|
|
■■■
■■
■ 男の人の背中
最近読んだ本に、こういうくだりがあった。 「どこにでもいそうな男の、みっともない後ろ姿じゃない。」 女を押し倒し、「今から」といったときに、電気を消して欲しいと女に言われ、 ジーンズが腰に引っかかっているような状態で、すごすごと向かう男の背中。 どうしようもない男と分かっていても、会いたくなってしまう女は、 どうしてそこまで自分が彼に執着するのか分からない。 けれど、「好き」という言葉でも使わないと説明のつかない感情。 彼女は、男の「みっともない」後ろ姿を見送った瞬間に、 浮気性で、自分を都合よく利用している男への復讐を思いつく。。。。。
どうして、セックスの周辺の男の後ろ姿はみっともないのだろう。 私が依然付き合っていた妻子もちの男は、 世界でもっともみっともない背中をしていたように思う。 彼の気持を量りかねて、苦しくて、、、、、それでも愛していた時期、 私が彼への気持が冷めかけていることをはっきりと予期したのは、 彼のその背中を、「みっともない」と感じたことにある。 セックスのあと、彼は必ず、要所のみを洗いに浴室へ行く。 そのときの彼の後ろ姿を見送った私は、確かに、 「どうしてこんなどこにでも居る男に翻弄されるのだろう」 そう、自分に問い掛けたのだ。 セックスの周辺の男の後ろ姿がみっともないのは、 欲望(性欲)に眼がくらんで、無防備になっているせいかもしれない。 洋服で隠されている背中は、あんなにも、頼りがいがあり、たくましいのに、 服を脱ぎ去り、肌を合わせる時になって、もっとよく知り合いたい段階に、 頼りなさを、弱さを感じてしまうなんて、皮肉なことだ。 人は裸では、自分を取り繕うことも、よく見せることもできない。 彼の虚飾に、私はずっと騙されていたのだろうか。。。。 愛がなくなると、どんなに好きだった人のことも、 さめざめとした眼でみてしまうのは、どうしようもないこと? ジャングルで生きたターザンはあんなにも素敵なのに、、。 あれは、ターザン自身のにじみ出る男気のせいなのだろうか。。。
2001年04月25日(水)
|
|
|