unsteady diary
riko



 学校という飼育箱のなかで

マスコミが騒ぎ立てるほどむかついて、
だから書くまいと思っていたのだけど。
私なりの書き方も、あると思うので。


中学生2人の自殺。
自殺という結末について、とやかく言えるほど
人生長くも濃くも生きてはいない。
ただ、それにいたる経過については、自分と重ねて思うことはあった。

彼女たちが飛び降りた日は、親と教師との三者面談の予定だったそうだ。
それ以前も、なぜ教室で授業を受けないのか、教師に問われていたらしい。
この中学には、教室でみんなと一緒にいることを拒む生徒たちの過ごす場所が
きちんとあったという。
それなのに、少しでも元気なら教室に戻そうとしていたわけ。
それが「健全」かつ「普通」の生徒のあるべき姿だから。
学校側が、教育委員会から望まれている結果、だから。


学校は、団体行動のなかで協調性を身に付ける場所。
レクリエーションも修学旅行も委員会も運動会もなにもかも、
言うなれば、参加することが勉強であり、仕事だ。
それが楽しいという、素敵にタフな中学生は、なんの問題もないだろうし、
そのまま天真爛漫に生きていってくれればそれでいい。
ただ、全員が全員、その状況を楽しめるわけではないのだ。

四六時中同じメンバーと過ごす、狭い狭い空間。
食事でさえ、トイレでさえ、なにひとつ逃げられる場所はなく。
たかが席替えや班分けひとつ、神経をすり減らして。
グループの足を引っ張れば、たちまち攻撃の的になる。
たったひとつのミスで、その日の午後にはもうクラスのなかで孤立していたりする。

そんなシビアな世界で、どうにか自分自身を保つため、
ひとりで毅然としていよう、と心を決めると。
友達の多さで生徒の人間的な評価を決めるような人(教師)もいて、
おまえ自身に問題があるのだろう、と決め付けてくる。
ひとりでいるというその1点のために、「変人」とみなされる。
そして実際、ひとりでいて不自然でない距離をとるには、教室は狭すぎる。

学校というところは、
どうしてあんなにもひとりでいさせてくれないのだろう。
今回はふたりでの自殺、だったけれど、
ある意味ふたりだけでいることを奇異な目で見るまわりの人間がいたからこそ、
疲れたのではないだろうか。
たったひとりでいてもおかしくないだけの隙間があれば、
もう少し風が吹き抜ける場所であれば、
逆にいうと、わざわざふたりでくっついている必要もなかっただろうし、
もっと自分を大切なものでくるむだけのスペースをとれたはずだ。

そして、せっかく教室外にそうした居場所をつくっていたはずの学校が、
なぜ再び、彼女らを教室へ押し込めようとしたのか。
けっきょく、スクールカウンセラーも、在宅教育も、
表層的なものにすぎないということだろうか。
「教室」というのはなにも物理的な意味だけじゃなく、
つまり「健全」な学生のあるべき道のことで。
そちらへ必死に引き戻そうとする大人たちに、
疲れはてたのかもしれない。



それともうひとつ。

彼女たちの文章のなかで「終わらない」という言葉が耳に残った。
ふたりの、終わらない関係って、なんだろう。
それは、はじまってもいない関係と同じだ。

なんとなく。
終わらせないために付き合っていた、という気がしてしかたがない。
お互いがお互いを本当に必要としていたのではなくて、
相手が誰であろうと、運命共同体をつくることに意味があったような気がするのだ。
そうして、お互いが裏切らないように、ふたりの腕を手錠でつないで。
あとに残されるのが怖くて、お互いにしがみついて。
裏切らないために、
まわりを見ないように。
お互いが変わらないように。

もしも、もしもそうだとしたら。
私にも、同じような欲求はある。
そのうえで私は、手錠をかけることよりは、
自分から手を離して、ひとりで立つことを考えたけれど。
相手に手錠をかけるつもりはなくても、
約束や保証を求めてしまう自分が、時として顔を出す。


少し感傷的な日記になってしまったかな。

安易に、「死んで花実が咲くものか」なんて言葉はいいたくない。
誰も本人になりかわって選択をやり直すことはできないのだから。
最終的に自分を殺す理由は、リストラやら倒産で首をくくる人でもない限り、
たぶん些細なものじゃないかと思う。
死ぬ勇気、ではなくて、生きる気力がなくなったとき、そんな結末を選ぶのかもしれない。

2001年11月14日(水)



 眠くなるとりとめのない話

昔話、とりわけ痛めな話をするとき。
あとで必ずと言っていいほど後悔する。
それが日記であるならば、削除キーに手がかかる。
それでも懲りずに何度も書いてしまうけれど。

他人の昔話を読むと、心をつかまれて、そんなふうに素直に書きたくなる。
自分を責めないくらい大人でいる人の昔話は、
私のとは違って湿っぽくもイタくもなく、
素直にしみてくるので。

なにが違うんだろうと考えて。
いま解決されているから、昔話が昔話として書けるのだろうと思った。

私にとって昔話とは、過去に起こったことではあるけれど、
現在まで続いている感覚の、端っこというだけで、痛感はどっちにもある。
なので、切り離して語ることができない。
昔話のほうが、現在よりは生々しくないかな、という程度の違い。
ものによっては、それなりに解決したつもりで語れるものもあるけれど、ね。



私はたぶん、平気な顔をしていたいのだと思う。
怖いもの、傷つけられたくない部分、笑われたら我慢できないこと、
そういうパーツをちっとも持ち合わせていない人のふりをしていたい。
でないと、
そうした部分への他人の攻撃(助言ともいう)を、
受け止める強さが足りないから。

日記でも日常でも、私は弱音を吐くことが多いので、素直な(いい意味でも悪い意味でも)人間と思われがちだ。
だからといって、心の底から、何もかもさらそうとしているわけではなくて、
むしろ、その逆。
言葉にできないほど痛い部分を見せないために
相手に気づかせないために
ほどほどに痛い、乾燥し始めた傷を見せる。
それで、見せたがり欲みたいなものは満たされるし、
本体とまではいわないけれど、片鱗を伝えることは、一応できる。
「これは友人の話なんだけど」といいながら、
実は自分の暴露話をする、みたいな感じだ。


生々しい部分まで言葉にしなくても私のことを理解してくれる、
そんな特別な人が実際にいるはずもない。
強い絆なんてものも、空から降ってくるわけじゃない。
だからこそ。
いま、私が言葉にできないでいる部分を隠しつづけている以上、
自分が楽になることはありえないと、解ってはいる。
わかっていてつづけているのだから、救いようがない。


本当の意味で「楽になる」という状況がわからないから、
泥沼のなかから抜け出せないのだと、
ある本には書いてあった。
なるほど、と思ったけれど、
体験したことのない安らかさは、どんなに人の言葉を借りても、自分のものにはならないし、このままわからないままでいるのかもしれないと思う。
楽になる、という感覚が、もっと先に広がっているものなのか、
これが行き止まりで、あとは甘えずに耐えてゆくべき領域なのか。

肉体にかかる負荷ならば、耐えられる、耐えられない、の境界線が
もっとはっきりしているのに、
精神にかかる負荷は、自分の中の絶対値だから、見極めが難しい。
自分に甘い私にとっては、特に。



2001年11月11日(日)



 ご挨拶

うちのbbsにレスつけようとして、何度も強制終了にあって、
けっきょくメールで送ろうと思って書いているのだけど。
何日たったんだか。
もやもやは、言葉にならない。
いいかげんな言葉は書きたくないと思うと、よけいにね。
ただ、言葉は旬のものなので、新鮮なうちに書き上げないと。
この日記の頻度の低さにもあらわれているように、
言葉にするリハビリは、前途多難だ。



まめなひとというものに、実はあこがれる。
たとえば誕生日とか、ちょっとしたお祝い事とか、お見舞いとか。
メッセージをもらうと、すごくうれしいものだから。
心遣いが自然にできるひとって、大人だなあと思う。


だけど私の場合は、なんて書けばいいだろうと考えながらディスプレイをにらんで、時間ばかりがたつのよね。

「お元気ですか?」
「お風邪には気をつけて。」
「先日はありがとうございました。」
「このたびはおめでとうございます。」
「またお会いできるのを楽しみにしています」

ぎこちないそれらは、ほんとうに私の言葉なのか。
薄っぺらくないか。
猫をかぶってないか。
そんな言葉を送って、私はほんとうに後悔しないのか。

考えて、考えて。

ぷつり。

月並みな言葉以外は、けっきょくなにも浮かばなくて
ウィンドウを閉じる。



たとえば、どこかの管理人さんが風邪を引いているとして。
日記にそう書いてあって、たちまちBBSにお見舞いの言葉が溢れ出す。
ときとして、レスがつく。
言葉が届いた、とうれしくなる。
けれど。
そんなことを繰り返すうちに、気持ちの深さとは裏腹に、
メッセージの定型化っていうのかな、
なんかすごく、薄っぺらな言葉になっていく気がしてしまう。
たぶん、私という人間が言葉に不自由なだけなのだろうけど。

だからって、言葉にしなくちゃ伝わりようがない。
そんなことはわかっている。
だけど、だけど。

書き込みやメールをしなくても、HPや日記を読んで、
また無理してるのかな、とか心配する気持ちは同じで。
それを言葉にする意味を疑いだしたとき、
素直にあらわすことができなくなったとき、
立ち止まってしまった。


本格的にネットを始めてすぐのころは、掲示板やメールで、自分のことや相手への気持ちを、垂れ流していた。
まともに自分と向き合ってくれようとする大人は初めてで、
これまで溜め込んでいた分を、すごい勢いで垂れ流した。
ダムの放水みたいだったと思う。
それはすごく充実していたけれど。
そのうち、さっき書いたみたいな迷いが生じて、
なにも考えずに押し付けるように垂れ流すことはしなくなった。
もちろん、気持ちの全体量が急に減るわけじゃないから、
ためこんだものを、この日記というかたちで変換させただけだけど。

誰かに頼って、聞いてもらうという形のゆがみ、甘えは、
以前から気づいていた。
だから日記という形式は、誰かと濃い関係をつくる作業から比べればとても楽で、少しさびしいことを除けば、自分にあっていたのだと思う。

ただ、ときどきふと振り返ってしまうのよね。

「むずむず感」というのか。
季節の挨拶みたいなものはいやだけど、
たまにふと話し掛けたくなる感覚。
たいしたことはないけれど、でもちょっとね、みたいな。
そういうとき、気軽に話し掛けるには、
もう遠すぎるなあ、とあきらめたり。
まあ、いろいろ。

ちょっと背伸びをしていたの。
もっと高いところが見たくて、ほかの人が見ている世界が見たくて。
まわりにはばればれだったのだろうけど、
引っ込み思案の自分を変えられそうで、その背伸びすら、たいした負担にはならなかった。
いろんなことを吸収したくてたまらなかった。
だけど、熱がひいたいま、
その気負いが、逆に壁になっている。

もっと肩の力を抜いてみたら、
気ままなコミュニケーションが自分のペースでできるようになるのかしらん。
できもしないことを、つらつら思ってしまう。

2001年11月10日(土)



 カネとモノとココロ


夕方テレビをつけっぱなしにしていたら。
家出した有名私立女子校生が殺されたという事件が報道されていた。
16歳を19歳と偽って、風俗(タッチOKのところ?)で働いていたらしい。
お嬢様が一転して風俗で働いていたら、それだけで話題になるみたい。


中学生のころ、家出寸前の大喧嘩をしたことがあった。
親は、義務教育もすませてない未成年が外ではひとりで家も借りられない、働くこともできないと知っていて、それをたてにとる。
売り言葉に買い言葉で、今以上に世間知らずだったあたしは
「たとえ体を売ってでも食べていく」と口走った。
だが敵もさるもの。
「風俗だっておまえみたいのは雇わないし、客もつかないよ」と。
確かに、もしも私が男だったら、金をもらっても触りたくもない。
その言葉には不思議に納得したあたしは、
「じゃあ死体を洗うからいい」
(そんな頻繁に死体洗いのバイトがあるかいっ?!)
とかなんとか、答えたような気がする。
甘い夢をみていた、お年頃。


冒頭の16歳の少女は、月収30万から40万を稼いでいたらしい。
そのほとんどは、エルメスなどのブランドものへ当てられたという。
亡くなった人に対して、こういう場所であれこれいうのは醜いけれど。
彼女は、物質であったまることができたんだろうか。
正真正銘自分で稼いだお金で、ブランド品に囲まれて。


給与振込先の指定をしなくてはならなくて、新しく口座を開いた。
ついでに、手取りを計算してみた。
大学生が大学をサボってかなり働いてバイトして得る月収よりよほど少ない。
それもこれも、全部あたしが選んだこと。

一人暮らしする予定の知り合いは、当然のように親元から援助を受けると宣言していた。
確かに、もしも一人暮らしをしようものなら、家賃に大方消えて、食費が出るかどうか怪しいっていう額だけど。
それでも、きわめて質素に暮らしていれば無理ではないのだろうと思う。

問題は、自分自身にある。
好きな物でまわりをうずめても、
マッチの明かりのように、実際はちっともあたたまらないけど、
それでも、なくしたらきっとつらくなるから。


お金のためになんだってする人がいるとして。
それを責められるほど、私は強くない。

2001年11月05日(月)
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