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■ いじめは必要悪か?
少々、風邪気味。 あわてて風邪薬をのむ。 風邪薬でごまかしてる気もしないではない。 ああ、風邪薬で治る風邪ならいいんだけど。
そんななのに、思うことがあって、書いてしまう日記。
「バトル・ロワイヤル」のラジオCMが耳から離れない。 飄々とした北野武の「人生はゲームです。」という言葉にはじまるの。 闘え、殺しあえ、それで勝ち抜け、というわけ。
ちょっと前かな。 いじめというのはなくならない、とある政治家が言って、失言だとマスコミが騒いだ。彼は、いじめは、競争社会で強く勝ち抜くためのもので、有意義だというふうに言ったように、わたしには聞こえた。
わたしは、いじめは、いじめられる側に非があるとは思わない。 競って負けた、負け犬だとは思わない。 適応できないのが、なにが悪い? 学校だけが生きる路じゃないはず。 いじめられても不登校になったらおしまい、負けたわけでしょ?と ある友人は言った。 わたしは、その言葉がすごく悔しかった。 気持ちが高ぶって、言葉に詰まってしまったけど、 それでも、必死でわたしは、言った。
昔、いじめられたとき。 わたしは、たしかに負けなかった。 それは、わたしにとって、学校以外には自分のできることがなかったから。 そこにしがみついて、価値を確認するより他なかったからだ。 でも、そうでないなら、いいじゃない? 他に居場所があって、学校よりのびのびしていられるのなら。 ある意味、学校でしか生きられなかった、いまも生きられない、私なんかより よほど自分を見つけてるんだと、わたしは思う。
わたしの友人は、小学校で転校して、いじめにあって不登校になった。 男の子だったのだけど、繊細で、やさしくて、わたしもよく遊んでいた。 大好きだった。 相手も、とてもわたしを好きでいてくれた。
わたしが彼と再会したのは、保坂展人著「いじめの光景」という本のなかで、だ。 ずっと手紙をもらってはいた。 それはもう、申し訳なくなるほど、いっぱいもらっていた。 季節の挨拶とか、ごくふつうのものだったけど、なんとなく苦しいのは伝わりかけてたのに、わたしはとても遠いところにいた。 心も、身体も。 わたしはあまり筆まめじゃなかったしね。 彼が、東京シューレに通っているのだと、たぶん勇気のいっただろう手紙をくれたときも、その当時は、それがどんなところなのか、わたしにはわからなかった。 それは、フリースクールという場所。 つまり、不登校の子供たちがあつまって、自分たちで決めたカリキュラムで いろんなことを学んでゆく場だ。
わたしは、いじめらしきものにあったとき、ひとりではなかったし。 いじめといっても、まあそんなに深刻だったわけでもない。 幸い、逃げる場所も、逃げる手段もあったから。 家族や、友人や、本、音楽。そういうものに、救われたから。 だから残った、学校に。
でも、それは競争に勝ったわけじゃないし、 我慢してえらかったね、なんてものでもない。 むしろ、自分を大切にするなら、それ以外の選択肢だって考えられたのかもしれない。路を踏み外さなかったことで、かえっておかしくなっている現在の自分を考えると、そう苦く思う。
でも社会的には、わたしは普通の子、そして彼は、普通じゃない子、と分類してしまうんだろうな。現実に、わたしはそうわかっていたから、路を踏み外さないよう、慎重に、臆病なくらいに、ことを運んできたのだ。 確信犯…だと思う。 そんな自分の追従を棚に上げて、それでも言いたい。
殺しあってでも生き残れ、と言われて、逃げたらいけませんか。 競い合わずに、自ら逃げたら、いけませんか。 それは、選択肢ではないのか?
競争社会だと、政治家さん、あなたが言うのなら、 競争に生きない人間については、どう考えているんでしょうね。 いじめが必要悪だという、あなたの生きかたを知っていたら、 有権者はこれまでどおり、あなたを支持するのでしょうか。
我慢、一生懸命、努力。 すてきなことば、ばかり。 でも、わたしは嫌い。 嫌い。 そうよ、わたしの生き方はそればかりだけど、それでもほんとうは嫌い。 子供にそんなことを押し付けないで。 わたしもオトナであるあなたに、押し付けたりしないから。
2000年12月15日(金)
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