unsteady diary
riko



 雑記

東大病院で詳しい検査をした結果、どうやら猫は生きられるみたい。
はっきりとは言えないけれど、小脳形成不全ではないらしい。
それでもスコティッシュフォールドの劣性遺伝による骨の病気には違いなく、今は後足にだけあらわれている症状もいずれは手にあらわれて、手足が曲がり、かなり不自由になるとのこと。
痙攣も、おそらくは小脳のどこかの異常だから、他にどんな症状が出るかはわからない。
それでも、元気に生きていてくれるのなら、と思った。

山形の親戚は、同じ日にお葬式。
なんだか不思議な一致だったが、
死に顔が笑っていたのだと、母が少しほっとしていた。
壮絶な表情で亡くなった伯父のことを思い出していたらしい。

葬儀のために母と一緒に山形に行っていた祖父は、
私が正月にはじめて行かなかったことを、ずいぶん心配していたらしい。
夏に、胸が目立つ服装を選んでいる(違うのに!)お前は色ボケだ…みたいなことを祖母に言われて大喧嘩をして、泣いて祖父母の家を飛び出したことが原因で、正月にも来たがらなかったと思っていたらしい。

それが原因ではないが、似たような状況はずっとあった。
痴漢にあうのはお前が悪いから、だなんて言われ方はずっとしていた。
だから祖母には私がどれほど傷ついたか、なぜ泣いたのか、
いまさらわかってないだろう。
でも鈍くて男で、ときどき能天気すぎるくらいの祖父が、
きちんとわかっていたのは意外だった。

就職活動を機に、祖父と話すことが多くなって、
とても繊細な部分を持っていることを知った。
父も母も祖母も、ある意味とても子供な部分があって、
そのなかで一番多くは語らない祖父が、
「五木ひろし」を「ゴキヒロシ」と読んでまわりを爆笑させた彼が、
時々は古い考え方をして苦笑させられるような彼が、
とても大人だとわかった。
会社ではその人柄と交渉能力を見込まれ出世した彼だけど、
家ではただの能天気な居眠りおじいさん、だったので。

たったひとり、私に総合職を無理にすすめなかったひと。
活動してみて、自分が営業にはどうしても向いていないということを訴えたとき、「なんでも死に物狂いでやれば出来る」と叱咤激励して私を幻滅させた祖母や他の人たちをよそに、祖父だけは、「向き不向きはあるよ…」と言った。
総合職が向いていない自分を無能だと責めていた私に対して、
それは能力がないということではなくて、広報や企画には向いているし仕事はきっと出来るよ、と言ってくれた。
祖母や母の過剰な期待とは違う、きちんと見ていてくれる言葉に励まされた。

母は最近彼らが年をとったと嘆く。
生きているうちに、やっぱりもっと話しておきたい。
もちろん祖母とも、だけれども。
近いうちにまた美味しいものを持って、行こうかと思う。

2002年01月11日(金)
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