unsteady diary
riko



 ご挨拶

うちのbbsにレスつけようとして、何度も強制終了にあって、
けっきょくメールで送ろうと思って書いているのだけど。
何日たったんだか。
もやもやは、言葉にならない。
いいかげんな言葉は書きたくないと思うと、よけいにね。
ただ、言葉は旬のものなので、新鮮なうちに書き上げないと。
この日記の頻度の低さにもあらわれているように、
言葉にするリハビリは、前途多難だ。



まめなひとというものに、実はあこがれる。
たとえば誕生日とか、ちょっとしたお祝い事とか、お見舞いとか。
メッセージをもらうと、すごくうれしいものだから。
心遣いが自然にできるひとって、大人だなあと思う。


だけど私の場合は、なんて書けばいいだろうと考えながらディスプレイをにらんで、時間ばかりがたつのよね。

「お元気ですか?」
「お風邪には気をつけて。」
「先日はありがとうございました。」
「このたびはおめでとうございます。」
「またお会いできるのを楽しみにしています」

ぎこちないそれらは、ほんとうに私の言葉なのか。
薄っぺらくないか。
猫をかぶってないか。
そんな言葉を送って、私はほんとうに後悔しないのか。

考えて、考えて。

ぷつり。

月並みな言葉以外は、けっきょくなにも浮かばなくて
ウィンドウを閉じる。



たとえば、どこかの管理人さんが風邪を引いているとして。
日記にそう書いてあって、たちまちBBSにお見舞いの言葉が溢れ出す。
ときとして、レスがつく。
言葉が届いた、とうれしくなる。
けれど。
そんなことを繰り返すうちに、気持ちの深さとは裏腹に、
メッセージの定型化っていうのかな、
なんかすごく、薄っぺらな言葉になっていく気がしてしまう。
たぶん、私という人間が言葉に不自由なだけなのだろうけど。

だからって、言葉にしなくちゃ伝わりようがない。
そんなことはわかっている。
だけど、だけど。

書き込みやメールをしなくても、HPや日記を読んで、
また無理してるのかな、とか心配する気持ちは同じで。
それを言葉にする意味を疑いだしたとき、
素直にあらわすことができなくなったとき、
立ち止まってしまった。


本格的にネットを始めてすぐのころは、掲示板やメールで、自分のことや相手への気持ちを、垂れ流していた。
まともに自分と向き合ってくれようとする大人は初めてで、
これまで溜め込んでいた分を、すごい勢いで垂れ流した。
ダムの放水みたいだったと思う。
それはすごく充実していたけれど。
そのうち、さっき書いたみたいな迷いが生じて、
なにも考えずに押し付けるように垂れ流すことはしなくなった。
もちろん、気持ちの全体量が急に減るわけじゃないから、
ためこんだものを、この日記というかたちで変換させただけだけど。

誰かに頼って、聞いてもらうという形のゆがみ、甘えは、
以前から気づいていた。
だから日記という形式は、誰かと濃い関係をつくる作業から比べればとても楽で、少しさびしいことを除けば、自分にあっていたのだと思う。

ただ、ときどきふと振り返ってしまうのよね。

「むずむず感」というのか。
季節の挨拶みたいなものはいやだけど、
たまにふと話し掛けたくなる感覚。
たいしたことはないけれど、でもちょっとね、みたいな。
そういうとき、気軽に話し掛けるには、
もう遠すぎるなあ、とあきらめたり。
まあ、いろいろ。

ちょっと背伸びをしていたの。
もっと高いところが見たくて、ほかの人が見ている世界が見たくて。
まわりにはばればれだったのだろうけど、
引っ込み思案の自分を変えられそうで、その背伸びすら、たいした負担にはならなかった。
いろんなことを吸収したくてたまらなかった。
だけど、熱がひいたいま、
その気負いが、逆に壁になっている。

もっと肩の力を抜いてみたら、
気ままなコミュニケーションが自分のペースでできるようになるのかしらん。
できもしないことを、つらつら思ってしまう。

2001年11月10日(土)
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