unsteady diary
riko



 いじめは必要悪か?

少々、風邪気味。
あわてて風邪薬をのむ。
風邪薬でごまかしてる気もしないではない。
ああ、風邪薬で治る風邪ならいいんだけど。

そんななのに、思うことがあって、書いてしまう日記。

「バトル・ロワイヤル」のラジオCMが耳から離れない。
飄々とした北野武の「人生はゲームです。」という言葉にはじまるの。
闘え、殺しあえ、それで勝ち抜け、というわけ。

ちょっと前かな。
いじめというのはなくならない、とある政治家が言って、失言だとマスコミが騒いだ。彼は、いじめは、競争社会で強く勝ち抜くためのもので、有意義だというふうに言ったように、わたしには聞こえた。

わたしは、いじめは、いじめられる側に非があるとは思わない。
競って負けた、負け犬だとは思わない。
適応できないのが、なにが悪い?
学校だけが生きる路じゃないはず。
いじめられても不登校になったらおしまい、負けたわけでしょ?と
ある友人は言った。
わたしは、その言葉がすごく悔しかった。
気持ちが高ぶって、言葉に詰まってしまったけど、
それでも、必死でわたしは、言った。

昔、いじめられたとき。
わたしは、たしかに負けなかった。
それは、わたしにとって、学校以外には自分のできることがなかったから。
そこにしがみついて、価値を確認するより他なかったからだ。
でも、そうでないなら、いいじゃない?
他に居場所があって、学校よりのびのびしていられるのなら。
ある意味、学校でしか生きられなかった、いまも生きられない、私なんかより
よほど自分を見つけてるんだと、わたしは思う。

わたしの友人は、小学校で転校して、いじめにあって不登校になった。
男の子だったのだけど、繊細で、やさしくて、わたしもよく遊んでいた。
大好きだった。
相手も、とてもわたしを好きでいてくれた。

わたしが彼と再会したのは、保坂展人著「いじめの光景」という本のなかで、だ。
ずっと手紙をもらってはいた。
それはもう、申し訳なくなるほど、いっぱいもらっていた。
季節の挨拶とか、ごくふつうのものだったけど、なんとなく苦しいのは伝わりかけてたのに、わたしはとても遠いところにいた。
心も、身体も。
わたしはあまり筆まめじゃなかったしね。
彼が、東京シューレに通っているのだと、たぶん勇気のいっただろう手紙をくれたときも、その当時は、それがどんなところなのか、わたしにはわからなかった。
それは、フリースクールという場所。
つまり、不登校の子供たちがあつまって、自分たちで決めたカリキュラムで
いろんなことを学んでゆく場だ。

わたしは、いじめらしきものにあったとき、ひとりではなかったし。
いじめといっても、まあそんなに深刻だったわけでもない。
幸い、逃げる場所も、逃げる手段もあったから。
家族や、友人や、本、音楽。そういうものに、救われたから。
だから残った、学校に。

でも、それは競争に勝ったわけじゃないし、
我慢してえらかったね、なんてものでもない。
むしろ、自分を大切にするなら、それ以外の選択肢だって考えられたのかもしれない。路を踏み外さなかったことで、かえっておかしくなっている現在の自分を考えると、そう苦く思う。

でも社会的には、わたしは普通の子、そして彼は、普通じゃない子、と分類してしまうんだろうな。現実に、わたしはそうわかっていたから、路を踏み外さないよう、慎重に、臆病なくらいに、ことを運んできたのだ。
確信犯…だと思う。
そんな自分の追従を棚に上げて、それでも言いたい。

殺しあってでも生き残れ、と言われて、逃げたらいけませんか。
競い合わずに、自ら逃げたら、いけませんか。
それは、選択肢ではないのか?

競争社会だと、政治家さん、あなたが言うのなら、
競争に生きない人間については、どう考えているんでしょうね。
いじめが必要悪だという、あなたの生きかたを知っていたら、
有権者はこれまでどおり、あなたを支持するのでしょうか。

我慢、一生懸命、努力。
すてきなことば、ばかり。
でも、わたしは嫌い。
嫌い。
そうよ、わたしの生き方はそればかりだけど、それでもほんとうは嫌い。
子供にそんなことを押し付けないで。
わたしもオトナであるあなたに、押し付けたりしないから。


2000年12月15日(金)
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