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■ 2度とないだろう、デートらしき話。
年寄りのよた話ですのであしからず。
高校の部活の先輩で、受験のときなどに相談に乗ってくださってたひとがいたんです。おだやかで、ちょっとくせのある、文学青年って感じの人で、ビオラをやってたりして、私の目には、大人に映ったんだと思います。今思うと、私が勝手に大人びてると思ってただけなんでしょうけど。
高校を卒業してからは、メールをやりとりするようになって、そうすると、内面的なこととかも、随分おたがい吐き出すようになりました。 彼は、文芸部の先輩ですから、文章やら詩を書くのが得意な人で、メールもわりとそんな感じでした。堅い話題が多かったんですねー。 私もちょっと背伸びして返事を書いてたような覚えがあります。 軽蔑されないように、気を遣ってたかなあ。 私は彼を素直に尊敬していて、懐いてたので、そのうち、高校のとき以上に親しくお話する関係になってました。電話もときどき。決まって長電話になっていたけど、そういえば、自分からかけたことは一度もないなあ。やっぱり、自分のなかではバリアを張ってたんだろうと思います。 ともかく、私にとってはよきお兄さん的な存在だったわけです。全然とはいわないけれど、あまり恋愛は意識してなかったような気がします。
もっとも、その頃から私はすでにコンプレックスがあって、絶対自分を恋愛対象として好きになる人なんていない、と堅く思い込んでいたので、自分が好意をもたれてるかもしれないと考えることさえ、恐ろしく自意識過剰で恥ずかしいことに思えたんでしょうね。 こういうところは、悲しいことに、いまも変わってないなあ。(苦笑)
半年ぐらいたったころ、つまり大学1年のときです。(高校生じゃなかったのですよー、もうけっこういい年だった。(笑)) メールのなかで、呑みにいこうというお誘いがあって、借りてた本も返さなくちゃいけなかったので、お会いすることになりました。 お散歩して、大学に入ってからの私の格好が少し大人っぽくなったとからかわれたり…まあ他愛のない話をしてて。 風が冷たくて手がかじかんできて、私はコートを着てたので、手があったかいですよー、という話になって、なんだかわかんないうちに手をつながれてたのかなあ。手の大きさとか、比べてたような気も…。 けっきょく思考停止した私は、(最近は友達同士でもきっと手をつなぐのね)と自分を納得させ、しのぎました。(笑)
これでもまだ、私は彼がそういう気持ちなのか、よくわかんなかったんですねー。だって、杓子定規に、ちゃんと「告白」→「デート」→「手をつなぐ」→「?」というような段取りを踏むもんだと思ってたもので。(笑) それをすっとばされてしまったもので、これは恋愛感情ではなく、ただのスキンシップなんだわ、と思うようにしました。 ここらへんから、どこか歪んじゃってたのかもしれません。
その後、とにかく約束通り呑みにいって、いろいろ話したりして、でも、当然直接アプローチされるでもなく、たしか「誰かと付き合ったりしないの?」と訊かれたとき、私が「そんな物好きはいませんよー」という感じのことを答えたら、社交辞令で「俺はかわいいと思うけどなあ」と言われたくらい。 ちなみに、それは本当に社交辞令だったと思いますけど…。(笑)
そのあと、酔いを醒まそうと外に出て、ぼおっとしていました。 彼は、穏やかなんだけど、でも、落ち込みやすいひとだったようで、(精神的に少し弱かったのかもしれませんが)そのうち、不安でたまらなくなるんだと涙ぐんで、少し震えはじめて…。私は、どうしていいのかわからなくて、とりあえず、そばにいました。そのうち、ライナスの毛布か、母の膝枕か?というような感じで、縋りつかれ、抱きしめられ、私は、精神安定剤にでもなった気分で、とりあえず、震えがとまるまで背中をさすってました。
身動きできないまま、私をこのひとは、どんな存在だと思ってるんだろうと、考えてしまいました。恋愛の「抱きしめる」とは、絶対ちがうだろう、と思ったんです。抱き枕になったみたいな気がしましたから。
そのあと少し判明したんですが、私は、どうやら優しいひととして頼られていたみたい。包み込んでくれる穏やかでやさしい女性、という大勘違いな認識をされてたようです。私のほうが年下なんだけどなあ。(苦笑)
その日は、そのまま彼を励まして、「みっともないところを見せてごめん」と謝るのを、「いいんですよー」と笑って帰し、「また今度埋め合わせをさせてくれ」というのを流しながら、きっともう会わない方がいいのかなあ、と思ってました。
その件を境に(何も告白されたわけじゃないですが…)私の側は結論は出ていて、弱い部分を見せられても、どちらかというと困惑の気持ちのほうが強くて、ときめくこともなかったので、恋愛感情は自分にはないんだなあ、と感じました。 彼が不安を感じる理由が、漠然としすぎて共感できなかったというのも、あるかもしれません。そして、自分自身がそういうふうに不安定になるタイプだったので、それを癒す側には回るだけの余裕もない、という気持ちも正直ありました。エゴ…ですね。
そのあとも、大学のオーケストラのコンサートの誘いがあったりして、メールや電話があったけれど、私の側が一方的に壁をつくってしまって、気がつくとそっけなくぎこちなくなってしまってたように思います。彼も感じていたようだけど、それでもメールがつづいて。
でも、相手が言葉にしない限り、私は、断ることも、自分の感じたことを話すこともできないでいました。自意識過剰なだけかもしれないと、まだ思っていたし。 ただ、私なら、友達と思ってる人と、安易に手をつないだりはしません。 抱きしめたりもしたくありません。 そう思うから、相手がはっきりしないままずるずる行こうとするなら、会いたくないなあ、と思ってしまったんですねー。…頑固かなあ。
私がメールをやめようと思ったのは、 「精神的に落ち込むことが多くて、疲れてる。 コンサートが終わったら、なんとか時間をつくって君に会いたい」 というメールが来たとき。
なんとなく、彼はこのまま言うつもりもなく、続けてゆこうとしてるのかもと思ったら、尊敬してたはずが、卑怯なひとに見えてきてしまって、 もう、いいやって、思ってしまった。 そこらへんで、終わりました。 あっけないんだか、始まりもしないで、終わったと言うか。(苦笑)
もしかしたら、ほんとうに私の一人相撲だったのかもしれませんね。 友達にでもそういう弱音を吐くひとも、いるのでしょうし。 けっきょく、エゴをぶつけあっただけだったのかもしれません。 私も、彼が大人っぽいひとだと思い込んでいたのだし、彼もまた、勝手に私のイメージをつくりあげ、しかも気持ちを言葉にすることさえなかった。 私は、恋愛対象かどうかはわかんなかったけれど、彼のメールや言葉にそれなりに惹かれてはいただけに、弱いところをみせてくる彼にたいして、ひいてしまう自分がすごく冷たい人間のような気がしました。
私はもしかしたら、他人をまるごと好きにはなれないのかもしれない、と思いました。相手を通して、自分を見ていただけなのかもしれない。 だから、押し付けたイメージが崩れたり、彼から寛容さを求められたら、 急にこんなに冷たくなれるのか、と。 欠陥人間ということを、これまで以上に思うようになったかなあ。
まとまらない文章になってしまったけど。 ほんとうによくわからないんです。これが恋愛に関する話なのかさえ…。 ただ、ずっとこのままバリアをはりつづけ、相手がはっきりとその壁を壊してくれるまで待っているのなら、きっと一生恋愛なんて成立しないような気がしちゃうんですよね。20年そこそこしか生きてなくて、なにを「一生」とか言えるものか、とも思いますが。
2000年09月24日(日)
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