unsteady diary
riko



 直というキャラクター


木曜日。
私は和彦さん目当てに木曜洋画劇場が見たかったのに、
母にチャンネルを奪われて、金八先生を見せられた。
最初に金八先生が放送されたのは、私が生まれた頃らしい。
初期のものはわりと好きだったけれど、(再放送で見ていた)
最近のドラマはかなり苦手。

それでも、少年犯罪レベルならまだ冷静にいられた。
今期が見てるだけでも辛いのは、“直”がいるから。
直は、性同一性障害と見なされる、現在の性別は女の子。
この難しい役どころを好演してるとは思うけれど、
脚本が嫌、直を取り巻く周りの環境と出てくる台詞が嫌。
時折吐き気がするほど、嫌。

それでも、ドラマという都合上、ステレオタイプな人間の描き方は必要だろうと思ったから、途中は我慢していた。
でも、直のことで一区切りつけたのだろう昨日の放送は、
見たくなかった、聞きたくなかった。

ならば、見るのをやめればよかったのだろうけれど、
自分のために、見続けた。
何が嫌なのか、どうしてこんなに気分が悪いのか、
考える必要があると思ったから。

実はこれまでにも、直のこと、何度か日記に書きかけた。
でも、考えがまとまらなくてアップしていない。
今も、まとまるどころか、ますます混乱している。

脚本は、心温まる結末を用意していた。
友人たちは、直を、新しい男の友達として受け入れた。
クラスメートたちは、辛い治療と手術を終えたら、
一緒に連れしょん(この習慣自体、ジェンダーロールに関わる問題が表れていると思うんだけど、それは別として)しようと、泣きながら口々に言った。

まるでドラマのようだった。
ドラマだから当たり前かもしれないが。
現実はそれほど単純ではない、そう思った。
少し齧った私は、勉強する前よりもっと分からなくなった。
ある意味、分かる振りをすることは、分からない、もしくは知らないことよりも、もっと罪が重いと思った。
アナタのその悩み、痛み、分かりますなんて、言えないと思った。
それなのに。
いとも簡単に、爽やかに、“解決”されてしまった。


テレビという強大な影響力を持つメディアで、
性同一性障害が、治療すべき“病気”として、扱われた。
最後にコメントが出たものの、それを読んでみてもやっぱり、病気であるという扱いに変わりはなかった。
これは、ドキュメントで一例が放送されるのと訳が違うと思う。
感情移入せずにはいられない、ツクリモノの世界と、直。
全国の人が、性自認もまだ発達していない子供たちまでが、
直を、「性同一性障害」という“可哀想な、辛い、身体にメスを入れてまで性別を変える必要のある病気”のステレオタイプとして、インプットしただろうと思う。

多くの人にとって、良くも悪くも強烈なドラマだっただろう。
直を演じた少女が、類まれな中世的な容姿をしていたこともあって、
ドラマの中での事件としての“直”は、多くの人に受け入れられたのではないかと思う。
実際、本屋で彼女が雑誌の表紙になっているものを見た中学生たちが、
「ああ、直役の子だ。可愛いよねー。変態でも許せるよね。」というような会話をしていたのが印象的だった。
確かに、性同一性障害についてまるで知らなかっただろう人たちに知らしめたという意味はあるのかもしれないが、それは諸刃の剣だとも思う。

ピンポイントで条件が合えば気持ちが悪くないからと受け入れる、応援する、そういううわべだけの理解が世間を覆ってしまうなら、現実の多様性が捻じ曲げられそうな予感がする。
性自認に違和感があるということは、こういうモノ。
そんな風なステレオタイプが、より強化されて、
真面目に自分を見つめようとする人たちが生きにくくならなければいいのだが…。


2002年03月15日(金)
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