unsteady diary
riko



 


祖母から、全然使っていない口紅をもらってきたのを思い出して、
試しにつけてみた。
なんでも、誰かの海外旅行のお土産らしい。
口紅なんて、本当なら個人差があって難しいアイテムのはずなのに。
形だけ整えたがる日本人ならではの、お土産の定番なのか。
免税店でつい香水を買ってしまった自分が
とやかく言える立場じゃないけどさ。

今回、祖母からもらったのはシャネルとイブサンローランの口紅。
シャネルのほうが穏やかな赤系。
YSLのほうは、どぎつい青みピンクなので、すぐさま母専用に決定。
私はとりあえずシャネルのほうを試してみることに。
すごく発色がいいのだけど、つけた瞬間、思わず固まってしまった。

…おそろしく不味いぞ。

そういえば、わりと手頃だと勧められたブルジョアの口紅も、
味がダメでつけられなかったっけ。
匂いや味のきつい化粧品には、どうしても拒否反応が出てしまう。
そもそも、唇にリップクリーム以外を塗ること自体に抵抗があるんだもの、
ましてや変なものだったら、余計に違和感があって気になってしまう。
その唇で、ごはん食べる気はしないって。

なぬ?

もしかして、不味い口紅をつけてたら、
ちょうどいいダイエットになったり?



ほんとにどーでもいい日記が続くねぇ。
読んでもらって、なんかちょっと後ろめたいけど、
とりあえず、気ままに続けるつもり。


2001年07月31日(火)



 記念写真


クッションを手土産にもらった日、
片付けをしていて出てきた昔の写真を、彼女と眺めた。
同じ高校に通っていた頃、修学旅行で一緒に撮った1枚とか。
お互い、消したいくらいやばい過去。(笑)

高校時代のRは、眉が変。
思いっきり下がってる。
さらに、“お岩さん”を地でやれるほどの長髪だったので、
ヤングミセスの風格さえ漂っている。

その後のRは、面倒臭がりが昂じてベリーショートになり、
以来すっかり男の子ショートが定番化した。
こっちのほうが見慣れたせいか、
写真の彼女は、別人みたいだった。
つくづく、中性的なカンジが似合うんだなと思う。
私とはどこまでも正反対。
だから長続きするんだろう。


私自身は、去年の夏に隠し撮りされちゃったときの写真を、最近友人からもらった。
カラオケ中、眠くなって友人にもたれてる写真。
めちゃ無防備な表情をしている。
2枚あるんだけど、2枚とも目がほとんど開いてないの。
ぱっちり目を見開いてるような写真よりは、そのほうが自然に思えた。

ただ、伏せ目がちっていうと聴こえはいいけど、
普段も、まともに目を開いてることは少ないらしい。
おまけに背が低いので、周囲の友人たちには、目の玉どころか、伏せた睫毛しか見えてないんだそうだ。
それを聞いてしばらくは、意識して目を伏せないようにしていたんだけど、
すぐに疲れて素に戻っちゃったんだよなあ。(笑)

私が写真を苦手なのは、正面を見つめて表情をつくる必要があるせいなのかもね。
正視することが苦手な私は、どこを見たらいいのかわからなくて、
視線が彷徨ってしまうから。
そんなわけで、写真の殆どは、どっかイっちゃってるみたいな、硬くてわけのわからない表情ばかり。

だから。
一度くらい、自分でも目を背けないですむ写真を撮ることができるなら、
やってみたいと思わないでもない。
でも実際は。
「今の自分を残しておきたい」なんて思えるほど、私は自分を好きじゃないし。
これまでの写真が示す自分もまた真実の姿だと思うから、それを修正したところで、たいして意味がないんだろうとも思う。


2001年07月30日(月)



 珍客

今日、不思議な物体が私の部屋にやってきた。
抱いてよし、座ってよし、投げてよし、被ってよし。
なーんか妙に気持ちがいいヤツ。

R嬢が、どでかい荷物を抱えて入ってきた瞬間は、
なにもの?!って思ったけど。

R嬢の部屋には抱き枕もどきがいっぱいある。
なかでも、どでかいビーズクッションが私のお気に入りで、
酒盛りのとき、それをイジり倒して離さなかったのね。
それを覚えていて、誕生日プレゼントに選んでくれたとのこと。

渋い青色が、いい感じ。
しかし、部屋にはサイコーに合わない。(笑)
でも、返せといわれても返さないもんね。

この際、近場のジャスコで入手したらしいことは、
忘れよう。(笑)
とりあえず大事にするつもりだけど、
圧力かけてると、布が破れそうで怖い…。

このまま懐いてたら、たちまち真っ黒になっちゃいそうだよー。
もし丸洗いできなかったらどうしよう。

2001年07月28日(土)



 誕生日だったっけ


祖母が行きたがっていた買い物へ。
祖母、母、孫娘(私)という女三代のお買い物風景は
けっこう怖いものがある。

祖母はわりと目が肥えていて、しかもおしゃれ美人なので、
いたるところで、店員さんとの会話が弾む。
買い方も私たち親子とは違い、めちゃくちゃ豪快。
気に入ったものはフィーリングで買う。
そのセンスの良さは、頼もしいが、
とにかく外面のいい社交家なので、嫌な目にも遭う。
特にたまらないのは、孫娘をエサにすること。
実物がいないところなら、
いくらでもネタにしてくれて構わない。
愚痴でも自慢でもなんでも。
だけど、本人がいる前でだけはやめてほしい。
店員さんの歯の浮くようなお世辞や同調も、
私にとっては、羞恥プレイ以外のなにものでもない。
金メッキの裏側を見られてるみたいで、そっとため息をつく。

目の前でどんなに打ちひしがれても、
微妙に痛い表情をしていても、
彼女には、その理由なんて、なーんにも解らない。
そんなもんだ。
母以上に言葉の通じない、賢く強いエイリアン。
いいさ。
この程度では傷つかないほどには、
自分を大切にできるようになったから。
強くなったよ、自分。
少なくとも、大学入学の頃よりは。
今度は言われていることさえ気づかないくらい、
もっと強くならなくちゃと思う。

誕生日だったこともあり、気に入ったものをいくつか買うことにする。
それはそれで、楽し嬉し。
でも、それだけ。
けっきょくそれを着るのは自分。
来年も着られそうな、地味な服を選んで買う。
露出低め、明度低め、冒険心ゼロ。
自分の今の精神状態を、しみじみ反映しているなあと思う。


2001年07月22日(日)



 花火


花火大会…池田小の事件と同じ8人の子供を含む10人もの犠牲者が出てしまった。
一方は大きく騒がれ、今回のことはうやむやにされてしまうなら、
命の重さって平等じゃないんだなあと思わざるをえない。
報道が間違っていないならば、
人災そのものだと思う。

故意でなくても、
自分の身体の重さの一部で、
誰かの息を止めてしまったとしたら?

あの場にいた人、大会に関わった人全てが、
ある意味、加害者で被害者。
他人事、ではすまないだろう。
多くの人のなかで、傷になる事件ではないかと思う。


2歳の子供を他の人に預けて、
下敷きになった人を助けに行ってしまった父親。
この先、どれほど自分を悔やむだろう。
あの手を離さなければよかった、と。

新大久保の事件に思いが重なる。
やっぱり命の重さは平等じゃない。
優先すべき順位があって、当然だと思う。
子供、伴侶、親、兄弟、恋人、親友、知り合い、そして見ず知らずの人。

ただ助けたいと思った
その熱血さゆえに
いちばん大切なものを失った。
その痛みを思うと、
どんな言葉も、重みを喪う気がしてしまう。


2001年07月21日(土)



 子供っぽい感情


微妙に、嫉妬モード。
おおっ、久しぶりに感情ではないか。
でもあまり歓迎はできない。

自分に対する相手の気持ちを疑うわけじゃないが、
自分よりよほど気の合う人間と、
意気投合してる状態っていうのには、
疎外感を感じないわけにはいかないんだ。

「話についてゆけない」っていうのはね、
話題がどうのこうのっていうんじゃない。
性格とか、考え方の問題。
そこが、私とは遠くて、彼女とは近そう。
そういうことさー。
だからちょっとばかり、拗ねてしまった。
どうせガキだもん。
自分でもそう思う。

私なんか抜きに、きっと二人は気が合うだろうなと思って、
一緒に会う状況をつくったのは、私自身。
この場合の自分の感情は、少々筋違いだから困ってしまう。

ちょっと拗ねて、ガキになってしまった。
見えないところでいちゃいちゃされてても、
そんなの今更のことで、なんら気にならないんだけどなあ。

うー、ごめんよ。
面倒臭くて。
嫌な感じだわ。

2001年07月20日(金)



 左耳

月曜日。
左耳が、急に聴こえにくくなった。
水が入ったような覚えもなくて、原因はわからない。
お芝居の楽が火曜で、チケット取ろうか迷っていたけど、
このままでは集中できなさそうなので、しぶしぶ諦めた。
(楽がよかったらしく、よけい悔しい)

水曜日。
聴こえにくいまま、それでもとにかく談笑、談笑。
どうにか無事に時間が過ぎる。
これでしばらくは、気を遣わないですむ、とほっとする。

そして今日。
昨日の疲れと、久しぶりの涼しさに助けられ、
ぐっすり眠ったあとは、すっきり耳が治っていた。
笑えるような、笑えないような。
ストレスが耳や目に来るっていうのはたまに聞くけれど、
私自身は一度も耳にキたことはなかったので。
それにしても、すぐに治るあたりが、
なんとも私らしく現金だと思う。

いい加減、初対面の人への緊張や怯えがなくならないもんだろうか。
就活でずいぶん慣れたと思っていたけれど、
それはたぶん、目上の人や、ビジネスライクなやりとりへの緊張に慣れたというだけで。
同年代の、女の子たちとのおしゃべりに、慣れたわけじゃなかったということだろうか。


2001年07月19日(木)



 とある懇談会

内定者、初顔合わせの日である。
女しかいないので、とにかく華やかだ。
1割くらいしかカラーリングしてない子がいないくらい。
ホント壮観だよ。(笑)
内定者懇談会っていうのは、仮に既に染めちゃっていても、また黒く染め直して出るものだと、他の友人たちからは訊いてたんだけど。
それをしないでも来られるのが、社風ってことなのか。
少なくとも、無理に良家の子女風黒髪にさせるような企業より、
よほどいいとは思う。

もう一つ特徴的なのは、とにかく明るくて元気で気の強そうな、
個性的で、ともすればクセのある女の子が多かったこと。
自称“酒豪”も多いし。(笑)
変な趣味を熱く語る子もいたり。
お仕事するようになるのに、
「遊びが大好きで皆と遊びたい」なんて主張する子もいる。
まるでサークルのコンパのノリで、皆わいわいとおしゃべりをする。

その後、壇上で自己紹介をしていったのだけど、
私は、しっかり笑いをとった。
月並みなモノじゃ覚えてもらえないと思ってさー。
だけどその後に続いた人たちからは、
「みなさんとおともだちになりたいでーす」なんて
かあいらしいコメントも飛び出すし、
もっと大人しくしとくべきだったかなあ、なんて思ってみたり。
後悔先に立たず、なのだ。


楽しそうに見えるかもしれない。
実際、楽しくなかったとは言わない。
もっと悲惨な結果も想像していた。
だから、結果は悪くない。

ただ、コミュニケーションのとり方の上手下手がはっきり出るから、実はかなり辛い集まりだったのは確かだ。
自己PRの達者なタイプって、ほんとーに上手いの。
真似できるモノじゃない。
自分から積極的に誰かに話し掛けて、輪のなかに入って
自分はここよ!ってユニークなアピールをしてゆかないと、
なにも始まらない。
シビアな世界。

メールアドレスなどを交換しあって、
お互い顔を一致させようと、頑張ってみたわけ。
住んでるところや大学の話なんかが話題になりやすく、
「どこだったの?」と訊かれて答えたとたん、
珍獣扱い。(苦笑)
「らしくないんだけど…」という言葉を付け足して、
どうにか「らしくない自分」を印象付けようとしている自分が
いつもながら卑屈だなーと思う。

同じ大学の人間としか付き合っていないのと、
ふだんは味わうことのない、レッテルの貼られ方。
なにかのキーワードで私のことを覚えてもらえるなら、
どんな情報も特なことだと、思えるようになれればいいんだけど
現実には、割り切れない。
レッテルとは似ても似つかないこの自分に、
そのうち慣れてもらえるだろうと、自分に言い聞かせる。
そんなことで敬遠されるのは、絶対に避けたいのだ。

けっきょく、素の自分の根暗&気弱な部分をカバーするために、
必要以上に蓮っ葉なはしゃぎ方をすることになってしまった。
それなりに効果はあって、ある程度仲良くなれたとは思うんだけど。
無理にテンションを上げて周りに合わせている、
カメレオンな自分に嫌気が差して、
どっと疲れてしまう自分がいる。

それでもなんでも。
まったく別の世界で育った人たちと、
とりあえず社交をする必要性がある。
サボるわけにもいかない。
頑張らなくちゃならないと、改めて思う。


ともかく、今日が終わったので、
久しぶりにアップルグリーンのマニキュアでも塗ろうかな。
それだけは嬉しかったりする。

2001年07月18日(水)



 無理にしないで

日記のデザインを変更してみた。
以前の配色も気に入ってたけど、
ちょっとした気分転換に。
ついでに、投票ボタンなんてものもつけてみたり。

私はもともと、投票というシステムがあまり好きではない。
それでいて、結果を意識してしまいそうな自分が目に浮かんだので、
ランキングに参加することは、ずっと避けてたの。
うちのサイトに来てくれる方のなかには、
なんと毎日のように読んでくれる仏のごとき人もいる。(笑)
そうすると、日記を見るたび、
投票するよう催促してるみたいに感じるんじゃないかと思って。
それに、私の日記の性質上、
「同情するなら投票してくれ!」
と叫んでるみたいだったりもして。

そんなわけで、避けてたの。
でも、最近他の人の日記をけっこう読むようになって、
ランキングの意味が少し違ってきた。
自分が投票する側になってみると、
純粋にその日記からなにか感じたなって思えば、
日記のなかみが変わるたび投票ボタンを押せるんだよね。
いわゆる「投票」っていうことへの抵抗はなく。
“読んだよ、ポチッ”っていう意思表示に。

確かに、投票のシステムは、
「エンピツ」から日記を見に来てくれる人のなかで、
この日記を気に入ってくれた人がいるのかどうか、
知るための手がかりにはなる。
また、日記を見つけてもらうひとつの方法でもある。

……で、つけてみた。

たぶんすぐ外すと思うけど、
これも一つの気分転換ということで。


2001年07月17日(火)



 他の人の日記


誰かの日記を読み始めて、止まらなくなるという経験は初めて。
最初は、少なからず言葉を交わしたことのある人の日記として読み始めた。
だけど、すぐにそんな前提なんて意味をなさなくなった。
なんといっても、面白いのだ。
文章力があるとか、ネタが豊富だとか、
そういう根拠も思いつく。
けれどたぶん、根本的なところで、
すごく惹かれるんだと思う。
似ている部分もあれば、
私が越えられなくてもたついている壁をすでに越えている部分もある。
全然違うオトナな女性の部分もあって、
カッコイイなって思うところもある。
異なっていることが、壁じゃなくて、むしろ面白く感じられるのが、
たぶんその人の持っている魅力なんだろうと思う。
「強い」っていう言葉が人を傷つけるというのは知っているけれど、
それでもあえて、強い人だって思う。

こんな人に、私の甘ちゃんな日記が読まれてたのか?
怖くなったよ、マジメに。(苦笑)

2001年07月16日(月)



 風琴工房&悪酔い


R嬢と風琴工房のお芝居を観に行った。
昨年12月に「カスパー彷徨」というお芝居をはじめて観て、
今日のが2つ目、「Sol Plastic」という作品。

童話「雪の女王」を下敷きにした現代劇なのだけど、
私にとっては、前回より少し難解に感じられた。
たぶん、日頃お芝居に慣れてないことや、
創作とかに携わっていないズブの素人だったりすることが、
関係してるのかもしれない。
キャラメルのお芝居はひたすら座っていて笑って楽しむものであるとすれば、
風琴工房のお芝居は、ひたすら考え、また感じ取るもの、という感じ。
自分から前のめりになって、ようやく少しずつ糸が解けてゆく。
難しさは無視できないけれど、自分の傷やツボにはまったときは、
はっとさせられ、残るモノもまた大きい。

今回は特に、“解らなさ”に耐えられない自分を、強く意識することになった。
解らないままが当たり前だったりする問題でも、
すぐに明確な答え、納得のいく説明を求めてしまう。
そういう主人公の「わからない!」の連発に、
思わず何度も頷いてしまう。

わからないままの部分。
納得できない部分。
どうしても好きになれない人物。
そういうのは正直かなりあって。
終わると、「ああすっきりした」じゃなくて、
考え込みすぎて、唸っている自分がいる。(笑)
R嬢と話し合ってみても、解釈が違ったりもする。
そういうふうに、個人によって考える余地があることが、
面白いんだと思う。

例えば、「私を忘れないで」っていうメッセージを
幼い子供に残して、闇の中、椅子を蹴って首をつる母親。
ものすごいエゴを感じる。
その記憶が辛すぎて、主人公は母親の自殺シーンに立ち会ったという記憶を
完全に消去してしまうのだけど。
「私を忘れないで」っていうメッセージが、
正直私にはよくわからない。
忘れられたくないという気持ちはわかるのだけど。
その一言は、わざわざ残すほどの言葉だったんだろうか。
どのみち、すっきりと忘れられるわけもない。
そしてまた、穏やかに覚えていられるわけもない。
そのくらい、強烈な光景のはず。
なのに、その言葉だけが不自然に浮いているような気がして、
最後までその解らなさを引っ張ってしまう。

それにしても、「日菜子」というキャラクターは、
最後まで好きにはなれなかった。
主人公の幼馴染みで、彼を守ろうとする健気で明るい女の子なんだけど、
そもそも、必要があるのか?とさえ思ってしまう。
たぶん、必死さとか、執着とか、ドロドロした部分が見えなくて、
天使の輪っかが見えそうなところが、
個人的に好きになれなかったのかな。
そういうふうに好きになれなくてイライラする部分には、
たぶん、またいつものように、私の痛いなにかが詰まっているんだろう。




そんなこんなでお芝居を観終えたあとは、
地元へ戻って、ぶらぶらとショッピングを。
途中で、気に入ったトップスを1枚見つける。
自分ひとりだと、黒やカーキ・ベージュのような
地味な色しか買う勇気が出ないのだけど、
友人と一緒だと、思いがけず似合うものが見つかるのがうれしい。
信頼できる誰かの声に、きちんと耳を傾けられる素直さって、大切だとしみじみ思う。

それから、かなり久しぶりに、二人で呑み屋へ向かう。
ごはんはそれなりに美味しいのだが、
アルコールがあまり充実してなくて、あまり美味しくはない。
安い呑み屋だと、まあそんなものだったりする。
ともかく今日は、体調も気分も上々のはずだった。

ところが、2杯軽いカクテル系を飲んだあと、
突然、サーッと血の気がひいた。
顔が紙みたいに真っ白になるのが自分でもわかる。
耳が聞こえにくくなって、感覚がシャットアウトされたみたいな感じで
とにかく酷い貧血の状態になる。
とりあえずそこから移動しようと歩き出したけど、
すぐに立っていられなくて、
ガクンとなって、その場にうずくまってしまった。
千鳥足とはまた違うのよ、絶対。
で、R嬢に支えてもらう。

私が飲むときは、意識も視覚も、はっきりしたまま。
どんなときも絶対に自分を見失えない。
だから、突然こんなふうに具合が悪くなってしまうと、
付き合わせる相手に悪いとか、そういう考えばかりが浮かんでしまう。
今日は気を遣う相手でなくてよかったけれど。
気分が悪いのがだいぶ復活してくると、
おしゃべりだけはすっかり元気になった。
それでも、身体だけがついてこない。
血の気が戻るまで、けっこう長いこと、立てそうで立てなかった。

久しぶりにああいう悪酔いの仕方をしたなあと思う。
ふだんは顔が赤くなるだけで、適当なところで眠くなってやめるんだけど、
ごくたまに、コンディションしだいで、こうなってしまうみたい。
相手が相手だけに、すごくリラックスして呑んでたので、
いわゆる緊張のせいでもないはずだ。
とすると、思ってたより夏ばてしちゃってるのかも。(汗)
この暑さで、すっかり睡眠不足だったからなあ。

分量をセーブすることで解決できるならそれが一番いいのだけど、
以前はコップの半分くらいサワーを飲んだだけで、
同じ状況になっちゃったことがあったからなあ。
その日によって違う自分の身体は、けっこう制御しにくい。
ああ、反省。


2001年07月15日(日)



 私の部屋という空間


単純作業って、わりと好き。
ただひたすら洗うとか、組み立てるとか、磨くとか。
頭の中が空っぽになるから、
ひたすら身体にまかせるのが、たぶん心地良いんだと思う。

今日は、鞄とかポーチとか化粧用のブラシとかアイシャドウチップとか、
洗えると思われるものはだいたい洗いまくった。
中性洗剤を溶かしたぬるま湯にずっと手をつけているので、
さすがにがざがざになってしまう。
ふだん手洗いの洗濯なんてそんなにマメにはしないから、
たまにやると、母のありがたみが身に沁みる。

それから、銀製品を久しぶりに磨いて。
ピカピカになったぶん、私の手は真っ黒になったけど、気分爽快。
メイク道具とかも大いにリストラして、
要るモノを絞ってみる。
それにしても、モノを減らすことの下手なヤツだと自分で思う。
あれもこれも…って、欲張りでスマートには生きられないんだよね。

昨日は昨日で、雑誌からなにから大量にモノを選別して捨てまくって、
ついでに床の拭き掃除もやってみた。
それなのに、なぜ部屋は綺麗に片付かないんだろう。
根本的に、本や漫画を捨てないと、片付くわけがないのよね…。


小中学校の頃って特に、気軽に自宅に友達を呼べないことが、
交友関係にヒビを入れる一因になったりするんだけど。
隠したいものがいっぱいありすぎて、
そう考えてゆくと、なにもない部屋でなければ、
誰も呼べない気がしてくるみたい。
乱雑さが、私にとっては使いやすい場合でも、
他人の目を意識するなら、もうぜーんぶNGになっちゃうんだ。
変なところ、完璧主義。

私にとっては、誰かの部屋に行くこと、ましてや泊まることって、
かなり特別なことなの。
自分がそれをすることの大変さを思うと、
プライバシーを開示してもらえているんだなって思うわけ。
でも、嫌いな相手でも簡単に家に上げてしまえる人もいるし、
なんとも思ってない、親しくさえない男の子を
突然泊めたりできる女の子もいるわけで。
“自分の部屋”っていう空間が、
どれだけ自分の心の領域と重なっているのか、
個人差があるからなんだろうなあ。

ともかく、モノを減らさないとねえ。
自宅通勤が原則になってしまったから、
この家に当分いるハメになりそうだけど、
いつどうなるかなんて誰にも分からないんだから、
モノは減らしておくべきよね。


2001年07月14日(土)



 カウンタと誰かの言葉と


ふと見ると、日記のカウンタが7000を超えていた。
10000hitなんて遥かな未来で、
その頃まで日記が続いているかどうかさえ分からないと思って始めたはずが、
あと3000まで来てしまったのね。
ネット中毒だった1年が、あっという間に過ぎてゆく。

カウンタのことは以前も日記に書いたけれど。
あくまで目安だと思っている。
全くないと不安ではあるけれど、
カウンタがどんなにまわっても、
感想の一言や、「好き」っていう言葉には、
絶対に敵わない。
万人受けする、面白いサイトを目指してるわけじゃないので、
カウンタなどよりは、顔の見えそうな誰かの言葉のほうが、
よほど私を揺り動かす。

去年の11月。
あのとき日記を始めて、ほんとうによかったと思う。
当時の私にとっては、それはすごく勇気の要る一歩で。
読んで欲しい人に、サイトのURLを知らせるのさえ、長いこと迷った。
メールで日記の一部を読んでもらって、
おそろおそる反応を見ていた卑怯な自分もいた。
そんな状況のなかでも、
背中を押してくれた人がいたから、
踏み出せたんだ。

そうしてまた。
ときどき、誰かの言葉に、続ける力を分けてもらう。
それに、カウンタじたいが、「読んだよ」っていう誰かの言葉でもあるんだよね。
たとえ「面白くなかったよ」という言葉であっても。(笑)

ありがとう。

これからも気ままにやります。

2001年07月13日(金)



 アリバイ工作でも


自分で自分の首を、ゆるく絞めている感覚がある。
後悔なんてしてもしかたがないから、
時間の流れる方向へ、身を任すより他ない。

“狭く深く”は理想だけど、
相手に深入りするほど、感情は複雑になる。
この季節にもまして暑苦しい自分を、持て余す。
せめて、対象が分散されればだいぶマシになるんだと思うけど。

もし私が誰かと付き合ったとしたら、
嫉妬しまくったり甘え倒して、
真っ先に相手に煙たがらて、蹴り出されるような気がするよ…。




「ホームページ持ってるの?」
最近そんなふうによく訊かれる。
私は隠し事が苦手で、
ついついバレるみたいだ。

ごく最近も、バレかけて。
冷や汗をかいた。
その人には随分弱音も吐いていたのにも関わらず、
根本的なところで、受け入れがたい価値感がお互いに在ったから、
なにがなんでも、ここまでは曝け出せないと思った。

私は、そこそこ平気な顔をしていたい。
例えば就活で悩んだことなんて、解り合えない人に語るつもりはない。
家族とのやりとり、いろんな劣等感なんてものも、
はじめから迷わない人は、ずっと知らなくていいことだと思う。
なにに対しても「自分は負けない」って思ってるような強い方々には、
弱ってる自分なんて、できれば見られたくはない。


いかにも個人情報を特定できるような日記は
いまからでも、工作するしかないかなあ。
それを言うなら、一昨日のもそうなんだけど。(汗)

2001年07月12日(木)



 映画話


「グラディエイター」と「ミュージック・オブ・ハート」を借りた。

「グラディエイター」は、映像が綺麗。
妻子を殺されるんだけど、その残酷さを表すのに、
吊るされた2人の黒焦げの足だけを徐々に映してゆくあたり、丁寧。

ただ、気になったのは設定のこと。
剣奴に身を落とす主人公は、もとローマの英雄だったわけだけど、
“落ちぶれてもナントカ…”という創り手の美意識が見えて、
そこはあまり好きになれなかった。

もしも、この映画のように皇帝自らが剣奴とあいまみえるとしたら、
相手はただの奴隷ではありえない話でしょ?
相手がもとローマの英雄だったからこそ、
あの話は成り立つような気がするの。

つまりは、期待していたような剣奴たちの話じゃなかった失望。
例えば、征服されたそれぞれの民族の戦士たちが、
剣奴にされるべくローマに連れてこられて、
どんな思いでプライドをぼろぼろにしながら日々闘っていたか、
そんな背景に興味を抱いている私は、
純度100%ローマ仕上げのストーリーに、少々興ざめしてしまったんだと思う。
ローマを扱ったものは好きだし、
正義感のあるヒーローも嫌いではないし、
それなりに納得のいくラストだったんだけどね。


「ミュージック〜」のほうは、
メリル・ストリープが好きで、借りたもの。

「マイ・ルーム」の疲れた不良ママぶりも、
「永遠に美しく」のオバカな美容マニアぶりも。
いわゆる“美しくなくなった人間の美しさ”みたいなものが、
年をとった彼女の、不思議な魅力なんじゃないかと思う。
おばさんになっても、太めになっても、少々たるんだお肉も、
全部、魅力に変えてしまう人。(笑)

この映画は、あるヴァイオリン弾きが、旦那との別居を機に、生計を立てるために、スラムにある公立学校でヴァイオリンを教え始め、“できそこない”扱いをされがちな生徒たちに、自分たちでもやれば出来るという喜びを与えてゆくというストーリー。
彼女がこの映画のためにヴァイオリンの特訓をしたという裏話は聞いてたけど、
ほんとうに短期間でよくやったなあと思う。
私もちょっとだけ触ったことがあるけど、マトモな音が出せるには至らなかったもの。(笑)

この映画、地に足がついているのがイイ。
例えば、彼女は夫に別の女に走られても取りすがる弱い妻だったのだけど、
その後、夫は浮気相手と別れたけど、彼女のもとには戻ってはこなかったのね。
子供たちの前で、そのことを認めなくちゃならなくなった彼女の涙は、
プライドが高いぶん、とても惨めで、それでいて清々しかった。
女は弱くて強いんだなって。

ひとりの女性の、依存から自立へ向かう生き方として
共感できた気がする。


2001年07月11日(水)



 ドラマ


ラジオをチューニングしていて、偶然よく知る役者さんの声が飛び込んできた。
15分一話完結で、さまざまな職業の男たちの織り成すドラマ
「BALLAD」の放送だったらしい。

今回の話は、日本を敵にまわして野望を達成しようとしてる政治家と
彼を心配してやまない、ちょっと生意気な秘書のやりとり。
もちろん、純粋な友情と敬愛という関係。(笑)
艶のある演技をされる役者さんたちだったので、
気障な台詞もはまっていて、耳に心地良かった。
話自体は、どこにでも転がっていそうだけども、
15分に収めなければならず、役者も2人きりという制限のなかで、
どこまで雰囲気のあるストーリーを創りあげるか、
これからに期待。

このBALLAD、さまざまな職業をもってる男性に焦点を当てるっていうところが、
なんとも私のツボだったりする。
ちなみに、先週は製薬会社の社員二人の話だったらしい。
キャスト的にも、聴きたかったなあ。


NHKの青春アドベンチャー(だったっけ?)というラジオドラマも、昔よく聴いてた。
視覚に頼らないぶん、するりと世界に溶け込めるのが快感だった。
短い時間なのに、それすら忘れるほどだった。
どこで切られるのか、先読みする余裕なんてなかった。

今は1時間枠のテレビドラマに慣れているけれど、
間延びしてる印象を抱くことがある。
ほんとうに1時間という枠を占領するだけのお話が詰まってるのかな、って。
1クール12回という枠に加え、扱うドラマの起承転結のボリュームにもある程度枠があって、そこから逆算して、適当に1回分を切ってるという感じがするの。
だからたぶん、そのあざとさが透けてしまうんだと思う。
あれもこれも伝えたいという必死さが、あまり感じられない。

枠を越えること、または、枠を受け手に感じさせないことって難しいね。


2001年07月09日(月)



 マイエンピツ機能


「エンピツ」で日記をレンタルし始めて、半年以上がたつ。
最近やっと、「マイエンピツ」なる機能があることに気づいた。
自分の日記を気に入って読んでくれてる人が
エンピツで同じように日記を書いてる場合、
自分もそれを読める仕組み。
これが案外面白いのだ。
普通にネットを彷徨ってるだけじゃ、
一生会わなかったかもしれない人の生活に触れられるから。

同じように悩んで、日記に吐き出してる人もいる。
その一方で、大人で、お仕事をきちんと持っていて、
素敵な眼差しで、周囲の人を見守っている人もいたりする。
たかが日記、されど日記。
現実にどこかですれ違ったなら、
会話する機会なんてないだろう人たちの
心の中が、すこしだけ透けて見える。
どきりとする。
そんなときは、自分の扉もすこしだけ開いていたりする。


この日記を始める前に知り合った方たちが
今も覗いてくれている状況は、わかる気がする。
同じようなサイトを通じて出会った人というのは、
ある程度、すでに同じ言葉をしゃべるから。

でも、この日記だけを媒介に
まったく違う環境にある誰かが
私という人間を認識しているとしたら、
すごいことだと思うの。
応援や共感だけじゃなく、苛立ちも嫌悪も含めて。

誰のためでもない、
自分のために続けている日記だけど。
オフラインでの私を知らない他人の目には
どんなふうに映るんだろう。

そんなことを考えながら、今日も日記を書く。




その2


本日は、最寄の駅周辺をぶらついた。
デザインの可愛い、綺麗な色のミュールを見つけた。
幅広足の私でも履き易くて、珍しく似合ってたのだけど、皮じゃない割には高価だったし、いわゆる流行りモノだからと、泣く泣く諦める。
もっと“無難”なものを選ばないと。
それにしても、“無難”って嫌な言葉だなと思う。
ほんとは“少々難あり”っていうほうが好きだけど、
無難のほうがリスクが小さいから、そっちを選ぶのさ。

食料品売り場に用があったので、ついでに美味しいものを物色した。
クレーム・パフ(神田精養軒のシュークリーム)が、
上野でなくここでも買えることを知る。
舟和の芋羊羹はすでに売り切れていた。
田舎だから、舟和のほうが人気があるんだろうか。

今日ヒットだったのは、
文明堂のハニーカステラジェラート。
同名のカステラが練りこんであるらしい。
ほんとにハニーカステラっぽい味がして、
伸びるアイスのようにやわらかくて、
甘いのが苦手じゃなければ、オススメです。


2001年07月08日(日)



 自然体で


七夕。
夜、黒猫と外で戯れる。
警戒心の強い相手を、猫になりきって口説くのが面白い。
人間に向かい合うときより、
ずっと穏やかでいられる。
猫、飼いたいなあ。
引っ越してから10年、ずっと言ってるのに実現せず。
近所に喘息もちの子供たちがいたから、最初は飼えなかったのだけど、
そろそろいいんじゃないの〜?>母
そうしたら、黒猫もいいなあ。
ちなみに、その猫(こ)はジジみたいだった。
ついでにしゃべってくれたら面白いのに。



女の子モードが強くなってるとき、
逆にそういうのを意識的に避けてしまうとき、
必ず、なにかがある。

最近、やたらと女の子っぽい服やアクセサリーに目が行ってしまう。
そういうのは母の趣味で、私自身はそんなに好きじゃなかったはずが、
いまでは自分でも選んでいたりして。(汗)
そういうのが似合うタイプじゃないんだけどね。

ジーンズにTシャツというラフな格好をキリっと着こなせるような、
ハンサムな女性に憧れた時期もあった。
クールなシルバーのごついアクセサリーや時計を、
つけてみたくてたまらなかったこともあった。
でも、実際やってみると、なにかが違って…。
ごつかったり角張っていたりするものは
どうにも似合わなかった。
甘さのないテイストは、背伸びしてる気分だったし、
けっきょく自分は、クールなカッコイイ女性には向いてないと知った。

無理に努力する必要もなかったのかもしれない。
でも。
例えば、スカートばかり穿いてる自分って、変だとも思う。
似合うわけじゃないのに、それが自然体だなんて、
キモチワルイと思う。
(そんなに女の子でいたいのかな?)って。
別に、服装なんてただのラッピングに過ぎないけれど。
それでも、無意識をあらわしてる部分って、あると思うから。

そんなことを去年も悩んでいた。
でも、今年はちょっと開き直ってる。
だって、もうすぐ22になってしまうんだもん。
今年くらいしか着られないモノは、着ておこうって思う。
似合わなくても、
「女の子っぽいね」って言われても、
今年は気にしないで、着倒そうと思う。
どうせ、来年はもう、無難な服しか着られない身になるんだから。


2001年07月07日(土)



 魔女の宅急便


今日「魔女の宅急便」を放送してたことを知ったのが、10時過ぎ。
何度も見てるじゃないの…と母に呆れられながらも、
途中からでも、食い入るように見てしまう。
「耳をすませば」と同じで、元気の出る映画。
他の作品に比べて、スケールは小さいかもしれないけれど、
日常のじたばたの末に、なにかが変わるというのが、
私にとっては大切な要素なので、二つともすごく好きな作品だ。

呪文じゃなくて魔女の“血”で空を飛ぶ、という言葉が心に残る。
―絵描きの血、パン職人の血。
それじゃあ、私にはなんの血が流れてるっていうんだろう。
やりたいことを見つけられないのではなくて、
やりたいことをはじめから持ち得ない人たちには、
なんの血が流れてると言えるんだろう。

「○○の血が私に××させる」みたいに言えてしまうくらい、
血液のなかに入り込んで、細胞の隅々まで満たすほどの対象が、
欲しいと思う。
厄介なことも多いかもしれないけれど、
そういう人にすごく惹かれる。
恋愛体質の人を部分的に羨ましいと思うことがあるのも、
まさにその部分において。
リスクの大きさとか、物の善悪とか、まるっきり考えられなくなって、
大切なものに向かってなにもかも犠牲にできてしまう、
そんな想いには、どんな正論も理性も敵わない。


その「血」と関連することだけど。
キキは、それまでなにも考えずに飛べてたのに、
突然飛べなくなるのよね。
どんなにあがいても、飛べなかったら?
湧きあがる不安。
それでも努力するしかなくて、
実際キキは以前より強くなって、再び飛ぶ力を取り戻すのだけど。

キキみたいに、それまでなにも考えずに出来ていたことが、
突然出来なくなることって、よくある。
そういうときには、じたばたしてみるしかない。
閉じこもっているようにしか見えなくても。
なにも感じていないわけじゃない。
もう一度飛べるようになりたいと思って、
飛ぶ練習を繰り返している。
何遍やっても、失敗するだけだったりするけれど。

それでも、キキにも失ったまま取り戻せない能力があるように、
たぶん、どうあってももとには戻らない自分というものが、あるんだと思う。
時間を巻き戻せないなら、
もう一度積み木を地道に積んでゆくしかない。
ぎこちなくても、リハビリなんてそんなものだろうとも思う。
少なくとも、一度つまづいたのと同じ石にだけは、つまづかなくなる。



「魔女の宅急便」を見てると気になってしまうのは、
キキのその後なんだよねえ。

映画を見てない人のために説明すると、
魔女見習いのキキは、ジジっていう黒猫をつれて修行のためにその街にやってきて、宅急便の仕事を見つけて働いている。けれど、突然魔法の力が弱くなって、空を飛べなくなると同時に、それまで聴こえていたジジの言葉も解らなくなってしまうの。
クライマックスには再び飛べるようになるんだけど、
魔力は取り戻したのに、ジジの言葉は解らないまま映画は終わっている。

私には、ジジの言葉はもう聴こえなくなったように思えてならない。
それが大人になることなのかな、と。
少し哀しい、ピーターパンのお話を思い出す。
ちいさい頃友達だった存在以外に、大切な世界が出来て、
たぶん、聴こえなくなることが自然だったんだと思う。
これからは、他の人間たちとの関係のなかで生きてゆくんだから、
もうキキにはジジというパートナーは必要ない、
そういうメッセージじゃないのかなあ。



補足。
原作の小説を読んでないので、
もしかしたら、こちらにはラストが付け加えてあるのかも。(汗)
あくまで私の解釈ということで、お願いします。


2001年07月06日(金)



 


東京はかなり暑い。
もう、「暑い」っていうより「熱い」。
最高気温が、体温と同じくらいだなんて。
人肌とずっとくっついているようなもの。
せめて夜だけでもエアコンがあれば、快眠できるんだろうけど。
目の下の隈が、勢力拡大して、すっかり居座ってる。


最近、特にPCの調子がよくない。
もともと熱もったり、ジジジ…って音してたりするような
わけのわからんヤツだったんだけど、
熱くて、触っていられないくらいになっていたり。
頻繁にフリーズするし、明らかに処理速度が鈍ってる。
何度も強制終了しながら、どうにかご機嫌取りしてはいるけど、
たぶんこの暑さでヤられちゃってるんじゃないかなー。

PCのために冷房を入れるという話を聞くけど、
我が家でそんなことを言い出したら、
問答無用で張っ倒されそうだ。

そもそも、3人家族で人数分のエアコンがあるくせに私の部屋にエアコンがないのは、ひとえに「必要がないから」だそうだから。
おおいびきをかく父と一緒の部屋で眠りたがらない私が、
「信じがたい我儘」というふうに言われて、
それでも、嫌な人間の横で悪夢を見るよりは、
眠れないでも、ひとりでいるほうがいいと思って、
自分の部屋に拘り続けてきたんだけど。
PCには、「武士は喰わねど高楊枝」なんて
通用しないからねえ。

自分の貯金で無断で取り付けられれば、まだいいんだけど、
そうすると家長を無視したということで、
かえって話がこじれるのは目に見えている。
10年ずっと交渉してきて駄目だったんだから、
いくらPCのためとはいえ、そうそう簡単には変わりやしない。


夏生まれだけど、バテバテの夏なんて嫌いだ〜っ。


2001年07月05日(木)
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