unsteady diary
riko



 銀座ぶらぶら

風邪はだいぶ治りました。
今日は以前からの約束だったので、ドタキャンするわけにもいかず、
友人の誘いで、銀座のシネスイッチで「ピアニスト」見てきました。
今日はレディース割引デイなので、なんと900円。
これなら失敗してもいいか、と思えるな〜。
浮いたお金で、レストラン大山(有名な洋食屋さん)でハヤシライス食べて、映画のあとはプランタンにも入ってるモンブランの美味しいカフェ(モンブランは売り切れだったけど)でお茶をしました。
これがいわゆる銀ブラデート?(笑)


その「ピアニスト」ですが、はっきり言って好きじゃなかった。
R-15らしいのだけど、それ自体は別に…。
しごいたりくわえたりいれたり、そういう動作は全て声と表情で表しているので、即物的な感じではない。
ただ、内容がね、問題だった。


あるピアニストが主人公。
母親と二人暮し、おしゃれをすることや、自由に人と付き合うことなどを許されていない。
過干渉で、負けることを許さない母親の呪縛。
性を封印される一方で、性的なものへ歪んだ興奮を覚えてもいる。
どっかで聞いたような話だわね。(苦笑)
そこへ、彼女に恋をする少年が現れる。
知的で硬質な彼女に憧れた少年は、猛アタックして彼女のピアノの生徒にまでなる。
テレビでも紹介されていた、トイレのシーンとか。
でもね、彼女も彼に惹かれてるのだけど、セックスに対して、汚らわしいという気持ちと、彼を征服したいという気持ちと、彼に嫌われたくないという気持ちと、むちゃくちゃにされたいという気持ちと、とにかくぐちゃぐちゃに入り混じって、とんでもない要求や行動をする。
理性を捨てて、突然地べたに寝転がって誘ってみたり。
殴ってと要求してみたり。
他にもいわゆる“倒錯的”と表現されそうなあらゆる側面を、見せるわけ。

最初、彼は嫌悪感を覚えるだけだったのだけど。
引きずり込まれて、拒みきれなくなる。
次第に、彼の中の暴力的な部分が引き出されていって、最後には、彼女をビンタして、その母親を扉ひとつ隔てたところへ閉じこめたまま、鼻血まみれの彼女をレイプする。
人形みたいに反応しない彼女。
君も悪いんだ…って呟きながら、一方的に抱く。


終わり方も、突然。
このレイプがあって数日後(?)、彼女は少年の反応を待つのだけど、
彼は何事もなかったかのように、笑顔で「先生」と呼びかけただけ。
その時点で、持っていたナイフで鎖骨のあたりを浅く刺して、
その場(彼女がコンサートの本番を控えていた会場)を去る。
ピアノと彼と母親への訣別…なのだろうけれど、
なぜナイフを突き刺す必要があったのか、
そもそも彼女は少年になんと言ってほしかったのか、
なにもかも謎のまま唐突に終わるの。

とにかく強烈に後味が悪い。



以下、私が感じたイロイロ。

性を扱って、アートっぽく仕上げて、結論をぼかして、ただその人物と事実を投げかけるというだけで、それでいいんだろうか。
欲望を中年になるまで溜め込んで理性に押し隠して母の言うなりの人生を生きてきたから、特殊な性癖になったというのか。
つまり狂ったのは全て、欲望を抑圧したせいであり、周囲のせい。
それは、あまりに単細胞じゃないかしら。

なんとなく問題提起したいのは分かるけれど、「異常」を描けばいいってもんじゃないと思う。そもそも、人間の欲望に正常も異常もないのだというパラダイムシフトを起こしたいならば、彼女を感情移入しにくくなるほど、眉をひそめたくなるほどみじめに醜く“異常”に描くことはむしろマイナスなのではないか、と。
そりゃあね、セックスという行為自体は美しくもなんともないと思う。
でも、あの映画にあった“異常”は、ある意味美化された、特化された、そういう種類の醜さだった。
異常な人間がいて、ほら、抑圧するとこうなるわよ、てな感じ。

映画の作り手が、切羽詰ってない、あくまで他人事。
いい加減にしろよ、と思ったり。
妊娠中に薬を飲んだから性同一性障害に生まれるんだとか、そんな風に言われてしまうのと同じくらいむかついたさ。

いろんな意味で、作り手の偏見とか、保守的な意識とか、性をとりあげるだけで芸術に通じるという安易さとか、暴露されたような作品だったと思う。


2002年02月22日(金)
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