ひとりごと〜リターンズ〜
不知火
MAIL
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2001年01月30日(火) ■ |
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豪華(!?)2本立て!! |
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2本立てその1 「バイト、ファイナル!」
朝からすっげぇすっげぇむっちゃくちゃ調子が悪かった。 咳に喉の痛みぐらいなら我慢するつもりだったが、 頭がずっきんずっきん痛かった。 「やむをえん。俺の名前は引導代わり。迷わず地獄へ落ちるがいい!」 といって立ち回りをはじめるのは松平長七郎。きゃー里見浩太郎先生最高!! ・・・・違う。 (やり直し) 「やむをえん。最後の手段だ。」 取り出したのはバファリン2錠。 普段薬を飲まない私が飲んで寝たら即治る。
でも寝ない。 飲んですぐバイト先へ向かいました。 午前中は 「護摩君か松原君に電話して変わってもらおうかな〜」 なんて言葉が頭をかすめる程しんどかったんですが、午後には回復。 同時に眠気も襲ってくる。(おいおい)
なんだか色々なものと戦いながら今日の仕事はつつがなく終了した。 帰り際には日ごろさんざんお世話になった人々にも、 お世話になったんだかお世話したんだかわからない人々にも、 あまり日ごろお話する機会も無かった人々にも、 一通り挨拶して回りました。
「1年ぐらいやったっけ?長い様で短かったなぁ」 「これからは学業に専念するんけ?」 「4年?もう卒業か?え?違う?来年も4年??」 「就職活動頑張ってな!」 「うちの会社入ればいいのに」 「たまには遊びに来いよ」
リアクションは様々です。 中には、 「仕事大変な時もあったかもしれんけど、 こういう会社の中で色々経験したんは絶対ええ勉強なったと思うで」 と言ってくれる人もおり、うんうんそうですねと心から頷いたりもしました。 (因みにこの人忘年会で酔っ払ったときも同じことを云ってました。 「金もらって勉強できる。こんなバイト他にあらへんで!」 なるほど。日々の仕事が己の勉強、きっとこの人の人生訓なんですね。) そして、いつも一番お世話になり、一番近くで仕事していた 業務の朽木さん(仮名)とはメールアドレスを交換しました。 結構マメな小父さんなのですぐにメールが来るでしょう、ドキドキ。
「それじゃ、この後試験ありますんでっ。失礼しますっ」 一通り挨拶した後はいつもどおり去ってみました。
・・・・まぁ、2月半ば頃に社内で「引越し」があるんですが、 その時手伝ってくれて云われてます。 いくつもりです。 だからあんまり湿っぽいのはかえってどうかな。。。と。
2本立てその2 「21世紀の経済史(甲)〜20世紀はアメリカの世紀か!?〜」
さぁてさてさてさてさてさてさて。 バイト先から帰ってきたら、今度は経済史の試験だこんちくしょぉ! (テンションあがりまくり。) はっきりって体調は良いっ。 夕方ぐらいから唐突に良くなり始めて、 夜には動けば動くほど本調子に近づいていく感じだ!! (似たような事を以前書いた気がする・・・・) 20時からの試験の1時間程前までバイトしていたので、 試験直前に勉強しなおすのは不可能。 でも試験の内容は大体頭に入ってるのでOK。
「講義の内容をいくつかのキーワードに沿って要約しなさい」
最後の講義で先生が言ってたのはこの通り。 この講義に関しては全部出て、ノートも自筆のものがそろっており、 それなりに興味深く聞いていたので、私はこういう問いにはかなり強い。 要約しなさい=細部にはこだわらない。
という勝手な図式を完成させてしまうのだ。 後は好きなように文章を書き進めて行くだけ。 ある意味日記を書くより楽であったりもする。 (最近キーボード打つよりもペンで字を書くほうが疲れたりはするが。) そんなこんなで試験は終了。 明日の試験と合わせて4単位ゲット!ぐらいの感触はあった。 (明日の試験と50点満点ずつ合算するのです。)
大東君もかなりできた様子で明日の中国語について軽く話し合う。
「今夜は眠れないね」 そんなやくざな結論に達した。
エピローグ。
意気揚々と言うか、軽い足取りと言うかとにかく帰宅。 そしていつもどおりのメールチェック。
あ・・ら?? これは・・・朽木さん!?
「長いようで、短かつたこの、変動多かったこの一年ご苦労さんでした、 サー今後!!に向けて、体制整え、一心不乱に頑張ろう。 まずは、テスト突破?? それでは、風邪に気をつけて!!」
早ぇぇ。なんて早ぇぇリアクションなんだ。 早速返事を書かなくては。 バイト辞めても、せっかく出会ったこういう人とのつながりは、 できれば何年たっても持ち続けたいと思ったものでした。
あ、あかん、浸ってる場合ちゃう!勉強せな!!
■中国語応用4.試験開始まで、後7時間30分。
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