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■ フェミニズム
先日、いくつかの大学のゼミが合同で研究発表する催しがありました。 でも、なにやってるんだかよくわかんない研究です。 専攻してる社会学じたいが、世の中に役に立つようなものじゃないからねえ。 高い学費払ってなにやってるんだ?と父に言われましたが、まったくそのとおりなので、反論できませんでした。
遠いかった。>目的地 寒かった。山だった…。 受験のときに一度だけ行ったことがありますが、そのときは雪だったなあ。 しかも帰り道に中央線が人身事故で止まって、1時間半も足止め食らった覚えがあります。なんで中央線ってあんなに人身事故が多いんでしょう。 噂では、あのチャイムみたいな音楽に、ふらふらと飛び込みたくなるって聞いたけど。なんにせよ、あえて電車を選ぶのは、社会に対するさいごの復讐なのかなあ、と思ってしまう。 切ないね…。人身事故だと聞くたびに、やはり平静ではいられないもの。
合同ゼミの話。
うちは共学なんだけど、4つのなかにひとつだけ女子大が入ってるの。 女性学(フェミニズム)をやってるんだけど、やっぱり他大学から突き上げをくらってました。 質疑応答の時間には、女性としてのホンネの部分を、攻撃されつづけてました。 ただ、泣きそうな顔をされると、質問者がいじめてるような気分にさせられるらしく、さいごまで討論にはならないんだなあ。 女性が発表者のときは、ほんとにそう。 一線をひいているような気がして、かえっていやですね、そういうのは。
女の子も、あいまい笑顔で誤魔化すとか、黙り込んでしまうのは違う気がする。 あと、すぐに相手に同調しすぎる気がした。 すばらしい研究だったと思うのに、質疑応答だと、その研究の姿勢がどこかへ行ってしまうのね。 でも、あのほうが角が立たなくて社会の中ではいいのかもね。 私はわりと気が強いので、討論のときは、ある程度相手を攻撃しちゃうほうだからなあ。なまじ、私はふだんは大人しいので、よけいにギャップがあるらしく、困りものです。
でも、彼女たちも、すごく難しい立場に立たされていたと思う。 ちいさい頃から躾としての女らしさを求められつつ、実際身につけてきたのに、今度は学問をやってみるといわゆる「女らしさ」は男社会に媚びるものだとわかってくる。でもそれはタテマエで、従来どおり、親や恋人は、やはり「女らしさ」を求めるだろうし、自分のホンネを変えるのはそう楽じゃない。 そうすると、女性学を勉強してみたところで、自分を変えるのって難しいね。
彼女たちはひとつの鏡でした。 自分のなかにもあるだろう無意識の特権意識を、女性だからいいか、という甘えを 再認識した気がします。
2000年11月25日(土)
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