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■ 内側に飼っている虫の反乱
いろんな悩みを手紙でしか伝えられない子供たちとカウンセラーとのやりとりをまとめた本。 『手紙でしか言えなかった レターカウンセリングの子供たち』(八巻香織)より
「男は出してもいいけれど、女は出していけないといわれているもの、なあに?」 その答えは、 「怒り」「性欲欲求」「冒険心」「好奇心」「ありあまる才能」「オナラ!!」
(中略)
食欲も視線も体臭もオナラも、感情と同じように自分自身の内側から生じるものだ。オナラで悩む相談者の多くは、このほかにも「食べ過ぎることへの恐れ」「視線で人を傷つけることへの恐れ」などを、同時に訴えることがある。それ自体は病気でもなんでもない内発的なものを、意思でコントロールしようとすると脅迫的なとらわれとなる。
(中略)
朝登校して、授業が進むにつれて、ヨモギ〈相談者の名前〉のおなかが膨らんでいく。はじめは気のせいかとも思ったのだが、確かにおなかにガスが充満してくる。 教室では、いつも誰かに監視されているような気がしたり、笑われているような気がしたり、悪口を言われているような気がして、〈自分の弱みを見せたら嫌われる。つけこまれる〉と緊張の連続なのだ。 針のむしろに座る心地かもしれない。そういうときにはからだは正直に反応する。呼吸が浅くなって、吐くことを忘れてしまう。じっと外界の圧力に耐え、味も色もないものを飲み込み続ける。その一方で、取り込むだけ取り込んだものを排出して、一気に開放されたくなる。
〈中略〉
学校でも、家の中でも、ヨモギは自分の内側から湧き上がる感情を必死で抑えていたのだろう。しかし、抑えれば抑えるほどに、からだは氾濫する。おなかのなかで膨張し、「恐れずに感じてよ。あるがままの私を認めてよ」とヨモギに訴えていたのだ。
と、続く。 難しいところのない、ケーススタディ的な本。 ともすれば、ありがちなお涙頂戴になってしまいそうで、 ふだんはあまり読みたくない類の本なのだけど。 ジェンダーに関わる本なのでアイデアの足しになるかと思って手を出して、 図書館で座り込んで泣いた。
昨日の上野さんのフレーズをはじめて読んだときも、実は泣いた。 身体の中に閉じこめられ、精一杯まるい身を縮めて浅い息をしている自分がかわいそうで泣いた。
私は、あまり自覚してなかったし、悩んでいるつもりもなかったのだけど、 このヨモギっていう女の子と同じように、呼吸が浅くなって、視線が怖いために身じろぎひとつできず、そういう緊張が、頭痛と腹痛に出ていたらしい。 教室のような逃げ場のない閉鎖空間に、長時間、顔見知りとすごすときに出るだけだったので、まさしく“仮病”だと思っていた。 いわゆる「なまけ虫」の仕業だと。
特に生理のときはひどくて、ピリピリとした緊張感があって、それがよけいにからだを痛くさせていた。 生々しい話になるけど、椅子を汚したことがあって、気づいた私は、立つこともできず、顔を上げられないまま、涙声で「ごめんなさい」を何度も繰り返した。 たかがこんなことでなぜ泣くのか、体育の先生はまるで理解できなかったと思う。 私だって、自分に嫌気がさしたもの。 泣くならもっと実のあることで泣けよ、といまは思う。
その当時は、今以上に、内側から出るすべてのものが、なにもかも「ごめんなさい」だった。 大らかなうちの高校では当たり前だった「回し飲み」という習慣も、私が口をつけてもいいの?って最初は思った。 誰も嫌がらないの?って。
今思うとわれながら痛々しい。 それも、この子のようにはっきりと自覚することさえなく、じんわりとやり過ごしていたわけで。 この子の話を読んで、突如思い出して、納得した。
そうか、内側からの反乱だったのか。
私は自分を“繊細”だとは思っていない。〈否定する声もあるけれど〉 ストレスで食が細くなるわけでもないし、引きこもりっていっても、外に出て発作を起こすわけでもないし。 面接などでもわりと度胸があるほうだし、まったく知らない男たちに通りがけにヤジられ嘲笑されても、まったく表情を変えずにその日を過ごすくらいだから、打たれ強いとは思う。 ただ、そんなふうに自分が痛みに鈍いと思う理由のなかには、いろんな倫理や規範に縛られて、健全な人間だと思いたいあまりに、自覚することさえできなかった部分もあったのかな、と思ってみた。
女の子だから、内側から出してはいけないもの。 抑圧されている、自然な内発的な、いろんなもの。 性欲とか、好奇心とか。 だから、自分の欲求を自分で知ることさえ、すごく難しい。
それにしても。 昨日や今日みたいに、生々しい部分を吐き出せば吐き出すほど、 余計に居心地の悪さを感じるのはなぜなんだろう。 汚い部分を、誰かに押し付けた、という気がしてしまう。 「女の情念ここにあり」って感じで、読み手無視。 掲示板だと、もう少し気をつけてたのになあ。
そういえば最近は「日常/生活」で登録していたんだった。 こんなふうに考え続けることが私の「日常」だと言ってしまえば、それまでなんだけど。 まだ、体裁を保とうとする理性もどきが、残っているんだろうか。
一日たって、青ざめた。 なんでこんなことまで書いてるんだろう。 精神的ストリップに近い。 早く消さなくちゃ、と思いながら。 でも、同じふうに内側の反乱を抑圧している人には読んでほしいという気持ちもあって。 けっきょく思いとどまる。 すでにカウンタ回ってるし。
2001年12月17日(月)
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