unsteady diary
riko



 やっぱり文は人なりでしょ

シンクロしてやるせなくなってしまう文章もあれば、励まされる強い文章もある。
どちらも揺れるという意味では、大切な刺激なのだけどね。

強い文章に対して、ときどき覚える抵抗感がないのは、
その人が本当に強いからだ。
弱さを知っている人だからだ。

以前も日記に文章を引用させてもらったことのある
私の大好きな役者さんがいる。
彼女はとてもとてもポジティブで、不器用だけどそれさえも笑い飛ばしてがんがん障害物にまっしぐらに走ってゆける人で、あまり関わりのない今でも、たまに気になるくらいには、やっぱり好きだと思う。

昨年5月、私の好きな役者さんが階段から落ちて、そのまま脳挫傷で亡くなった。
まだ40代だった。
信じられなくて。
その声がまだ聴ける気がして。
あまりに大きな存在感に、喪失が判らなかった。
その人のプロ意識みたいなものに惹かれていた。
その声を聴いて育ったと言っても過言ではなかった。
もちろん、演技の質の高さにも。
そして他の誰にも代わりのできない、その独特の魅力に。

彼女はその役者さんを先輩としてとても慕っていて、
その彼にあてた追悼文を読んだのだけど。
本当に好きだったとわかるのに、
伝わってくるのはやっぱり負けないんだっていう強い意志なんだ。
それから、彼女の目を通しての故人の姿がよりいっそう鮮明になって、
ますます好きだなあって思うようになった。

文章だけじゃ人柄はわかりゃしない、文なんて訓練次第だと、どこぞの論文の神様だかの著作を立読みしたら、書いてあった。
でもやっぱり私は「文は人なり」だと思う。
確かにある程度の嘘や装飾はできるだろうけど、
それでも、本当の言葉じゃない文章に、人を打つ力はないんじゃないかなあ。
古いかもしれないけど、今日は本当にそう思った。

そういえば。
その役者さんが亡くなって随分経ってから、あるCMで彼のナレーションを突然耳にしたことがあった。
包まれるような、そこはかとなく色気のある声に、
相変わらずじゃん…って呟きかけて。
唐突に、この声は忘れられなくてもいいんだって思った。
なんかすごく嬉しかった。
亡くなったのだと認めないというわけじゃなくて、
彼が残した作品はずっとあるんだから、と自然に思えたんだと思う。

そう考えたらね。
やっぱり残したいなあって思ってしまったの。
自分が生きてて何かを残せたらいいなあって。
残るものは有形でも無形でもいい。
ただ、自分が生きてたっていい気持ちで思い出してもらえる人になれたらいいなあって思う。
ああ、あいつはお荷物だったなあ…じゃなくて、だよ?
がんばらないと今のままじゃ危うい。(笑)


2001年01月25日(木)
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