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■ 泰葉を小説だと思ってみよう。
最近、泰葉が大嫌いです。話している様が、痛い、苦しい。嫌悪。小学生の頃、注目されているのがわかっていて、わざと素っぽく痛く振る舞うことが私の中で流行ったことがありましたが、それを目の当たりにしているようで・・・。そう、親戚のなかでわざとおどけてみせるような。自分の真意じゃないと確信してる思い上がり。怠惰な道化。それを50ちかいおばんがやりやがった、と腹が立ちます。基本、私の人の好き嫌いの基準は、かつての自分との照らし合わせにあるような気がする。 青春の蹉跌を読みました。帯に「”犯人の男”と“被害者の女”、あなたはどちらに同情しますか?」とありました。結論、私はどちらにも同情しません。強いて言うなら、男。憎むべきは女の我がままと無知と想像力の足りなさと他力本願。でも、男も嫌いです。だって、あいつ「体が目当てです」というべきところを、約3Pにわたって論理で説明やがった。この男のこういう「かっこつけ」なところが本当に大嫌いと思いました。でもって、本当にこんなに登場人物にリアルにむかつける小説は、すごいや、と思いました。登場人物の思考がリアルだからこそ、私のむかつき人物に対するアンテナが働いたんだと思います。 で、大嫌いな泰葉の件です。目障りな泰葉です。たとえば、泰葉を人物ではなくひとつの作品だと考えれば、すごいです。小説とか彫刻とかみたいな。だって、私、無関係なのにけっこう腹立ちますもん。こんなに人の情緒かきみだす作品、稀じゃないでしょうか?
2008年12月11日(木)
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