unsteady diary
riko



 安っぽいのは女ではなくて…


昨日の日記について補足。

「安っぽい女っぽさ」なんて書いたけど。
女が安っぽいというわけじゃないの。(むしろそんな言われ方したら怒るわ)
「女っぽさ」とか「女らしさ」って、女自身が定義したものじゃない。
では、誰のための、誰から見ての、らしさなのか。
それに気づかないと、ただ女らしさの否定をしても不毛なだけだと思う。
つまり、私が“安っぽい”と思ったのは、
世間という外側が括った「女性イメージ」について。

なにも、女の子の女の子っぽさが嫌いはわけじゃない。
髪振り乱して化粧もせず、それで男並みを目指して働くことだけが、
男と対等になることじゃないと、ずっと思ってる。
ウーマンリブだの女性の権利拡大だのを声高に叫んで、男を敵と見なす了見の狭い女性群には、引いてしまうことも確か。
(はっきり言って田嶋陽子さんの“男勝り”は苦手だし、千葉敦子さんや上野千鶴子さんはとても立派だと思うけれど、でも立派すぎて、甘ったれた自分が取り残されてしまう気がすることも確か。)

そもそも、男勝りに働くことがそれほど非人間的なことならば、
当の男たちは、ただ男であると言うだけでオーバーワークを逃れることのできず、人間ではなく機械として扱われているわけよね。
だから、男性にも一般職を、というのが私のひとつの主張だったりする。
仕事を生きがいにする生き方(男女含めて)は否定はしない。
でも、その選択を、性差で行うのはやめてほしい。
そういうこと。


受け入れる体でも、一般職でも、化粧品が好きでも、女を武器にしても、
けっきょくはそのひとらしさがすべて「女」に還元されなければ、
つまり、そのひとの一部としてただ「女」という属性があるだけならば、
女でいていいのだと思う。
自分にもそう言い聞かせている。

そもそも、既に「性別」という概念がある以上、「男女平等」なんてコトバは意味を成さない。人間を生殖機能によって2つに分けたとはいえ、そりゃあ違うところは違うのよ。文化的な伝統も含めて、性差はある。個体差があるのと同じくらいには。
なのに、違うということを無視して、
形だけ完全に同じに見なすことには無理があるでしょう?



卒論を進めていてつくづく思ったのは、私自身も「らしさ」に囚われているということ。
男は男らしくあって欲しいと、やっぱり本音では思っちゃうのよ。

例えば、男の人でおしゃれにしか関心のない人は、きわめて苦手。
髪がむちゃくちゃ長くて、ブランドバック抱えて、化粧なんかされた日にゃ…。(同じことを女がすれば“普通の女の子らしい女の子”なのにね)
友達としては面白いけれど、恋愛対象にはならないと思う。
女の稼ぎをあてにしてヒモになるような人も好きじゃない。(きちんと家事をこなすような主夫は労働をしているわけだから、まったく別)
ああ、偏見だらけ。
まずはそれに気づくことが第一歩かな。

自戒:自分が押し付けられるのが嫌ならば、まず押し付けるのを止めないといけません。


2002年01月10日(木)
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