unsteady diary
riko



 傷つけてしまった

ともかく気が抜けた炭酸水みたいにならないようにしよう。
スタートラインに立たせてもらえた、それだけ。
マリッジブルーみたいに、不完全燃焼の燻りが不安や憂鬱に変わる気配があるけれど、そもそも一般職と決めたのは自分。
そのなかでなら、もっとも納得できる結果のはず。

ぼけーっとしていたらそのまま受け入れられてしまったから、
頑張った結果もぎ取ったという実感がないんだろうなあ。
でもいっぱいいっぱい頑張った面接で、大丈夫だと思ったら落とされたんだし。
自然体でもいいよ、と言われたようなものだと思えば、
それでいいんだろう、たぶん。


その2


まだ決まっていない友人と話していた。
私が数日前に落ちたところを彼女も受けていて、
彼女は電話がなくても期間のあいだ期待してるつもりでいて、
でも私は翌日に電話がないと落ちたに近いことをあらかじめ聞いていて、
だから自分も電話がなくて落ち込んだことを話してしまった。
それが、傷つけてしまった。

タイミング悪い。
墓穴掘り。
自分自身がとても余裕がなくて気が立ってて、内定者の言葉に傷ついたりもしていたくせに、なんで思いやれないんだろう。

思いっきり自己嫌悪。
私がそれからどんなに謝っても、落ち込んでも、
彼女の気持ちをより一層傷つけるだけで。
元気をなくさせてしまうばかりで。

私はただ、彼女がこれから受けるところで情報提供ができればと思っただけだったのだけど、情報なんて、人を傷つけるだけのこともあるんだ……。
真意なんて関係ない。
現実に私のしたことは、彼女を泣かせるだけだった。


2001年05月31日(木)



 長すぎる一日

∇力を入れた科目→カウンセリング理論・対人影響論(社会心理学)

さて。

部屋に入ってろくに会話もしてないで、ただにこやかにしていただけなのに、

「カウンセリングかぁ…ぼくがきみにカウンセリング受けたいくらい、雰囲気がいいねえ」(白髪男性がにこっと微笑みつきで)

………これは誉め殺しの一種でしょうか。

ちなみに、ワタクシは男性に気に入られる雰囲気なぞ、欠片も持っておりませんっ!!(断言)



∇趣味→時空間旅行

「これなに?」

「あ、映画とかお芝居を観るのが好きなので…」

「ほほう…さすが社会心理学やってるだけあって、はめられたな…ははは。きみ履歴書書くのなかなか上手いもんだねえ、よく社会心理学応用してるよ、さすが希望を広報って書くだけあるねえ」

あのう…、これもいわゆるひとつの誉め殺しでしょうか。


∇「相手に信頼されるようにするために大切なことってなに?」

「聞き上手であることだと思います。相手の話をまず徹底的に聞くこと、そこから相手の本音とか、向かいたい方向が、少しずつ見えてきますから…」

「ほほう、確かにきみは適性検査でも受容性(相手の話をよく聞く)が高いねえ」

「はあ」

「ではこうして面接官の話を聞いていると、きっと本音が一発でわかっちゃうんだね」

「そんな…面接官の方はみなさんポーカーフェイスでいらっしゃいますから、私にはとても見抜けませんが。それより私の気持ちが逐一判られてるんじゃないかと…」

面接官笑う。


というやりとりも、やっぱりおちょくられてるのかしらん。(涙)




ほとほと困りました。
誉め殺しは心臓に悪いです。
にこやかに、けっして動揺を顔に出さずに、
「ありがとうございます」と答えましたが。

ツッコまれますが、いちおう和やかです。
でも15分と面接してないんです。
最終面接なはずなんですが。
ああもう。
これで連絡来なかったら、グレてやるっ!


2001年05月30日(水)



 

キャラメルボックスから次回公演の案内が届いた。
母のお気に入りの上川隆也さんが2年ぶりの舞台ということで、
母が行きたそうにしていた。
でも2人で行くと9000円か…とつぶやいていた。
上川さんが出るってことで、当日券どころじゃなさそうだ。
私としては、今回中心になるらしい(?)西川さんのほうが気になるけど。

新作ということで、チラシの煽り文句が面白そうだった。
8月のお芝居。
いまは稽古の真っ最中だろうな。
目標があるときに流れる時間はとても早くて充実しているものだ。


8月か。
学生最後の夏。
私はどうしてるだろう。
サマースーツを買って、オフィス街を歩いてるかな。


ナーバスになってたので、定期試験中だろうと思いながら、
久しぶりにりょうか嬢に電話をしてみた。

私「今試験中だよね?」
R「真っ最中」
私「じゃ、無理だね……」

という会話から始まったはずなのに、なぜか1時間以上電話をしてしまった。
あまりに私の第一声が暗かったから、なんでも切ると後味悪いと思ったらしい。
とはいっても、私と同じような厳しい就活をこなしたわけじゃないから役に立つ発言もさほどないし、そもそも、一発でモリモリ元気が出るような言葉なんて、実際はあるはずがない。
りょうかさんとこの大学の“萌えv”な男の子二人組の話なんかを聞いて、勝手な妄想をふたりでしてみたり、そんなレベルの会話を延々していた。
とにかく切りたくなかった。
咳き込みながら話してても、相手に悪いとはこれっぽっちも思わない唯一の相手だし。
とりあえず「悔しい〜」って言葉に出して言えたからすっきりはした。

そういえば、りょうか嬢は、片手間で試験勉強をやっていたらしい。(笑)
「どっちが片手間?」という話になって、
辛うじて私のほうが「主」、試験勉強が「従」ってことらしく、笑った。
わけのわからない化学(?)の問題に負けるのなんてヤだもんね。


頑張らなくちゃいけないと自覚していて、それでも不安で電話してるのだ。
ただ「頑張れ」とか言われても。
安易に「アンタならきっと大丈夫」とか言われても。
どうしようもないわけで。
容易には人を励まさない、この人の素っ気無さが、たまにはいいときもあるってことさ。(笑)

夏、一緒にキャラメルも風琴も行けるといいね。(私信)

2001年05月29日(火)



 上手な凹み方


「婦人公論」6月7日号を読む。
特集「もう学校には任せない」に惹かれてまたも買ったのだが、私の傷のひとつに関わることなので、冷静には読めなかった。
あと、すこしの悔しさもあった。
というのも、エントリーシートによく「東京シューレ」みたいなフリースクール・フリースペースの取材をしたいと書いてきた私なので、それを先にやられてしまったなあ、と。(苦笑)
だからって私がやる“後”があるわけじゃないのだけど。
(今日の筆記も作文で見事に失敗したしなー。)
この記事については、落ち着いたら感想を書けるといいなと思う。



気力を維持するのって難しい。

落ちまくるというには程遠い数しか受けていないけど、最近よく落ちるなあと思う。
これまでは、自分が地雷を踏んだ自覚のあるときに落ちるのは当たり前だし、
出版社の面接に落ちるのも理由が歴然としているし、最初の頃、総合職向けの難しい筆記で落ちたりもしていたが、こういうのって嫌なショックではなかった。
当たり前だなあって、ため息ついて、それで終わらせることができた。

でも、たいして差がつかないとしか思えないような面子での面接で、自分もやれるだけやって、それなのに合否が出る現実はけっこうエグい。
勝ち組にいたときは、はきはき明るく答えていたから通ったのだと思っていた。
それは間違いではなかったと思うし、当初心配していたほど私は感じ悪くはないんだわ、とほっとしてもいた。
でも、「わたし」は同じで、しかも慣れてきて以前より問題があるはずがないのに、わけのわからないまま落ちまくる現実がある。
どこも自分で原因が見出せず、強いていうなら笑顔全開(胡散臭いんだろーとも)&積極的&生意気(フランク)すぎるのかな、というくらいで。
そういうところはこれまでむしろプラスに働いてきたような覚えがあるので、
なにが悪いのか、ほんと判らない。


浮上できないまま時間ばかりが経っていく。
こんなときに動いてもどうしようもないので、じっとしている。
マジメな話、外に出ると咳しちゃいけない吐いちゃいけないという怖さが先にたって、我慢するからかえって調子が悪くなるらしい。
気持ち次第で呼吸なんて簡単に乱れるもんなんだなあと思う。
笑ってしまうほど、やわな自分。


凹む時に、いい凹み方とそうでない方法とがあるような気がする。
前者は自分の素直になって、思いっきり凹んで、腹を立てて、それですっきり浮上できるやり方。
後者は、悔しかったり辛かったりする自分から目をそらして、やっぱりダメだったか…とか、最初から無理だったから落ち込む理由なんてないよな…とか言いながら、実際はダメージを受けているからいつまでたっても割り切れない落ち込み方。

いまの私は思いっきり後者だ。
でも、誰にも言えないじゃないか。
自分のどこが悪いか判らないなんて、思い上がりを。









ほんとはめっちゃ悔しい。


なんで私の良さに気付かないのよ、って言いたくなる。



他の誰もこの私を好きでなくても、私くらい私を肯定しなくてどうするよ?



だからこの私を採らなくて後悔するわよ、ってつもりでいなくちゃならない。



そうでなくちゃ、誰にも認められない私を私まで嫌いになったら、相手の思うツボじゃないか。



そもそも、そんなに職場の華が欲しけりゃ、生花でも買っておけば?



あの極端に安い給料には、職場での“潤い”手当てでも含まれてるっていうのか。それでもニコニコ笑ってられるのが女の子として期待される義務なのか?それに合わないから嫌がられるのか?ああもう腹が立つったら。











2001年05月28日(月)



 行き違い

公団筆記サボリ〜。
わはは。
昨日準備だけはして寝たのだけど、起きて、身体の重さ痛さに諦めた。
コレを引きずっていくだけの気持ち的な根拠もなかったみたい。
ESをかなり頑張って書いたことを思うと情けないけど。
とにかく元気じゃなければ始まらない。


電話をくれた大学の友人に、咳こんでるのを「演技?」って言われて、それを笑って流せなかったという話を、本人にあとからさりげなく打ち明けました。
そのうえで、過敏になってるから突っかかってごめん、とも。
その結果。

>あのね、演技云々って云ったのは、少しでも気持ちを軽くして欲しかったから。
演技じゃないのは解かってたけど。辛いのに「辛いの?」って他人に訊かれるよりは、流したほうがいいかなと思っての言葉でした。辛いのは本人が一番解かってるだろうし。他人に解かったような顔で心配されるの、ヤじゃん?(あたしだけ?)言い訳タラタラ……。
過敏になるのは、まあ当然といえば当然だから。実際あたしも煮詰まってた時期あったし。
そこまで考えが至らなかったね、ごめんね。

というふうに、言われました。
ちなみに、彼女は「とりあえず謝っとこう」っていうタイプではないので、
この言葉にはちゃんと意味があって、素直に信じられました。

実際「大丈夫?」って言われたって、「大丈夫じゃないけど大丈夫」って言うしかないわけで。
聞き流してくれる、私の咳なんかないものにしてくれる優しさって、貴重。
ただ、そのときの私は、言葉の意図を読み取れないほど、咳に関して嫌な思いをしていたから、行き違いが生じてしまったのね。


結論。

言葉を受け取るとき、捻じ曲げてしまう私は、もしかしたら誤解したまんま、その人から距離を取っているのかもしれないわけで。
本人に、「私はここが嫌だった、どういう意図だったの?」と気持ちを素直に話してみるというのは、大事なことだとしみじみ再認識。
私は、人間関係に関してはわりと素直なので、気持ちを話すのはどちらかといえば多いほうです。それでも素直になれない苦手な人というのはいるもので、でもこちらが閉じていると、やっぱりうまくはいかないわけで…。
うーん、難しいなあ。

自分が素直に話すのが苦手な人…これが嫌いな人と一致するなら、どんなにか楽だろうに。

2001年05月26日(土)



 嘘の代償?

2日連続で面接。
むやみに張り付く笑顔。
ポリシーなさげな表情だなあって思うけれど、
無理矢理テンションを上げることに少しずつ慣れ始めている自分がいる。
そうしなくてはやっていけない。


昨日、二つ面接を掛け持ちしたときのこと。

業界トップの企業のほうが、セミナーで一般職の女性が原稿をつっかえながら棒読みしてるし、パンフレットのつくりも解りにくいし、なんでも屋っていうだけで企業としての特色はないしで、私は最初からトップ企業だという以外の魅力は感じられず、だから「なぜ当社なんですか?」という質問に詰まってしまった。
(想定していた質問だったのに、嘘が巧くつけなかった)
しかも、面接官が総合職とは思えないやる気のなさげな(よく言えば自然体なんだろうよ……)感じの女性で、私の積極性だけが宙に浮いているようで、居心地悪いったら。
だってさ、人事評価制度のことについて質問したら、
仕事目標を自己申告するわけだけど、それが憂鬱でしょうがないらしく、やりたい仕事なんて自分で見つけられるわけないじゃん…とぶつぶつ漏らされた。
それが現実だってわかっていても、志望者にたいして言っていいんだろうか。
2:1の集団面接だったのだが、もう1人の学生が慎ましやかで事務に適性のありそうなタイプだったので、比較してよけいに生意気さが目立つ自分を疎まれている雰囲気が端々から伝わってきた。
そうして案の定落ちた。

トップではないもう一方は、てきぱきと熱っぽく話す一般職の先輩との個人面接で、私の話を聞いて、そういう向上心があって粘り強い人にぜひ働いてほしいと言われ、うまくいったんだろうと思ってたらやっぱり通っていた。

どちらも同じ「私」…だ。
これは企業が求めている人材の差というよりも、
面接官が多様な場合、誰に当たるか運次第っていう気もする。
自分の性格に合う面接官だと、それだけでうまくいきやすい。


ところが、うまくいったほうの最終面接を今日受けてきて、かなり凹んだ。

他社状況を厳しくツッコまれて。
「第一志望です」と言わなければ受からない企業で、前からそう言ったほうがいいよ、とアドバイスもされていて、実際第一志望群であることは確かなので、「今のところ第一志望です」というあいまいな答えをしてしまったのだ。
実は提携している外資が最終面接を控えていることを話したので、
「では、もし内定を出したら絶対にそこを蹴りますね?就職活動を止めますね?どうなんですか?はっきり答えてくださいよ」
と強い口調で念を押される。
すごく怖かった。
拘束がすごいと聞いてはいたのだが、思っていた以上だった。
就活を開始してはじめて、「第一志望です」という切り札を、
使ってしまった……。
「群」をつければ嘘ではないが、
それは詭弁に過ぎないわけで。

…自己嫌悪。
しかも思いっきり迷いが伝わったはずだ。


帰宅して、第一志望の内定を早々にもらって今日ピリオドを打った友人も、すでに内定をもらっていたオリックスには 明るく「就活をやめます」と明言していることを知った。
どうやって断るつもりなんだろう、と思いつつ、私だけじゃないと知って、何の意味もないのにほっとしてみたり。
やなヤツ>自分
こういう駆け引きって、ほんと向いてない。
だから恋愛ごとも友情ごとも、ストレートで通用するもの以外は、
うまく行かないから手を出さないんだろう。

救いなんだか悪夢なんだかわからないが、
私はこの面接を失敗したような思い当たりもあるし、
なにより最後に第一志望かどうかを聞かれ、詰まってしまった局面が強烈で、
おそらくダメだと思われる。
したがって嘘の代償を被ることはなさそう。
実際、当日連絡は来なかったし。
なんにせよ、とうとうやってしまったか、という罪悪感は消せない。
内定待って頂いている企業にたいして、連絡もしなくちゃならない。
憂鬱だ。


でも、正直なところ。
「もし内定を出したら就活やめますね?」といわれたとき、
ソレでいいのかなあって思ってしまったのだよね。
確かに名前は大きくて、つぶれることはないだろう。
でも、私はそのために生きてきたのかなあ、私は事務処理が好きなのかなあ、大変なES(出版だけ)を書いた日々はなんだったんだろう、とか、そんな気持ちがよみがえってしまって。
だから。
「やめますね?」って言われた時、ひたすら切なくなってしまった。
そこで求められた一般職の選考に、私らしさが要らなかったからなんだろう。

でも要らないんだよ、私らしさなんて。
文章書けなくても、社会にそんなに興味なくても、個人の強い意見がなくても、積極的に発言することがなくても、疑う姿勢がなくても、とにかく迅速かつ正確な処理のできる事務用兵隊さんが必要なんだからさ。
それでも営業用兵隊よりマシだと思って、私は一般職のほうにシフトしたわけで。
ああもうっ、自分の割り切りの悪さに呆れる。



先日、高校時代の同級生(女性)とばったり会った。
すっかりオトナの女性っていう感じで、見惚れてしまう。
彼女は私服で、必修科目をまだまだ取り残しているらしく(笑)
大学へ行く途中だった。

私は一般職だと話したら、意外そうな顔をされた。
とはいえ、高校時代の私はきわめて大人しかったはずで、わりと優等生だったから一般職のイメージとは違うだけかもしれない。
彼女は60人OG訪問をしたそうだ。
本命の住商のためには一社で7、8人も会ったのに落とされたとかで、
三井物産(総合職)の内定が出るまで、すべて総合職希望で40社ほど落ちまくったと教えてくれた。
面接でのアピールなどを聞くと、なるほど魅力的だと思わされるすばらしくパワフルな女性なのだが、合わない面接ではしょっぱなから落とされることもあったらしい。

そういえば、1月から外資で面接を受けまくっていた友人も、
野村に内定するまで、20社落ちたという。

この計算から行くと、私はつくづく落ちたりない気がしてくる。
活動少なすぎたんだろう。
視野を狭くしないようにと思って、流通やメーカーなど総合職で見に行って、「総合職=営業職→それが向いてない自分」を再認識したはずなのだが。
それでも、諦めないで向いてない総合職であっても厳しい道を行くべきだったんだろうか、という迷いが生じる。
というのは、こうも一般職の選考で要求されることの少なさ、手応えのなさ、決まるまで異様に早すぎることなどを考えていると、無性に叫びたくなるのだ。
基本的にはグループディスカッションもなく、作文もなく、面接回数も少なく、それでいったいなにを見てるのか。
もし、少ないなかでアピールした者勝ちっていうことを求められているなら、
それをできていない私のせいなのだろうけれど…。

やっぱり、安易なほうへ流れすぎたんだろうか。
ああでもやっぱり営業だけは向いてないことは確かなので、
どうあっても総合職を受けるわけにはいかないんだよなあ。

2001年05月25日(金)



 みんなの就活

バファリン濫用中。(ほんとうは一日2回が限度)
それで少し咳するときの痛みがやわらぐので、昨日はどうにか眠ることができた。
ひさしぶりにぐっすり眠った気がする。
「アイスの実」をコンビニで買ってきてもらう。
咽喉を通るのは、お蕎麦とアイスとゼリーくらい。
ぜんぶ太るものばかりさ。
背中に湿布を貼って、胸には気道をひろげる貼り薬をやって、
おまけにスースーするやつまで塗ってみる。
原始的な手段でも、思ったより効果あり。
すこし元気になれた。
明日は朝から2件の面接、どうにか乗り切らなければ。

きのうゼミ中に電話をかけてくれた子から、
私の体調のことを聞いて心配して電話をかけてくれた別のゼミ仲間がいて、
電話ですこししゃべった。
私はこの子としゃべっていて疲れないし、とても素直になれるので、
ゼミのなかでいちばん好きだったりする。
他の女の子のほうが、世話好きで優しいんだけどねえ…。
どうにも悪いところがなくて、自信に溢れていて、
そういう天使の輪っかが見えそうなあたりが、苦手だったりして。

ゼミ内の就活状況が自然と入ってくる。
まだ続けている人も多いそうだが、
内定が出ていない人間はほとんどいないそうだ。
さすがにもうそんな時期なんだなあとぼんやり思う。
別に内定の数を競うつもりはないので、
それじたいは驚かないのだけれど、
決まった企業の名前にはさすがにすごいなーと言うしかない。
文学部というハンディをモノともせず、とんでもないところばかりに決まってゆく。
マスコミ志望者が多いゼミなのだけど、さすがに私の落ちた出版社に内定者はいなかったらしく、妙にほっとしている性悪な私。
でも天下のリクルートに2人入ってる時点で、とんでもないと思うけどさ。
はあ、たった20人のゼミなのに。

なんだかんだいって、私自身もそうであるように、
企業の知名度というのは、私たちにとって受ける大前提なのだ。
知らない企業を受けようと思う人は少ないから。
結果的に大企業しか受けないという図式ができあがる。
学生は他に企業を評価する基準をよく知らないしね。

しかし、もっと驚いたのは、女子の総合職の割合の高さ。
うひー。

電話の彼女には、こういわれた。
「rikoは総合職向きだよね。言いたいことを黙ってないできちんと主張するし、男の子相手でも一歩も引かないし、正義感も気も強いし……ああでも営業職向きじゃないんだよね…」
最後の言葉が問題だってば。
彼女は、イイお婿探しのためだけに腰掛就職した女の子の話に私がついてゆけなくてキレるんじゃないか、と言うのだ。
そして彼女自身もそういうタイプだから、総合職オンリーだという。
ううむ。

でもここで揺らぐわけには行かない。



その2



ある人の言葉から無断借用。
就職留年した女の子から。
すごく本音だし、共感できるなあと思ったので、ひっそり載せてみる。
了解とりたかったのだけど、そうするとサイトを教えなくちゃならなくなるからひっそりと。
懺悔です。


「私が去年感じたこと。でも、これはあくまで私が感じたことで、
それが悪いことだとは思わないからね。
つまり、銀行一般職って沢山内定者がいるんですね。
同期が沢山いるってことはとても楽しいことでした。
が、総合職との扱いの差は歴然としていて、そうなると、
私は、いっぱひとがらげなの?と思わざるを得ませんでした。
実際、頑張って「この子がいなくちゃ!」って言ってもらえる
ようになるのは、可能だと思います。
それでも、銀行は結婚後はやめなくてはいけなかったりと、
そういった慣習があるわけで、結局のところ、この銀行は
私がいてもいなくてもいいわけだよね。。
(ちなみに、行内結婚の場合です。どちらかが、といわれても女性が
 辞めるに決まっていますよね)
なんて、ブルー入ってしまったわけで・・・」


まったく同じことを、最近まわりはじめた国内生保でも思う。
大量採用、高い離職率。
やっぱり狭き門であっても、大切にされる育てられる企業に行きたい。
甘えかもしれないけれど、生存競争っていうんじゃなく、
一緒に高めあっていける環境のほうがいいなあ。

でも現実は大量採用ならもぐりこめるんじゃないかと思って、
受けに行く私なのでした。

2001年05月23日(水)



 自暴自棄

風邪をひいてすでに2週間。
よくなっているはずなのに、
毎日咳き込んで吐くわ、肋骨痛いわ、辛いのは同じ。

おばあちゃん先生に再び診察してもらった。
薬が思ったほど効かないんです…と話した。
「薬は補助だよ、病気は生きているんだから、薬をすこし飲んだからってたちまち治るはずがないでしょう。身体の治る力次第なんだから」
と諭された。

私は先天的に免疫が人より低い。
ちいさいころは何度も死にかけた。
いまはだいぶ数値は回復したけれども、やはり風邪をひきやすくしかも長引くので、1日2日休んだからって治る見込みなんてなく、
だから休むとしたら就活じたいを諦める覚悟が必要で、
もうどうしようもない。


いちばん腹の立つのは、自分の思うように身体をコントロールできないことだ。
どうしてどうしてこんなふうになっちゃったんだろう。
自分に腹が立って、自然と泣けてくる。
情けなくて、もうどこになにをぶつければいいのかわからなくて、
ただイライラして、どうしようもない。

洗面所で吐きながら、咽喉に指突っ込んで胃袋をさかさにして洗いたくなった。
胃液の味はもうたくさんだよ。
横になると咳がよけいに酷くなり、ときどき起きて吐くために走る。
眠ることさえ容易でない。

とっとと楽になりたいなーと思ってしまう。
理想もやりたいこともどっかに行った。
受けて落ちまくるならまだいいよ。
それは自業自得なわけで、落ち込むけど、やるだけやったと言えるだろう。
だけど、こんなふうにまともに活動することさえできずに躊躇してる間に、受けるところがなくなって、後悔ひきずりながら、ずっと生きてゆくのなんて嫌だ。

この咳で無理矢理受けに行ったほうがいいのか、とも思う。
当日ドタキャンの電話をかけるのがどれだけ自分を不利にするかなんて、
いやってほど考えた。
せっかく筆記の成績が悪くなくて早めに呼ばれたのに、
最後の最後にやってもらうなんて、枠が埋まるのを待ってるようなもんだ。
でもこのまま受けに行けば、結果なんて100%見えている。

頑張ってないなんて、言って欲しくない。
精一杯頑張って、これなんだよ。
頑張ってないわけじゃない。
なのになんでその結果がこれなんだろう。




その2

上の日記は、煮詰まってキレてる内容でした。
気分悪くさせたかもしれません。
でもこのときの私の偽らざるキレ具合だったから、
修正はしません。


自分に余裕がなければ、優しくなんてなれない。
逆にいうと、ふだん「優しい」と言われる自分って、
ほんとうに「優しい」はずはないんだってことを再認識する。
当たり前だと思うから、別に自己嫌悪に陥ることはないけれど。


2001年05月22日(火)



 文字


メールは、親しくない「知り合い」との情報交換にぴったりだ。
会話しなくても大丈夫だなんて、幸せなこと。
文字だけなら、どんなことだって書けるから。

最近濃いやりとりをしてないなあと自覚している。
どーでもいい就活のML用の情報メールとかなら、
いくらでも垂れ流しできるんだけどな。
それ以上のメールとなると、まったく書く気がしない。
自分の思っていること、向かおうとしているところ、セーブが利かない最近の私が、とことん素直に書けばどうなるかわかってるから無理なのだ。
最近特に俗物と化しているので、別に高尚な話題なんてないし。
目指してる理想なんて、かけらもない。
パン喰い競争参加中。


濃い会話が成立する場合、それだけ自分から濃いものを出していて、
努力というと違うかもしれないけれど、自分のなかに深い池みたいなものがあって、壁を乗り越えてさまざまなものを晒しあっているから、だからコミュニケーションできるんだろうと思う。

だが、会話のなかならある程度誤解を修正しながら話すことができるけれど、メールやチャットはそうはいかない。
顔が見られない。
相手が見えない。
それなのに、言葉だけがそこにある。

私は、受け取ったものをとことん捻じ曲げるのが得意だ。
信じられる言葉がどんどん少なくなって。
背後に、存在しないかもしれないモノを見ている。


いま、私は強くて元気で前向きな自分を演出しつづける。
そのゆがみをここで少し戻すけれど、戻せる量には限りがあって、
私とは正反対な作業(仮面を取り外す作業)を続けている人を見ているのが
正直、けっこうきつかったりもする。

つらいなら、見なければいいのにねえ。>自分


体当たりができないんだから、これは私が選んだ距離だ。
手を離さなくちゃ、私が壊れる。
そもそも手を必要としていたのは私のほうで、
それなのに、言葉も感情も意見も、そこから浮かんでくるものに向き合うには、
いまの私は、容量が足りなさすぎる。
前に進めなくなる。


2001年05月21日(月)



 肋骨

治りが思わしくないのにそろそろ薬がなくなってしまうので、
休めない私は、またも薬を母に代理で取りに行ってもらいました。
こういうとき一人暮らしじゃないことに甘えてるのかなあとは思いますが。

その結果、薬を増やされてしまいました。
抗生物質のより強めなやつを追加で。
気管支炎や痰を切る薬はこれまでどおり。
これに痛み止めやら咳止めシロップやらを個人的に足して、(いつもは我慢するけど)どうにか乗り切ろうと思います。

でも怖いことがありまして。
右側の肋骨の、咳をすると上下する骨がありますよね?
あそこらへんが痛くて、咳をするとずきずきするんです。
荷物を右手で持っても「ううっ」と来るので、それを母に伝えてもらったら、
咳の酷さを知ってる先生は、肋骨にひびが入ってる可能性もあるから、あんまり動かさないでね、とおっしゃったとか。
しかも対処法は…ないんだそうです。
固定して、ただ治癒を待つだけ。(汗)
この暑い季節に、忙しい季節に、スーツの私に、それはきついってば。

ま、ひびなんて入ってないと思いたいんで、たぶん大丈夫。
腰痛のときだって乗り切ったのだし、似たようなものさ。
それにしても、骨密度低そうだなあ。>自分
カルシウムは採っているんだけど、吸収されてなさそう。


こうしてどうでもいいようなことを書いてるのは、
余裕がない、かつ、なにも考えたくない状況だってこと。
やってもやっても手応えのないままのような気がするなあ。




その2


今日の予定をどうにかこなしてきた。
16日から4日連続。
明日も明後日もその翌日もさらに翌日も、ほんとうはあったりして。
……どこまで息が続くだろうか。

一日に2つの筆記は、思ったよりきつめ。
それでも、筆記というものにやっと慣れてきたような感じがする。
順応するのが遅すぎる私なのだ。
そもそも、筆記なんて通りさえすればいいわけで。
面接で落ちりゃ、筆記の良し悪しなんて関係ないわけで。
完璧を目指すよりも、面接をどうにかしたい。
自分の不器用なまでの妙な完璧主義が、災いしまくる。
なんで突き抜けられないんだろう。

一般職の選考が始まって、やっぱり私じゃダメなんだと思い知らされる。
いったいなにを求められてるんだろう。
本質の問題だとしたら、努力しても合うことなんてないんだろうか。
無理してあわせるのが無理だとして、他に合う道がないのだとしたら、
選んだものが、はなから間違ってたりして?
これでも自分に合わない銀行は辞めたので、これ以上辞められるところなんてありはしない。

こうなったらなにがなんでも私が一方的に愛を感じているところで、
とっとと惚れてもらうしかない。
出でよ、フェロモン。

―変なテンションだな、われながら。


やっと二つ終えて、帰り道、駅の構内を歩いていた。
咳こむと体中がぎしぎし痛むので、歩いてられなくなってそのたびに座り込んでしまったりして。
それでもやっぱり誰も家まで連れ帰ってはくれないから、
2時間でもなんでもかけて、ひとりでてくてく帰るしかないわけで。
自分でなんとしても足を動かすしかないのよね。
だから「あとすこしあとすこし」って掛け声かけて、
「1,2,1,2」って拍子とっておどけてみたりして、
そうするとちゃんと歩ける。
また咳が出始めると、すぐ止まっちゃうけどさ。

だからさ。
甘えてるんだなあと思うわけ。
まだまだ身体は動くんだよ。
気力次第で、なんとでも。
咳を止めることはできないけれど、歩くことができないわけじゃない。
だから、具合が悪いのを理由にするわけには行かないってこと。


2001年05月19日(土)



 ひらがな



なんだかとってもこわい

かたまってうごかないじぶん

そればかりをそうぞうする

あしたなんてこなければいいとおもう



どんなになきわらいでも

ひきつりえがおでも

のぼりはじめなければ

ずっとおりることはできない



むこうがわへついたとき

なんだこんなかんたんなことだったのかと

わらいとばすために

いまがくるしいというだけ

そうやって

じゅもんのようにくりかえす

2001年05月18日(金)



 椅子取りゲーム


グループディスカッションに参加してきた。
治りつつあるから、一発気合を入れて頑張ろうと思っていたのに、なぜか咳が止まらなかった。
咳は、我慢すればするほど苦しくて「うっ、うっ」って呼吸がおかしくなってしまうので、しゃべっている間も、誰かが発言している間も、たびたび咳をしてしまった。
一生懸命話を聞いているつもりなのに、咳をしてるなんて邪魔してるようなもの。
試験官にも、「大丈夫なんですか」とかなりツッコまれた。
「風邪気味で…大丈夫ですけど、聞き苦しくて申し訳ありません」
とにっこり笑顔で流したが、あれほど酷い咳をしてたら、「風邪気味」では済まないだろう。
危険物の札をペタっと貼られたような気がする。
ほんとうは、こんなことで評価されたくはない。
そう強く思ったから、諦めずに精一杯やったのだけれど。

勘で、今日のはダメだと思う。
私のとりえは、相手の話をきちんと聞く姿勢と愛嬌と元気のよさ。
(違うという意見は受け付けません)
それが発揮できないんだもの、どうしようもない。

なんだか“一生懸命”が空回りしている。
行きたいと思えない企業ばかり受けてきて、その経験から学んだこともあれど、それがいまとても負担になっている状況なので、これからは、とにかく行きたいと思うところだけを絞っていこう、と前向きに強気になろうとしたばかりだった。
なのに。
ほんのちょっとの強気なんて、あっというまに粉々になってしまった。




ひさしぶりの大学。
もう就職課には誰もいやしない。
当然の話だ。
一般職でさえ、内定を一つももらっていない人間なんてそうそういない。
銀行は開始は遅いがたった1週間で内定が出るし、クレジット系は採用が早くから始まっているからそろそろ内定の時期。
おおかたの金融はすでに動き終わりに近いのだ。
「気にしない、気にしない」と小声で呟くが、声に力が入らない。
とりあえず、ずいぶん少なくなった求人票をメモってみたが、
有名どころばかりで、虚しくなって途中でやめる。

私が他の子に負けないところってなんだろう、と考えながら帰り道を歩く。
自分の長所なら、いまはだいぶ自覚して言えるようになったけれど、
負けないかどうかということとなると、話は違う。
限りある採用枠、椅子取りゲーム。
私には戦える武器なんて思いつかない。


2001年05月17日(木)



 今日もお休み

だいぶ風邪の症状がおさまってきました。
明日から恐怖の5連続日程(3だと思ってたら違った)を乗り切るために、
今日の予定もキャンセルして、安静にしてました。
西洋医学の薬ってすごいよね、ホント。
葛根湯あたりは、私は全っ然効きません。
風邪薬も市販のじゃダメ。
抗生物質をしこたま飲んでやっと。

体には悪いのかもしれないけれど、いまはとにかく薬を切らさず、
乗り切ろうと思います。
心配してくださった方、ありがとう。
倒れる前にどうにかなった(のか?)ので、よかったです。

「燃えよ剣」を読みました。
土方信奉者をつくる本らしいとは知ってましたが、
確かにそうかも。
うーん、でも私はひねくれ者なので、近藤さんの愚かさに惹かれてしまいました。
一本筋が通ってる人は強いと思う。
でも、そうできなかった人、気がついたら変質してしまって、誰かに愛想つかされるような人って、英雄じゃないぶん、かえって好きだったりします。

沖田が、彼が生きていると思いながら死んだらしい(ここらへんは創作なの?)ところが、救いかなあ。
しかし、沖田かわいすぎ。
私はもっとひんまがった、なに考えてるかわかんない沖田のほうが好きかも。
なんにせよ、司馬さんの文章って読みやすいのね。




―その2―

第一志望で他はもうやらないと約束して握手してきた(内定を受けた)という人の話を最近よく聞く。
その後断るときに、あのとき嘘をつきましたって言うのだろうか。

私は14日にほぼ行くつもりはないところから内定を出したいと言われた。
で、当然、当社の志望順位はどのくらいなんでしょうか?と聞かれた。

だから私は、金融を受けていること、他も見ないと決めたくないことを、正直に話した。
流通のなかではその1社しか受けてないし、その会社が好きだという気持ちはあるのだけど、第一志望ではないと、最初から申し上げており、それでもいいですよ、と笑顔で通過させてくれた人事の誠実さがあって、ここまで来た。
最初はつぶれかけの企業なんて…と批判的だった私も、
かなりその企業が好きになった。
行く行かないは別として、愛情ならある。
業績はいいけど傲慢な同業他社よりもはるかに。
だから嘘はつきたくない。
そういうふうに、正直に話した。

本来業界をまたいで受けているとなれば、その企業が本命でないことは明らかで、タブーとされる。
だけど、それを話してもなお、いろんなところをめぐってきてね、と言ってくれた太っ腹さが、とても素敵だと思った。
それに、ちいさなことだけど、風邪でどうしても咳き込んでしまう私に、あわてて席を立って水を汲んでくれた。
「氷が溶けてますが…」という言葉つきで。
こんな人になりたいと思う、そういうやわらかさが、あった。
私がこんなに失礼なことを言ってるのに、
「金融一般職が終わるのは6月くらいかなあ」と、けっこう多めに時間をくれた。
とりあえず5月末までに中間報告を、ということになったのだけども、
その時点で内定には結びつかないけれどある程度目処がつきそうなら、誠実におことわりしようと思う。
でなければ、あちらに迷惑がかかるのだから。

就活はキレイゴトばかりじゃないと、よく言われるし、事実そうだと思う。
私だって、志望順位をツッコまれると、多少の隠し事はする。
だけど、そのなかで最大限、相手の誠意にこたえられるように、努めたいと思うから、だからちゃんとお話をしようといつも思って受けている。
解ってくれるだろうと思う企業なら、特にね。
で、解ってくれないほど頭の堅いイヤな企業なら、まあ嘘つく罪悪感も多少軽くなるしね。(笑)

2001年05月15日(火)



 欺かない


11日、医者に行った。
午後にはセミナーとOG訪問を控えていてあまり時間がなかったので、
点滴は無理だったけれども、注射をしてもらい、薬をしこたま出された。
おばあちゃん先生(ずっと見てもらってる)は機嫌が悪かった。
いつもそうだ。
私が無理するから、身体を大事にしない患者は嫌いだといわれる。

大学2年の冬の忙しい時期に身体を壊したときも、
「大学がそんなに大事?」と怒られた。
学年末のころで、進級条件科目を筆頭に、ゼミに入るための試験としてのレポート、その他もろもろの試験とレポートがてんこもり。
手を抜こうと思えばできるのだろうが、私にはそれができなかったからだ。
そういえば、腱鞘炎を抱えてたのも同時期で、そっちの先生にも、「治らないのは無理してるからでしょ」と言われた。
ぐっ、図星。
腱鞘炎の原因になった手書きをやめて、パソコンに切り替えた頃で、なれないパソコンに左手一本ではもどかしくて、どうしてもときどき痛めた右手を使ってしまうからだった。

このときの私は、意固地なくらいに結果にこだわっていた。
留年もゼミの選考落ちも、考えただけでぞっとした。
1年間の努力が水の泡となるのが嫌で、とにかく妥協したくなかった。
その結果、平均よりかなり多い科目数を履修していたのに、ただひとつも単位を落とさずにすんだのだけど。
あとでふと思ったんだ。
私はなんのために頑張ったんだろう。
それで私になにが残ったんだろう。
学問っていえる勉強なんかひとつもない気がした。
体裁だけ整えることが上手くて。
私はあいかわらず、「社会学ってなに?」という質問にひとつも答えられない。

このとき妥協したくなかった理由は、うすうすわかっている。
成績という目に見えるものでしか、自分を確かめられないからだ。
まわりが勉強以外の自分の楽しみをもち、大学生活を謳歌しているなかで、大学と実家を4時間かけて往復するだけの日々が、「大学生の自分」の存在意味をわからなくさせていた。

私にも、遊びたい気持ちだけはそれなりにあったのだ。
大学なんてモラトリアムな期間は、もう二度とないわけで。
変な言い方だけど、青春したいな、と思っていた。
他にも、人が好きになれない、交われない、そんな焦りもあった。
前も書いた気がするけど、欠陥人間のような気がしていたんだった。
(「普通」にこだわる自分がここにもひとり…)
これらは全部、中高時代からずっと抱えてきたものなのだけど、
ただ大学に入れば少し変われるといいなと思っていたのに、
やっぱり変われない自分がもどかしかったんだと思う。
このまま、面白みのない人間のまま、惨めに年をとるんだろうなあと漠然と考えて、うんざりしていた。
まわりが楽しそうにしているのに自分が楽しくないということが、罪悪感みたいなものにつながっていた。

大学の授業をさぼらず出ていること以外に誇れることのない自分。
だから学年末の紙切れ一枚で、かろうじて自分が大学でしていることを確認しようとしていたのかもしれない。


こんなふうに書くと、よほどマジメで努力家だと思われるかもしれないけど、
単に見栄っぱりで、つまづくことに臆病なだけ。
それなりの自分に甘いので、さぼるときはさぼりまくる。
そんな“だらしなさ”がまた罪悪感に変わったりする。(苦笑)
とにかくコツコツ型ではないから、ギリギリになってどばっと負担が大きくなる。
だから体調崩すのだって、ぜんぶ自業自得とも言える。
今回は違うけどさ。



体調は、よくはありません。
心配してくれる人がいることに、なんとなくほろり。
なんとなく元気だよって言ってしまいたくなる。
でもそうじゃないから、レスは見送り。

力んで咳こむので、筋肉痛&関節痛が発生。
特に、肩の付け根、首、みぞおちのあたり、背中、鎖骨のうえが咳のたびズキズキと痛むので、口に手を当てるより、そっちを押さえてしまう。
考えてみれば風邪をひいて1週間にもなるのだ。
そのわりにまったくやつれないんだけど。(笑)

11日無理して動いたのが決定打で、にっちもさっちもいかなくなって、12日は、2つも予定があったのに、キャンセルして寝ていた。
説明会に参加するためだけの整理券(本社にて配布)を取りに行かなくちゃならなくて、でも本人は動けずに、しょうがないから母に頼むことに。
企業に行くなんて緊張するだろうし、保護者が就活のために動くなんてみっともないからイヤだったんだけど。
あとから聞いたら、父母さんたち、いっぱい来てたそうだ。
ちょっとほっとした。

今日面接をキャンセルしたために、11日によたよたしながら諦めないで必死にやった筆記がパーになった。
具合が悪いことがかえって必死さをアップさせたのか、筆記の出来は悪くなかったのに。
少ない持ち駒が、ここに来て受けられなくなった事実に、少し(けっこう)めげてる。
泣き落としして、受けさせてくださいって訴えても、むこうもボランティアじゃないからね。

でも、筆記は根性で乗り切った私でも、面接は気合で声が出るもんじゃなし、咳が止まるもんじゃなし。
自分を呪ってもしょうがないさ。
はは…はは…。


先生には、咽喉をつねに湿らせておくようにといわれた。
咳すればするほど体力がなくなるし、炎症が酷くなるので長引くよ、と。
だからペットボトルを抱えて、ずっと咽喉に水を流し込んでいる。
行儀悪くて他人には見せられない姿だ。
なんとなく水道管の気持ちになる。
お茶がたぷたぷして気持ちが悪い。
吐くに吐けないまったりとした気持ちの悪さ。
このからだ、やわらかい有機質でなくて、灰色の堅い壁でできた箱みたいな気がしてくる。

この身体は、私の意思通りには動いてくれない。
たとえばこんなふうに、いちばん頑張りたいときにこそ困らされたりする。
ハゲだって緊張性の腹痛だって生理不順だって、全部私の意思とはまったく別に、こうしてあらわれてくるわけで。
人の弱みをみつけるのが、どうしてこんなに巧いのかしらって思う。

自分の身体を支配できる権利は、ほんとうはないのかもしれない。
そもそも、自分を生んだのは、私自身じゃないわけで。
この手で殺すことはできるけれども、風邪ひとつでさえ、体が自然に治るまで、
私がどんなにあがこうとも、びくともしない。

アタリマエのことだけども、気合いだけでは咳はけっして止まらないのだ。
どんなに話をしたくて、どんなに一生懸命言葉を絞りだしても、
なんで伝わらない、なんで阻まれる?
悔しくてしかたがない。


11日夜のOG訪問では、咳で言葉が遮られてしまうたび、気味悪い顔をされた。
感染されないか、と嫌がられてるのがモロにわかる。
それでもこっちも必死だから、なんとか話をしてもらおうとする。
なんとか聞いてもらおうとする。
ちょっとしたバトルだった。

私の咳は、とにかく聞き苦しいのだ。
(本人も当然苦しい)
特に弱かった中学のころ、病院に行ってから登校する日は、廊下に私の咳が響いて、遠くからでも「ああ○○が来たか」って判られるくらいだった。
授業妨害になるくらいうるさくて、私なんか教室にいないほうがいいくらいだった。

ひさしぶりにそんな重い咳が出るので、まわりの目が冷たいことにまいってしまう。
大多数の人は、まず自分に感染らないかを気にするし、なにより筆記試験やセミナーの最中うるさいのでにらまれる。
ロコツに席を替えた女の子がいたな、そういえば。
……好きでやってるんじゃないのに。
我慢すると余計に苦しくなるので、なんかもうやぶれかぶれ。
気にしないように心掛けてはいるけれど…。


―欺けないのは自分自身。


「人間はキレイなだけではいられない。明るさ、前向きさで自分を演出して、他人を楽しませたり安心させたりすることはできる。でも、自分自身だけはごまかせない。どんなに、つらさ、悲しさを否定しようとしても、それは現実に私のなかに存在しているのだ。それを否定することは、私自身を否定することにもなる。」

(「婦人公論」5/7号より)


だからちゃんと苦しいって言う。
大丈夫です、なんて言わない。
実際苦しいし、気にしないようにしていても、落ち込む現実はあるんだし。
でも、そこに心配する人がいると、どうしても明るく振舞わなくちゃいけない気がしてくる。
だからせめて、この日記でだけは、ちゃんと「苦しい」って言う。


明日。
明日は絶対に咳をしちゃならない。


2001年05月13日(日)



 お疲れさま でも明日も頑張らないといけないのよね

今日の4次面接が最終面接になるはずが、
今年はちょっと違ったらしい。
次に意思確認の最終面談をします、と今日受けて夜に電話が。
ちょっと拍子抜け。
意思確認ということは、おそらく、入る気ありますか?っていう意味だと思うけど、まだ出向かなくちゃならないのね。
それにしても、これまで待たされてたのが嘘のような迅速さ。

しかし、なんだってこう、サービス業系ばっかりなんだろうな。
今日の面接なんか、気合でどうにか笑って、咳してない間だけは、やけにハキハキしていたけれど、思いっきり咳き込んで不健康そのものだった私なのに、それで大丈夫なのか?

今日の面接は、たぶんやぶれかぶれだったから、(風邪と、志望順位の低さとで)
素の自分でいられたんだと思う。
さんざん会社の批判もして、店舗が汚い、サービスが悪いだの、言い切ってきた。
だって全部事実だもん。
それを甘んじて聞いている社員の方の姿が、とても印象的だった。
ここはほんとに地味で、落ち目で、でも憎めない。

とりあえず、気力を振り絞って、途中で即効性のある咳止めシロップと栄養剤と買いこんで、ドラッグストアの薬剤師さんに無理しないでと諭されながらも、浦安くんだりまで行ってよかった。
風邪はまた悪化したっぽいけど、気持ちは少し上向いてる。
自分の適性がクリエイティブ系じゃないということを、
ようやく認めなくちゃならないと、素直に思いかけてはいる。
そりゃあくやしくないって言ったら、嘘になるけど。
そっちも、少ないチャンスのなかで、まあ、やったつもり。
思ったより進んだとは思うわ。
だから、しょうがないのだ。


とにかく、今日の自分は誉めてあげよう。
咳のゲホゲホ度合いに、周りの人のいやーな視線を浴びながらも、
頭が割れそうに痛いながらも、ずっと笑顔でよく通したと思う。
私の咳の酷さに、真剣な顔で、市販薬でなく医者に行けと説教した薬剤師さん(あなたの仕事は市販薬の販売だと思うんだけどね(笑))、ホームでへたりこんでた私を心配してくれた駅員さん、席譲ってくれたサラリーマンさん、
本当にありがとう。
今日の自分、お疲れ様。


しかし、思う企業には思われず。
思われないでもいい企業には、思われて。
うまくいかないもんだわ、としみじみする。


そういえば、午後、新橋まで出て、また別の筆記を受けている最中、ひそかに携帯が鳴った。
ドキリ。
でも、筆記中だから当然出られない。(泣)
あとからみたら、思いっきり意味深な非通知だった。
心当たりはたった一社。
で、でも。
英語10分で30問くらいの設問があって、
そんなの無理で、ほとんど白紙で提出した私なのだ。
だから落ちたことを確信して、受けたことさえ忘れかけてたけど、
他にいま結果待ちをしているところがないから、やっぱりあそこなのかしらん。
同日に受けた他の人も、ほぼ同じ時間帯に連絡があったとのこと。
ああ、もう一度自宅にかけてくれ〜。
企業もボランティアじゃないので、一度で諦めるところもあるらしく、それがとっても辛いところなのだ。


2001年05月10日(木)



 「婿探しの日記」について

学生の就活に関する情報交換のサイトがある。
ここで最近、「婿探し」についての議論が白熱している。
このスレッドがそれだけ長くなるっていうことは、
誰もが疑問や共感だったりを感じながら活動している問題だってことだ。
ただ、表立って本音を口にする勇気ある女性がいなかっただけで。
そう、口火を切ったこの女性は、とてもとても正直な人だと思う。


銀行4大グループのなかの一つを、一般職の学校推薦枠で内定されたある女性が、
「都銀はすべて花嫁候補だもん、むこうだってそれを求めて良家の女子が行くような中堅女子大にわざわざ学校推薦枠を設けているんだし、就職=花婿探しのなにが悪いの?」
と書き込んだことから、この議論は始まった。
当時はまだ選考段階だということで、まわりはこのひとが受かるかどうかを注目してたようす。
私も、みずほが真の目的を見抜くのかどうか、見抜いたとして、それを良しとして採用されるのか、けっこう興味があった。
その結果、内定されたとのこと。
もちろん、書き込みしていたような本音は言わなかっただろうと思うけれど。
銀行側も解っていて、それでも採りたいほどの魅力があったんだろうと私は思う。
実際、文章がとても強くて強くて、どんな反論にも立向かう勇気に驚くほど。
よほど頭のいい人なんだろうと想像している。
私の弱気ぶりじゃ、近付いただけで息が出来なくなりそうなくらいだ。


女性がどんなつもりで就活しているのか、その意識に関しては、本音タテマエいろいろあるだろう。
大学のゼミのなかにも、同じ考えをもった人がいる。
帰国子女でとてもしっかりした積極的な女性なので、てっきり語学を生かしてバリバリ働くのかなと思ってたから、正直戸惑った。
お父様が都市銀行のエリートで、お母様が結婚生活で幸せそうにしているのを見て育ったから、同じようになりたいのだという。
当初は驚いたことは確かだが、価値観は人それぞれ。
婿探しが目的でも、本人がそれでよければいいんだと思う。


ただ、「一般職=嫁」という意識で企業側が採用しているのなら、
話はちょっと違ってくる。
これは、一般職を受ける自分にも、深く関わってくるからだ。


「もうすぐ一般職の内定も決まるからそしたら、合コンみたいな感じで懇親会も開催しますよ。うちはかなり社内結婚盛んなほうだし、会社側も奨励してるから早めに相手見つけちゃいな。僕(行員)も社内結婚だし。(中略)実際、一般職の仕事って最低限の責任感さえあれば誰だってできるし、それなりに若い女の子のほうがお客さんに受けもいいしね。だから、うちは『バリバリ仕事やります』って感じの子より『結婚したら辞めます』って感じの子採用してるんだよ。」

↑無断引用。

ある都市信託銀行の内定者(♂)が、人事に言われた言葉だそうだ。
一般職で肩たたきはもうあまりないよ、っていうふうに、最近よく言われる。
(そうか〜、祖父母の知ってる頃とは違うのか)と思い始めたから、職種をあまり気にしなくなった。
でも、こんな言葉を内定者にもらすような銀行に、同じように思えたら、
そうとうおめでたい人だろう。


そもそもその推薦枠という発想自体が、花嫁探しの色濃いのだ。
金融機関は信用第一なので、低すぎる給料に不満を覚えて夜に水商売されたりして、それがスキャンダルになることを怖れて良家子女を採ると一般に言われているけれど。
共学なら遊んでいて、女子大なら清純だとでも?
一人暮らしなら朝帰りも自由だけど、親と同居なら清いお付き合いだとでも?
(一人暮らしをしないように、としつこく確認されるのが常なのだ)
笑わせてくれる。
日が高い間でも、2時間休憩でヤることヤれるってば。(下品になってくる…)
この単純すぎる価値基準に、まず失笑が漏れる。


学校にいるあいだは、男女差別を感じることはほとんどない。
男女混合の名簿順に、家庭科も男女一緒。
それが当たり前の世界だと思っていた。
学校時代はむしろ女性のほうが強いくらいかもしれない。
でも、社会のほうへ顔を向けた途端、自分がなにも知らなかったことに気付く。
抗いがたい大きな波があることを知ることになる。



その2 どうしようかな〜


8日の面接前に、急に電話がかかってきて、10日に最終面接をねじ込まれた。
T社と同じくらいに、もはやどんなことがあっても行っちゃならないと思う企業なのに、断れない自分がいた。
面接前で急いでたし、ついつい体調がどのくらい復活するかもわからないまま、とりあえず話を受けてしまった。
しかし、考えてみれば、今日一日で体調が向上しなかった場合、当日ドタキャンになってしまうわけで。
前々日に電話してきた向こうもどうかと思うけれど、
当日ドタキャンの電話っていうのも非常識すぎるよな。
うーん。

その後、浦安から都内に移動してもう1つ筆記をこなして。
11日は説明会とOG訪問で夜遅くまでかかって。
12日も一日中活動。
なんと説明会に参加する整理券をとるためだけに、
本社に出向かなくちゃならない一般職の身の上。
ああアホらし。
整理券制度じたい、見直してよ。>生保

さて。
こうなると、風邪を気合でどうにかしようとした私が、馬鹿かもしれない。
学校なら、後で追いつくことができるから休めるけど。
(理系大学の実習とかは無理だけどね)
こちらはあとがないんだもん…。
でも、14日までに、どんなことがあっても完璧に治したいのだ。
大切な大切な面接があって、ほんとうはそこに絞りたいところなのに、
持ち駒増やしに奔走しなくちゃならない現実があって。

おまけに、この風邪だ。
薬もビタミンもちゃんととってるのに、熱は思ったほど下がってくれない。
なにより咳がいちばんしんどい。
いわゆる疲れの微熱なら、寝てれば体力回復するけど、
吐いたり咳が酷い風邪の場合は、寝てるだけではよくならなくて、
横になるとかえって咳こんで吐いちゃったりするから、
おちおち寝てもいられない。

気を張っていれば風邪なんかひかないと、よく祖母に言われていた。
だから、おまえはやる気が無いんだと。
体調管理もできないヤツなんだと。
免疫が人より低めなこととか、一番知ってる身内なのに。
でも、今回はちゃんと気を張ってたつもり。
それでもダメだったのだ。
ほんとうなら愚痴る資格はないのかもしれないけど、
でもしんどいものはしんどい。
心配させまいと無理に元気に振舞うほど、私は性格よくない。

でも。

祖父が頭痛と吐き気を訴えて、検査入院したとのこと。
ちょうどその前に私のことでいろいろ心配させたからじゃないか、とか。
ほんとうはいろんなこと考えてしまう。
悪い方向じゃないといい。
お願いだから。


2001年05月09日(水)



 42分の1

トローチ舐めながら、集合時間から面接開始まで延々4時間待った。
妙に疲れたけれども、行ってよかったと素直に思う。
おかげで、出版という方向そのものを諦められそうだから。

ESと筆記で、既に6分の1くらいに絞ってあるのに、更に一気に7分の1に絞られるという。
やる気もESも筆記も全部ちゃんと基準以上の人間が受けに来ていて、
それでも、7人中、6人は蹴られてしまうわけだ。

面接は13分くらいしかなくて、ESを見ながら適当に雑談レベルに終わった。
志望動機さえも聞かれなかった。
面接官が面接慣れしてないなー、という印象を受けた。
そういう雑談のときは、どれだけ会話が面白くなるか、が決め手になるんだろう。
だが、私がある程度まともにしゃべったつもりでも、可もなく不可もなくってやつになってしまう。
はきはきしゃべろうが、笑顔で話そうが、内容が面白くない、受けないんだもの。
なんかこう、誰から見ても魅力的な人間っているでしょ?
そういう決め手がないっていうこと。
悲しくても、それも現実。
いくつも最終面接まで行きながら落ちるタイプの人は、特にそう言われるようだ。

可もなく不可もなく、とか。
器用貧乏とか。
そういう言葉って、いちばんどうしようもなくて、めげるんだよね。
一生懸命やったからって、光るものが出てくるわけじゃないから。
そういうのって、アナタには才能ないんだよ、と言われてるようで、
自分を否定されるなかでも特に返す言葉が見つからなくて、
俯いてしまう。
それならいっそ、あくが強いとか、個性が強くてこれには向かない、とか
そんなふうに言われたほうがマシだと思う。



椅子に座っていてさえも、なにやらフラフラするなあと思ってたら、
帰宅して熱を計ってみると、38度8分あった。
もう少しで39度じゃん…。
いくら私が熱に強い方だとはいえ、さすがにしんどいわけだ。
関節が痛かったりするのも、ガタが来たのかしらと思ってたけど、
この熱のせいらしい。
それでもアナウンサーの人なんか、39度出てもお仕事するとか。
ひぇ〜。
まだまだ甘いってことだろうな>自分





―その2―

大人しく寝ようと思ったのに、咳がおさまらず、けっきょく寝つけない。
咽喉と胸の中間あたりがずきずきする。
重たい咳のしすぎ?
咳が続いて、肺病じゃないかと間違われたことを思い出して苦笑してしまった。
肺病はもっと軽い咳が長く続くらしいけど。

まさか風邪のときのアルコールやるわけにはいかないし、
勉強する元気なんてないし。
そんなこんなで、あまり頭の使わないことに没頭することに。

拾ってきた画像を処理して、トップを替えた。
もとは鮮やかな海の色で、いかにも額つきのポスターっぽいイラストだったのを、グレースケールに加工して色をなくしてしまう。
unsteadyというサイトのタイトルを決めたときから、
ずっとグレーばかりだなあと思う。
ほんとうは淡い水色や葉っぱの色なんかも好きだけど、
あいまいで色の無い色であることが、たぶん「らしさ」なんだろう。

最近やっと色のある服を着るようになったけれど、
数年前までの自分そのものだと思う。
グレー・ブラック・ダークブラウンくらいしか着られなかったのだった。
就活でまた地味な色を着ることで安心してる自分を発見して、
逆戻りしないように気をつけなければとふと思った。

色は、選ばなくていいほうが楽なのだ。
選ぼうとすると、そこに自分の価値観が入るから。
けっきょく、どんな色も似合わない気がしたりして…。
だから、自分をある程度好きになることが必要になる。
うん。
たぶん、少しは好きになれていたはずなんだと思う。

でも最近は、電車のなかの窓さえ怖い。
3日に出かけたときに、派手な色のニットを着ていってしまって(寒くてちょうどあったのがそれだった)猛烈に居心地悪くて泣きそうだった。
上手くいえないけれど、自分じゃないような居た堪れなさを感じるんだと思う。

よくない傾向だわ。

2001年05月08日(火)



 季節の変わり目

かぜっぴきでございます。
季節の変わり目、やけに寒かったあと、やけに暑かったもんね。
咳が出るタイプの風邪は最近はあまりなくて、ほっとしてたのに。
熱出るくらいならそこそこ我慢できるけども、
止まらない咳が出ると、面接で困るのよね。
しゃべると声が上ずるから咳き込みやすい→咳き込むともっと焦る→焦りのあまりもっと咳き込む。
…うーん。

とりあえず、ビタミン剤を多めにほうり込んでおこう。
でもまだ寝れないのさー。
やることやんないと。
甘え&現実逃避ばかりが進む。
日記がやけに更新されたのは、そういう事情。


久しぶりに他のサイトをいろいろまわってみた。
距離をおくと、落ち着いて見られたり、好き勝手書いたりできる。
そのなかに身を置かないと、わりと客観的に自分を見ることができる。
その結果。
もともと引きこもり的な自分にとって、いまの状況が、刺激が無い代わりに、ある意味楽だということに気付きつつある。
たとえ刺激的で魅力的なものがそこにあったとして、自分の手に負えないと思うなら、やっぱり手を出すべきじゃない。
時期でないのに、背伸びをしてもしょうがない。
けっきょく、自分が無駄に苦しくなるだけだ。

好きであるほど苦手という感情が、私にはとても多いらしい。
たぶん、自分がよけいにみじめに見えてしまうから。
必要以上に焦ってしまうから。
自分のできないことが、とても明るく照らされるから。

そういう時の苦しい自分を無視するとどうなるか、その暴走ぶりを止められなかったことがあるから、セーブしながらマイペースにやろう。




―その2


やっと起きた。

咽喉が真っ赤に腫れて、市販の風邪薬じゃ効かなさそう。
飲んではみたけど、たった2日で随分酷くなってしまった。
明日の面接をまえにして、われながらタイミングが悪いなあと苦笑するしかない。
安静にしてないとどうなるかわかんないので、とうとう、〆切だった書類を、母が外出するついでに、最寄の郵便局に出してもらうことに。
ちゃんと自分で行って、ついでにむさくるしい頭をどうにかしようと思ってたのに。
予定が狂いっぱなしで、焦るばかり。
二人目のOGに連絡をとらなくちゃ。
このあいだの礼状もまだ書いてない。
筆不精な私めっ!
あ〜あ。
咽喉が痛くてモノを飲み込むのがきつい。
お願いだからとっとと治ってくれ。


こんな状態なので、T社は電話でお断りした。
風邪をこじらせて…と言ったら(事実)
断りではなく、保留させていただきたいんですが…とのこと。
5月末ごろにまた元気になったら再度考えてくださいと言われた。
もう一度連絡しなくてはいけなくなった。
丁寧な応対に、後ろめたさばかりが大きくなる。
風邪も事実だけど、もう行く気がうせた、と言えばよかったんだろうか。
優柔不断。
欲かいた私。
嘘はついていないけれど、誠実さに欠いている。
でもこっちも必死なのだ。
このくらい許してください。

風邪が長引けば、就活のいちばん大切な時期がストップしてしまう。
なんとか気合で治さなければっ。

2001年05月07日(月)



 「『いのち』を意識して生きていますか?」


「婦人公論」5月7日号、特集に惹かれて読んだ。
特集の「『いのち』を意識して生きていますか」が面白い。
川田龍平さんの手記、石井めぐみさんの「天使になった“ゆっぴい”が私を変えてくれた」。
だけど、いちばん自分が読んでいて痛さの近かったのは、読者ノンフィクション。
私と同じ大学4年のときに、突然膠原病になった読者(25歳)の手記なのだけど。

「あなたは病気であることを自覚しなくてはいけません」という正論を威圧的に繰り返す、ボランティア精神旺盛なAさんに対する筆者の苛立ち。
たとえば。
「落ち込んでも時間の無駄だと思う。やっぱり目標を持って……そうじゃないと生きていても楽しくないよ」というAさん。
明るく前向きに目標を持って、と言い続けられ、Aさんに、コンピューターで仕事ができるようにするという「夢」を勝手に設定までされてしまった筆者は、Aさんに対して、「架空の目標を語るくらいのことはやってのけ」るようになった。「空っぽの自分のなかで、どうしようもない虚しさだけが広がっていくのを感じながら。」
だが、最後に筆者はAさんに決別の言葉をしたためる。
「Aさんは正しいです。ご立派です。でも私はコンピューターではありません。病気になったからといって心構えをインストールして優等生のように生きていくことは出来ません。」
そうして、苦しさを苦しさのまま抱えて、自分がなぜ病になんかなったんだろうというどろどろした気持ちも抱えて、「病人なりの」大きな夢のためではなく、一日一日の生活のためにまずは生きようとする。
彼女は、このエッセイを書くことで、「明るく前向きに」と片付けられてしまうことに否と言いたかったのだ。


『五体不満足』の乙武くんの対談もこの号に載っている。
障害や病気をもつ人がクローズアップされるときというのは、負けずに前向きに明るく頑張っていて偉いよねえ、という意味合いが大きい。
あの本は失敗だった…という言葉もあったように、
その“プラスイメージの偏見”が、時には重く圧し掛かり、ありのままの自分であ息がしにくくなるんだろう。

実は、就活の面接も同じで、困難を克服した体験が必ず問われる。
そういう強さや前向きさが、もっとも必要とされる。
私は悩みはいっぱいあったけれど、克服して勝者となったという感覚はまったくないので、とても困る。

だが。
明るく前向きに立ち向かって克服を目指すことが、本人を楽にさせるのか。
幸せにさせるのか。
…生きるのを苦しくさせないのだろうか。


前述の石井めぐみさんの手記に、同じように克服しようと突っ走ったことへの後悔が記されている。
「どんな重い障害でも訓練次第で健常児になれる、健常児以上の天才にだってなれる」という本の言葉に、“健常児になるための訓練”に走ってしまった、と。
ところが、毎日訓練に明け暮れ、優斗くんを連れまわすうちに、彼はストレスからくる拒否反応で、生死の境をさまようことに。
そこで彼女はやっと気付き、こう思うようになる。
「この子は苦しい思いをする為に生まれてきたわけじゃない。私のやるべきことは、健常児に近づけることなんかじゃなく、優斗に楽しい生活をさせてあげることだったのではないか?1分でも1秒でも、生きている限り楽しいことをさせてあげよう。」


いわゆる“ガンバリズム”(頑張ることを至上とする主義)への抵抗はずっとあったけれども、この言葉を口にできるのは、心底頑張った人だけだと思う自分もいた。
従って、自分は全然頑張れていない、だから負け犬の遠吠えだ、と。
でも、障害や病気の程度じゃなく、困難の程度じゃなく、
自分が苦しいと思うときに、なにかの圧力(自分の中の“変な生き物”の声も含む)“頑張らされる”のは余計に苦しいわけで。


答えが出ないね。
そもそも、この特集は、命を考える特集であって、ガンバリズム批判じゃない。
実際、特集の記事のなかには、「頑張りました」と胸張って成功談を述べている人もいるのだから、筋違いなんだろうけれど。
そんな記事には感動しない私は、もしかしなくてもひねくれ者なんだろうな。(笑)
大丈夫、拍手は送っておきましたから。







―その2―


男子バレーボールが好きな私。
といっても、テレビ中継くらいしか見ることはないけれど。
最近の天皇杯、揺れてましたね。
昨日はサントリーがNECを破ったらしい。
NECがリードしてたらしいのに。
しかも、久しぶりにリベロ西村が戻ってきた試合だったのに…。
ちなみに、私は「リベロ」というサーブレシーブに徹するためだけのポジションが、実は一番好きだったり。
いわゆる花形になれるかもしれないチャンスを自ら切って、
チームでたったひとりだけのその役割に徹する。
ストイックで、職人気質って感じがいいんです。
そういえば、サッカーでもGKが好きな私。
専門家とか、縁の下の力持ちに弱いのかしらん。

そして今日、JTvsサントリーの決勝戦。
絶好調なチームより、後を追うチームをついつい応援してしまう日本人な私。
JT、大きな大会での初めての優勝、おめでとう。
平野…ほんのちょびっとしか出なかったけどさ。(涙)

平野の人気はすごいけど、はっきりいって、欠点も多い。
プリンス加藤みたいに安定して打つわけじゃないし、
サーブレシーブ上手くないし、そもそも、ムラがありすぎ。
この人が出るときは、失敗するか、成功するか、そのどちらか。
大事な場面でも、とことん強気。
その結果、最後のセットのマッチポイントで、自分のサーブミスで相手を勝たせたこともしばしば。
はあ。
でも、そこが魅力なんだよ〜。
あの人が出てくると、時に空気ががらりと変わる。
ミスも多いけど、運を味方につけたら、もう止まらない。
吠えて吠えて吠えまくる。(笑)
不安定さも、悔しそうな表情も、落ち着いたオトナでなくて、
ガキ大将っぽくて、そこがまた…。

ミーハーバレーファンでごめんなさーい。
そういえば、パスカルがスパイク打つときの斜め45度がうっとりだよね、と友人に話したら、なに見てるのよと叱られました。
いいんです、それでも。
もはや、このミーハーは血です!

2001年05月06日(日)



 「どうあったってきみは普通にはなれないんだよ」


「ジャック」を子供の日にやるあたりが、憎いね。(笑)>フジテレビ

ロビン・ウィリアムが大好きで、この映画は以前ビデオで借りて見ました。
地味だけども、かなり好きな映画のひとつ。
吹き替えが泣きたいほど合わなくて、唸ってしまったけど。
そもそも、あのロビンの演技は、誰も吹き替えられそうにないんだわ。

ロビン演じるジャック少年は、人の4倍早く細胞が成長する体質に生まれた。
だから、なかみは10歳でも、身体は40歳。
奇異な目で見られるから、学校へ通ったことはなかったのだけど。
徐々に友達が欲しくなり、外ばかり見るようになり、
家庭教師の先生が、両親へ学校へ行かせたらどうかと提案する。
学校では、最初はモンスターだとか言われてからかわれるのだけど、
そのうち彼の純粋さに気付いた子供たちが出てきて、
彼らはどこにでもいるフツーの悪ガキのように遊びまわるように。

けれど、ある事件を境に、彼は自分が急速に老いていくことを怖がりはじめる。
身体は老化して、学校へ行くことさえ困難になりはじめる。
どうせ勉強しても、みんながオトナになることに、自分は生きていない。
「27歳の自分」を想像して、そのとき自分はどうしたい?というふうに思ったとき、「生きていたい」としか答えられない自分に気付く。
不安にかられる。
ならば今なにかを、と学校の先生をデートに誘うが、けっきょくなかみは10歳で、当然断られ、傷ついたりもして。
身体はおじさんなのに、恋愛もできない子供。
そのギャップに苦しみ、ジャックは無気力に。
未来のことを考えて、なにをしても無駄だって塞ぎこんでしまう。

そんな彼に、「きみは流れ星だ」と家庭教師の先生は淡々と言う。
あっというまに通り過ぎてしまうけれども、めったに現れないし、
空を駆け抜ける間は、他の星も見とれてしまうって。

でも彼は、「普通の星がよかったなあ」ってつぶやく。

そうしたら先生は。

「きみは普通にはなれないよ。どうしたって特別なんだから。」

と言う。

これは蔑みでも同情でもない。
それが事実。
そして、その事実をどう受け止めるか、それだけが自分が唯一変えられること。
私はそんなふうに受け止めた。

設定が特徴的で、そのわりに地味だったりもするこの映画が忘れられないのは、たぶんこのシーンが好きだから。
そしてジャックは立ち直り、最後70歳くらいのよれよれのおじいさんの外見で、高校卒業を迎え、スピーチをする。
ううっ、泣きどころ。
ついでにラストに歌詞のすてきな歌が流れて、また泣かされるはずが、
テレビ放映ではカットされちゃってました。(涙)


さて、「ヒジュラに会う」(大谷幸三著 ちくま文庫)を異例の速さで読み終わったところです。

“ヒジュラ”とは、自分自身を、男でもない、女でもない、ヒジュラだと信じて生きる人々の総体です。(←とあとがきを引用)
インドで独自のグループを形成して、いわゆるカーストから離れ、家族から離れて、男とか女とかの性のカテゴリーの外で生きている人々、と言えばいいでしょうか。
私自身、知識が絶対的に足らない状態なので、誤解を招いてしまったらごめんなさい。

この本は、りょうか嬢の家の本棚から奪ってきたものなので、付箋をつけつつ読んでます。
自分で探したいんだけど、再版されてないみたい。
この本、読み進むのが正直辛い部分もあったりもして。
「自分探し」について、いろいろ考え込みました。


前述の映画「ジャック」と「ヒジュラ」とは表向きまったく関係がないようにも見えます。
ただ、そこにある「特殊」←→「普通」という図式の持つ問題はきっと同じ。
前者はありのままの自分をみんなに認められ、みんなのなかで生きてゆく。
後者は…自分のなかでの戦い。
その結果、「ヒジュラ」として、自分を矛盾の無い形へ認めなおす。
去勢の手術を行う場合は、それがすなわち、古い自分のなかでの矛盾を切り離す肉の塊にこめて死なせてしまうことを意味する。
その結果、「ヒジュラ」という性なき存在として自分を再生する。

うまく言えないけど、どちらも痛みを伴う作業ではあるでしょう。

私は「普通」という言葉が、嫌いで、好きな、矛盾した自分を持っています。
この問題をいまもって解決できてない。
一生こだわってゆくことかもしれないとも思う。
そのパラダイムを壊したくても、私は手のひらに乗ってる孫悟空だから。
それでも、気付かなければよかったと思うことはない。

自分が普通だと信じて疑っていない人。
自分が幸せだと信じて疑っていない人。
私はそうはなれずに、だから苦しくもあるけれど、やっぱり気付いているだけよかったと思う。
そのぶんだけ、普通ではないことを抱えるイタさを知ってるつもりで。
それと同時に、偏見深い自分も改めて自覚させられたけれど。
それでいいんだと思う。
迷っている自分が、外に出せる今が、ある意味とてもすごいことなんだと思う。


2001年05月05日(土)



 『カリスマ』

OG訪問の帰り、本屋へ。
日経ビジネスに連載されてた、中内ダイエー崩壊へのルポ『カリスマ』(新潮文庫 上下巻)を立ち読みする。
ちなみに、ダイエーと中内元会長を原告とする裁判沙汰にまで発展して、その後和解はしたようだけど、そのくらいの問題作。

実はこの少し前、NHKスペシャルのダイエー再生への道をやっていたのを見たので、それとの違いを知りたかったから、手にとった。
高木社長、平山副社長の現在の捨て身ともいえる最近の改革。
いま、ユニクロやマクドナルドなど、グループ会社以外のライバル店を誘致する作戦で売上回復を狙っている。
プライドを棄てた作戦とも言えるけれども、私はそれじたいは悪いとは思わない。

―しかし。
2000年夏のボーナスが、一部地域で、0.5ヶ月分くらいダイエーでのみ使える商品券での現品支給だったという。

また、ダイエーの店舗のスタッフルームに、こんな張り紙があったそうだ。

「スタッフの方へ ダイエーでは多くの社員が働いています。あなたがたが一日1000円ずつでも買い物をしてくだされば、一ヶ月で○○○○万になります。どうかご協力を。ダイエーを救ってください…」

といった内容のものだったという。(要約)

このダイエー、実は、2002年度卒の新卒採用をのらりくらりとやっている。
同様に店舗閉鎖を続けており、経営不振に喘いでいるサティが中止し、西友さえも中途採用に力を入れるという言葉をタテマエに突然中止したいま、経営不振流通のなかで、このダイエーだけが100名以上採るつもりなのだ。
入社まで、会社が残っているという保証がどこにあるだろう。
それでも、多くの流通希望者がここを受けている。
信じがたいかもしれないが、学生の立場の弱さゆえ。
それが現実だ。

この日会ったOGは、外資系生保の総合職なのだけど、
同時期に先日破綻した千代田生命も受けていたという。
「そちらに行ってたら人生変わってたわね」としみじみ漏らしていた。

運命って、ほんとうにわからない。
学生に見える企業の外側は、金メッキ。
けっきょく自衛手段は、勉強することと情報を集めること。
私はこれで失敗して、いまの状況を迎えてしまった。
自信のなさから、優良人気企業を受けなかったツケがまわってきている。

どんなに選考が進んでいても、問題のあるところ…切ったほうがいいんだろうなあ。
不安抱えて大学卒業まで過ごすだなんて、耐えられないだろうから。
それくらいなら、はじめから腹を決めていたほうが楽かもしれない。

2001年05月04日(金)



 GWらしい休日の過ごし方


りょうか嬢と、池袋の上海ヌードルでランチをして、観劇をして、ちょっとだけショッピングもして、帰宅後、夜からあらためて酒盛りをした。
それでも私は明日に初のOG訪問を控えていて、泊まれなくて帰宅→3:30。(笑)

ご飯が、ちゃんと美味しかったのが、嬉しかった。
昨日はあまり味がわかんない気分だったから。
一緒に食べると美味しいねって言い合えるから好きだ。
ふたりして、ほっぺを上海ヌードルの床に置き忘れたくらい、
感激しながら食べた。
ランチにプラスして頼んだ「魔法のプリン」も桂花茶も、美味。
杏仁豆腐とともに、言葉も無く、ひたすら顔を緩ませていた。


美味しいものが、いつも美味しいといいなと思う。
眠たい時に、いつも気持ちよく眠れるといいなと思う。
たまには、気の合う人と一緒に、まったり過ごせるといいなと思う。

そんなこんなで、久しぶりに気分転換。


帰宅して、一応メール受信をする。
さっき眠そうな顔で見送ってくれたりょうか嬢から、応援のメールが届いてた。
「明日のOG訪問頑張っておいで」という。
今日はなんだか、メールやら書き込みやらに励まされた一日だった。

読んでくれた人すべてに、ありがとうを。

2001年05月03日(木)



 

(どうして…何が足りないんだろう…)
というふうに、原因を考える方向へしか思考が行かない。


原因がわからない。
自分らしくある、そのこと以外に。
自分が精一杯やったことを、否定されているという思いだけが、のしかかる。


理由がわからないから、どうしても先に進めない。


なにが悪いんだろう。
私が私であることの、なにが悪いんだろう。
それを突き詰めると、本当に情けなくてしかたがなくて、
ぼろぼろ泣きたくなって。
なにかの拍子に、ふつうの言葉さえ泣き言になってしまって。
本当に情けないったら。
ちくしょーっ、顔が腫れるじゃないか。
ひりひりする。
明日も外出なのに。


泣いている暇はない。
立ち直って、原因を考えて、対策を考えて、自分を改善して、先を見据えて、
もう一度ゼロからやり直さなくちゃいけないのに。


私がやりたいと思うこと、私がいいと思ってやっていることと、
相手が望む人間像との間に、埋められないギャップがある。
だから認められない理由が、私にはわからないのだろう。
努力したからって、なんとなかるわけじゃない。
そんなの、解ってた。
温めても孵らない卵かもしれないと、ずっと思っていたよ。
いつか判ることに、びくびくしてた。
でも、私は認めて欲しかった。
あがいてみたんだ。
それなりに、ちっぽけなりに、精一杯だったんだよ。


お見合いみたいなもので、相性だよって人は言う。
だから、気にするな、自分が悪いわけじゃないよって。
でも、私はちゃんと好きだったわけで。
だから相性がが悪かっただけだとか、最初からあまり好きじゃなかったから別にいいさ、なんて言えっこない。
私が、やっぱり力不足だって言うことなのだ。
適性がないってことなのだ。


悔しいっていうよりも、無力感で。
ほんとうに、なにをしたらいいんだろう。
どう変えればいいんだろう。
失敗から学ぼうと思うのに、
自分のなにが悪かったのか、てんで解らないままじゃ、また同じ失敗をしてしまうだろう。


ほんの数ヶ月先の自分さえ、見えないんだ。




その2


外資系生保一般職のセミナー&選考に打ち砕かれた帰り、錦糸町のつばめグリルで昼兼夕食を食べた。
前食べたのが和風だったから、今日はつばめ風ハンブルクステーキ。
シチューの味がかなり美味しくて、一食分としてはかなり奮発したのに、
いつもの私の半分くらいしか笑顔になれなかった。
ひとりで食べたからかなあ。
美味しいモノに失礼だ。


忘れないといけないなあ、とずっとぼんやり思ってる。
実際、ひとつひとつの具体的な失敗は、風化する。
ただ、自分には、なにもできないんだなあっていう気持ちだけが残り続ける。
ちょっとした拍子に、一気に襲ってくる。
その大きいやつで、なけなしの自信の最後の欠片まで、うち砕かれたっていうか。


GW明けに、最後の出版ES提出ラッシュが待っている。
やるだけやってみて、出せそうなら出そうと思ってた。
普段読まない主婦向けのものから、ギャル系のものまで、雑誌も書籍も買いこんで、無い知恵振り絞って。
でも、もうやめようと思う。
だって、自分が向いていると思うところで、それなりに納得した内容でダメだったのだから。
それでもやっぱり、なにひとつ変えられない自分なのだから。
…しょうがないよね。


一般職向けに、少しでもなんとかなるように、勉強したり、志望動機を捏造したりするほうが優先だろうと思って切り替えようとした。
その矢先に、今度はなぜだかわかんないけど、ある一般職を落ちた。
正直、理由がまったくわからなくて。
前にも後ろにも、深い池があるみたいで。
このまま1ヶ月たっても、あとになにが残るんだろう。
不安と焦りで、よけいに空回りしてるって、自覚あるのに。
止められない。


落ち続けて、100社たまったら努力賞をあげるよ、っていうのがあればいいのに。(苦笑)

2001年05月02日(水)
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