恋のさじかげん
れのん



 存在価値の在処。

あたしは、ほんとは、知りたかっただけだった。
あの人にとって、あたしはどんな存在で、存在価値があるのか否かを。
彼があたしとつき合った理由のほとんどを、
「躰」が占めていたとしても、
あたしは、「必要だ」って言って欲しかった。
今月、あたしと彼がつきあい始めて、ちょうど二周年になる。
そんなこと、彼はもはや、覚えてはいないだろう。
二周年になるから、何か特別な事があるわけでもなし、
あたしの誕生日にだって、何もないのだから(電話すら)<過去二回
いろんな意味で、期待はしなくなっていた。
あたしの異変を感じた彼は、5通だけメールをくれた。
でも、お互い言いたいことを言い合った後、
ICQで、「もう、メールは書きません」とのメッセージ。
あたしは、それをもうおしまいの合図だと受け取った。
どちらかが振ったのではなく、自然消滅でもなく、
お互いの限界が訪れての別れとなったのだと思った。
もう、これからの日曜日は、心穏やかだ。
会えるのか会えないのか、分からないまま過ぎていく時間に、
涙をこぼすことも、胸を痛めることもない。
会えるという喜びも、同時に失ってしまったけれど。。。
別れてしまってから、相手を愛しく思うこと、
必要性を感じることは、きっとあるでしょう。
けれど、あたしはそれらを感じることはないと思います。
思い出は素敵なもの。あたしは価値を見いだします。
でも、失うことのよって始めることの出来る未来だってあるのです。
あたしは、彼との先行きの見えない恋愛よりも、
誰かを傷つけてまで、貫いて行く恋愛よりも、
自分の新しい可能性と、将来にかけたということになるのでしょう。
別れは苦しいし、決して無傷というわけには行きません。
けれど、歩み出す勇気を持たなければ行けないときもあるのです。
不倫だったからね。
躰が目当てでつき合っている彼氏が、未婚なら、
もっと、違った道が見いだせたのかもしれないけれどね。。。。

2001年02月04日(日)
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