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■ 雑記
東大病院で詳しい検査をした結果、どうやら猫は生きられるみたい。 はっきりとは言えないけれど、小脳形成不全ではないらしい。 それでもスコティッシュフォールドの劣性遺伝による骨の病気には違いなく、今は後足にだけあらわれている症状もいずれは手にあらわれて、手足が曲がり、かなり不自由になるとのこと。 痙攣も、おそらくは小脳のどこかの異常だから、他にどんな症状が出るかはわからない。 それでも、元気に生きていてくれるのなら、と思った。
山形の親戚は、同じ日にお葬式。 なんだか不思議な一致だったが、 死に顔が笑っていたのだと、母が少しほっとしていた。 壮絶な表情で亡くなった伯父のことを思い出していたらしい。
葬儀のために母と一緒に山形に行っていた祖父は、 私が正月にはじめて行かなかったことを、ずいぶん心配していたらしい。 夏に、胸が目立つ服装を選んでいる(違うのに!)お前は色ボケだ…みたいなことを祖母に言われて大喧嘩をして、泣いて祖父母の家を飛び出したことが原因で、正月にも来たがらなかったと思っていたらしい。
それが原因ではないが、似たような状況はずっとあった。 痴漢にあうのはお前が悪いから、だなんて言われ方はずっとしていた。 だから祖母には私がどれほど傷ついたか、なぜ泣いたのか、 いまさらわかってないだろう。 でも鈍くて男で、ときどき能天気すぎるくらいの祖父が、 きちんとわかっていたのは意外だった。
就職活動を機に、祖父と話すことが多くなって、 とても繊細な部分を持っていることを知った。 父も母も祖母も、ある意味とても子供な部分があって、 そのなかで一番多くは語らない祖父が、 「五木ひろし」を「ゴキヒロシ」と読んでまわりを爆笑させた彼が、 時々は古い考え方をして苦笑させられるような彼が、 とても大人だとわかった。 会社ではその人柄と交渉能力を見込まれ出世した彼だけど、 家ではただの能天気な居眠りおじいさん、だったので。
たったひとり、私に総合職を無理にすすめなかったひと。 活動してみて、自分が営業にはどうしても向いていないということを訴えたとき、「なんでも死に物狂いでやれば出来る」と叱咤激励して私を幻滅させた祖母や他の人たちをよそに、祖父だけは、「向き不向きはあるよ…」と言った。 総合職が向いていない自分を無能だと責めていた私に対して、 それは能力がないということではなくて、広報や企画には向いているし仕事はきっと出来るよ、と言ってくれた。 祖母や母の過剰な期待とは違う、きちんと見ていてくれる言葉に励まされた。
母は最近彼らが年をとったと嘆く。 生きているうちに、やっぱりもっと話しておきたい。 もちろん祖母とも、だけれども。 近いうちにまた美味しいものを持って、行こうかと思う。
2002年01月11日(金)
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