unsteady diary
riko



 “女だって泣かない”

卒論提出の帰り、私の定番エリザベスアーデンの「グリーンティ」の新作に惚れる。
「アイスグリーンティ」というらしい。
甘さがよりすっきりして、ラストにミントが香るのね。
冬にあえてひんやりしたのも贅沢でいい感じ。
下手すると元祖グリーンティより好みかもしれない。
午前中につけたい香りだった。
それにしても、相変わらずブルガリやランコムなんかよりはるかにお買い得なアーデン。(でも買わなかったさ)
ミラクやベビードールなんかと一緒に並んでいると、明らかに押されてる。
瓶だってすっきり涼しげで悪くないのに。

一緒に並んでいた「スパイスティー」のほうは、上級者向きだった。
これも、いかにも冬にあたたまりそうなスパイシーな香り。
インド料理が食べたくなった。
辛いだけじゃない美味しいカレーと、ふんわりナンが恋しい。



突然だけど、映画や舞台に対してぼろぼろ泣くということを、
なんであまり好きじゃないのかなって考えた。
ひとつは、ただ単にまともに(冷静に?)見られなくなるから。
もうひとつはね、たぶん女だから。
泣くことが恥ずかしいと思ってしまうのは、とても貧しいことだと思うけれども、その上で、男の人がそう感じるのと女の人がそう感じるのとは、少し違うんじゃないかな。

男の人が涙もろいのは、とても素直で好感が持てる。
それは、男らしさに囚われていないように思えるから。
でも。
女の人が盛大に泣くのって、いまいち好きじゃないのね。
映画でデートというと、男の人が寝ていて、女の人がしょうもない恋愛映画でハンカチで涙拭いているという描写があまりにも多い。
女は感情的ですぐに泣く、しかし男はそうではない。
実際は生物学的な根拠なんてないのに、そういう図式がある。
素直に泣けない男の人もかわいそうだと思う。
だからときどき男の人で涙もろいひとがいれば、それ自体が不思議なことに映る。
でも、女が泣いたらすごく嘘っぽくなってしまう気がする。
泣かないでしっかり見ることが、きちんと受け止める強さ、
安っぽい女っぽさに還元させない感動の仕方のような気がしてしまうのね。

女が感動しちゃいけないとか、そんなふうに片意地張ってるつもりはないのだけど、けっきょく同じことになるのかしら。

それに、ほろりときれいに流れる涙ならともかく、
堪えられなくてぼろぼろすごい形相で泣くという行為は、
いかにも弱さを垂れ流しにしている気分にさせられる。
その世界に陶酔するというよりは、化粧がはげてみじめになる気分に似てると思う。

そんなわけで、余程心を許せる人とでないと、えぐいものは見に行く気にならない。
もしくは、ひとりで行くか。
ひとりだと、あとで感想を言い合えないのがつまらないのだけど。



そうそう、卒論終了おめでとうコールありがとうございます。(笑)
細切れに、日記でも一部を書いていくかも。

2002年01月09日(水)
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