unsteady diary
riko



 好きな詩

ゼミのメンバーから、どんな本を読むのって訊かれて…。

周囲はミーハー含みのミステリー好きが多いのだけど。
私はミステリーはほとんど読みませんね。思考がついてゆかんので。
好きなのは、日本の現代詩です。
谷川俊太郎、石垣りん、吉野弘、黒田三郎、茨木のり子、他にもいっぱいいますねぇ。
言葉がうつくしいひとは、好きです。
自分がそうではないから、憧れるし、どうしようもなく惹かれます。その言葉を吐いたその精神に。
ネットをやっているのも、やはりそういうひとと出会いたいから。
誤解を恐れないでいうとすれば、(自分を棚上げできるなら(笑))文章から透けて見えるそのひとの病み方に、心の震える瞬間が、やみつきになってるからでしょうね〜。
これは極論ですが、完全で、すべてに満足しているひとは、恐らく文章なんて書かないで生きていると思うの。逆に、病んだ自分をリハビリしたいから、文章を書き、それをひとに読んでもらいたいと思い、公表するのだと思う。

ま、堅い話になってしまいますが、少なくとも私は、自分が言葉でもって生きているんだな、とよく思う。思い知らされる。ことあるごとに、言葉の不自由さに苛立ちながら、それでも自分の稚拙な言葉を棄てることはできないから。

好きな詩をすこしだけ。



黙っていた方がいいのだ
もし言葉が
言葉を超えたものに
自らを捧げぬ位なら
常により深い静けさのために
歌おうとせぬ位なら

(谷川俊太郎「もし言葉が」より)


逆説的だけれど、確かに事実をそのままに言葉に置き換えることは永遠にできないのだろうと思う。圧倒的な存在のリアリティに言葉は代わることはできない。だが、沈黙はどうあっても、それ以上推敲することはできないけれど、言葉は少しずつでも限りなく高めてゆけるもの。そうやってひととつながってゆけるから、言葉はこんなにもいとしいんだと、私は思います。


2000年08月26日(土)
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