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■ 「きらきらひかる」
江國香織さんの書評を見かけて、 「きらきらひかる」を読んだときのことを思い出した。 なにがきっかけで手に取ったんだか、今はもう思い出せないのだけれど、 一昨年、なんとなく帰り道の書店で買って、電車の中で夢中で読んで乗り過ごして、それからはまった作家さん。
読みながら、よくわからない涙が出た。
アル中の笑子、その夫でゲイの医者 睦月、そして睦月の恋人 大学生の紺。全てを承知の上で結婚した二人と紺の三人は、互いに傷つけ、傷つきながらも、やがて優しくて深い愛情で結ばれてゆく…。
すごい設定だけど、なぜかリアルで、こんなに切ないくらい優しい世界が、この世界のどこかで確かに存在するかのように感じてしまう。 でも、浸りきれなかった。 読みながらずっと、何かに懸命に抵抗していた。 その人たちの人生がそれで完結して、本人たちが幸せだと言うのなら、 それ以上なにも言えないのだけれど、だからって手放しで素敵だとは言えなかった。 その不可解さと痛々しさの分だけ、「きらきらひかる」は私の中に深く食い込んで、印象を残したのだと思う。
睦月っていうのは、すごく優しくて、優しすぎて、存在しないんじゃないかというくらいの男。 だから彼に惹かれるのは解る。 包み込んでくれる居心地のよさも伝わってくる。 一緒にいたいのなら、その残酷さに耐えるしかないのだ、とも。 でも。 その尋常じゃない優しさが、自分以外にも向かっているとわかっていて、独占したくないはずがない。 限りない優しさゆえの曖昧さも含めて、その男の存在を許して愛してしまえる紺の強さが、底知れなくて、私にはどうしても納得がいかなかったのだと思う。 そして、笑子の自虐的な行動が痛かった。 物語はおとぎばなしの甘さと、少しの苦さを残して、3人の輪がつながれたまま完結している。 でも……笑子と紺に、限界は来ないんだろうか。
別に、恋愛とかセックスとか、そういう狭い領域に限らないでも。 自分がすごく好きでいる人が、自分と誰かとを同じくらいの優しさと愛で接して、その均衡を保ったままでいようとしたなら、自分からその居心地のよい場所を捨てたくなるかもしれない。 実際には嫌われる勇気が出なくても、いつかは壊れるだろう。 いっそ酷い男で、ゲイだということを隠して騙されたとかだったら、捨てられても恨むことができる。 それで立ち直るだろう。 誰も悪くなくて、皆それぞれに魅力的だったから、 誰にも肩入れできなくて、息苦しかった。
それでも私は、この江國ワールドが好きみたい。 どこか浮世離れした、人間のなかにある、積もりはじめの雪みたいに綺麗な部分を見せられた気がして。 この作品を俗っぽく批判するなら、たぶんいくらでもコトバはあると思うけれど、この甘さと苦さが私にとっていとしいものであることだけは間違いないんだと思う。
2002年02月06日(水)
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