔立ちなので、暖色パールが似合わなくて、私に回ってきたらしい。

お絵かき気分で、4色を比率を変えて筆にとってミックスしたりしてもいいし、水溶きだと色がパキっとしてライン使いもできる。
チークやこめかみ部分のニュアンスづけに使っても、艶が綺麗。
宝石のようなルックスで、近寄りがたい雰囲気をまとっているのに、
案外使いまわせそうなところも愛いヤツ。
私はデバートのコスメカウンターが大の苦手(お金もない)なので、うちにあるランコムなどのブランドコスメはこの人のお土産やお下がりが多い。
いつも助かってます、ハイ。
でも先日は、せっかく憧れのシャネルのファンデのサンプルもどきをもらったのに、彼女が色白すぎて使えなかった…。(悔しい)
デパートの化粧品フロアなんてつくづく縁のない世界だから、
カウンターでBAさんたちにメイク技を教えてもらえない分、
自分で色々試してみるしかない。
ま、それがまた楽しいのでやめられないのだけれど。


2002年03月18日(月)



 ロビンの映画ばかり

今まで印象に残っている映画のタイトルだけでも覚書をしておこうと思って、書き出したメモが出てきた。
そのときの走り書きなので、偏っているけれど、だいたいこんな感じ。



パッチアダムス
いまを生きる
グッド・ウィル・ハンティング
ジャック
レナードの朝
聖なる嘘つき
ライフ・イズ・ビューティフル
アポロ13
プライベート・ライアン
マイ・プライベート・アイダホ
レオン
ショーシャンクの空に
レインマン
INTO THE WEST(白馬の伝説)
シンドラーのリスト
ショアー



とりあえず記憶に強く残っているものから並べてみたら、
自分が弱い方向が透けるようで、笑えた。
単純に泣いて癒される映画ではなく、たとえ理不尽さや空虚さであっても、何かが残る。
戦争モノや命を考えるものが多いね。
だからロビンの映画が多くなるのかな。


内容が似ていることもあって、「ライフ・イズ・ビューティフル」と「聖なる嘘つき(邦題)」が並んだけれど、前者は概ね評価が高く、後者はパクリだという声もあり(後者の原作はもっと昔にあったので、パクリではないんだけど)、あまり認められていない。

でも、私の感想はちょっと違うんだよね。

「ライフ・イズ・ビューティフル」は、類まれな天才の物語だと思う。
嘘つきの天才、天下一品のコメディアン。それが、ベニーニの役どころだ。
ホロコースト映画としては異質な彼の明るさが、映画を強烈にするけれども、ある意味で嘘っぽくなってしまう。
演劇的、というか。
演技だから仕方がないのかもしれないが、他の誰にも出来ないことでは、感情移入がしにくい。
気持ちよく騙される側になるのには、私たちはホロコーストについて知りすぎているし。
彼は息子とともに収容所に送られて、それを息子にうまく納得させるために「これはゲームなんだ」と嘘をつきつづけるわけだが、その息子ジョズエがまた子供なのだ。
御伽話のように、都合よく騙され続けてくれる。
確かに、それが映画の鍵ではある。
だが、ジョズエが子供のままで彼の重荷になるだけの存在であることが、この映画をより一層“孤高のコメディアン”ひとりの映画にしてしまっている。また、家族愛と言えばそうだが、家族以外はどうでもよいのだろうか、と思う部分もある。
独りよがりというか、ジョズエが父の苦労を知るのが、父が死んでからというのがまた辛すぎて。
ジョズエが父の嘘を見抜いていて、その上で騙され続けたのなら、もっと深みが出たんじゃないだろうかと思ってみたり。
それも一層辛いけれど、現実の辛さを無視して御伽噺にさせてしまうよりはいいのではないか、と思ってしまう。


「聖なる嘘つき」は少し様子が違う。
凡人ヤーコブは、積極的に嘘をつく気なんてさらさらなかった。
ただ、大事な人たちが絶望から早まったことをしないように、こっそりと、ドイツ人のラジオを盗み聴いた情報(もうすぐロシア軍が救いに来ること)を伝えただけ。
だが、彼がラジオを隠し持っていて情報を得られる立場にいるという噂が広まってしまい、希望にあふれた皆を見て、彼は嘘をつき続ける決心をするわけ。
彼は嘘なんて得意じゃないし、嘘が悪いことだという倫理観もある。
重すぎる嘘なんて、投げ出したかったと思う。
投げ出せなかったのは、彼が勇気があったからではなくて、強かったからでもなくて、抱えていた弱さや恐怖を超えて、希望を持ち始めた人々を裏切りたくなかったから、哀しませたくなかったから。
弱気な、どこにでもいる男が、いつの間にか大ぼらふきを演じなくてはならなくなる。
だからこそ、彼がいとしくてたまらなくなる。

騙される仲間たちは、希望に満ちて、幸せそう。
声を張り上げて明るく皆を笑わせる彼だけが、その幸せには浸れない。
どんなに巧みな嘘であっても、自分だけは騙せない。
ベニーニがジョズエだけを騙せばよかったのとは違って、
正真正銘、彼はひとりぼっちだった。
これ以上の悲劇ってあるだろうか。

彼は収容所に送られる電車から逃げた少女を仕方がなく拾う。
彼女は両親に会うこと、つまり戦争が終わることだけは望みに、生きようとする。
ラジオがあるという嘘を、この少女にもつかなくてはならなくなるんだけど、最後の方で、少女だけが彼の嘘に気づくの。
ジョズエとは違って、辛い現実を知った少女は傷つくけれど、
ヤーコブの重荷を理解した少女が生き残ることが、
結末の苦さを、ほんの少しだけ和らげる。
息子を傷つけずに守ろうとする完全無欠のお父さんよりも、
ぶちぶち不満を言いつつも少女を拾って、少女を傷つけるつもりはなかったけれど結果的には嘘をつき続けられず傷つけてしまったヤーコブの方が、人間くさくていい。


同じく「やさしい嘘」で希望を持たせ続けたいと願った2人の男。
派手な演出もなく、評価もあまりよくないし、日本では小さな映画館でしかロードショーされなかったそうだけれど、私は断然ヤーコブが好きだ。


2002年03月17日(日)



 気のせい


気のせいで、胃が痛い。
「気のせい」って言葉は面白いよね。
その痛みはないものだって言うんだから。


友人さんは、大きな試験を控えてそれどころじゃなく、
こっちも静かに深く潜っている(どうせまともに話せる状態じゃない)ので、このまま気がついたら4月(あっちは転勤決定)かな、と。
ゼミの仲間とも大学の仲間とも、誰にも会いたくない状態がこんなに長く続くとは思わなかった。
その中でも遊びに行ったけれど、何か冷めている。
話せるほどはっきりとした状態ではないし、
解決できるものでもない。


アホ話が救い。
とりあえず忘れて笑える。
あ、アホなメールありがとう。>R


ずっと漠然と考えていること。
このまま突然いなくなったら、どうなるのかな、とか。
典型的な、わがまま現実逃避。
卒論の〆切だって受験だって負担だったけれど、
ああいうのはまだなんとかなるんです。
紙の上ならば、いわゆるお勉強の延長ならば。
たとえ失敗しても、ダメージも少ないので。
困るのは自分だけ、誰かに迷惑をかけるわけではないところも救いだったり。


やめるのはいつでもできる、とりあえず就職を。
そう思って内定先を探して駆けずり回った。(当人比)
今は、いつやめるんだろう、と思っていたりする。
というより、いつまで続けられるんだろうか。
どのくらい無理をしたら自分のバランスが崩れるのか、
見失わずに、普通に働くことができる気がしない。
というより、無理をしてやっと人並みの仕事をできるかどうか、というところなのに。
だったら、無理をするのは当然のこと。


これから失望するとすれば、社会や企業や他人に対してではなく、
それらと上手くやってゆけない私自身に対してだという気がする。


2002年03月16日(土)



 直というキャラクター


木曜日。
私は和彦さん目当てに木曜洋画劇場が見たかったのに、
母にチャンネルを奪われて、金八先生を見せられた。
最初に金八先生が放送されたのは、私が生まれた頃らしい。
初期のものはわりと好きだったけれど、(再放送で見ていた)
最近のドラマはかなり苦手。

それでも、少年犯罪レベルならまだ冷静にいられた。
今期が見てるだけでも辛いのは、“直”がいるから。
直は、性同一性障害と見なされる、現在の性別は女の子。
この難しい役どころを好演してるとは思うけれど、
脚本が嫌、直を取り巻く周りの環境と出てくる台詞が嫌。
時折吐き気がするほど、嫌。

それでも、ドラマという都合上、ステレオタイプな人間の描き方は必要だろうと思ったから、途中は我慢していた。
でも、直のことで一区切りつけたのだろう昨日の放送は、
見たくなかった、聞きたくなかった。

ならば、見るのをやめればよかったのだろうけれど、
自分のために、見続けた。
何が嫌なのか、どうしてこんなに気分が悪いのか、
考える必要があると思ったから。

実はこれまでにも、直のこと、何度か日記に書きかけた。
でも、考えがまとまらなくてアップしていない。
今も、まとまるどころか、ますます混乱している。

脚本は、心温まる結末を用意していた。
友人たちは、直を、新しい男の友達として受け入れた。
クラスメートたちは、辛い治療と手術を終えたら、
一緒に連れしょん(この習慣自体、ジェンダーロールに関わる問題が表れていると思うんだけど、それは別として)しようと、泣きながら口々に言った。

まるでドラマのようだった。
ドラマだから当たり前かもしれないが。
現実はそれほど単純ではない、そう思った。
少し齧った私は、勉強する前よりもっと分からなくなった。
ある意味、分かる振りをすることは、分からない、もしくは知らないことよりも、もっと罪が重いと思った。
アナタのその悩み、痛み、分かりますなんて、言えないと思った。
それなのに。
いとも簡単に、爽やかに、“解決”されてしまった。


テレビという強大な影響力を持つメディアで、
性同一性障害が、治療すべき“病気”として、扱われた。
最後にコメントが出たものの、それを読んでみてもやっぱり、病気であるという扱いに変わりはなかった。
これは、ドキュメントで一例が放送されるのと訳が違うと思う。
感情移入せずにはいられない、ツクリモノの世界と、直。
全国の人が、性自認もまだ発達していない子供たちまでが、
直を、「性同一性障害」という“可哀想な、辛い、身体にメスを入れてまで性別を変える必要のある病気”のステレオタイプとして、インプットしただろうと思う。

多くの人にとって、良くも悪くも強烈なドラマだっただろう。
直を演じた少女が、類まれな中世的な容姿をしていたこともあって、
ドラマの中での事件としての“直”は、多くの人に受け入れられたのではないかと思う。
実際、本屋で彼女が雑誌の表紙になっているものを見た中学生たちが、
「ああ、直役の子だ。可愛いよねー。変態でも許せるよね。」というような会話をしていたのが印象的だった。
確かに、性同一性障害についてまるで知らなかっただろう人たちに知らしめたという意味はあるのかもしれないが、それは諸刃の剣だとも思う。

ピンポイントで条件が合えば気持ちが悪くないからと受け入れる、応援する、そういううわべだけの理解が世間を覆ってしまうなら、現実の多様性が捻じ曲げられそうな予感がする。
性自認に違和感があるということは、こういうモノ。
そんな風なステレオタイプが、より強化されて、
真面目に自分を見つめようとする人たちが生きにくくならなければいいのだが…。


2002年03月15日(金)



 オンラインショッピング考

最近、ネットオークションというものに参加するようになりました。
基本的に「石橋を叩いて叩いて叩き壊した挙句、やっぱり渡らなくて正解だったと納得する」性格をしているので、ネット上での様々なやり取りには慎重な方だったのですが、今はすっかり箍が外れたようになってます。

その多くは、必要ないものだと思うのですが。
評判を聞いたり、雑誌を見たり、実物を見たり、そんなこんなで欲しくなるんですね。その分、最近は本やCDの質が下がったために買う数が抑えられているし、自分が使った金額を見直せるので、メリットもあるのだけれど。

オークションを見るようになって思ったこと。
定価で買うということは、ある意味時間を買っているのではないか、と。
欲しいと思った時に、目の前に品物があって、即座に手に入れる。
無駄がないですよね。
確かにオークションでは、入手経路が限られるものや、安く買える機会でもなければ一生手を出せなかっただろう憧れの逸品にも手が届く、交通費を省けるなどの点で、メリットも多いのですが。
定価であっても、目の前でモノに触れてその場で決断してすることの意味も、考えさせられます。

例えばオンラインブックストア。
この本、と決めて注文するにはとても便利。
探し回る手間も省ける。
でも、現実での本屋さんは、絶対になくなりはしないと思う。
ふらふらと入る、手に取ってページをめくるときの、
新しい紙の手触り、指を切りそうなページの角。
重み、インクの匂い。
その中での、新しい本との出会い。
化粧品も同じかなあ。
実際に並んでいるところで選ぶワクワクには代えられない気がします。

とは言っても、実際には行動力がないので、オンラインであれこれ済ませられるのは魅力的なんですが。
ますます引きこもりになるような…。
かなり引きこもっても、死なない程度には生きられるところが、
ネット社会のイタさでしょうか。

2002年03月12日(火)



 春目前

月日は流れ、卒業が決定しました。
計算上では3年までに必要な単位は全て取り尽くしていたのですが、もしも万が一単位の計算間違いなんてやらかしていたら、内定先になんて報告しよう、とか考えていたら昨夜も眠れなくなってしまったので。
結果が分かって、よかったです。
とりあえず、この先何があっても、もう大学にはいられないということで。


最近は課題のテキストとにらめっこしているのですが、
だらだら生活が長いし、そもそも暗記物をやり慣れなくて困惑気味。
中高で試験に出る必要最小限の勉強(というより、作業)しかしなかった怠け癖、こんなところで足引っ張っています。
とはいっても、資格試験があるので頑張らないと。
それでも紙の上のことなら、なんとなします、ええ。


自分の中の憂鬱や不安をぬぐう為には、
当座やれるだけの努力をするのが一番だと分かってはいても、
そもそも前向きになれないところが、問題なんですね。
今回は表面に出る荒れ方をしていない分、ひっそりと憂鬱に。
理由なんて一つしかなくて、それに対して憂鬱になること自体が間違っているので、外側で荒れるわけにはいかないのだけど、だからと言ってどんよりした気分が晴れるわけでもないので、とりあえず黙っていて自分の中で処理するより他ないのかな、と。
結局、きちんとしたオトナ(ってなんだ?)になるより他ないので。

2002年03月11日(月)



 雑記

プロバイダー乗り換えを目論んでいたら、
契約切れ時期を間違えていて、利用停止の憂き目にあった。
つくづく自分のアホさに呆れてしまったわ。

そんなわけで、今頃になって3月初の日記だったり。


卒業式。
結局、袴を着ることになった。
とりあえず、行きつけの美容室で当日の早朝から着付け&ヘアメイクをお願いできることになったので、(でもいつもの優しい美容師さんは売約済みだった…涙)なんとか加工してもらえるよう期待したい。
それにしても、成人式と卒業シーズンは、美容師さんは夜明けからお仕事なのね。
ご苦労様です。

母の強い希望で、袴姿の記念写真も撮ることになってしまったので、どうせなら、以前から気になっていたスタジオにお願いしようかどうか、迷っている。
一生に一度くらい完全に嘘つきな写真を残してもいいのかな、とか。
ただ、そこまで踏み込んでもお手上げだったら、最後の1%の逃げも許されなくなって、かえって打ちのめされそうだ…。


出費が重なったことだし、もともと申し込みしていないので、私は園遊会(謝恩会)には出ない。
芸能人(?)を呼ぶせいか、会場代なのか、とにかく参加費が高いのよね。
卒業名簿だって、他校もこんなに高いのかね、というくらいに高いから買わなかった。
アホらしい。
ゼミの女子が私を除いて全員参加(サークルで固まるので一緒にはいられないけれど)するので、「rikoだけ、なんで出ないの〜?」ってコールを浴びて少し揺れたんだけど、まあいいや。
華やかな場所自体好きじゃないし、卒業生全体で共有できるほど大きな思い出もないし、意味もなくただ騒ぐのも宗教チックで嫌いだもの。
団結して一時の不安を埋めようとしたところで、結局はひとりに戻るのだから、意味がないはず。
そんなお金があったら、ちまちまと好きなことに使いたい。



以上、日常メモ。
読む価値はない、ということをここに書く卑怯な私。



なんかこう、うんとアホなことを書きたい。
感情の突っ走るままに、ミーハーなこととか、むんむん(?)なこととか。
ぽつぽつ語るんじゃなくて、息が切れるくらい、自分の元気のなさを忘れるくらい、ただバカな語りとか、したいのね。
自分の“分”みたいなものを感じずに、考えずに、躊躇わずに、ネット上だけで存在できるアホの凝縮された自分を、出せないもんかなあ、と。


2002年03月07日(木)
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