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■ 汚れた「肺」
電車の待ち時間に、演劇専門誌がなんとなく目に入って、手にとってみる。 「カスパー彷徨」のポスター(ちらし?)が載っていた。
汚れた肺の絵が蒼くぽつんと中央に在る。 ただ、それだけなんだけど。 吸い込まれるように、そこだけが視界のなかで明るくなる。 うろ覚えなので、間違ってたらごめんなさい。 …舞台を観たあとだから、なのかな。 意味深で。 あの肺のことを、考えてしまう。 誰の、なにで、汚れた肺だったんだろう。 肺なはずなんだけど、ほんのちょっとだけ、もげた翼にも見えた。 心臓じゃないんだ。 なんとなく、ありきたりに心臓にするより、そっちのほうが感覚が近い気がして、ひとりうなづいた。 印象的なデザインだった。
何日か経って、舞台の生の迫力が、少しずつ、断片に変わってゆく気がする。 全体をつぶさに思い出す、というのではなくて、なにかもっと イメージとか、そのときの痛かった自分とかが重なって、 ぼやけた感覚として、音とかのかたちで浮かび上がる。
真綿。 カスパー。 カスパーの母。 辻。
かれらの境界線はあいまいで、ただ、行為の結果がちがうだけのような気がする。
合法と違法。 正常と異常。 健常と奇形。
自分の歪みに開き直るか、開き直れなくてなおも「普通」であることにしがみつくか。どっちにせよ、本質的には、あまり違わないのかもしれない。
カスパーを追う刑事として登場しながら、カスパーのことを 異常だと割り切れない、自分のことと重ねて考えてしまう、 キーパーソンになるだろう「辻」。 辻は、先輩刑事の蓑田みたいになるのかな。 いつか、もっと年をとったら、「いまどき」でくくられるまでもなくなったら、 このときの自分くらいの年齢の若い刑事と組んだら、 どんなふうに犯罪と関わっていくんだろう。 蓑田の立場も、考え方も、解らないわけじゃないし、そう生きるほうがよほど楽だとも思うのだけど、 辻には、あのままでいてほしいと、なんとなく思う。
辻は、多くの傍観者、そのものだ。 直接関わるほど、ボランティア精神にあふれてるわけでもなく、 かといって、なにも知らずに明るく生きてゆけるわけでもない。 宙ぶらりんで、ときどきシンクロしながら、 ときどきは、残酷にただ高みの見物と決め込む。
彼の行き止まりは、破られるんだろうか。 でも、どんなもので?
「潜在的犯罪者」ってイイ言葉だ。 お芝居のなかで、辻にたいして、先輩刑事の蓑田が、いまどき刑事になりたいなんてやつらは潜在的犯罪者だ、と言う。 心のなかで殺していれば、きっと犯罪者だとわたしも思う。 あとで「ちょっと思ってみただけよ」ってあわてて付け加えようとも、 やっぱりそれは、潜在的犯罪のような気がする。 カッターナイフを触ってて、ふざけて手首に当てたことのない人ってどのくらいいるんだろう。 その気はないつもりで、「ちょっとだけよ」って思いながら、想像する。 想像のなかで、自分に、他人に、刃を向ける。
ほんとうに犯るわけじゃなくとも、 気分はたぶん、同じだ。 ただ、痛いかな、とか、痕残っちゃいやだな、とか、捕まっちゃうかな、とか、いろんなこと考えて、怖くなるだけだ。 だから、実際にナイフで真綿たちを殺したカスパーを、「信じらんなーいっ」という言葉でくくれるはずがない。
ちょっと話はずれるけど、お芝居のなかで、すこし気になった言葉がある。 「おんなのこはね、殺されて世界を手に入れるんだよ」という真綿のセリフ。 解るといえば、解る。 でも、首を傾げてしまう。 殺されて、あとは楽よね。 でもねえ、カスパーは死ねないんだよ。 そうやって、あなただけ心に残る。 彼はくりかえし考える。あなたのことを、あなたを殺したときの心臓の鼓動を。 彼が唯一殺した「いのち」 名前の在る「いのち」だから。 わかるよ、そうやってあなたは、カスパーを、世界をやっと手に入れる。 命がけだから、そのくらい、許されて当然かもしれない。 しあわせ? ねえ、しあわせ?
うすらぼんやり、抜け殻みたいに生きるより 瞬間的に花火みたいに生きることに 憧れないわけじゃないけど、 すこしだけ、ずるいよ、って思ってしまった。 でもたぶん、それでいいんだろうな。 あっけらかんと、「だってそうしたかったんだもん」って真綿に言い返されるかもしれない。
2000年12月08日(金)
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