unsteady diary
riko



 フリーズ続き


PCの不調のせいで、フリーズしまくって、
この日の日記が消えました。(泣)
トルコ料理ツアーの「美味しかったの♪」から
ベリーダンスになぜ男性版はないのか?
じゃあ、男性をセクシーに見せるには…
なんてことまで、
煩悩の赴くまま、書いたのに〜。
あまりにハジけすぎて、
ThinkPadが恥じらってしまったの?

もう一度同じのを書くっていうのも、
なんかすごく嘘臭くなっちゃいそうで。
うーん。
もう少し経ってから、思い出して書こうかな。

それにしても、PCのご機嫌がすごく気になる。
そのうちネットにアクセスすることさえ出来なくなったりして…。(汗)


2001年06月29日(金)



 適性検査の結果


やっとサインをしてきた。
適性検査(性格診断みたいなやつ)の結果を読み上げられ、あまりによく当たっているので、びっくり。


悪いところ(?)をピックアップすると…。

自尊心が強く、人に弱みを見せたがらないところがある。
気が強く、意見を誰に対してもはっきりと述べる。
論理的思考を重んじるため、柔軟な対応が得意ではない。
(すべてよく当たってると思う。)


で、良いところは…。

忍耐力がずば抜けてあるらしい。
(すぐ投げ出すけどなあ…)
感受性が鋭く、相手の気持ちを感じ取り、人との調和を重んじる。
(過敏なくらいね)
積極的に人に働きかけるので、人と協力してやってゆく仕事が向いている。
(私は孤独にやる仕事が向いているような気もする)
納得のいった仕事は、責任を持ってとことんまでやり遂げる。
(一応合ってる)
仕事が正確で、几帳面なところがある。
(私が几帳面なら、50億総人口みんな几帳面だろうねえ…ミスは少ないけど仕事は遅いし。)


性格なんて、自分がいちばん解ってるはずだけど、
けっきょく、隠しようのない明確な欠点以外は、
自分がいちばん自覚できてないのかもしれないなー。

2001年06月28日(木)



 風に向かう


昨日の日記で、相性のせいにしてる部分が、自分でやたら気になってしまう。
自分を責めないで済むための免罪符みたいな使いかたは、よくないと思う。
相性で説明するしかないくらい、歩み寄れない人というのは確かにいるものだけど。



相性がよくなくて、だけど仲の良い友達っていうのが、私にはわりと多い。

相手に自分の正しさを認めさせるまでまったく追及の手を緩めない、妥協というものをしないタイプの友人が、わりと多かったからだった。
どうしてもうまく噛みあわないときは、
自分を主張できない気持ちが涙に滲んでしまったりもして、
自分も苦しかったけど、まわりの友人たちにも、そうとうに忍耐を強いたのだと思う。


最初にその手の壁にぶつかったのは、
Yのきつさにたいして、慣れられなくて、痛がっていたときだった。
自分は相手を苛立たせるお荷物でしかないのかなあ、とずっと悶々とした。
はっきりと喧嘩の出来ない日々が続いた。
それでもどうにか、少しずつ喧嘩したりして、本音が少しずつ出せるようになった。
そういう深い会話で、徐々にYのきついだけじゃない部分が見えてくるうちに、
以前ほど過敏に反応しなくなっていった。
多少は言い返せるようになったし、嫌味の応酬もなんのその、今では優しい会話なんて気持ち悪いくらい、そういうのが普通の会話になってしまっている。

それが可能になったのは、お互いに、冗談では許せなくなる限界というものが、徐々にわかってきたからだと思う。


これと同じ、けっこうエグくて長いことかかる作業を
他の人に対しても、一からいきちんとやらなくちゃ乗り越えられないのだ。
完全に理解しあうことなんて、不可能。
だからこそ、自分の譲れない一線を解ってもらおうとする努力と、
相手の限界を解ろうとする努力が要る。

もやもやして、反論することに疲れてしまったりしたとき、
そんなに頑張って一緒にいようとしなくてもいいんじゃないか、とか
思ってしまう瞬間がある。
でも、お互いに嫌ってるわけじゃないんだから、
多少エグい作業でも、ちゃんと伝えようとしなくては始まらない。


今日、少し実行してみた。
けっこうしんどい部分があると、話してみる。
「それじゃ、無理しなくてもいいよ」と言ってくれる。
彼女の言うとおり、戦線離脱してしまおうかとも考える。
でも私は、相手がなにも気づかないままで、一方的にやせ我慢してる状態を脱するために、本音を吐いたんだ。
一緒にいようと思ったから、そうしたんだ。
だから、もうちょっと慣れるまで頑張ってみようと思う。
心地良い距離感が、つかめるまで。

まだ諦めはしないつもり。


それにしても、久しぶりに風が吹く。
しばらく変化のなかった人間関係のなかで、なにやらまた動き始めたり。
基本的に人間と会うことが好きじゃないという自覚はあったつもりだけど、
ブランクが長すぎたためなのか、その程度の酷さには驚かざるをえない。


2001年06月26日(火)



 誰も悪くないんだけど


ここのところやたら、人生相談に関わっている。
相談する側じゃなくて、される“お姉さん”の立場…らしい。
私よりも繊細な、悪く言えば他人の行為や感情に過敏なタイプが
気の強い友人たちのなかにも、たまにいて。
私は、同類の匂いがするのかよく懐かれる。

自分と同じだけの愛情や気遣いを友人相手に期待してしまうという
オトメな友人たちを、とても他人とは思えないから、
どうしてもほうってはおけない。

そうは言っても、
相手の弱さが、脆さが、すべて自分に跳ね返ってくる。
まるで、鏡で自分を映してるみたい。
強くなれ、と繰り返すより他ない私の言葉はそのまま、
ずきずきと私自身のなかで痛み出す。


「こんな私でも受け入れてくれる相手だから、好きになる」
そんなふうにSは言った。
だけど、「相手はそれくらい魅力的だから、そんなに深く付き合えるわけはない」…とも。

哀しくなった。
とてもわかるのだけど、そんなんじゃダメだと、思わず強い口調で。
私自身、揺らいでいる部分があって、
疑心暗鬼を1匹新たに飼い込んだところだったので、
自己弁護するみたいに、熱が入る。

自分から見て、魅力的だと思う人だから、大切に思うようになる。
でも、そうであるほど、友達も大切なことも、たくさんある。
そんなのいちいち気にしていたら、身がもたない。
相手にとって、自分という人間を必要とする瞬間が時々でもあるのなら、それでいい。
そう開き直って、自分でいるしかない。
自分の世界だって、
その人が全てとは限らないのだから。


ただし、大切な相手であればあるほど、
ちゃんと話さなくちゃいけない。
きちんと言葉に出して言わなくちゃ、
伝わらないことばかりなんだから。
すぐには無理だけど、
ひっかかっているところ、
くやしいところ、
傷ついたところ、
ちゃんと伝えなくちゃ、
自分の傷はいつまでたっても癒えやしない。
時間が解決するなんて、そんなの嘘だ。
いつまでも忘れられないでいる、辛い記憶なんていくらでもある。
だから。
ちゃんと確かめて、
きちんと終わりに出来るほど傷つくか、
その手で癒してもらうか、しなくちゃならない。




以下、私自身の反省。

私は、負けん気の強いタイプは、本来あまり相性はよくない。
似たタイプだからぶつかりそうになるのだと思う。
それできちんとぶち当たればいいけれど、
悔しいという気持ちだけを、そうとさえ気付かないままに抱えて、
私はいつもかんたんに負けてしまう。

泣いたら卑怯だとわかっていても、
何度か、本人の目の前でさえ、涙が出てしまったことがある。
いつもは道化になって、開き直ったふりをして誤魔化しているけれど、
その仮面が被れなくなったとき、顔が歪んで、涙が出る。
もともと打たれ強いので、相手のきつさに慣れてくれば、
たいがいのことは平気になるのだけど、
それでも自分のコンディションと相手の言葉しだいでは、
感覚が鈍くなりきれないときはある。

馬鹿にされるのはほんとうは嫌いだ。
それでも、いつしかそういうキャラクター(役割演技)になったんだと思う。
道化役、というのかな。
ほとんどの人が、私が負けん気が強いなんて思わなくなった。
嫌われないために、うまく世の中渡ってゆく為に、
そのくらいの犠牲は必要だったと思う。

でも、根っこは変わっていなくて、
やっぱり馬鹿にされるのは悔しいようだし、
相手をそのぶんだけ、ねじ伏せたくなる。
理路整然とやるんじゃなくて、
相手の嫌な所をグサグサやってしまいたくなる。
相手が上手(うわて)なら、やろうとしても不可能だけど。
そういう気持ちを抑えて、言葉にならない程度のなにかを飲みくだして、相手への不信感さえなかったものにするためには、けっこうエネルギーが要る。

ふだん怖いくらいに無自覚にやっている操作。
ときどき自覚して、ぞっとする。
どこで、そんな高度な駆け引きをやっているんだろうと不思議に思う。

もちろん、言えるようになった部分もある。
それでも。
発言内容が、ある程度認めざるをえないレベルならば、
指摘されても仕方のないことなのに、傷ついたり怒ったりするのは、完璧な八つ当たりだ。
ましてや相手に悪気がなくて、無邪気にそう思っているのだったら、
些細なことに腹を立てたような自分に行き場はない。

あるひとには喧嘩に見えるトークも、
別のひとからみれば、ただのレクリエーション。
境界線の引き方は、すごく個人的で、難しい。




「相性が悪いだけなんだよ。自分も相手も、誰も悪くないんだよ。」

だから嫌われた自分を責めないで。

私はSに、そう言うしかなかった。


自分が、誰かを、苦手でも。
誰かが、自分を、苦手でも。
それはしようのないことで、
相手が悪いわけではなくて、嫌いなわけでもなくて、
むしろとても素晴らしい人だとわかっていたりもして。
だからといって、
その人の言葉に傷つく自分が弱虫なわけでも、嫌な人間なわけでもなくて。
ただただ、自分と相性が悪いだけなんだ。

だから。
自分がいつもするのと同じだけの気遣いを、優しさを、感覚の鋭さを
相手に求めちゃダメ。
それこそ、エゴだ。
嫌なところに目を瞑ってるのはお互いさまだと思う。
自分だけが相手を責めることなんてできない。


↑とにかくそれが人間としての建前であり、理想的なありかた。












↓ここからは、悪党の本音。

どんなキレイゴトを並べ立てても、
どんなに相手が悪くないって解っていても、
相手に怯えてしまったり、苦手になったりするのは、
自分自身にさえも、止められない。

どんなに素敵におしゃべりをする人であっても。
どんなに正しくて強い人であっても。
その人を好きな人が100人中99人であっても。
残りの1人が自分である可能性、ないなんて言えっこないよ。



2001年06月25日(月)



 アール・ヌーボー展にて


上野のアール・ヌーボー展に行って来ました。
大学の友人と二人きり。
わりと趣味の違いタイプなので、なんだか会話が新鮮。
見るものだいたいがビビッと一致してしまって、
ときどき火花を散らしてしまうR嬢とは、勝手が違います。
とはいえ、趣味やら価値観が近いほうが珍しいわけで。
どこが好きで、どこが嫌いか、どこらへんは擦り合わせられるのか、
そんな話をするのも、エネルギーがあるときなら面白いと思う。
相手を否定し始めたりしなければ、だけどね。
なかなか楽しゅうございました。

それにしても、私にはガレの趣味は解りません。
“イチゴミルク色”と二人で名付けた、
とんでもなく甘ったるいピンク色が、
おぞましくも、きっと美しいんでしょうねえ。
虫のモチーフも多すぎて、虫やら蛇やらが基本的に苦手な私には、どうにも美的センスが解らないものばかりでした。
曲線とか、ひねくれ方とかは、けっこう好きなんだけどなあ。

ランプと、ミュシャ中心のポスター類と、それから家具、装身具。
そこらへんはうっとり眺めてました。
母の影響なのか、家具ふぇち気味のよう。
特にアンティーク家具は、誰かが昔大切に使っていたものだと思うと、
もうどきどきしてしまう。
何人の人がそれを愛してきたんだろうって、想像して
モノに残ってる誰かの生活、誰かの気持ちみたいなものが、
ぬくもりとして残っていそうで、つい撫で撫でしたくなります。
もちろん、展示品ではしませんけどね。(笑)

家具は妄想がふくらみます。
シンガポール旅行でも、見つけたアジアンテイストの家具(コレは新品だったけど)を背負って帰りたかったもんなあ。
異世界の空気が自分の部屋にあるって、いいなあと思う。



2001年06月23日(土)



 避けていたい

父が明るいうちに帰ってきて、思わず母と顔を見合わせる。
聞こえない程度にため息を。
役所から家まで2時間かかるはずで、何時に出てきたんだか。

父親がリビングへ近付いてくると、
なんの文句のネタがあったか、といつも考えてしまうクセがついてる。
今日もそう。
どこかの電気を消し忘れたか、
父の布団をなにかしたか、とか思いつく限りのことを考えて、
今日はなにを文句言われるか、と待ってると。

「食事しに行かないか?それともまたあーだこーだ詮索されるから嫌だと言うか?」

「…遠慮します」

で、終わった。

怒ったことの本質はそれではないんだけど…。
結論。
一昨日の私のヒステリーは、
どうやらちっとも理解されてはいない。
まあ、理解されるはずがないんだから、いまさら動揺なんてしない。


機嫌取りのために同意して、
適当に酒の相手をしていれば、それで数日は平和に過ごせただろう。
それがたぶん賢い方法。
むこうも、妥協案として持ち出してきてるのは、よくわかる。
だから乗ってあげるのが大人だろうと思う。
実際、気持ちに余裕のあるときや、
断ったらそれこそ荒れるとわかっているときは、付き合う。

それでもなんでも、
今は嫌だったし、
私は、あの議論の蒸し返しをするつもりはない。

いつだったか、旅行先で、大学のことについて同じように父親の考え方にキレた私は、もう2度と同じ話はするまいと決めた。
違う価値観を抱いてる、それはもうどうにも手がつけられない事実だったから。
今回の就職話も、同じ枠に入れることにした。

もともと、理解されなくていいと思ってたから、黙ってたことなんだ。
だから、とにかく酷い言葉をぶつけないでくれれば
なにを思っていようが、自由は自由。
この話は避けたいだけ。
それがお互いの為だと思う。


2001年06月18日(月)



 自分が優先したいことは

考え事をしたいときは、
めったにしないマニキュアを塗ってみる。

今は除光液に顔をしかめながら、黙々と落とす。
「ツンとしたいやなにおいがしません」って書いてあるのに、
気分悪くなりそうな石油の匂い。
換気しながら作業する。

4月末に、結論はとっくに出たのだよね。
ただ、それが私の奥の奥まで、染み込んではいなかった。

今回のいざこざで、ひとつだけよかったこと。

きちんと怒れたこと。
父に、なにがムカツクのか、言うには言った。
彼がそれを理解してるわけはないが、
それでも、爆発するにはした。

母にも「能力がないっていう言い方はやめて」とは言った。
彼女もまた、今回の選択を、私の2度目の“挫折”と思ってるから。

だけど。
とにかく私は、私が大切だもん、
少しでも辛くなく生きたいだけなのよ。
後ろ向きとか言われても、
壊れてからじゃ遅いでしょ。
だからこれでいいの。



2001年06月17日(日)



 再アップ

13日深夜アップしたもの。
固まりそうな笑顔でテンパって会話して帰宅したあと、
そのままじゃとにかく眠れないので、
日記を書き殴ってから、ようやく明け方眠れた。
起きたらツキモノが落ちたようで、けっきょく削除したの。

だけど。
酷いことばかり書いてるけど、それでも嘘は書いてない。
ブラックな内容も、嫌な感じの記述も、私のものなのよね。

「嘘がない日記という感じがする」という感想をもらって
調子に乗った私は、けっきょく残しとくことに…。
我ながら、単純。
そのうちおだてられりゃ、木に登りだすかもね。











重い腰をあげてゼミへ。
先生と卒論の打ち合わせを若干したあとは、
久しぶりに会った同学年の面子で
ご飯にお茶にとひたすら談笑し続けて、やっと帰宅。

教室一杯の虚栄心を吸い込んで、肺のなかにきのこが生えてきそう。
なんでこんなけったいなところに居るんだろうって思った。
神経ばかりがキリキリ嫌な音を立てて擦れる。

笑顔で呪文を唱えている集団。
トウミツノムラニッケイマリンアクセンチュアリクルートテレトウマイニチシンチョウマガハコウダンシュウエイニチギンマルイイセタンフジジュウショウブッサン………胸焼けがしそうだった。


あるゼミ仲間は、合コンのときに女として価値のもっとも高い企業に行くために、どこがいいかを相談していた。
超一流の企業だけ受けている彼女の狙いは、現在と同じ生活水準を維持するため、年収2000万以上の婿殿をゲットすること。
むろん面接ではまったく違うことを言うのだが。
彼女はすでに10社に「行くことが決まっている」。
内定を「待って」頂いているのではないので、
法律的な拘束力こそないけれど、それはたしかに「入社の約束」のはずだ。

一方で。
現在まだ一つしか内定がなくて、
それでも正直に迷ってることを伝えて「待ってください」と言ったために、
入社承諾の決断を迫られて、断りに行った他大学の女の子がいたことを、私は知っている。
がけっぷちの状態での大切な内定。
「就職活動を止めます」と嘯けば、キープしておける。
誰も責めないくらいの、ちいさな嘘。
それでも、身を切る思いで彼女は断ったんだ。

こういう例を挙げて、理不尽だと憤慨するなら、
たちまち潔癖症だと笑われる。
無能者の妬みだと冷笑される。
それも当たってるだろう。
価値観が違うなら、まるっきり無視できるはず。
そうではないから、だから悔しくてやりきれないんだろう。


それを証明するかのような出来事があった。
私の内定先をそれとなく聞かれて
「悪くないじゃん。CMよく見るよ。」
なんてさらりと言われたとき、思ってしまったのだ。
ここを受かってなかったら、私はいまどんな表情をしてただろう?と。


こだわっている大馬鹿の1人は、この私。
いい大学いい就職いい結婚…その果てにあるものが幸せとは限らないということを、豊かな生活とも限らないということを、これほど噛みしめておきながら。
私はけっして、母と同じにはなりたくないのに。




2001年06月13日(水)



 オン/オフ


突然だけど、gooあたりのサーチエンジンで、
「就活状況」というキーワードで、この日記がヒットしちゃうらしい。

ふだんはまったく警戒しないで自然体で書いてるけど、
ネット上の公共スペースなんだよね、ここは。
当たり前のことを、忘れそうになる。

ある掲示板のようなサイトで、いわゆる“困ったさん”がいて、問題になった。
就活のためのMLをいくつも立ち上げて、でも自分では就活をしてない人。
さまざまな人脈を駆使して、学生をお偉方に会わせるチャンスをつくって、
それを感謝され、自慢にしてるような人らしい。
でも恨まれると、誹謗中傷を凄くされるみたいで、
的にされた人は、かなり大変そうだった。
他人事とはいえ、許せないと思った。
それから、メールやネットのことを、はじめて身近に怖いと感じた。

たとえば。
HNは、私にとってはとても身近なものなので、
いまや、もうひとつの自分の名前だと思ってる。
でも、いくつもいくつも名前とプロフィールを使い分けて、
別人格のように操る人もいる。

このネット世界をうまく漂ってゆくために、
ほんとうはもっと自衛手段をとったほうがいいんだろうと思う。
私の場合、読まれたら一発でばれるような記述も多い。
大学を特定することくらい、ゼミを特定することぐらい、
わかる人なら簡単にできてしまう。
そしてそこから私なんて、芋ヅル式に割り出せる。
私は隠し方がとても下手だ。

だけど、そんなことを考えることじたいが、ほんとは面倒なんだ。
ばれてもいい、と言ってしまえれば楽だなって思うことがある。
分けることができなくなってるんだと思う。
rikoと、現実の自分とを。


2001年06月10日(日)



 ほっとした

5月末、とても気まずい思いで電話を切った友人から
再度、電話が来た。
たぶん内定の知らせだろうと期待しつつも、
このあいだ傷つけ泣かせてしまったことが気にかかっていて
とにかく相手の言葉を待った。

思ったとおり、就活終了の知らせ。
それも本人も認めるミーハー心(笑)を満足させる、財閥系の生保だ。
それでも、外資のほうがいいなーと呟くので、
「ふつうはそっちのほうがいいと思うぞ。(実際メジャーだもん)」
そう言ったら、ほんのり嬉しそうに声を弾ませてた。
こういう単純さが、かわいいなーと思う。
おめでとう、Sちゃん。

さあ遊ぶぞ、と気合を入れてる。

念願の内定。
終了。
そのことを手放しに喜び、溌剌としている彼女が、
なんだか、うらやましくなってしまった。
彼女は華やかなOLさんになりたかった人なので、
それは彼女の希望通りであるわけなので。



私はその日、さいごの出版社の面接を落ちたばかりで、
もっとやれたはずのアレヤコレやを思うと、少しだけブルーだった。
だが、それを話すと「ぜーたくだよ」と言われてしまった。
うーん、でもなあ。
(ちなみに、傷ついたわけじゃない)


自分がいちばんわかっている。
ここまで残れたことが、それなりに意味のあることだったということ。
自分が踏み越えた道の途中で、
もっとずっと前にチャンスを喪っていた人もいたわけで。
わたしが自主的に放棄した権利を
咽喉から手が出るほど欲しかった人もいたわけで。

そういうことを、冷静に自覚していても。
やっぱりそれなりに私にも進みたい野望があったのだ。

一方で、ほっとしている自分もいた。
やっと終わった、という気がした。

これで終わり。
別に石にしがみついてでもやり通すほど、
私の天職じゃないってことは、
もとより、火を見るより明らかだった。
それでも一度は試してみたかった。
そして、実際、試すチャンスを与えられ、
まったく対策もしてなかった作文や筆記も、すんなり認められ、
それなりに人数を絞られたなかに入りながら、
けっきょくは、文字だけしかダメな私を再確認した。
マスコミほどコミュニケーション能力を見るところはない。
向き不向きは、最後まで変えられなかった。
最後まで私は、相手を振り向かせることができなかった。

恋愛と同じだなあ。


さて。
ハンコを捺しに行かなくちゃ。

2001年06月09日(土)



 むべ山風を

はらはらどきどきした試合。
あんな嵐のなかでも
人間って動けるんだ。

ピンチでも安定してる強さの川口。
危なっかしいところがもうまるでなくて
人間って変われるんだということに眼を瞠る。

踏ん張らなくちゃいけないとき
どんなアクシデントがあっても
さいごまで喰いついてゆく。
そういう人だけが勝てる。



【その2】


「マイ・プライベート・アイダホ」をなにげなく観る。
中途半端な気分なので、もう一度ビデオを借りて観るつもり。
映像が、風が不規則に吹きつけているみたいな不思議な感じだった。

「ギルバート・グレイプ」だったり
「太陽と月に背いて」だったり
それと似ているザラザラした感触の正体が気になる。

それにしても、大人になりきらない少年を、なんて美しく撮る人なんだろう。
リバーの人気が不動のものであるのが、少しわかった気がする。
キアヌも、綺麗で優しくて、そして残酷だった。

ストーリーは…。
雰囲気で進んでゆく映画は、説明しても陳腐になってしまう気がする。

2001年06月07日(木)



 約束


夕方のNACK5(埼玉のFM)のプログラムで
突然ゴスペラーズの「promise」が流れ出した。
「永遠に」を街中で耳にする偶然には慣れたけど、
昔のアルバムから聴くのは、はじめてのこと。

はじめてゴスを知ったのは、この曲からだった。
ある掲示板で、この曲の歌詞が紹介されていて、
聴きたくて、探しまくったのを思い出した。
去年の夏は、まだまだゴスはメジャーじゃなくて、
近所のレンタルCD屋にはほとんど置いていなかったっけ。

それから何度この曲を聴き返したことだろう。


FMで聴く「promise」は、コーラスがいまより雑な感じで、
CDみたいにクリアに聴けるわけでもないんだけど、
すごく新鮮だった。

たぶん。
自分が聴こうとしたわけじゃなく。
どこかの誰かが、それをかけた瞬間に、
偶然居合わせたことの、しあわせ。
風景の一部みたいに、突然生まれた歌声だったから、なんだろう。

ほんの一瞬、梅雨入りの憂鬱が吹っ飛んだ気がした。
「ソウル・セレナーデ」ばかりをかけていたのだけど、
引っ張り出して、もう一度promiseを聴こう。



【その2】

近所のレンタルショップで、ゴスペラーズの「Down To Street」が2枚も置いてあった。
これは今のメンバーでメジャーデビューする前に出されたものだったと思う。
最近までゴスのコーナーさえなかったのに、すごい変化だ。

聴いてまたびっくり。
私の好きな「promise」が入ってるのだけど、
今の技術から考えると、わ、若いな……。
1枚目のアルバムではすでにかなりハーモニーが綺麗だったことを思うと、
どのくらい録音に間があいてたんだろう。
アレンジも、微妙なリズムも、歌声も(人間が2人違うんだからこれは当たり前)、私にとってはかなり違う気がした。

で、なるほどと思った。
今日の夕方、FMで流れたのは、たぶんこっちだと思う。

彼らの1枚目のアルバムにたぶん録り直したんだろう「promise」が入っていて、
すでに、何度も聴き返してた。
なのに、夕方のには聞きなれないアレンジが入ってたし、
主旋律の音程が、すこしばかり狂い気味だったのよね。
ああ、しっかり上がりきれてない…という感じが漠然とあった。
もちろん同じ録音だと決めつけて聴いてたのだけど、
それでも「???」と。

そうか、こっちが流れてたのか…。


でも、青臭くてこれはこれで好き。
ふしぎな一生懸命さみたいなものが、
にじみ出てる気がする。

最後の「いとしくて」っていう曲は、今日はじめて聴いた。
これはアカペラ。
シンプルで、でもやさしくていいなと思う。
歌詞はこんなふう。


 いとしくて いとしくて
 言葉さえ 透き通ってくよ
 触れあった まばゆさ
 彩られたまま いつも
 いつまでも

 いとしくて いとしくて
 知らぬ間に身を寄せあうよ
 抱き合った その合間に
 溶けこんでく しあわせを
 感じているから

 彩られたままいつも
 いつまでも


「透き通ってく」とか「溶けこんでく」の
「いく」じゃなくて「く」になってるのが、いい。
すこし舌足らずな感じが、
ひらがなの「いとしくて」には合ってるような気がする。

それにしても可愛いくって、オトメだよねえ。
でも、いまも基本は変わってないような…。(笑)


2001年06月06日(水)



 ひとりでも


修学旅行のときは、熱出して旅館でお留守番だった。
もともと、ひとりで過ごすことには慣れてたから
少し淋しくて、少しほっとしていた。
そんなことを思い出した。

ひとりでなんでもできるようになろうと思った。
それは他人に迷惑をかけないため、というよりは、
自分がひとりでいられるために。

ひとりなんだ、という意識を、もっときちんと持たなくちゃと思った。


たった半年前、できなかったことが、できるようになった。
たいがいのカジュアルなレストランなら、1人でも入れるようになった。
大きな都心の企業のビルにでも、躊躇なく入って、守衛さんに笑顔でお辞儀をして、はっきりとした声で受付を済ませる。
社会人の人と会話するときの愛想笑いも、だいぶ様になってきた。
以前よりは臆することなく、自分で自分を守ることを、少しずつやれるようになった。

そういうのがなにか役に立つのかって思わないでもないけれど。
とにかく、ひとりでできることを増やしたい。
もしかしたらけっこう長いかもしれない時間を、
ひとりでいるのが辛くないように。


なんとなく、そろそろ遊びに行こうかな、と思って。
どうしても会おうと思う友人が、ほとんど浮かばなかった。
いや、浮かんだには浮かんだし、
そしてまた、遊ぼうね、と誘われてもいたのだけど。
その人たちの時間を割いてもらってまで、
自分と話す価値が、その人たちにとってあるとは思えなかった。
人恋しいけれど、その人じゃなくてはいけないってことはなかった。
そういう不確かさ。

就活期間、何ヶ月でも、友人に会わなくても、過ごしていられた。
ひとりでいろんなところへ行った。
煮詰まったし、淋しかったけど、それはそれで可能だった。

遠く離れたり、休みが合わなかったりして、
自然と会わなくなって、
苦手な電話はもともとしなくて、
苦手な手紙もメールも全然しなくなって、
まるで関係のなかった人間同士みたいに、
それぞれ生きてゆくんだろうか。

2001年06月04日(月)



 ぼーっとしていると


私は、あまり動かない。

マイナス方向へは大きいのだけど、
それは軸が自分なので、
自分の周りをぐるぐるとしているだけだ。

世界だったり、創られたものだったり、
そういう「刺激」であるはずのものが、
あまり届いてこない。

でも、まわりには自分が敏感だと思わずにはいられないくらい
動かない人も多くて。
はしゃいでいても、泣いていても、それがどこまで響いているのか、
響いてなくても響いていることにして動いている振りをして、
それを楽しんでしまうのが普通なのか、
そんなことをとりとめもなく考えていた。


自分の周りの人間、という狭い世界だけでなくて、
もう少し視野が広がった頃。
自分を確かめてみようと思った。
私は動きやすい人間なのか、そうではないのか。
本当に動くってどういうことなのか、それを見たいと思った。


映画、お金を払った分泣く、とのたまった友人の横で、
私はのめりこめなかった。
世界が滅びても。
恋人たちが抱き合っても。
それだけだという声が、どこかでしていた。

旅行はとても楽しいけれど、
人生観が変わるほどの景色ってなんだろうと思った。
はしゃいで、楽しんで、
でもそれがなくては生きてゆけないほど大切なものでもないんだろう。

お芝居を、面白かった、痛かったと心から思うとき、
どこまで自分のなかに染み込んでいるのか実はよくわからない。
突き動かされてなにかを変えられるわけではなかった。

音楽を、好きなつもりでいたけれど。
歌詞をそらんじるほど好きになるわけでもなく、
鳥肌が立つわけじゃなく、涙が出るわけじゃなく、
たぶんなくたって生きてゆけるんだろうと思った。


すべて中途半端なところで、感覚が止まっている自分を見た。
底から求める、渇きみたいなものが、たぶん足りないんだろう。
だから、素直に痛みに苦しむ人に、恍惚と自分の世界を泳ぐ人に、
憧れたのかもしれない。




∇追加


思い出したことがある。

なんで働くのか、お金の為に身を売るようなもんじゃないか、
別に娯楽のためにそこまでしなくても生きてはゆける…という話を、
友人としたことがあった。

潤いがないと人生つまらないじゃない、と彼女は言った。
確かになくては生きてゆけないものじゃないかもしれないけど、
あると楽しいでしょ?と。

このひとは、現実に近い。
私が自分を俗物的な人間だと思うとき、
私以上に俗っぽくて潔癖でなくて、そのくせ私の好きな部分を喪うことなく生きていられる人が、こうしてちゃんと存在するじゃないか、と彼女のことを思う。


別になくても生きてゆけるものばかりで、まわりをうずめる。
世のOLさんがすべてそうだとは言わないけれど、
私の知っている限り、そういうひとが多いような気がする。
少なくとも、大学で出会う人やOGにも、そういう人ばかりが目立つ。
それを嫌悪しながら、ミーハーな気持ちも湧く自分を意識する。

そういう生き方を、これから始めて、
きっと後悔していくんだろうと思うけれども、
よく不満を言ってるような嫌なやつになるかもしれないけれど、
他にどうしようもないから、それを選んだ。
あくまで、私の選択だ。


私が、こんなふうに不安を持ちながらも進もうとしているような社会人生活に、自分は向いていないから、と司法試験を受けることにしたという従姉(22)と3年ぶりに電話で会話する機会があった。
「rikoちゃんは誰かの指図を受けるタイプじゃないんだよ」
「私…ずっと憧れてたんだよ。なのに過小評価しすぎだと思う…」
いまさら言われても、聞けば聞くほど、“それ”は「私」じゃないような気がして頭痛がした。
いわゆる「私らしい私」を知っている人を「いまの私」に触れさせるのは、もうやめたほうがいいと悟った。


私がいちばん私の限界をよく知っている。
自分が俗っぽい人間だってことも、
たいして努力が出来ない人間だってことも、
体力的に無理が利かない人間だってことも、今回改めて意識させられた。
ある意味、5月の自分の情けなさは、決定打だった。


今年の司法試験の結果がわかったばかりで、
「努力するのも才能だよ」と慰めを口にした私に、彼女は
「努力だけじゃね…咽喉から手が出るほど、昔から貴方が羨ましかったんだよ」とぽつりと言った。
私は返す言葉が見つからなかった。

例え10年かけてでも司法試験に挑戦するというその勇気をすごいと私は思う。
けれど私は、彼女ほど一生懸命にはなれない。
それが答えだと思う。


2001年06月03日(日)



 大掃除

昨日は一日、部屋の大掃除をしていた。
就活の資料やら、ストレス解消のための本や漫画やらが散乱していたのを、しばらく見て見ぬ振りをしてたので。
一度やりだすとけっこう凝り性なので、軽い家具などを移動して、クイックルワイパーのウェットタイプのやつで、拭き掃除してみたり。
ほんとうは肋骨を動かしちゃいけないらしいのだけど、
いつまでも治るの待ってるわけにはいかないから、しょうがない。
それにしても、風邪がだいぶ治ってきて、身体の節々の痛みが薄れてくると、肋骨だけ際立つってのは、けっこう嫌なもんだ。
動けないとますます肥えるやん。(苦笑)

その後、コンフェデ杯を観る。
私と同じ年の小野がすごく活躍していて、
顔つきがすごくオトナで、プレーもすごくて職人っぽくて。
自分、腑抜けてる場合じゃないよなー、なんて思ってしまった。

つまりは、不完全燃焼の気配がどうしても抜けないんだ。
もっと頑張らなくちゃいけなかったような気がしてしょうがない。
つい数日前まで、6月でも受けられる、より人気のない小規模の企業を探すのに血眼になってたというのに。

だからとりあえず整理してみた。>就活用の資料大量にあったやつ
これからA社に内定を取り消されたりしたらどうしようって思うのだけど、
そういう不安を持ってても先に進めないので。



2001年06月01日(金)
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