unsteady diary
riko



 春の脳みそ

用事があって、街へ。
ついでに、春服が出てから初めてショッピングした。
丸井がリニューアル中で、オープンしたてのショップにふらふら入ってみた。
たぶん今年一番通うところになりそう。
ひとひねり効いてて、色使いやデザインが他よりもう一歩踏み込んでて、流行のボヘミアンとかでも安っぽくならない、オトナの遊び服って感じ。
もう、見てるだけでわくわくどきどきしてくるんだもん。
自分に似合う似合わないを度外視して、鑑賞モード。
可愛いもの、綺麗なもの、見るのは大好き。
セレクトショップらしく、GRACEとかも入ってたけど、さすがにそれらは高いのでホントに見るだけ。
お店のオリジナルブランドが手頃なわりにすごくよかったので、もし春服を一枚買ってしまうなら、たぶんここかな。
店員さんも感じがよくて、ちょうど私が特徴のあるコートを着ていたので、その話で盛り上がったり。
名刺をもらっちゃったけど、お店の名前が難しくて読めないまま。(汗)
とにかく、幸せになれそうな服と小物が集まってた感じ。
空間自体が、服と一緒に演出されていて、居心地がよかった。
そんなお店はありそうでめったにないから、ファンになりそう。
でも、休日にしか着られない遊び服ばかり好きになるなんてな〜。
残念というか、感覚がオトナになってないというか。

それから、ファンケルショップでやっと新しいビューラーを買った。
カーブが合わないのを無理に使っていたので、やっと一度でカールできるようになって嬉しい。
しかも安いし。>650円
替えゴムを別売りしてるところも好印象。

丸井のあとは、CDのぞいて新刊漁って、ドラッグストアでは、たけこさんにすすめてもらった安いクレンジングローションを探して…。
でもなかったの。
2軒まわったのにどっちも品切れで、クレンジングクリームばかり残ってた。
ローションは人気あるみたい。
びっくりしたのは、オバジシリーズ(8000円もするビタミン美容液)がバカ売れしてたこと。目の前で何人か買っていったよ。
皆、あんな高いのをよくまあ…。(唖然)
四捨五入したら1万円だよ?
確かにCD3枚買ったらそれくらいになってしまうけど。
美容にそれくらい賭けてるってことなのか〜。
確かに私も日々深刻に肌の衰えを感じるので、なんだか考え込んでしまった。
要は、自分の中で何を優先するか、なのよね。
娯楽費って一括りにする中でも、本とCD、服や化粧品、映画や旅行、ネット代、飲み会などの人付き合い。これまではコミュニケーション費用が皆無だったので、専ら本やCD、時々化粧品、たまーに服、という感じでちまちま使っていたけれど。
これからはお金の使い方に優先順位をきちんとつけておかないと、大変なことになりそうだ。

その後は、美容室があったビルの地下に大戸屋が出来ていたので、夕食を済ませた。
あの美容院つぶれたのか…たぶんそうだろーな。
タカビーだったからなあ。
大戸屋も繁盛しているからか、ちょっと接客が悪かったけど。
後から入ってきたお客さんたちが前会計だって知らなくて席に座ろうとしていて、店員さんがおざなりに「会計を済ませてください」って言ったものの、聞き取りにくくて解ってないままお客さんたちは席に座っちゃったのね。それをほったらかしてたの。
普通は、席に注文をとりに来ると思うわよね。
まあ、まわりを見ていて気づいて、会計しに行ったようだけど、あまりに不親切じゃなかろーか、と思ってしまった。
皆が皆、ここの常連じゃないでしょう?
そういうところをコツコツと、丁寧に対応して、少しでも誠意を見せて、常連さんにしてゆく必要があるんじゃないのかなあ。



2002年02月27日(水)



 エキシビション

午前中、生中継でエキシビションを見ていた。

まずはエルドリッジ。
彼は、私がフィギュアにはまり始めた頃、まさにそこで輝いていた選手たちの1人。
派手な演出と高度なジャンプが続くなかでは地味に思えてしまうけれど、彼の滑りの美しさは、今も目を見張るものがあると思う。

そして、やっぱりヤグディン。
ステップワークが華麗の一言。
キレのあるステップの連続や美しいスピンに弱い私。
見てるだけでわくわくするのはなぜなんだろう。

友人Rがわざわざ旅行先から録画するよう電話で頼んできたアリシナ・ペーゼラ組も、ミュージカルを見てるみたいで印象的だった。
以前ロミオ&ジュリエットとか演ったのって、たぶんこの人たちじゃないかと思うんだけど、(よく覚えてない…汗)その頃より更にキレがよくなった気がする。

村主選手は、最後の瞬間いい表情をしてたし、本田選手も今日はだいぶ伸び伸びとしていたように見えた。
なんとなく、アランフェスのような叙情的なプログラムより、コミカルな振り付けのほうが合う気もするんだけどなあ。
アランフェスは…無理してる気がしないでも…(ごにょごにょ)。
アランフェスに思いいれがある分、辛口になってしまうのかな。


今回は生放送を見ていたせいか、いちいち中断して、スタジオでの余計なコメントが入るのが興ざめだった。
個人的な感想や、日本選手を特に応援する気持ちなどあるだろうけれど、もっと静かに公平に、エキシビション全体の雰囲気を味わいたかった。
アイスダンスの扱いが軽すぎるし。(ダイジェストだと出てこないもんね)
日本人選手の健闘は、確かにすごいニュースだと思う。
それをきっかけにフィギュアに興味を持つ人だっているかもしれない。
でもね。
日本人選手の頑張りに親近感がわくのは確かだけど、変なフィルターをかけずに、その人の演技自体を見て、素直に感じたままを大切にしていたい。
選手たちにとっても、えこひいきされたり、順位ばかりを報道されるよりいいんじゃないのかなあ。

2002年02月23日(土)



 銀座ぶらぶら

風邪はだいぶ治りました。
今日は以前からの約束だったので、ドタキャンするわけにもいかず、
友人の誘いで、銀座のシネスイッチで「ピアニスト」見てきました。
今日はレディース割引デイなので、なんと900円。
これなら失敗してもいいか、と思えるな〜。
浮いたお金で、レストラン大山(有名な洋食屋さん)でハヤシライス食べて、映画のあとはプランタンにも入ってるモンブランの美味しいカフェ(モンブランは売り切れだったけど)でお茶をしました。
これがいわゆる銀ブラデート?(笑)


その「ピアニスト」ですが、はっきり言って好きじゃなかった。
R-15らしいのだけど、それ自体は別に…。
しごいたりくわえたりいれたり、そういう動作は全て声と表情で表しているので、即物的な感じではない。
ただ、内容がね、問題だった。


あるピアニストが主人公。
母親と二人暮し、おしゃれをすることや、自由に人と付き合うことなどを許されていない。
過干渉で、負けることを許さない母親の呪縛。
性を封印される一方で、性的なものへ歪んだ興奮を覚えてもいる。
どっかで聞いたような話だわね。(苦笑)
そこへ、彼女に恋をする少年が現れる。
知的で硬質な彼女に憧れた少年は、猛アタックして彼女のピアノの生徒にまでなる。
テレビでも紹介されていた、トイレのシーンとか。
でもね、彼女も彼に惹かれてるのだけど、セックスに対して、汚らわしいという気持ちと、彼を征服したいという気持ちと、彼に嫌われたくないという気持ちと、むちゃくちゃにされたいという気持ちと、とにかくぐちゃぐちゃに入り混じって、とんでもない要求や行動をする。
理性を捨てて、突然地べたに寝転がって誘ってみたり。
殴ってと要求してみたり。
他にもいわゆる“倒錯的”と表現されそうなあらゆる側面を、見せるわけ。

最初、彼は嫌悪感を覚えるだけだったのだけど。
引きずり込まれて、拒みきれなくなる。
次第に、彼の中の暴力的な部分が引き出されていって、最後には、彼女をビンタして、その母親を扉ひとつ隔てたところへ閉じこめたまま、鼻血まみれの彼女をレイプする。
人形みたいに反応しない彼女。
君も悪いんだ…って呟きながら、一方的に抱く。


終わり方も、突然。
このレイプがあって数日後(?)、彼女は少年の反応を待つのだけど、
彼は何事もなかったかのように、笑顔で「先生」と呼びかけただけ。
その時点で、持っていたナイフで鎖骨のあたりを浅く刺して、
その場(彼女がコンサートの本番を控えていた会場)を去る。
ピアノと彼と母親への訣別…なのだろうけれど、
なぜナイフを突き刺す必要があったのか、
そもそも彼女は少年になんと言ってほしかったのか、
なにもかも謎のまま唐突に終わるの。

とにかく強烈に後味が悪い。



以下、私が感じたイロイロ。

性を扱って、アートっぽく仕上げて、結論をぼかして、ただその人物と事実を投げかけるというだけで、それでいいんだろうか。
欲望を中年になるまで溜め込んで理性に押し隠して母の言うなりの人生を生きてきたから、特殊な性癖になったというのか。
つまり狂ったのは全て、欲望を抑圧したせいであり、周囲のせい。
それは、あまりに単細胞じゃないかしら。

なんとなく問題提起したいのは分かるけれど、「異常」を描けばいいってもんじゃないと思う。そもそも、人間の欲望に正常も異常もないのだというパラダイムシフトを起こしたいならば、彼女を感情移入しにくくなるほど、眉をひそめたくなるほどみじめに醜く“異常”に描くことはむしろマイナスなのではないか、と。
そりゃあね、セックスという行為自体は美しくもなんともないと思う。
でも、あの映画にあった“異常”は、ある意味美化された、特化された、そういう種類の醜さだった。
異常な人間がいて、ほら、抑圧するとこうなるわよ、てな感じ。

映画の作り手が、切羽詰ってない、あくまで他人事。
いい加減にしろよ、と思ったり。
妊娠中に薬を飲んだから性同一性障害に生まれるんだとか、そんな風に言われてしまうのと同じくらいむかついたさ。

いろんな意味で、作り手の偏見とか、保守的な意識とか、性をとりあげるだけで芸術に通じるという安易さとか、暴露されたような作品だったと思う。


2002年02月22日(金)



 他人の手で

風邪、母にうつしたら、だいぶ楽になってきた。(酷いな)
熱も39度ギリギリで止まったので、たぶんインフルエンザじゃないと思う。
嘔吐も吐き気止めが効いているし、そんなに長引かなさそうでよかった。
しかし今度は母が寝込んでる。
ごめんなさい。


ラジオで、朗読するためのちいさな物語を募集していたので、
なんだか久しぶりに以前の文章を引っ張り出した。
なんだかね、寝てるだけだと妙に頭ばかり動くの。
夢うつつのなかで、ぞわぞわしたものを考えてばかりいる。


自分の書いたものが誰かに声に出して読まれるというのは、
すごい恥ずかしさと快感だったりする。
中学2年のとき、3年を送る劇を何人かで担当して、
結局ほとんどひとりで、最初で最後の脚本なるものを書き上げたんだけど、(強調性のなさはここらへんから始まっている)
ずぶの素人の読みにくい脚本でも、
形になってゆく様は、感動ものだった。
くさい脚本だったけどねえ。
中学生なりの自立心とかプライドとか妬みとか将来への不安とか、
ありきたりの成長物語。
“STEP BY STEP”とかって、最後に声をそろえて言うの。(汗)
信じられないほどダサい。
でも、私らしい内容だったな。
でも演出は私ではなくて、せりふのニュアンスとか注文つけたかったのを必死で我慢してたのを思い出した。
本質は目立ちたがりなのよね、ほんと。


読まれるはずもないけれど、
やっぱり誰かの目に触れる、声に出されるというのは、快感。
でなければ、日記やサイトなどやってないわよね。
うん。

2002年02月20日(水)



 風邪とインフルエンザにはご注意を

今年の風邪は熱が出るらしいです。
あと、嘔吐。
インフルエンザかもしれないのでひたすら寝ているように、とドクター命令が。
久しぶりに子供のような風邪を引いてしまった。

今はまだ8度5分くらいだけど、症状が出てからたった1日でこれなので、まだまだ上がる様子。
熱と倦怠感は仕方がないけれど、昨日の夜から何度となく吐いて、気持ち悪いのが続くのがちょっと辛い。
横になると余計にうっとなるので、眠れないし。
胃の中からっぽなのに、それでも吐き気は治まらないのね。
私にしては珍しく、全然咽喉に来ていないので、
最初は食あたりかと思ったくらい。
咳と嘔吐とどっちが楽かなあ、なんてぼんやり考える。
吐き気が治まらないようだったら点滴を、と言われているので、
その前に好転するといいなあ。
ああ、りんごのすりおろしたのが食べたい。
でもバナナ一切れでもウッときたから、まだ何も食べちゃいけないみたい。
水ですら、吐き気があるうちはほとんど飲んではいけないんだって。

今年の風邪およびインフルエンザには充分お気をつけください。
しばらく更新が止まります、たぶん。

寝れないけど、寝なくちゃ。

2002年02月18日(月)



 虎の威を借る


favorite wordsに書く代わりに、ここで。


「たとえ見たこともないメイクでも、どんなにアンモラルでも、好きだと感じたら、すべてOK。思うままに着こなせばいい。奔放に、純真に、大胆に、誠実に。計算ずくのクレイジーへ。」


これ、アナ・スイのトップページの言葉。
たまたま「メイク」についてのブランドポリシーみたいなものだけど、その言葉だけ外せば、たぶん私もこうあれたらいいなって思うオトナの女のカッコよさだと思う。
「どんなにアンモラルでも、好きだと感じたら、すべてOK」という言葉が特にお気に入り。
実際にはモラルにがんじがらめで、それを大胆に計算ずくで外すのって、かなり難しいだろうけれど。
その分、行動で示せたらカッコいいと思うから。


でもね、実際のアナ・スイ商品については、ちょっと斜めに構えてしまう。
アナ・スイという女性の醸し出す世界観は、すごく好き。
あの薔薇の香りが苦手なのでコスメコーナーには近づけないけど、
ただ見てるだけで幸せになる。

ただ、少なくとも日本では、彼女の言うような“ノー・ルール”じゃなくて、ルールのなかにアナ・スイが取り込まれているような気がするの。
「計算ずくのクレイジーへ」っていうのだけど、その“計算ずく”を、自分で計算するんじゃなく、ブランドが計算してくれるから、あとはそれを身につけるだけでいい、という感じ。
とってもインスタント。
アナ・スイに群がる女の子たちのなかに、アナ・スイだったらなんでも欲しいっていう意識が見えて、気持ちは分かるけれど、それが少し苦手だったりする。


ルールを破るどころか、一般的なルールさえ見出せなくて、まわりを見て猿真似してるだけの自分を棚上げにしてる自覚はある。
皆が持っていれば欲しくなるし、誰もが選ぶものならきっと良い物のはず、と思ってしまうのは、私も同じ。
でも、本当は他人の手垢のついたものなんて、嫌。
欲しい理由、「流行ってるから」とは言いたくない。
実際そうであっても、もしくは無意識に刷り込まれていたとしても、あくまで自分の感性が選んだのだと思いたい。
「個性探し病」には陥りたくないけれど、(半分すでになっているけど)
かといって特定の“虎”の威を借る狐にもなりたくないんだよなあ。


高校の友人で、いま服飾系の専門学校で頑張っている子がいる。
当時から、ファッションに限らず奇抜な子で、その個性に負けない美人で、
高校時代は、彼女の奔放さに憧れていた。
それでも。
今、専門学校でもやっぱり一位二位を争う成績だそうだけど、
本人いわく、既成概念を超えるのが難しいって。
既にあるブランド、自分の好きな影響を受けた様々なもの、
姿をなくすほど自分の色に染め替えるのは、大変なことらしい。


手垢がついている個性なんて、本当の個性じゃないのかもしれない。


2002年02月16日(土)



 氷上の

今回のフィギュアスケートは、個人的にはヤグディンにもっていかれた感じ。
ヤグディンを突然知ったわけじゃないけれど、今回は特に惹きつけられた。
素人目にも完璧な、バランスのとれた演技。
演技力ばっちりで、更にキャンデロロにはない安定感と高い技術力がある。
ジャンプするたびにハラハラしなくて済む分、落ち着いて見ていられた。(笑)

完璧もいいけれど、気まぐれで破天荒な滑りが恋しくなって、
久しぶりにキャンデロロのファンサイトで昔のフォトなど見てみたり。
キャンデロロとは、フランス出身で御年30歳、日本のおば様方に圧倒的な人気がある、お茶目でダンディーなプロフィギュアスケーター。
ちょっと露出したがりなところも、この人なら許せてしまうのよね。
いかにも肉体の誇示をしたい男性の嫌らしさがなくて、
むしろ愛嬌があって、やんちゃな感じがするからかな。

完全に好きになるきっかけは、ダルタニアンだった。
(でもあのお色気過剰っぷりは、純情なダルタニアンではなく、色男でちょっとまぬけなポルトスだと思うけど。)
いまだに忘れられない、筋肉質の身体から繰り出される軽快なステップと、生き生きとした表情。
本当に楽しそうに滑っていた。
見てる側まで楽しくなるほどだった。
点数をつけられないエキシビジョンが一番楽しい選手だよね、ホント。
なにをやらかしてくれるか、はらはらどきどき。

舞台が氷の上だというだけで、彼はスポーツ選手というより役者だと思う。
それは恵まれた容姿のおかげもあるだろうけど、仕草や表情などの演技から生まれる色気がなければ、外見だけでは絶対惚れてないもの。

しかし長野オリンピックを境にプロに転向してしまったので、
めったにテレビで見られなくなったのが残念。
しかも、さすがに6年も経てば体重が重くなるのか、(脇腹が…汗)
動きにキレがない気がする。
30歳という年齢もあるだろうけれど、
また心底エンターテイナーな彼の滑りが見たい。
生で見たら鼻血でぶっ倒れそうな程カッコいいやつを。

2002年02月15日(金)



 ちょっといい話


今日はバレンタインデーだそうな。
一年前の今日は、どこかのエントリーシートの締め切りだったな。
そして今日は、ここ一週間ほどの寝不足がたたって、起きたのは日暮れだった…。
関係のない人間には、そんなもんさ。


昼にブラピのくっだらない映画をやるって聞いてたから、
どれだけくだらないのか、一応見るつもりだったのに寝坊しすぎた。
ちなみに、バレンタイン合わせの放映だと思われる。
だって…「ブラッド・ピットの君にメロメロ」っていう位だし。
ちなみに、セクシーコメディだそうな。
邦題だけこんな姑息なタイトルらしいけど、このセンスだけでもある意味怖いもの見たさで見る気にさせられるかも。(爆)
去年のバレンタイン頃に放送したものの再放送らしく、狙いすぎだよテレビ東京。
でもマニアックな映画を流してくれるから、割と好き。>テレ東
B級C級のくだらない映画でも、それはそれで面白いものもあるからなあ。


バレンタインの思い出。
小学校の頃は、クラスの男子3、4人に100円チョコをあげるのが習慣だった。
まだ自分を嫌いじゃなくて、自信過剰で、だから変な壁もなくて、
あまり緊張もせず、義理チョコに近い感覚で仲のよい子に渡してた。
むしろ本人たちのお母さんに受けがよくて、話し込んでお菓子もらったりしてたっけ。(笑)

小学校低学年で、いつも隣の席だった自転車屋さんの息子・N君は、
悪ガキで、授業中よく先生に怒られて、罰としていつも机を前に出されて、それでもへらへら笑ってみんなを和ませてしまう坊主頭の男の子だった。
漫才コンビと言われるほど私と仲がよくて、友達としてチョコを渡しに行ったのだけど。
なーんも言わずに真っ赤になって、ひったくるように逃げられたんだった。
でも半年くらいたって、授業参観のときに、N君のお母さんがうちの母に
「いまだに包み紙とリボンを大事にとってあるんですよ」って。
なにげなくあげた、たった100円の市販のチョコ。
それでも、そんなに大事にしてくれたなんてもったいないくらいで、
でもちょっと嬉しかった。
うん。
その頃は小学生で、(性別が)女の子にもらったというだけで喜んでくれたんだと思うけど、今なら、女の子のなかでもランク分けがあって、チョコあげても気持ち悪がられそうだ。
…だから私は、義理チョコでさえあげなくなったんだけど。
何年になるかなあ。
そういう風に、素直に自分を出せなくなって。

一年でもっとも、女の子が強くなれる日。
チョコレート会社の陰謀だってわかってても、
義理チョコが本当に義務になるのは金銭的に辛いだろうけれど、
誰かに「嫌いじゃないです」って言える日があるのは、
いいことのような気がする。
恋愛じゃなくても、好意を示せるって気持ちがいいじゃない?
嫌いな相手に渡さなくちゃいけないなら、本末転倒だけどさ。

2002年02月14日(木)



 最近日付がよくわからなくなっている

夕方5時半過ぎ、ディズニーシーの駅を通り過ぎた。
朝までやっても内定者課題レポートが全然終わらなくて、
約束していた友達に先に行ってもらって、追いかけたのだけど。
新宿まで届けて、そこから舞浜へ向かったものの、京葉線の乗り換えに阻まれたりして、結局ディズニーシーステイションに着いたのは日が暮れたあと。
今の時期は夜8時までしかやっていないので2時間5500円ではお金がもったいないし、友人と電話で話したあと、シーを目の前にして結局1人で先に帰った。
ディズニーリゾートラインに乗って、どこの駅にも下車しないで舞浜に戻ったのも空しかったので、帰りにイクスピアリのITS'DEMOにふらふらと。
おもちゃみたいな怪しげな赤い容器に入った舞台用だというお粉(600円)を衝動買い。なんか変な仮面の絵が書いてあるの。
お粉だって言われなければ、妖しげな部族に伝わる薬っぽい。(笑)

本屋にも立ち寄って、ふらふらのまま連続不眠時間を延ばしてみた。
帰りの電車用にビーズアップをお買い上げ。
各誌で色んなメーキャップアーティストがそれぞれの春顔をつくっているのだけど、メイクって本当にお絵かきだなと思う。
最近の色ものは、色や質感外見とも宝石みたいに鮮やかで、冒険心とキャンパスの良さとで、全く違う顔になる。
しばらく前だけど印象に残ってるのは、顔全体を黒いファンデで塗りつぶして、パーツをふっと浮き上がらせるメイク。
むらむらに塗った赤リップとか、計算しつくされた童顔っぽさの残し方とか。
芸術だなって思った。
自分にはコンサバなことしかできない(でないとただの変質者になる)けど、モード系は鑑賞しているのが楽しいの。

イクスピアリの中にある本屋さんは、ディズニーランド近くという場所柄か、狭いのに絵本が充実していて、なかなか楽しい。
以前話題になった怪獣の絵本、やっと読んできた。
すごくシンプルで、なにやらいい感じの本。
しかしこれで読書感想文とか書かなくちゃならないと、興ざめだろうな。
他にも、以前日記に書いた「月のオデュッセイア」(だっけ?)とか
色についての本とか、「ぐりとぐら」シリーズとか、色々懐かしいものを発掘。
あまり読む機会はないけれど、絵本のシンプルさって好き。
易しい言葉だけで生きてゆけた頃に戻ろうとして、
四角張った言葉でぐるぐる巻きにされたでっかいものが、
すうっと溶けかける気がする。

ビューティー誌と絵本、私の中ではごく普通に交わってるのよね。
同じように、まさに絵本の世界。

家に着いたらもう限界で。
さすがに熟睡。
なんだかよくわからないままどっと疲れた一日。
迷惑かけたRとSへ、ごめんなさい。
にもかかわらずお土産、ありがとう。

2002年02月13日(水)



 好きなものは好きだからしょうがないよねぇ


昨日は、メールやネットで少し知っている初対面の方たちとおしゃべりする機会がありました。

好きなものをどこまでも追っかけてゆく気持ちの強さに圧倒されっぱなし。
思わず、センター試験の2日目当日に
金沢のイベントに出かけていったクラスメートを思い出しました。
そんな彼女の第一希望は一文だった…おそるべし、破天荒Yちゃん。
(今も煩悩を隠さず突っ走り続けるYちゃんが、ちょっと羨ましかったり。)

もともと私は、好きなものを猛烈に追っかけることからわりと遠ざかりがちなので、ちょっと新鮮でした。
(好きは好きでも、盲目的に騒ぐとか、全てを制覇するとかが苦手なので)
中でも、名古屋の大学生は、京都や東京のライブのために、
そのたびに旅費と泊まるところをキープして頑張っているそう。
就職活動を開始する時期なのに、5月までイベントの予定が入ってるとか。
うーん、ホントすごいわ。
思わず、とりあえず企業にエントリーだけはしといたほうがいいよ、なんて老婆心を出してしまったほど。

好きなものを追っかけ続けるにはお金と時間のやりくりが要るけれど、
それを働く理由にできれば、ある意味すごくクリアでいいかもしれない。

2002年02月11日(月)



 ジェットストリーム


古いカセットテープを処理したくて、とりあえず中身を確かめ始めたのはいいけれど、すごく昔のものばかりで、懐かしくて捨てられなくなってしまった。
カセットって、MDみたいに一曲一曲区切っていないから、
突然別の局や番組に切り替わったりして、びっくり箱みたい。

嬉しかったのは、「ジェットストリーム」の小野田さんの放送が残っていたこと。母は亡くなられた城達也さん(グレゴリー・ペックの吹き替えで有名)が好きだったそうで、2代目小野田さんの声には違和感があると言っていたけれど、私にとってのジェットストリームは、この人の声に尽きるので。
深みのある、ビロードっぽい声で、わざとらしい気障なところも、許せてしまうくらいには好きだった。(笑)
ナイトキャップみたいなプログラムだったと思う。
音楽も、私好みの渋い選曲で、よくテープにとって聴いていた。
深夜なのに、これを聴き終わると、必ず旅に行きたくなるのよね。
某飛行機会社の策略に乗せられているのは悔しいけれど、
いろんな土地にまつわる話、美味しい食べ物など、これで知ったようなもの。

だが、数年前に番組がリニューアルされてしまった。
女性がフライトアテンダントとして、ゲストとトークをしながら旅行気分を味わうというものらしいのだけど、声フェチにとってこの女性の職業しゃべり(イベントコンパニオンなどをやり慣れてる人に多い、不自然な抑揚の、女らしいしゃべり方)が耳について、聴くのを止めてしまった。
毎日聞いていたわけではないけれど、
ふと思い出してラジオをつけると変わらずそこにある優しい時間が、
私はすごく好きだったな。


そういえば明日は「プライベート・ライアン」放映日。
映画館で見たときは、理不尽さに涙が止まらなくて、
帰りの電車のなかでも思い出し泣きをして、友人を困らせたっけ。
それだけに「タイタニック」のように視聴率のために吹き替えなんてされるなら絶対見ないぞ、と決めてたので、一応調べてみた。
トム・ハンクスは最近ずっと彼を当ててる“おはー”の山寺さんなのね。
せっかく長いのを放送するんだから、他のキャストもそれぞれ違和感がないといいけど。(この映画は脇がすごくよかったので)


たかが吹き替え、されど吹き替え。
ビデオを借りるときは字幕版を選ぶ私も、
テレビ放送まで、等しく字幕になればいいとは思わない。

なぜって、字幕スーパー版は、自発的にレンタル屋や映画館に足を運ばなければ見ることが出来ないから。
オトナたちが、今そこまでしても見たいと思うのは、子供の頃にテレビなどで気軽に映画に触れて、楽しいことを知ったからじゃないのかな。
初めから難しい漢字ばかりの本が読めないように、
ちいさな子供に、難しい単語や漢字だらけの字幕なんて馴染めないだろう。
そもそも、外国語をしゃべっている役者に、感情移入をできるだろうか。
だから、字幕オンリーにしてしまうなら、家族そろって同じ映画に同じタイミングで笑ったり泣いたりすることがしにくくなるんじゃないかと思うのよね。一部のコアな映画ファン以外、なんとなく見る人も減っちゃうだろうし。
私も、ちいさい頃は、本当に外国の役者さんが日本語をしゃべってると思って見てた1人なので、余計にそう思うのかな。

いっそテレビ欄にでも投書してみるか。(爆)

2002年02月09日(土)



 ヨイトマケの歌

美輪明宏さんの「ヨイトマケの歌」をテレビで聴いた。
すごい迫力で、ひとり芝居のようだった。
ブラウン管を通してでさえも、コトバにこめられている感情に飲み込まれそうになる、絶唱だった。

「ヨイトマケの歌」は、部落解放問題なんかで揺れていた当時、
どうやら放送禁止になったことがあるらしい。
労働者の歌、さらには差別の歌、と言えないことはないから。
でも歌全体を聴けば、そんな風には思えないのだけれど、
でも一方で、それは自分にとって他人ごとであり、甘ちゃんだからなのかも、と思ったりもする。

上野千鶴子の論文に、「わたしは女性とは一度も性関係を持ったことはない。ええ、わたしの体はきれいです」という美輪さんの言葉が引用されていて、それを読んだときは正直むっとした。
文学で人間(男)の堕落を描こうとしたとき、かなりの確率で、そこには“椿姫”がいるような気がする。色欲に溺れて、男としての使命を忘れ堕落するという筋書き。そうした女性嫌悪ゆえに、三島のように同性愛を美化する方向性も、私には完全に認められるものではなかった。

しかし、そういう部分を嫌悪して尚、
美輪さんの言葉や歌には力があるように思える。
「ヨイトマケの歌」も、今ならきっと立身出世は流行らない、
親も子供のためではなく自分のために生きるべきだ、という批判を受けるかもしれない。
ただ、確かに家族のために生きることが美学とされていた時代があったのだし、「豊かさとは何か」なんてことが語られる以前は、ただ貧しさと豊かさという単純な図式があって、誰もが高みを目指していたのだろう。

ただ過去の遺物と排除はできない、考えさせられる歌だった。


2002年02月08日(金)



 「きらきらひかる」

江國香織さんの書評を見かけて、
「きらきらひかる」を読んだときのことを思い出した。
なにがきっかけで手に取ったんだか、今はもう思い出せないのだけれど、
一昨年、なんとなく帰り道の書店で買って、電車の中で夢中で読んで乗り過ごして、それからはまった作家さん。

読みながら、よくわからない涙が出た。

アル中の笑子、その夫でゲイの医者 睦月、そして睦月の恋人 大学生の紺。全てを承知の上で結婚した二人と紺の三人は、互いに傷つけ、傷つきながらも、やがて優しくて深い愛情で結ばれてゆく…。

すごい設定だけど、なぜかリアルで、こんなに切ないくらい優しい世界が、この世界のどこかで確かに存在するかのように感じてしまう。
でも、浸りきれなかった。
読みながらずっと、何かに懸命に抵抗していた。
その人たちの人生がそれで完結して、本人たちが幸せだと言うのなら、
それ以上なにも言えないのだけれど、だからって手放しで素敵だとは言えなかった。
その不可解さと痛々しさの分だけ、「きらきらひかる」は私の中に深く食い込んで、印象を残したのだと思う。

睦月っていうのは、すごく優しくて、優しすぎて、存在しないんじゃないかというくらいの男。
だから彼に惹かれるのは解る。
包み込んでくれる居心地のよさも伝わってくる。
一緒にいたいのなら、その残酷さに耐えるしかないのだ、とも。
でも。
その尋常じゃない優しさが、自分以外にも向かっているとわかっていて、独占したくないはずがない。
限りない優しさゆえの曖昧さも含めて、その男の存在を許して愛してしまえる紺の強さが、底知れなくて、私にはどうしても納得がいかなかったのだと思う。
そして、笑子の自虐的な行動が痛かった。
物語はおとぎばなしの甘さと、少しの苦さを残して、3人の輪がつながれたまま完結している。
でも……笑子と紺に、限界は来ないんだろうか。

別に、恋愛とかセックスとか、そういう狭い領域に限らないでも。
自分がすごく好きでいる人が、自分と誰かとを同じくらいの優しさと愛で接して、その均衡を保ったままでいようとしたなら、自分からその居心地のよい場所を捨てたくなるかもしれない。
実際には嫌われる勇気が出なくても、いつかは壊れるだろう。
いっそ酷い男で、ゲイだということを隠して騙されたとかだったら、捨てられても恨むことができる。
それで立ち直るだろう。
誰も悪くなくて、皆それぞれに魅力的だったから、
誰にも肩入れできなくて、息苦しかった。

それでも私は、この江國ワールドが好きみたい。
どこか浮世離れした、人間のなかにある、積もりはじめの雪みたいに綺麗な部分を見せられた気がして。
この作品を俗っぽく批判するなら、たぶんいくらでもコトバはあると思うけれど、この甘さと苦さが私にとっていとしいものであることだけは間違いないんだと思う。

2002年02月06日(水)



 卒論発表会を終えて


他の学生に対してはあまり気合を入れて褒めない先生に、
本気で「読んでいてすごく面白かった」と言って貰えて、
今日はひたすら嬉しかった。
自分がそれなりにぶつかって得た結果。
面白かったなら、幸せ。
「一度くらい楽なものではなく好きなものを書いたら…」と言ったRの呆れたような言葉と、手持ちのヒジュラ本に背中を押され、書き始めた。
更に、いろんなことを教えてくれたお芝居や映画、血肉となる論文の巡り合わせがあって、どうにか形になった。
内容的には未完成でも、一生懸命やったことは確か。
案外頑張れたね、自分。
無難なテーマに逃げなくて、本当によかった。
しかし、卒論のテーマは内定先に隠し通さなければっ。
変人のレッテルを貼られてしまうわ。


久しぶりのコンパは、もう最後の機会なのにとうとう慣れないまま。
アルコールがなければ、「ノミニケーション」なんてこともありえないのに、なんて思う。
そのくらい、社交としての飲み会が苦手。
面接よりある意味、苦行かもしれない。

内定先からのレポート課題がまったく進んでいない。
気分を切り替えて、遊びの前に、さっさとやるべし。

2002年02月02日(土)



 善と悪の境界線は

リュック・ベッソン監督の「ジャンヌ・ダルク」を見た。
結論から言えば、期待以上だった。


私は遠藤周作の「沈黙」あたりが大好きな人なので、
信仰と生きることとの葛藤や、信仰による理不尽さや傲慢さみたいなテーマは、わりと身近だった。
奇跡を起こす聖少女に興味はないが、奇跡を起こせなくなって尚、剣の先に平和があると戦いを無理に続けようとする少女には、興味が湧いた。
あの傲慢さ。
勝手に信じたものに裏切られ、身勝手に傷つくその痛さ。
特に後半、ジャンヌが攻め立てられるあたり。
おまえは真実を見たのではない、見たかったものを見ただけなのだ…というような台詞が、心に残っている。


なにが奇跡か、意味づけるのは人間。
なにが神か、それを意味づけるのも、人間。
つまりは、人智を超えたものは、人間がつくり出しているのだということ。
人間がもっとも偉大だというのではけっしてないが、
もし人智を超えた偉大なものがあるとすれば、ただそこに横たわる事象だけだと思う。
ただそこに事象があって、それが解釈によっては聖女にも魔女にもなろうというだけ。


自分は神に選ばれて戦い、間違ったことはなにひとつやっていないと主張し、神に自分を見捨てる気か、とすがるジャンヌは。
疑いもなく神の啓示だと解釈してきた全ての徴の曖昧さと、“神のため”と謳いながら、実際には自分のためにも行った数々の罪に気づく。
そしてやっと(自分にとっての)神に許される。
運命や使命などの晴れがましいものから、ある意味では見放され、一方では解放される瞬間。
そして火刑。


本当に後半がとてもイイ。
ただの宗教映画にしないところが、さすがだなあという感じ。
某悪魔祓いがテーマの怖くて有名な映画とか、
私は笑っちゃうだけだったもの。
善悪の判断をつけるのは、絶対的な神じゃない。
そこに非道な行為があったとしても、それはもともと「悪魔である」からではなくて、その行為において「悪魔になった」のだと思う。
行為があり、人間がある。
そこは切り離されなければならないんじゃないだろうか。
うん、だからこれも罪と身体を結びつける死刑にためらう理由のひとつ。


綺麗で傲慢な正しい、太陽のような人をこそ、本当にアナタは正しいのか、その影で泣く人はいないのか、と貶めたくなる性悪な私なので、この映画はかなり好き。
私もそうやって己の傲慢さを問う声に引き摺り下ろされ、
自分が無力でちっとも正しくないということを思い知らされて、
自分の強さや正しさを信じていた頃よりは臆病になり、その分気楽にもなったはずだから。
そういう傲慢なほどのまっすぐさも、たぶん愛すべきものだったけれども、
鼻っ柱を折られて、そこから這い上がったら、
見えるものもまた違うはずだ。


まあ、シリアスな話は置いておいて、
脇役がすごく個性的でわくわくしてしまった。
吹き替えだから、本来の役者さんの演技とは全然違うんだろうけれど、
キャスティングがわりとはまっていたので、よくある違和感もなかったし。
反発していた周囲が徐々にジャンヌを認めるようになるあたりは、「紅一点」って感じで、ちょっと少女漫画的だったけれど。
聖少女として大切にされるというよりは、あまりに一生懸命なのでほだされてしまって、人間ジャンヌとして愛されていった感じだから、まあ納得。


負けが見えているのに、疲れきった味方の兵をそれでも戦わせようとしたジャンヌのエゴに対して、現実を見ろ、と止めた男とか。
勝利のあと累々と横たわる死体にショックを受けたジャンヌに対して、「お前が望んだことだろう」と皮肉気に微笑んだヤツとか。
周囲のほうが余程オトナに描かれているな、うん。(苦笑)


2002年02月01日(金)
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