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昨日の日記への戒めとして。
2月に書いて、内容的にそこまで強くなれていないと思い、更新しなかった日記をアップしておく。
ひとりで立っていく。 そう思い切りたかった。
ただ、その想いが、誰かとつながる努力を諦めたことから来るものであるならば、ひとりであたたまろうとしても、たぶん出来ずに終わるのだろう。
「生命は」
吉野 弘
生命は 自分自身だけでは完結できないように つくられているらしい 花も めしべとおしべが揃っているだけでは 不充分で 虫や風が訪れて めしべとおしべを仲立ちする
生命はすべて その中に欠如を抱き それを他者から満たしてもらうのだ
私は今日、 どこかの花のための 虻(あぶ)だったかもしれない そして明日は 誰かが 私という花のための 虻であるかもしれない
久々に一節「生命はすべてその中に欠如を抱き…」を思い出して、 家に帰ってすぐに詩集を紐解いた。
吉野弘は、好きな言葉としてサイトでもたびたび取り上げたことがある。 平易でいながら時折はっとするほど美しい言葉がこぼれ、このひとにかかれば、濁った水さえも澄んだ水に濾過されてしまうような、稀有な詩人である。
「ベターハーフ」だとか「相方」だとか。 そういう言葉にひどく焦がれていた頃。 当時中学生だった私は、この詩がとても好きだった。 欠如を、いつか誰かが埋めてくれることを願っていた。 花に集う、虻のように。
いまは。
私は、ひとりで生まれてきたような顔をして、 ひとりで立っている。 欠如を抱いたまま、永遠に満たされることなどないのだろうと知った、いま。 この先も、完全に埋まることなどない空洞をそのままに。 欠如を埋めてくれる存在を望むのをやめて。 自分で自分を愛せるひとに、 ひとりでちょうどよくあたたまれるひとになりたい。 そう思いながら、ひとりで立っている。
闇雲に求めるのをやめたとき、遠くから虻の羽音が聴こえるのだろうか。
2005年02月01日(火)
2005年03月27日(日)
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