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シンプルな物語なので、大人になってこの物語と出会った私は、この物語だけで心が揺さぶられることはなかった。そのシンプルさ故に、この物語に出会う状況であるとか、この物語を取り囲む子どもの顔を思い浮かべたりしながら、物語の可能性の深さを考えたりする。
ある日、子ブタが生まれた。子どもたちはそのブタ小屋の片隅にドラゴンの赤ちゃんがいることに気づく。子どもたちは赤ちゃんドラゴンを受け入れていくけど、ブタのお母さんはドラゴンを育てようとしなくなる。子どもたちはドラゴンを育てはじめ、やがて別れの日が訪れる…。
大人は意味を見いだそうとする。たとえば、一匹(?)だけ他と違うドラゴンに比喩を見いだそうとする。確かに某かの意味はあるのかもしれないが、子どもはすんなりと、この物語の主人公のように、ドラゴンをドラゴンとして、あるがままに受け入れていく。
たまに、姪たちに物語を読んであげることがあるが、どんなにシュールな状況でも、すとんと、子どもはわけなくあるがままに世界を受け入れていく。目の前に広がる世界をあるがままに、そのままに受け入れる子どもの能力は、かつては自分自身の中にもあったはずだが、とても羨ましい。
物事の意味を探さない、求めない。それはとても自由なことで、あらゆる価値や意味からの解放だと思う。こんなことをじっくりと考えてしまう時点で、物語が与えてくれる純粋な楽しさからぐんと、遠ざかってしまう。
これは子どもが読めば、あるいは、読んでもらえば、きっと楽しいだろう。ドラゴンの成長にどきどきしながら、ページをめくるだろう。「子どもにとっては○○だろうなあ」といちいち、客観的な注釈がついてしまって、残念な思いが残る。
素敵な物語に出会った。ただ残念なことに、物語が与えてくれる喜びをあるがままに受け止めるには、大人になりすぎている。素敵な物語に出会う。私自身に直接もたらされる喜びはさほど大きくはない。けれど私は、たとえば姪の顔を思い浮かべたりする。きっと、あの子たちの年齢なら、この物語から大きな喜びを見いだすだろう。素敵な世界の橋渡しをする私を思う。
そうすることで、この物語から、大きな喜びを受け取る。姪たちが喜ぶであろう、その笑顔や束の間よぎる切なさのかげり。大切な物語を次の世代へと伝えていく。それが子ども時代を通り過ぎた者の、大切な役割なのだろう。
『赤い目のドラゴン』は心の成長の寄り添う物語だ。姪たちはきっと、その成長の節目節目で、異質なものへの純粋な好奇心と必然的な好意を感じたり、避けられない人生の中での数々の別れの予告編に涙を流したりもするだろう。多分、それが幼い私が感じたであろう、この本への思い。
姪がやってきたら、今度読んであげるのは、もちろん『赤い目のドラゴン』。きっと姪たちと一緒に、幼い私も耳を傾けているだろう。(シィアル)
『赤い目のドラゴン』著:アストリッド・リンドグレーン / 絵:イロン・ヴィークランド / 訳:ヤンソン由実子 / 出版社:岩波書店1986
2004年09月16日(木) 『夕顔』
2003年09月16日(火) 『銀のいす』その1
2001年09月16日(日) 『イラストレイテッド・ファンタジー・ブック・ガイド』 (参考)
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管理者:お天気猫や
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