恋のさじかげん
れのん



 別れどきと、「馴れ」と「厭き」の関連性

別れる時が、来ていたんだということに、あたしは思い当たった。
これ以上、関係を続けていて、どんな未来があったのだろう。
未来なんて言葉、将来なんて言葉、あたしはずっと使わずに来た。
それは、それが五里霧中だってこと、分かっていたからだと思う。
誰もがありもしない「永遠」を求めることに似ていると思う。
お互いを大切にしなくなったり、思いやりが持てなくなるのは、
お互いが必要でなくなったり、重要じゃなくなるからじゃないかな。
「馴れ」だと、彼は言ったけれど、そうじゃない。
「馴れ」ても、大切なものは大切だし、
守りたいものは守りたいものでしょ?
それをないがしろにしてしまうような「馴れ」はきっと、
「厭きた」って事じゃないかなぁ、、。
大切にしたい人には、相手が嫌がるようなこと、
相手が不安に思ったり、負担に思ったりするようなこと、しないし、
言わないんじゃないかなぁ、、、。
あたしは、彼を好きだったこと、彼を傷つけることも、
彼を嫌な気持ちにさせることも怖くて、
何も言えなくなってた。。。。
軽口もたたけなくなって、冗談も言えなくなって、
笑い方もぎこちなくなって。。。。
こんなあたしと彼がつき合ってきたのは、
もっと別な理由があったからだと思う。
それは、子供を産んで自分にあまり気をかけなくなった彼の妻に、
疎外感を感じていたから、
自分をまっすぐに受け入れてくれる人が欲しかっただけじゃないのかなぁ、、。
あたしは彼が好きだったし、それは錯覚だったかもしれないけど、
彼をまっすぐに見つめて来たし、彼の望むことには答えてきた。
だけど、そうすることで、
あたしはあたしらしさをどこかに棄ててしまったみたい。
全くの失敗の恋愛、、、。
こんな形骸化したあたしのことを「好き」だと言った彼を、
あたしは信じられなかったし、愛せなくなっていただけ、、。


2001年02月07日(水)
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