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2002年06月08日(土) 今までの事<同居人・最終回>



同居人が少し妊娠を機に変わってくれると思ったその年の秋、
私の仕事は成功していた、
決められた予算は他の部署では考えられない程の数字だったが、
何とか力を合わせて同僚とクリアした。
私はその日、満面の笑みだった。
私と同じ業種内容のチーム会議で予算をクリアしたのは
私の担当部署だけだった。
上司からきっと、労いの言葉や「よく頑張ったな」と言って貰えると思った。
でも、違った・・・・。
会社の答えは

「もっと!!」

やる気が失せた、頑張っても頑張ってもゴールなんて無いんだな・・・
そう思った。
その頃から、つわりが酷くなった。
御飯は食べられなかった。
病院には・・産婦人科には行きたくなかった。
妊娠したのは知ってたけれど、怖くて行きたくなかった。
産婦人科に嫌な思い出もあった。
内科に行った。妊娠しているとは言わないで、
貧血を防ぐ為の薬を貰った。
仕事は・・・・・・。
まだ、続けて行きたかった。
まだ、会社に「やれ」と言われるなら、それに答えて行こうと思っていた。
でも、やる気は戻って来なかった。
少し考えた・・・・
「妊娠してるって言ったらどうなるんだろう?」
「貴方はもう使えない」
とでも言われるんだろうか?
でも、そうじゃないかもしれない・・・
現にお母さんになって働いてる人も居る。
でも・・・・その人は自分から降格を願い出た。
子供が熱を出して早く帰らなくっちゃいけない。
日曜は預ける所が無いから遅番などを余儀なくされる、
他の社員に示しがつかない・・・。
私、仕事続けられるのかな〜?
と思っていた頃、事件は起きた。

何が原因だったのかは思い出せない。
本当に些細な事だったと思う。
夫婦喧嘩の末、同居人は妊娠4ヶ月の私を蹴った。
「バキッッ」
体から変な音がした。
同居人は「話にならないから出て行く」と言って
出て行ってしまった。
私は同居人を追いかけた。
全速力で追いかけた。
気がついたら裸足だったけれど、
怒りの方が先に来て、「もう流産してもいいや」
そんな事が頭の中をグルグルしていたと思う。
次の日、私は自分で立てなくなっていた。
1ヶ月も入院する事になった、腰骨が折れていた・・・
仕事は会社から退職するように言われた。
10年も頑張ってきたのに・・・。
「会社って・・・・こんなもんかぁ〜」と思った。
悔しかったけれど仕方なかった。
入院費は又、私の実家から出し貰った。
同居人は子供が産まれてからも同じだった。
一番、酷かったのは顔面を蹴られて前歯を6本も折った事。
子供が3ヶ月の時でまだまだ、大変な時期だった。
「歯が新しくなっていいじゃん」
同居人はそう言った。
それでも、子供には優しかった。
休みの日は子供を抱き、何時までも離さなかったし、
世話もよくやってくれた。
自分似の子供に「パパとそっくりだね〜♪」と
笑いながら話す同居人を見て、私はこの人も人の親になって
何か変わってくれたらいいのになと願わざるをえなかった。

子供が6ヶ月になる頃、朝帰りが多くなった。
仕事で大変なんだなと思って、
「ごめんね、友達は皆遊んでいるのに、パパだけ、こんな苦労して・・」
と言ったら「いいんだよ、子供の為にも頑張るよ」と同居人は笑った。
その夜が同居人との最後のHだった。
同居人は自分勝手に終らせると私にこう言った。
「変わったね」
私「えっ?何が?」
同居人「子供を産んでから・・・」
私「うん?」
同居人「性格とか・・・じゃなくて・・・」
私「何が変わったって?」
同居人






とても酷い言葉でした。↑エンピツ投票ボタン

こっちはMy追加のボタンです。


同居人は薄笑みを浮かべて中傷しているかのように私に言った。
その言葉を思い出すと今でも悲しくなる。
出産は立会いだった。3k以上もある子供を産んで、まだ半年しか経って居なかった。
自分の子供を産んでもらった女に対して言う言葉なんだろうか?
そう思っていても・・・決して口に出して欲しくなかった言葉だった。
「この人の心の中には相手に対して思いやりの欠片も無いんだな」
そう思って、私は同居人とHが出来なくなってしまった。

H出来なくなった理由は・・・まだあった。
年末に金融業者に多額の借金かある事が判明した。
問いただすと同居人は年末だというのに家に戻って来なかった。
帰ってきた時、同居人の首にキスマークがあった。
浮気だった、朝帰りも納得した。
同居人に聞くとアッサリ相手の住所と電話番号を教えてくれた。
相手に子供と私の事はどんな風に考えていたのか聞くと、
結婚している事さえ知らなかった。
車に積んであったベビーカーは車ごと兄のだと嘘を吐いていた。
同居人は自分の子供の事さえ否定して浮気をしていたのだ、
私は相手が可哀相になって、離婚するので、これからは気兼ねなく
付き合いが出来ますよ・・・と言ったが同居人は「遊びだから」と言って、
後始末は全部、私にやらせた。
「離婚する」と言うと、まだ歩けもしない子供を私から
引っ手繰る様にして奪い取り
「子供を置いて出て行けるものなら出て行け」と言う。
同居人の実家に電話すると
「まだ、若いんだから仕方ないでしょ、それを納得して結婚したはずよね、
それに、子供の面倒はキチンと見てくれているんだから無理に引き離しちゃ
可哀相よ。」と言われた。
それでも反省の色も見えず同居人の醜態はまだまだ続く。
折角、入れて貰った私の叔父の運送会社でトラックを廃車にする程の
事故を起こした。
叔父は全額、被ってくれて「まだ、やる気があるなら仕事を任せる」
とまで言ってくれたのに、会社からQ2に電話をして、
最後までしらっばくれ解雇になったり、
私のノート型のPCの液晶を殴りバラバラにしたり、
給料明細を誤魔化してお金を抜いたり・・・。
休日なのにも関らずスーツを着てバックには私服を持って嘘を吐きながら
出掛けて行ったり・・・。
数え上げたらキリが無い程の嘘を嘘で塗り固めた生活。
困った事に、給料は片手で収まる時もあった。
何度も、もうやっていけないと言ったが、その度に泣き叫ぶ子供を捕まえて
子供は自分が引き取ると言う。
どう考えてみても同居人に子供を育てる時間や心の余裕がある訳も無く、
今まで・・・離婚を断念しざるを得ない状況だった。
子供が1歳を機に私は私に戻ろうと思った。
何も、こんな同居人の為に我慢する必要もないんだ・・・。
そして、私も同居人と同罪になった。
でも時々、寒くなると骨折した所が痛み出す。
「貴方が抱えてる子、もしかしたら今、ここに居なかったかもよ。
言うなれば、あれは殺人未遂。今抱いてる子供を貴方自身が殺そうとしたのよ」
私が離婚する時、同居人に言ってやろう。



<今日の出来事>

今日も長い長い「今までの事」を読んで下さって有難う御座います。
m(__ __)m。m(__ __)mm(__ __)m。
本当に感謝です。

ところで、昨日の日記の続きなんですが・・・・。
あの後、彼が家に来ました。
子供が居るので同居人帰ってこないとナカナカ外出は難しくて、
良いのか悪いのか彼が家に逢いに来てくれる事が度々、あります。
彼も私も最初は子供に悪影響だからと考えて居たのですが、
子供も小さかったし、将来、一緒に居たいと真剣に考えた結果が
今の現状です。
昨日は彼の会社から仕事の依頼もあって、家で打ち合わせをしていました。
夕飯も食べてくれました。
大好きなサッカーの試合も一緒に見れて、とても幸せに過ごしていました。
仕事の打ち合わせもあらかじめ終って
「そろそろ、帰るね。旦那さんも帰宅すると思うし」
とお別れのキスをしている時に、
「ガチャガチャ」
と玄関の扉を開ける音がして、同居人が帰宅しました。
私は大慌て・・・・・。
「パパ?」
「ちょっと待ってて・・・・」
そう言うと、彼の靴を持ってベランダへ行くように彼に目配せをしました。
でも、玄関の扉はもう開こうとしています。
彼は
「すみれ?大丈夫だって」
と言うと椅子に座りなおして、仕事の資料を広げていました。
同居人が家に入ってくると、彼は「お世話になって居ます」と同居人に
頭を下げました。
同居人も「何時もお世話になっています。」と挨拶しました。
でも、私は内心ドキドキしています。
心臓の音も聞こえました。
何故なら・・・・。





↑本当にビックリすると思います。私本人ビックリでした。エンピツ投票ボタン

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あの時は暗くてよく見えなかったし、彼も今日のように眼鏡は掛けていなかったし、
その後、同居人は彼を殴って?(かすっただけだけど)
怒って家を飛び出して出て行ってしまって彼の顔をよく覚えていないと思ったけれど、
昨日は、ばれちゃうんじゃないかと思ってドキドキでした。
目の前の彼は平然と仕事の話・・・・・・。
彼は普段、小心者で何時もオドオドしている所がチョッピリあったのですが、
昨日は開き直ったような感じでした。
人は時と場合によっては変わるんですね。
同居人は知ってか知らずか・・・最初、可笑しいな〜という不信感は
あったのだろうと思いますが、
その後、彼が帰った後も何も言いませんでした。
本当は知っていて言わないだけなのか・・・それとも、本当に覚えていないのか・・・・。
覚えていなかったらカナリのヤバイ人ですね。
どちらにしても、妻の浮気も怒ったのはブライドがどうの・・・とか、
子供がどうの・・・と言うような話で
私が浮気・不倫をした事は何も悲しくも無い・・・っと言った人なので。
昨日も浮気相手が家にまだ来て居ると解って居たとしても、同居人にしてみたら、
どうでもいい事なのかもしれませんね。


今日も彼は土曜なのに午前中、サッカーの練習に行くと言って自宅から
わざわざ、サッカーの恰好をして家に来てくれました。
今日は車のタイヤ交換をしてくれる約束。
こんな時期なのに・・・・同居人は何もしてくれなくて、
彼が見かねて交換してくれる事になったのです。
私が出来ない家のほとんどは今、彼が色々やってくれています。
これも・・・・同居人が知ったら、どう思うのでしょう・・・・・?
タイヤ交換もスカパーのアンテナが壊れた時も同居人本人が車をぶつけた時も、
そう言えば車検の時も同居人は何も手配しようとはしませんでした。
頼んでも「解った」と言うだけで決して自分で動こうとはしません。
彼は困っている私を見ると、「僕が出来る事はやってあげるから心配しないで」と言って、
スカパーのアンテナを取り付けてくれたり、車の修理を出しに行ったり
代車を手配してくれたり、車検屋を調べて車を出しに行ってくれたり・・・
何時も「自分の家じゃないのに、こんな事までやらせてごめんね」
と言うと
「いいんだよ、すみれの為になる事、頼りにされる事が凄く嬉しいんだよ。」
と言います。
その度に、「どうしてこの人が私の旦那さんじゃないんだろう?」と少し寂しくなります。
今日は一緒にタイヤ交換をしました。
彼は一緒に何かを出来るだけで本当に楽しくなる人です。
彼も私の知らない事を教えたりするのが楽しいみたいです。
「すみれと色々、覚えたり勉強したりしたいね。二人で作業したら、
どんなに難しい事でも一緒に考えて解決出来そうな気がするね。」
何時も彼が私に言ってくれます。
それを聞くと私もどんなに困難な事でも出来そうな気がします。

昨日の事は二人とも「危なかったね〜」と言って笑いました。
「昨日の続きね・・・・」と言って沢山、チュ〜〜♪としてしまいました。
二人で「見つかったらどうしよう?」と言いながら家の鍵とチェーンを掛けました。
何時ものように「すみれ・・・・・」と呼ぶ彼のかすれた声を聞きながら私は、
「困難な事かぁ・・・困難な事を楽しくする彼と子
育てが出来たら、どんなに楽しかっただろう・・・・」
「でも・・・・・何時までこんな事続くんだろう?」
と夢みたいな事と現実と彼の事・・・どれも感じてしまいました。





2002年06月09日(日) 今までの事<突然の対面>



彼と知り合って毎日のようにメールとメッセの遣り取りを繰り返した。
その間に私の誕生日があって、
丁度その日の0時にバースデイカードが届くように、
彼からの粋な計らいもあった。
毎日、不毛な家庭で死んだように生きていた私に心の張り合いみたいな物が
少しづつ出来て来た。
随分、時間が経ったように思ったが、まだ知り合って1ヶ月も経って居なかった。

或る日、彼が会社からメッセで呼掛けてくれた時、とても寂しそうにして言った事がある。

「なんだか・・・心寂しいな・・・」
「どうしたの?何かあった?」
「別に何もないよ」
「じゃ〜どうしたの?仕事でミスとかしちゃった?」
「仕事は順調だよ・・・そういうんじゃなくて・・・」
「うん?」
「今日・・・すみれさんに逢いたかった・・・・」
「・・・・・・・・」
「でも・・・いいよ。まだ前の人の事もあるし・・・
逢える機会は沢山あると思うから」

「うん・・ご・・・めんね・・・」

その時の彼はとても寂しそうで何かを諦めたように・・・
私は本当に申し訳ない気持になってしまった。

前の相手とは会う約束をするまで3ヶ月もメール交換や電話を繰り返した。
彼と同じように、ほとんど毎日、御互いの近況を遣り取りした。
それでも、逢うまで3ヶ月も掛かった。
その間、私の住んでいる街にも何度か足を運んでいたようだったが、
会う約束はしなかった。
メール交換している間「?」と思った事もある。
相手から携帯メールが来る事のほうが多かったし、
詳しい過去の話もそうそうしなかった。
だから尚更、慎重だった。
それなのに、相手はただのお遊びだと思っていた。
私は相手に詰め寄った。
遊びだったら遊びの関係を真っ当してあげるとも言った。
それきり、2度と会わなかった。
去年の今頃の話・・・。

彼にはその人の事を話していたので、彼も私と逢うのを躊躇していたと思う。
私も彼に人から騙される馬鹿な女として見られるのも嫌だった。
だから、御互い逢うのはもっともっと後だと思っていた。
その時の事を彼は「すみれとは逢えないと思ってたよ」と言う。

彼の寂しい呟きを聞いてから暫く経って、
又同じような状況になった日があった、
私が仕事から帰ってきて、御飯を作って、子供をあやして、
彼はその間、ずっと会社で私がメッセで話せる時間まで待っていてくれる。
彼の同僚が1人、2人と会社を後にする中、彼は仕事も終ったというのに、
何時もネットオークションで時間を潰してジッと待っていてくれた。
その日も同じくメッセを立ち上げると彼は
「こんばんは」と話しかけて来てくれる。
もうそろそろ、帰ろうかな?と言う前に彼が
「すみれとは・・・・まだまだ、逢えないね、きっと・・」と言う。
前に御飯を一緒に食べに行こう〜と言われて
「まだ・・・・逢うのは後でもいい?」と言ってから、
彼は私に、あんな風に誘う事は無かった。私を気遣っての事だと思う。
でも・・・私も本当は彼に逢いたかった。
メールで毎日、遣り取りしてもメッセで毎晩、会話しても・・・。
それはただのちっぽけな箱の世界の中の出来事であって、
幾ら電話で会話しても目に見えない架空の人物のような気がして。
この街の何処かで私が想って居る人が存在してくれるだけでいいと
最初は思っていたけれど、
彼への想いは段々、膨らんでしまって・・・・・。
とうとう・・・・言ってしまった。


「今から、逢おう・・・・・」


これで・・・・断られたら・・・・・。

私からは何も・・・・・・・・。

言わないでおこう・・・・・・・・・。


勇気を振り絞って言ってみた・・・・。


最初は彼も、まだ躊躇して
「すみれが・・・無理するといけないから、いいんだよ」と 
言ってたが、
少し強引なその日の私を想ってくれたのか、突然の対面を承諾してくれた。
もう、時計は10時を過ぎようとしていた。

それから、彼が家の近くまで来る間。
心臓がドキドキして止まらなかった。
彼と逢うまで残り時間は約30分。
その間、何を着て行けば良いのか、どんな化粧をしていけば良いのか、
香水は?どんなバック?マニキュアを塗る時間さえ無いな・・・。
こんなんでいいのかな?と頭の中をグルグルしていたが、
帰宅していた同居人には
「今から急に友達の所へ行く事になったから」
と吐き捨てるように嘘を吐いたのには
自分でもビックリするほど素早かった。

少し早めに家を出て、さほど遠くない待ち合わせ場所まで車で移動する。
(この時、彼の車が私の横を通り過ぎたそうです。彼曰く「この人がすみれさん?」
と思ったと言ってました。良い意味なのか悪い意味なのか・・・)
5分ほど待ったら、それっぽい人が車に乗って現れた、私達は逢う直前まで
御互いの容姿の事を話さなかった。もちろん、写真交換なんてしていない。
だから、尚更彼は解りやすいように車を止めてくれた。
ドキドキして車を降りて彼の車に近付いた。
「こんばんは」私は少し会釈をして車に乗り込んだ。
「こんばんは」今まで電話でしか聞いた事のない彼の声が
こんなに近くに聞こえる。
私は目深に帽子を被っていたので彼はきっと私の顔をよく見えないはず。
でも、顔を覗き込むでも無くユッタリと車を走らせて駐車場を出る。
「何処に行こうか?」と聞いてくれたが行く当てもなく、ただ、車を走らせる。
恥かしすぎてチラッとしか見ていない彼の第一印象は、
スーツを着ていたせいか、ちょっとお堅いイメージ、頭の回転も早そうで、
心の内をみすかられそうな感じがした。
でも、何時もメールやメッセで人柄は知っていたのでドキドキして顔を強張らせ
ながらも笑って話せた。

彼は家の近くの河川敷で車を止めた。
小さな子供が居るから、余り遠くなっても悪いねと言って・・・。
普段も沢山の話をしていたけれど、そこで私達は又、沢山の話をした。
彼の前の彼女の話をしている時、
私は自分の不倫感に関して話をした。
遊びで人と付き合うと後から空虚な気持しか残らない。
不倫については・・・・
答えは無かったけれど、最後の最後に面倒臭い問題が勃発して
どちらかが家庭に逃げ戻るのは卑怯だ。
そして、私はこう言った。






↑エンピツ投票ボタン これを聞いて大体の人は引くと思います。

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今になって考えると、どういうつもりで言ったのか自分でも解らない。
少し怖かったんだと思う、
人に裏切られたりする事に慣れっこになるのはもう、嫌だったし。
彼に対して指した言葉じゃなかったかもしれないけれど、
あの時も今も私の心の中には彼が住んでいて、
簡単に裏切られて失うのは嫌だと思った。
だから、付き合うとなるとお互いに家庭や仕事や子育てや、
その他諸々の事を抱えていて色々、問題はあるけれど、
気持だけはお互いの事を第一にと考えて貰える、
そんな付き合いがしたかったんだと思う。
彼はその時、無言だった・・・・・。
何を考えているのか私には解らなかったけれど、
彼も彼なりに色々考えて居たんだと思う。

暫く他愛の無い話に戻して会話していると彼が唐突に私にこう言った。






↑皆さん?この聞き方って、日本語ですか?笑 エンピツ投票ボタン

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彼が私に「お願いを聞いて欲しい」質問の仕方は・・・ホントに可笑しかった。
「それってどういう意味?」と思ったけれど・・・意味は通じた。
ここぞ! !っと言う時に何故か、とちってしまった彼を
年上のくせに「可愛い人」と思った。

「手を繋いで欲しい」と言った彼。
私達はメッセを終わらせる時、「バーチャル恋愛なら何でも出来るね」と
オヤスミのチュ♪や腕枕をしてオヤスミ〜と言ったり
何だかママゴトのように恋人気分を楽しんでいた。
でも、彼の本音は
「僕が今、すみれさんと逢っても出来る事は・・・手を繋ぐ事ぐらいだよ」
だった。
彼は私と初めて逢った日、勇気を出して自分がしたい事を口にしたんだと思った。
「手を繋ぐ」本当に他愛の無い事。でも、それが大切な事だと解っている人。
それが私にとって彼だった。
何時までも尽きない話・・・空はもう白々として来た。
そろそろ、帰らなくっちゃいけないんだなっと思った時、どちらからともなく、
ギュと抱き合った。
彼に逢えた嬉しさと現実の世界の辛さと何だか解らない想いでイッパイになった。
少し彼自身が私をこんなに夢中にさせた事を恨めしくも思った。

涙が出た・・・。

もっと一緒に居て話をして居たいと思ったけれど、
別々な所へ帰らなくっちゃいけない・・・。
繋いだ手も離したくないけれど、時間が来たら離さなくちゃいけない・・・・。
寂しく思った・・・・・。
彼がキスしてくれた後、「来週、時間が取れたら又逢おうね」と言ってくれた。
帰りに来た道と違う道を通ったら、
彼が「あれ?ここ何処?」と言って帰り道を少し忘れてしまった。
私は「あぁ〜ここから行ったら遠回りだよ〜」と心の中で言ってたけれど、
口に出さなかった。
彼と少しでも長く居たくて・・・・わざとに教えなかった。
この時の事は今でも内緒(^▽^笑)

家に帰ってくると、もう空は明るかった。
PCの椅子に座って今までの事を少し考えた。
彼と逢うまで沢山の話をした、チャットしながらPCの前で初めて涙もした。
私が彼の特別な人になれますようにと毎晩神様にお願いもした。
小さな箱の中は
倫理も・・・
道徳も・・・
批判も・・・
中傷も・・・
何も存在しなかった。

何時も朝まで話をして、
大好きと
愛してると
オヤスミと
キスと
腕枕と
何時か逢えたらいいね
を沢山繰り返した。

私は今でもあの言霊達を信じています。




<今日の出来事>


今日はね〜♪とても良い事がありました。
お友達の婚姻届の証人欄に私の名前を書きました。
結婚生活が破綻している、こんな私でも良い?と聞くと
「是非、すみれに〜」とのお言葉。
とても光栄な事でした。
私の婚姻届の欄には実父の知り合いで私の全然、知らないオジサンの名前が
載ってしまいました。
証人は誰でも良いと言うけれど、考えてみるとヤッパリ人選をちゃんと
しておけば良かったかも・・。
肝っ玉母さんの名に相応しく私の母は
「証人なんて誰でも良いんだから、役所の周りを歩いてる、
その辺のオジサンにペンを渡して書いて貰いなさい。」
と言いました。(^▽^笑)
お友達に「提出は今月中?6月の花嫁は幸せになると言うよ?」と言うと、
「離婚も多いらしいよ」と言う話。
考えてみれば、それはそうだね。
6月は結婚式ラッシュ、結婚する人も多ければ離婚率も高いはず。
私もそのうち経験者になるはず・・・・6月の結婚経験者は語る。(^▽^笑)
お友達夫婦にはそうなって欲しくないです。
彼女達は遠い遠い距離を一生懸命?!努力して?!やっと結ばれた人達なので、
これからは今までの分、思い切りラブラブ★して下さい。

っと言う事で今日は一日中、お出掛けだったので彼と電話は出来ませんでした。
家の電話は非通知3件。メールで洗車の途中に電話してくれた事を知りました。

ところで、土曜日に彼とこんな話をしました。
今月から始めたライフワーク(この日記の事です)
彼には「何時か教えてあげる」と言っていますが、
ネット上で色々、しているんだよ〜という所までは、
教えてしまいました。
ネット上で出来る事・・・HP作成とかゲームをダウンロードしたりとか・・・。
でも話題はweb日記の事・・・・。
彼は何故、自分の日記をweb上に流すのかが解らないみたい・・・・。
特に私のようにBBSを付けないで日記を書く事の意味合いが解らないらしい。
BBSは日記を読んで訪れる人が色々な意見を書き込んでくれたり、
励ましてくれたり、批判をしてくれる所で、それが無いという事は単に人の意見を
受け入れないという事じゃないかと受け取れてしまいます。
実の所、私もBBSを付けない日記作家さん達を見てきて
「解るよ〜その気持」「えっ?それは違うんじゃない?」
と思ってもBBSが無いので書き込めなかったりします。
でも、どちらにしても日記は読み続けているんですけどね。
彼は独りよがりの日記なら別にweb上で流す必要は無いんじゃないか?と言います。
( ̄ヘ ̄)ウーン どうなんでしょうね〜、私はそんなに小難しく考えたつもりも無く
日記を始めてしまいました。
ただ足跡みたいな物が欲しかっただけなのですが・・・。
BBSをつけないのは・・・・つけ方を知らないからかも・・・(;^_^ A フキフキ
でも、ただこうやって書いているだけで何処かで誰かが私の日記を読んでいる
事で少し救われたり、
私自身、誰かが読んでくれている事で自分の存在価値みたいなものが
広がればいいな〜と思っています。
正直な所、批判されたり中傷されたりするのは嫌です。
言葉は汚いのですが(スイマセン・・・漁師町で育ったもので・・・・(;^_^ A フキフキ)
「オメェ〜に批判される為に日記書いてんじゃねぇ〜んだよ!!」
位の気持で書いてます。m(__ __)m
共感して貰える人が居たら、それはそれでとても嬉しい事です。
現実から逃げてる?!かも知れませんが、言うなれば逃げ場所が
無いから書いてるのかもしれません。
それで、誰にも迷惑掛けなかったら万々歳です。
彼はこれを見てちょっと怒るかもしれませんが「こんな事書いてたの?」
とか言われるかもしれません。
でも、彼も・・この日記を読んで不快に思った人も、2度と見なれけば良い話。
この日記だけは私の世界なので・・・・誰にも邪魔されたくないのが本音です。
最後に彼が「寂しいから日記を流しているのかな?」と言っていました。
私もそうかな〜?と少し共感して話が終った後に、
自分で自分に「何故、日記を書いてるの?」と問いてみると。
もう一人の私が・・・。
「うんうん、寂しいよ・・・好きな人と一緒に居られない寂しさ・・。
自分の家庭と相手の家庭を比較したり・・・。
彼にも子供が居て私より大切だと思ってるんだよね・・・・とか
何だか解らないけれど・・・・・寂しくて寂しくて・・・・・」
と言っていました。
前に誰かの日記に「アエラ」という雑誌に「web日記を書く人達の心理」
という特集が組まれていた事を知りました。
早速、深層心理を探りたく問い合わせをしましたが、
バックナンバーは無いそうです。
ネットオークションも覗きましたがありませんでした。
どなたか2001年9月17日号の「アエラ」をお持ちの方、又、
理容室や病院の待合室にて見かけた方、
ご一報を下さい〜(T_T)。



☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆★☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆★・゚☆
今日もこんな長い日記を読んで下さって有難う御座います。m(__ __)m。
更新が遅くてスイマセン。何ぶん話が長いもので・・・・。
今、要点を纏める勉強中です。
投票ボタンを調子づいて2つも設置してしまいました。
ランキングを気にしていらっしゃる方が居たら申訳御座いません。
私的にはランキングは余り気にしていません。
貴方の愛の目で日記を読んで下されば、十分です。
(話がオモロク無い時は外してみたりしたいと思っています。)
↑本当の話なのにオモロクないとはどういう意味か?自分でも理解不能。
又、お暇で手が空いた時にでも覗いてやって下さい。m(__ __)m。
☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆★☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆★☆.。.☆



2002年06月10日(月) 今までの事<不倫する1>


私は今まで3度の「不倫」と呼ばれる概念に縛られて来ました。
結婚してから2度、独身の時に1度。
結婚してからの1度目は不倫と呼ばれるものでは無かったので、
実質、2度でしょうか・・・。

独身の時の不倫は楽しかったけれど辛いお別れでした。
相手は21歳も年上の人、
もちろん家庭もあり子供も居ました。
家庭は既に崩壊していたらしいです。
彼は付き合って1ヶ月もしないうちに私の家に転がり込んで来ました。
自分で会社を経営していた彼は家族に
[仕事が忙しいから暫く会社に泊まる。」と言い訳をしていたらしいです。

1週間経つ頃「そろそろ、家に帰ったら?」と彼に言うと、
「どうして、そんな事言うの?」と泣き出してしまいました。
私は年上の男の人がポロポロを泣くのを初めて見て、
好きなだけ家に居てもいいと言うようになりました。
私も仕事を持っていて、ナカナカ彼の休日に一緒に居られませんでしたが、
休みが重なった時は近郊の公園や湖にドライブに行ったり、
旅行などを楽しんでいました。
社長という肩書きを持っていた彼、お金は自由にさせてくれました。
「僕がすみれと一緒に住むようになってから食費が倍になったでしょ?」
「余り無駄遣いしないように・・・」と何時もお金を渡してくれていました。
時々、チラッと財布の中を確認すると1万円札と小さなメモが入って居て、
「ALL my love so much・・・to sumire」と書いてありました。
彼はそういう、ちょっとした悪戯というか人を驚かせるのが好きな人でした。
私の誕生日の時は一元さんが
絶対、入れない料亭に連れて行ってくれたり、
今までやったことの無かったゴルフも教えてくれました。
エステに行きたい、あの本が欲しい、御飯を作るのが面倒、
私の我侭を全部聞いてくれて「これで足りるの?」と次の日にはお財布に
万札が何枚も入っていた事もありました。
「お金は要らないんだよ、ただの私の願望なんだから」
と言っても彼は一度もお金を引っ込めた事はありませんでした。
彼は出勤の時も仕事が終わる時も何時も職場に車で迎えに来てくれました。
私の職場はほとんどが女子社員で彼が毎日、迎えに来てくれる姿を見て。
「誰?お父さん?」
「それにしても、お父さんには見えないね。」
と言っていました。
女の職場ですから、そのうち「あの人は不倫相手」と噂はあっという間に、
知れ渡ってしまいました。
私もコソコソして付き合っていた訳ではないので、
噂が広まるのも当たり前だと思っていました。
不倫をしていたからと言って仕事の業績が落ちた訳でも無く、
就業態度が悪くなった訳でも無く
むしろ人に優しく出来て気持も大らかになりました。
彼が21歳も年上という事もあったり、これからの生活はお金のある彼と
一緒に居られるという安心感が私をそうさせていたと思います。
ただ、仲の良い同僚に誤解される事だけは嫌でしたので、
キチンと話をしました。
でも皆、口をそろえて「大丈夫?」「やめた方がいい!!」と言うだけでした。
私は同僚に彼を逢わせました。人当たりも悪くなく、
年の功からか余裕のある態度の彼を見て、
それまで反対して居た同僚も納得してくれました。
「順風満帆」
それ以上の言葉は無い程、恵まれて生活をしていました。

でも、彼と一緒に暮らして一つ悲しい事を聞かされました。

「あのね・・・僕には子供が3人居るけれど・・・・・。」
「うん、知ってるよ」
「外にもう一人居るんだ。」

彼は私と知り合う前に一緒に生活していた女の人が居て、
その人との間に子供が出来てしまい。
籍を入れたかったけれど、どうしても彼の離婚が成立しなく、
子供は認知はしたものの、彼女はその後、別の男性と結婚してしまい、
そして彼は泣く泣く自宅に戻る事になったそうです。

その時、私は彼に、
「私に子供が出来たら、絶対、結婚してね」
「子供が生まれる6ヶ月前までに入籍しないと非摘出子になっちゃうから、
子供が大きくなって知ったら可哀相だし・・・」
と冗談半分に笑いました。

それ以前にも避妊については彼とは意見の相違がありました。
彼と付き合う前、私は妊娠した事がありました。
同棲相手の子供でした。
相手は産んでくれと言いましたが、
私は丁度、仕事が楽しくなってきた時期で、
自分の可能性を試したく、結婚願望も無かったので、
仕事をやめて家に居て欲しい、
子供と自分の為に生きて欲しいと言う相手を
尻目に、とっとと産婦人科に行って子供を堕胎してしまいました。
それでも、中絶手術の時は罪の意識に苛まれ、
麻酔は効かず意識も混濁してしまいました。
中絶手術の麻酔はとても微弱な物で意識が全部途切れる事は稀だと
いう事を知ったのはずっとずっと後でした。

彼にも、その事を話して避妊の重要性を説いては見ましたが、
「出来たら産めばいいよ」と言って笑っていたので、
私も余り込み入った話はしないで安心していました。

ところが1ヶ月後、私の体調が可笑しくなり始めました。
極度の睡魔と体のダルさなど、今までにない変化でした。
始めは「寒くなってきたから体温が上がって眠いのかな?」と
思っていましたが、月のものも来ないし、
彼に話して病院へ行く事にしました。






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避妊もしないでsexしていたのですから、当たり前の事です。
彼に話しました。
すると彼は何度も「本当か?」と私に聞きました。
「嬉しくないの?」と聞くと、
「素直に・・・・嬉しいとは言えない。」と
彼は言って青ざめた表情をしていました。
後日、実家の母に電話報告しました。
彼と同棲している事も知らなかった両親は激怒しました。
特に養父は私の事を
「お前のやっている事は泥棒猫と同じ事だ。」と私を詰りました。
母が彼と話し合いにやってきました。
彼が
「心配なさらないで下さい。僕はすみれさんの面倒を一生見て行きますから」
と言うと母は少し安心して、
そんな寒そうな恰好をしていると体が冷えるから何か温かい洋服を
買いに行こうね、と二人で買い物へ行って美術館を見て歩きました。
私は早くに親元を離れてしまった為、
子供の頃から母と2人でこんな風に買い物へ行った事はありませんでした。
とても、優しくて本当に暖かな時間でした。
これからは、彼と子供と3人で、こんな優しい時間を過ごして行くんだろうな〜。
とそう思っていました。

私は仕事をしながら病院へ通いました。
病院にはソーシャルワーカーという人が居て、
未婚の私の話を聞いてくれたりしました。
でも、その人が私に何度も
「出産まで彼の離婚は成立するのですか?」と聞いてくるのが憂鬱でした。
彼はその頃、何度も自宅に戻り離婚の話し合いを繰り返していました。
でも、私の家に戻って来る彼の顔も憂鬱の一言でした。
不安がる私に「大丈夫だから、心配しないで」と気を使って居たのが解りました。

或る日、休日で家に居ると仕事へ行ったばかりの彼から電話が来ました。
「カミさんがどうしても話がしたいからって言うから電話番号を教えたから・・・
今、電話が掛かってくると思う・・・」
私は「なんで?話したくない」と言いましたが、
彼との電話を切るとすぐに奥さんから電話が掛かって来ました。
「どんなつもりで居るんですか?」と聞かれたので「結婚するつもりですけど?」
と答えました。
「おなかの子供が可哀相だとは思わないんですか?」と言うので、
「だから、結婚するって言ってるでしょう?」と答えました。
その後は何を言われたか、もう覚えていません。
ただ一言

「私離婚しませんから。」

と勝手にに電話を切られた事です。
後日、家に又、奥さんから電話が掛かって来ました。
彼と話がしたいと言うので私は彼に電話を変わって、
子機で2人の会話を聞いていました。
奥さんは「パパ・・・○○ちゃんが可哀相だとは思わないの?」と
子供の話ばかりしていました。
彼も「うん・・・・・・・うん・・・・・・」と相槌を打つばかりで、
恰好悪いと思いました。
離婚するのに子供の話ばかりで自分達の感情は一言も話さない夫婦・・・。
何て可哀相な夫婦なんだろうと思っていました。

その後も彼は話し合いに行きましたが、
最終的に彼が言った言葉は「離婚できないから・・・・」でした。
私が「子供を堕ろせって言うの?」と聞くと、
「・・・・・・・・・うん」と言いました。
次の日、彼と一緒に病院に行きました。
私は待合室で大声で泣きました。
皆、どうしたんだろう?と言うような顔で見ていました。
私の通っていた病院はキリスト教系の病院で
「堕胎」は「神にそむく事」として認めてはくれない所でしたので、
医師の紹介状を持って別の病院へ行く事になりました。
別の病院へ向う前ソーシャルワーカーの人が
「仕事もしながら、つわりにも絶えてここまで頑張ったのにね、
可哀相に・・・・」と一緒に泣いてくれました。
私はもう5ヶ月だったか4ヶ月半だったか・・・
とにかく「堕胎出来るのはここまで」という所まで来ていました。




<今日の出来事>

日記の更新が本当に遅くなっています。
ごめんなさい。
m(__ __)mスイマセン・・・・・・。
何だか、やることがイッパイな上に「今までの事」が異常〜〜〜に長くて、
読んで下さっている方には本当に御迷惑をお掛けしています。
なるべく早く更新できるように頑張って書いて行きたいと思っています。


今日、彼は一泊出張に行きました。
とても遠い所へ行って、少し心細そうにしていて、
休憩のたびにメールか電話をくれました。
ずっ〜と車の運転をしているので事故に合わないかと心配でしたが、
夜にホテルでPCを接続してメッセを少ししてくれました。

メッセの内容は・・・・。
やっぱり、遠く離れた場所に行っているからか寂しそうでした。
「明日は早く帰れるように仕事頑張るから逢おうね」
と御互いを励ましあいました。

今日、彼が出張で行った場所は前に私と2人で旅行?!に行った場所なので、
尚更、一人で行くと寂しくなるらしいです。
私達はよく2人でチョロチョロと色々な場所に行っているので、
もし、別れたとしたら、その場所その場所に行って寂しくなる事、間違い無しだと思います。
まぁ、そうならないように頑張りたいと思っていますが(;^_^ A フキフキ

私も今日は疲れてしまいました・・・・・。
っと言う訳で明日からも日記の更新頑張ります。m(__ __)mぺこっ。



2002年06月11日(火) 今までの事<不倫する2>



中絶する前に彼ともう一度、話し合いました。
私は子供を堕胎したくない。
貴方の子供が本気で欲しいと思う。
子供を育てて行く気持も本物。
離婚で御金がなくなってもいい。

彼はどれ一つ「うん」とは答えてくれませんでした。

中絶する事が決まり、私は紹介された病院へ行きました。
別の病院では紹介状を見た先生がすぐに診察されました。
外来の内診室では処置として子宮に黒い棒の様な物を何本も入れられました。
私は「痛いので何とかして下さい。」と先生に言いましたが、
診察が終わり、中絶の過程を説明する先生の顔はとても冷酷でした。
「もう中絶するには時間が無いのを知っていますよね?」
「子宮をわざとに臨月くらいの大きさにして普通に出産するのと同じように
堕胎します。方法はこれしかありませんので痛みが伴うのは仕方ないです。」
先生は予めの説明を終らせると看護婦さんに入院手続きの指示をしていました。
私は「あぁ〜前に読んだ内田春菊のファザー・ファッカーと
同じ堕ろし方なんだな〜」と入院の説明を聞きながら、
体がとても冷たくなって行くのを感じました。
入院期間は2週間でした。
すぐに母が故郷からやってきました。
産婦人科なので付き添いなどは要らないのですが、
私の事を心配してか養父が側についている様にと母を送り出したそうです。

母は私に何も言いませんでした。
つい何ヶ月前まで二人で「良かったね〜」と笑い一緒に買い物をして喜んでいた、
自分の娘が御腹を抱えてウンウン唸っている姿を見て、
気丈な母も落胆した様子でした。
母もそれまでは彼を信じて養父が反対する分、
何とか娘の想う人と結婚させてあげたいと思っていたようですが、
今となっては彼に裏切られたという思いでイッパイだった様でした。
私が行ったその病院は産婦人科としては、とても高級な病院で、
ディナーは夫と一緒にピアノ演奏を聞き可愛いピンクのパジャマを着ながら、
「ここはホテルのラウンジ?」という様な食事の部屋のテーブルで
摂る形式になっていました。
1階は外来で2階は産婦人科入院棟と分娩室・処置室、
そして3階は私の入院していた婦人科入院棟と皆が食事をするレストランの様な
広い食事部屋がありました。
私の夕食は入院していた部屋にひっそりと運ばれ母が買って来てくれた
青いパジャマを着て母と一緒に摂りました。
私が食べられないと母が
「体力が無いと駄目だから・・・」とポツリと言いました。
一口、二口食べて部屋を出ると廊下には食事部屋から楽しそうな
笑い声が聞こえてきていました。
「どうして私だけ、こんな思いをしなくっちゃいけないの?」
「私はどうして、そこに入れないの?」
そう思って暗い気持に拍車が掛かりました。

私の病室は2人部屋でした。何日かして隣のベットが埋まりました。
面会には可愛い子供と旦那さんが来ていました。
私から話しかける事は無かったのですが、すぐに相手が私に話しかけてきました。
3人目の子供が出来たけれど、成長が止まって心音も聞こえなくなって
母体が危ないので、中絶するとの事でした。
(雅子様が最初に御懐妊した時と同じ症状ですね。)
その後、私のベットに状況を知らない友人から電話が来て状況報告をしていて、
やっと隣のベットの人が、どうして私がここに居るのか理解したようで、
静かになりました。
彼が毎日、面会に来ていたので、それまでは「意志に反しての中絶」
とは解らなかったようです。
その人は3日か4日で退院していきました。退院の日は入院した時と同じように
家族が迎えに来ていました。
彼女は私に「頑張ってね」と一言いい病院を後にしました。

彼女が退院するとすぐに私は2度目の処置をされました。
内容は同じ物でした。
でも、前回と違っていたのはそこが処置室だった事・・・。
分娩台は見た事がありました。
一度目の中絶で経験した時と同じ冷たい椅子でした。
でも、処置室の目の前は分娩室で、
今まさに妊婦さんが子供を産もうとしている所でした。
(その病院は立会いでなくても出産しているのが解るようにか分娩室の入り口に
小さな小窓がついていました。)
チラッと見えた小窓では助産婦さんが何人かせわしなく動いていました。
私は処置室に入ると処置台に座り脚掛け台に脚を乗せました。
処置は前と同じように黒い棒のような物を何本も子宮に入れられる事。
でも、意志に反して異物が入ってくる感じ・・・冷たい鉄の様にしか感じられず、
我慢しているうちに痛みや悲しみや空虚や、そして自律神経が可笑しくなる感じ・・・・。
私は耐えられなくなって大声で叫び、暴れていました。
看護婦さんが私の脚を力いっぱい抑えました。
私の声に驚いたのか他の看護婦さんも処置室に入ってきて、
私の体を押さえつけました。
主治医の先生とは別の先生も誰に呼ばれたのかやって来ていました。
「大丈夫ですよ〜鼻で息を吸って〜」遠くで看護婦さんの声が聞こえました。
気絶するんじゃないかと思うほどの痛みが何度も何度も繰り返されました。
30分くらい経つと処置は終りました。
でも、死ぬほど長い時間、処置台の上に居たような気がしました。
私の脚にはクッキリと看護婦さんの指の跡が残っていました。
すぐには病室に戻れませんでした。
処置台の直ぐ横のベットに暫く寝かされていると、
「分娩室でも暴れているし、処置室でも暴れているし」と若い看護婦さんが
言っていたのを聞きました。
私は「産みの苦しさだったら、幾らでも耐えるのに・・・」と心の中で思っていました。
少し年上の看護婦さんが、「そんなに暴れても駄目でしょ?」と
少し怒りながら私に言いました。
私が泣いていると、
「だって中絶しないと駄目だからここに来たんでしょ?」と冷たく言い放ちました。
無言の私に看護婦さんがカルテを机の上から取り上げ、ペラペラ捲りながら
「こんなになるまで放っておいて・・・・」と言うので
「彼の離婚が上手く行かなくて・・・・・」とそう言うと。





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処置室から出ると車椅子が用意され、母が心配そうに待っていました。
私の叫び声は廊下中に聞こえ、母は気が気じゃなかったようです。
分娩室ではもう赤ちゃんが産まれたようで、
沢山の家族が嬉しそうにしていました。
処置室の扉の横では次の人が待っていました。
その人はまだ、20歳くらいの女の子でした。
彼女は泣いていました。
車椅子に乗りながら、その子を見て、
まるで震えてる小鳥のようだな〜とボーっと思いました。

その日も彼は面会に来ました。
何時もと変わらず「調子はどうだい?」と言いました。
私は「悪いよ」と言いながら、心の中で・・・・・・・・・。

「今日、私がどんな思いをしたか知らないでしょ?
何ならアンタが変わってよ。
何で女ばかり、こんな思いをしなくっちゃいけないの?
ねっ!!なんで?」

と繰りかえしていました。


3度目の処置は入院から1週間ちょっと経ってからでした。
前回と同じ処置ですが先生が「痛みが酷いみたいなので全身麻酔します。」
と言いました。
「えっ?麻酔ですか?嫌です。」と言いましたが、
無情にも右肩に注射針が刺されました。
遠のく意識の中で私は「嫌だなぁ〜」とポツリと言いました。
「何が嫌なの?麻酔でしょ?」と先生が言った言葉を耳にして
私は死んでいく感覚ってこんなのだろうか?
と思いながら、後の事は全く記憶が失くなりました。

看護婦さんに起こされて意識が戻った時、私は同じ場所にいました。
「良かった・・・・死んでなかった。」と思いました。
とっさに「今、何時ですか?」と聞くと
看護婦さんが「5・6分しか経っていませんよ?」と言いました。
「前の時も本当はこの位で終る処置だったんですよ?」と言って、
前回、暴れた事を指摘されてしまいました。
3度目の処置は暴れなかったせいなのか、
子宮が膨らんで来たのに体が慣れたせいなのか余り痛くはなかったです。
病室には歩いて戻れました。

私が入院している間、母は古本屋に行って本を買い、病室で静かに読んでいました。
私は母に頼んで「私にも本を買って来て」と言いました。
「お前の趣味は何だか解らないけれど・・・」と言って買って来てくれた本は
有吉佐和子や遠藤周作でした。
私は遠藤周作の本を読み始めました。
狐狸庵先生と呼ばれた彼の作品は同じクリスチャンの私にとって、
とても読みやすいものでした。
何ページも一気に読んで少し現実を忘れました。
でも時々「私は人の命を自分の手で絶とうとしているんだな・・・
神様が居たとしたら・・・・それに背く事をしているんだな・・・」
と思い本を胸に置くと
「もう、赤ちゃん・・・御腹の中で死んでいるかな?」と母に聞くと。
母は「そうだね・・・・・・・・・・・。」と私の前で泣きました。




<今日の出来事>


今日は彼が出張から帰ってきました。
(今日の日記から読まれた方、↑の「今までの事」で書いている彼と今の彼は
別人ですので、誤解しないようにお願いします。)
スタッフの方と食事を終えてからの対面だったので、
とても遅い時間になってしまって、
私はもう、眠かったですし、彼も長い道のりを運転して帰ってきたので
疲れていた様子でしたが、
先日、頼まれた仕事の見直しなどをしました。

その前に・・・・
実は私の友達の事で彼が怒っている事があって、それについて少し話しました。
私の友達は彼の事を客観視すると、
納得行かない事が多少在って、それについて私と友達はよく話をします。
私も彼女と話していて「うんうん。」と思う事もあれば
「ちょっと違うかも・・・」と思う事もあります。
ただ、「不倫」と呼ばれる関係にある以上、
彼女の話を聞かなければいけない事が多々あるのが今の現状です。
それに、彼女は私が独身時代にしていた不倫の事も痛い程、知っている人なので、

やはり私には同じ思いをして欲しく無いという気持ちがあります。
彼女は私の事を思って色々、言ってくれているのだと思います。
私も自分が爆発しそうになって彼にぶち当たってしまいそうになる時、
誰かに迷惑を掛けてしまいそうになる時は彼女に色々、話します。
彼女も私で良かったら話を聞くよと言ってくれます。
でも、彼にとっては自分の知らない所で自分の事をよく理解して無い人に、
そういう話をされるのは不愉快な事です。
きっと、それは誰しもそうだと思います。

でも・・・・・・私はこう思います。
「不倫」という形の無い物にとらわれている私と彼はある意味、
「恋愛状態にラリッて居る2人」に見られがちです。
自分達の外で「不倫」と言うものがどういう風に見られて居るのかが時として
理解できなくなってしまう事だってあるでしょう。
私達だけの世界の中には「不倫」という言葉は存在しないのかもしれません。
それに甘んじてズルズルと関係を続けて行ってしまって、
果たして良い物か悪い物かは今は誰も解りません。
彼女は第三者ですが、第三者的な意見が言える立場です。
不倫をして最終的にこうなるのではないか?
又、時としてこういう事も在り得るのではないか?
そういう意見を言ってくれる人が彼女の今の役割です。
でも、そう言ったとしてもやはり彼女は当事者では無いので幾ら意見したとしても
結果をどうにかしようとするのは私と彼です。
それに、不倫の結果は今は誰にも解らない事です。
私は彼が想っている私への気持も解ります。
彼女が思っている「不倫」という形への気持も解ります。
どちらの話にも耳を傾けます。
全てを受け入れて噛み砕いて消化していくのが今、私ができる事です。

彼の役割もまた聞き役に徹する事だと思います。
今はどう足掻いても「離婚」は出来ないしアクションを起こせない彼。
周りから「不倫はやっぱり不倫」と言われても反論できない立場です。
ならば、やはり黙って聞いておかなくっちいけない事なんだと思います。
彼女の意見は世間一般の見解なのですから、
自分達がただのラリラりカップルなのかはそこで判断できるのかもしれません。
それを受け入れるのも受け入れないのも彼が決める事ですが・・・。


その日は彼に上手く説明できませんでした。
何だか、ちょっとモヤモヤ・・・・・・。
仕事の話は答え合わせをしているように色々、教えてくれました。
でも、私は本当に眠くて集中力が無くなってきたので、
途中で中断させてしまいました。
彼に「もう、こんな時間だよ?おうちは大丈夫?」と言うと
「出張もう1泊っていってあるから」との事。
「どうして言わないの?」と言った私に彼は「眠そうにしてたから・・・・」と
一言。
そうです私、ラブホに行った時も大爆睡で彼を独りにさせた事があります。
という訳で彼と私は御互い疲れていたので、その日は朝方まで車の中で
暫しの仮眠タイムでした。
それにしても大の大人が車の中で熟睡なんて(笑)
気がついた時にはもう空は明るかったです。
家に送ってもらってPCを開いて彼にお礼のメールも書かず、
そのまま爆睡を続けました。




2002年06月12日(水) 今までの事<不倫する3>

3度目の処置の2日後くらいに子宮に入れた黒い棒を摘出しました。
入れられるのはとても、痛かったけれど取り出すときは痛みはなく
あっという間に処置は終りました。
そして、点滴を打たれました。
主治医の先生がやって来て、
「陣痛促進剤ですが、とても弱い薬ですから。」と言って病室を出て行きました。
私は点滴が落ちるのをボッーと見ていました。
心臓の鼓動と同じ速さで落ちて行く雫を見ても、もう何も感じなく
なってしまいました。
1日経って「堕胎」の日が来ました。
看護婦さんが車椅子で病室まで迎えに来てくれ、
処置室に連れて行かれて、又、別の点滴をされました。
何か説明があったかも知れませんが私には何も聞こえませんでした。
暫く点滴をしながら横になっていると今度はトイレに連れて行かれ、
浣腸をさせられました。
「御腹の中に何か溜まっていると危険が伴う事があるので」と
看護婦さんが言いましたが、入院中ほとんど何も食べられなかった私は
浣腸液しか出て来なかったように思います。
又、何時間も横になっていました。
看護婦さんが1時間おき位に「陣痛みたいなのは来ませんか?」と聞きに
来ましたが痛みも何もありませんでした。
母も心配になって何度か処置室に入りましたが、
何の痛みもやっては来ませんでした。
時間が何時間経ったのかも解らず、ただ、処置室のベットでボッーとしていました。
不意にトイレへ行きたくなったので、看護婦さんに声を掛けてトイレへ行きました。
そこで、御小水とは別の生暖かな液が体内から止めどもなく出て来ました。
「あれ?何だろう?・・・・破水した?」
ビックリして処置室に戻り看護婦さんに知らせました。
でも、看護婦さんは「もう、暫く寝てて下さい。」と言ったので、
又、横になっていました。
1時間位経ってから股の辺りに異物を感じました。
「なんだろう?御腹・・・痛くないのにな・・・・」と思い、股の間に手を当てがうと、
ブヨブヨした何かが手に当たりました。
看護婦さんに言うと、すぐに先生がやってきました。
「あらっっ、もう頭が下がってきてるわ」
あの、カルテを見ながら、この前、私の話を聞いてくれた年上の看護婦さんが
言いました。私はすぐに処置台の上に移動させられました。
そして、そこで御腹に力を入れるように指示されました。
3度目に力んだ時に何かが出て来ました。

「ジュル・・・・」 

本当にそんな感じでした。
痛みはありませんでした。
少し足元のほうを見ると、白い物体が先生の手の中にありました。
よく見えませんでしたが、それはビニール人形のようでした。
青白くて白い病的な皮膚の感じでした。
私が見たのは足か手の部分だと思いました。
まだ、きっと指は出来上がっていたかどうか・・・・。
まるで、殺人ドラマに出てくる死体のように、
鮮明で綺麗な血糊のような物がベッタリとついていて、
白い肌が尚の事、白く見えました。
それ以上は見たらいけないと思い、目をそらしました。
後産があるからといって、看護婦さんが私の下っ腹をググッと押しました。
「痛い! !」
私が言うと「そんな事言ってられないでしょ?」と看護婦さんは怒った口調で
言いました。
後産が出ないと大変な事になると解ったのはずっとずっと後でした。
母が処置室に呼ばれました。
そして、先生の説明を受けながらたった今、私の中から取り出された
赤ちゃんを見ていました。
その後、母は堕胎した後の手続きなどをしてバタバタしていました。
葬儀屋というか・・・。
一応、赤ちゃんは焼却して、
まだ形成されたばかりの小さな骨を何処かの納骨堂に無縁仏として
納めるんだと聞いていたので、それの手続きだろうと思いました。
私が処置室から運ばれる前に赤ちゃんは白い布に包まれて
何処かへ行ってしまいました。
「ごめんなさい・・・・・」
心の中で何度も言いました。
病室に戻ると私のT字帯が外れかかって母が直そうとしてくれました。
私の股をつたって赤い血がポタポタと床に落ちました。
母が床を拭きながら、
「男の子だったよ・・・・指も手もキチンとあったよ・・・・・」
と切ない声で言いました。
私の人生は一端、そこで終りました。

後の毎日は死んだように生きていました。
母と彼が話し合いをしていたらしく、これからどうするか考えていた
らしいのですが、
彼が「絶対、離婚はしますので、娘さんの一生は僕が見ます。」と母に言い。
母は「こんな状態ですし娘の意志を尊重します。」と彼に言ったらしいです。
私はもう、どうでも良かったです。
余りの環境の変化は体に負担が掛かるので引っ越さないでいる事にしました。
彼も自宅には戻れないので、私の家に居ました。
母は「何かあったら、すぐ電話してね。」と言って実家へ戻っていきました。
仕事は辞めてしまいました。
母が会社に電話をして辞職の意を報告していました。
毎日が憂鬱でした。
もう、20歳も超えて、普通の人は普通に結婚して普通に子供を産み、
普通の主婦として生活している歳でした。
毎日、カーテンも開けず、御飯も食べず、誰にも逢わず、
気が向いた時は本ばかり読んでいました。
本を読む事だけが現実逃避が出来る唯一の手段でした。
病院を退院して1ヶ月は経って居なかったと思います。
彼が性交渉をしようとして来ました。
でも、避妊はしようとしませんでした。
私がどうして、そんな事をするの?まだ、気持も体も完治していないんだよ?
避妊は?どうするの?もう子供はいらないよ!!
と言うと、「今度は離婚に捉われずに産めば良いさ」
そんな事を言ったと思います。
私は怒ってベットから飛び起きました。
「この人の誠意って何だ?」と思いました。
それから、私は夜に眠らないようにしました。
関西で大きな地震がありました。
沢山の命が失われました。
持病の自律神経の病気が再発して過呼吸の発作が増えました。
或る日、彼が仕事から戻ると私の前に1枚の封筒を置いて、
「保険の受取人を書きかえたから」と言いました。
私は彼の方を向かず、ただテレビを見ていました。
何日かして、それを見た時、その金額にビックリしました。
保険証書は何枚もあって、トータルすると、
私が働いていた会社の資本金と同じくらいの額でした。
でも、嬉しくも何とも思いませんでした。
「アンタは金ばっかりなんだね・・・金で人の心が買えると思ったら
大間違いなんだよ! !」とそう思いました。

暫く、死んだように生活していたのですが、
半年が経って、やっと友達に会えるようになりました。
カラオケにも行ける様になりました。
過呼吸の発作が怖くて遠くまでは行けませんでしたが、
3日に一度は近所の花屋へ通えるようになりました。
段々、遊んでいても体調が悪くなる事も無く朝帰りも度々しました。
働かないで暇にしていたので、今までした事のない
趣味も出来るようになりました。
彼が持たせてくれて居たゴールドカードで好きなものを買いました。
そんな日々を送る中、
彼には一度も自宅に戻って離婚の話をして来る様子は見られませんでした。
私のストレスは買い物依存症となって現れました。
それでも、彼は私に何も咎める事はありませんでした。
ある時、近くに住んでいる退社した会社の人と会う機会があり、
人が居ないので手伝って欲しい事があると言われました。
2・3ヶ月手伝っていくうちに社長から「もう一度、頑張ってみないか」と言われ、
私は又、仕事を始めました。
彼は私が仕事に行くのが気に入らなかったようですが、
彼の会社のビルで上がマンションになっている、その部屋へ引越しをして、
新しい気持で仕事をしました。
私は死に物狂いで仕事をしました。
他の人に後ろ指を指されるのは当然と思っていましたが、
別の意味で認めさせたかったという思いや、これからの自分を考えました。
その間、彼の世話は疎かにしました。
御飯を食べる時間や眠る時間、
生活時間帯を彼に合わせる事は一度もありませんでした。
元々、私を家の中に居て欲しい、自分の他に好きな人が出来ると心配だから
外で働くのは反対だ、と言っていた彼なので不満は溜まって行くばかりで
束縛される事も多くなりました。
そして、彼はお酒の量ばかり増えていたと思います。

彼との別れはそれから、半年後でした。
或る日、会社の人が家に来て、「社長、病院へ行きましょう」と言いました。
彼は病院へ行ったきり戻ってきませんでした。
入院する事になったのです。
病名は「アルコール依存症」による、肝臓病でした。
肝硬変の一歩手前だったそうです。
病院から何度も電話が来て、彼が早く帰りたいと言っていました。
彼の家からも電話が来ました。
彼の病気は私と一緒に暮らしてストレスが溜まったからだと言われました。
彼の身内から色々、批判されました。お姉さんやお母様から・・・・。
彼が一度、家に戻る事になって暫く経ってから、
奥様から再度、電話があって少し話をしました。
彼の意志をその時、私は聞いていなかったので私は
「だって、彼は私と結婚するって何度も言いましたよ?」と告げました。
すると奥様は・・・・。





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「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
余りにも当たり前の事で、現実的で、
私は暫く何も言えませんでした。
納得しざるをえない言葉でした。
口には出せなかったけれど、「そうですよね。」と心の中で思っていました。
話はナカナカ進まず後ろに居た彼の息子が痺れを切らして、
電話を変わった途端、私への罵倒は始まりました。
「お前なんて、どうせ何処かの水商売女だろ? !」
私は頭に来たので、
「アンタこそ高校卒業して進学も就職もしないで
親のスネを何時までも齧ってるんじゃないの?」
息子さんは逆上して電話を切りました。
すぐに彼の携帯から電話が来て、
「なんで息子に、そんな事言うんだ! !」と怒っていました。
「だって、自分の息子の愚痴を今までサンザン言ってたよね?」
「幾らアンタの子供だからといって何も知らない私の事を攻撃してきたら、
私だって遣り返すのは当たり前なんじゃないの?」と私は言いました。
彼は「子供なんだから・・・・・」と言いましたが、
私の腹立たしい気持は納まりがつきませんでした。
そして「家にキチンと戻りたかったら戻れば良いんじゃない?」と言って
電話を切りました。
後日、彼が話しをしにやって来て、
「俺はもう歳だ、病気もした、体力が残っていないし
お前の事を面倒を見てやる力も残っていない。」
と言いました。私は黙って話を聞きました。
「だけど、俺だって愛情の無い家庭に戻るのは嫌なんだよ・・・・」
私にはもう、彼の言っている事が言い訳にしか聞こえませんでした。
彼の家から引っ越す時、彼の荷物がこんなに少なかったんだと
初めて気がつきました。
少しの洋服と私が彼に教わっていたライカのカメラと・・・後は思い出せません。

私が彼に教わった事は・・・・。

不倫は体力やエネルギーが必要な事。
相手に依存してはいけない事。
見えない物を信じ続けなくっちゃいけない事。
愛情がなくても家庭は成立する事。
そして・・・・。
世の中には幾ら願っても祈っても足掻いても、どうにもならない事があるんだ。

という事でした。

彼は私より21歳も離れた年上の人でした。
その反動からか私は9歳も年下の男と結婚してしまいました。
それを彼が知ったのは私に長男が生まれて1年を過ぎた頃だそうです。
中絶の後、内膜症を患った私に子供が出来た事はビックリしていたらしいですが、
「年下くん好きだったもんね」と彼が失笑して居たと・・・
私と彼をよく知る知人が教えてくれました。
「年下より年上のほうが好きなのに・・・・・」
「何、勘違いしてんだろ?」
知人にボソッと言うと笑っていました。
私も彼の噂を最近、耳にしました。
去年か今年に入って脳梗塞のような症状で倒れたそうです。
症状は軽く後遺症も無かったらしいですが、
お酒は控えているようで、体調も思わしく無い様子。
それでも、毎週のように繁華街へ出て遊んでいるそうです。
私は少し・・・・・・。
「なんで、死ななかったんだろう?」
と思いました。
「早く逝って、あの子に頭を下げてよ、この世で罪を問われなかった分、
あっちで沢山の罪を背負わなければいけないんだから。」
とそう思いました。
こんな事を考えている私はきっと鬼畜野郎なんだと思いますが、
私も又、逝くのは地獄でしょう。
どんな罪が私に背負わされのか解りませんが、
それまでの少しの間、嬉しい事も悲しい事も楽しい事も辛い事も
沢山・沢山、噛み締めます。
何時か彼の事を懐かしい事と感じ、優しい気持ちで思い出せたら、
少し大人になれるかもしれませんね。
それでも地獄行きは変わらないか・・・・・。


<今日の出来事>


憂鬱です。
御昼から彼と電話で討論会。
お題は昨日の続きで私の友人の事。
彼は・・・・・。
友人と私が話していると私が感化されて、
自分と私の「不倫」を否定してしまうんじゃないかと心配の様子。
私は
「う〜ん。でも、友達に何を言われても最後に決めるのは自分だよ。」
「それに、人の話を聞けないヤツは馬鹿だって言うよね?」
と言いました。
彼は私の話を色々、聞いて。
「すみれが、そんなにシッカリした考えを持っているなら・・・・」
と少し解ってくれたようでした・・・・。
その間、約40分 彼は出勤途中でした。
どうして人間はテレパシーを使えないんだろう?
自分の考えを人に伝えるのって難しい・・・・。
少し疲れました・・・・。

彼から頼まれた仕事も進まない。
私には物を表現する力が無いのかな・・・・? !。
日記の更新も進まない・・・・。
きっと、この日記を読んで私の事を酷いヤツって思う人も居るだろう。

何だか、憂鬱・・・・・。
エネルギー切れ・・・・。
彼からは何時まで経ってもメッセもメールも繋がらない。
きっとまだ、ふに落ちて無いんだ。
オフラインを残す。
自分の思っていることを素直に残す。
夜になってメッセが繋がる。
少し解ってくれたみたい。ホッッ。
彼の帰宅時間は子供の就寝時間、私は添い寝なので電話は掛けられない。

何だか・・・・疲れた・・・・もっと、ユッタリ気分で居たい・・・・。





2002年06月13日(木) 今までの事<不倫される>


結婚してからも同居人に浮気をされた事を前に書きましたが、
それはとても滑稽な物でした。
同居人は年末だというのに喧嘩の末、出て行ったきりで戻って来ませんでし
たが、実家から同居人の両親が、家に来る事になっていて、
その頃までには帰宅しました。
同居人の借金の問題が話し合いによって一段落をした直後、
同居人の浮気が発覚しました。
お正月休みの間、私はモヤモヤした気持を押し込めていましたが、
同居人は「遊びなんだし、離婚は考えて無いから」と言いました。
それよりも同居人の両親の方が心配をして、「相手の所へ行こう」という
話になってしまいました。
自分の息子の事よりも孫の行く末を考えてくれた事は、私にとって
とても有難い事でしたが・・・。
その日は年末という事もあり、相手の方は自宅に居ませんでした。
両親が実家に戻る日が近付き、私にこう言って帰って行きました。
「相手の人とはキチンと話すように・・・息子も離婚しないと言ってるんだから・・・」
「相手に納得の行くように話し合いをしてね・・・
私達も孫の顔を見られなくなるのは嫌なんだから」
同居人の両親は私と同居人の結婚について、良くも悪くも意見をした事は
なかったのですが、
私の気持より、自分達の意見・・・孫と他人になるのが嫌だから離婚しないで
くれと言われた事に対して、少し寂しい気持ちになりました。

両親が実家に帰ってから毎日のように電話が来ました。
「相手には連絡したの?」
「キチンと話をつけてね。」
「子供の調子は変わらない?」
電話が来る度に心のモヤモヤが広がって行くのが解りました。
両親は同居人が家に居るのにもかかわらず、同居人とは話をしないで電話を
切りました。
何日も、こんな日が続き、私もイライラしだして同居人に、
「自分で何とかしようと思わないの?」
「現に今も、その人から携帯に連絡あるでしょ?」と迫りました。
それでも、同居人は何も言いませんでした。

次の日、私は意を決して相手に電話をしました。
相手は何を言われているのかサッパリ解らない様子でした。
私はやっと自分の名前を名乗ると相手は
「お姉さまですか?」と私に聞いてきました。
「いいえ、妻ですが・・・・」と言うと、相手はとても驚いた様子でした。
話を聞くと相手は同居人が既婚者で子持ちという事を知らずに居たようで、
同居人からも一言も聞いて居なかったそうです。
「何時頃、結婚したのですか?」
と相手は本当に何も知らない様子でした。
私は、その時まで相手へ憎いとという感情を少し持っていました。
それは同居人への愛情ではなかったと思いますが、
毎日、夜泣きが酷く手の掛かるようになって来た、子供が居るのに
毎週のように朝帰りをさせる相手の心境はどんな物なのだろう?と思っていました。
結婚前に私が不倫した時はある程度、覚悟を決めて居た部分もあったので、
相手もそうだろうと錯覚していたのです。
話を聞いていくうちに、同居人の職場の取引相手だということや、
初めて会ってすぐに同居人が「付き合あお〜か?」と言った事などが解りました。
相手は私と話をしていくうちに段々、涙声になって来ました。
私は可哀相になって「主人の事が好きだったのですか?」と聞きました。
「好きに・・・・なりかけていました。」と相手は答えました。
私は憎しみの鉾先が相手の女性から同居人に変わっていくのが解りました。
相手の悲しみも少し解るような気がしました。
少し話して「離婚・・・すると思いますので、これからは自由に付き合って
いけると思いますよ」と相手に言いました。
相手の人は「いいえ、私が悪いんです。」と言いました。
「主人が戻りましたら連絡させます。」と言って私は電話を切りました。
同居人が帰宅して、私の怒りはすぐに爆発しました。
「貴方には子供が居ないんですか?」
「どうせ、付き合うんなら結婚してる事も子供が居る事も理解してくれるような人

と付き合えば?」
「ハッキリ言って貴方のやっている事は結婚詐欺と変わらないんじゃない?」
同居人は「解ったって・・・・」と何時もと変わらずでした。
その後、同居人は相手の所へ電話をして「聞いたとおりだから・・・・」と
一言だけ言いました。
私は同居人の神経を疑いました。
「相手の人に迷惑を掛けた、悪い事をしたと思わないんだろうか・・・・。」
私は同居人に「離婚しますから・・・・」と言うと、
同居人は「ホントに悪いと思ってるから・・・」
と言って土下座をして謝りました。
私は家族に土下座をするくらいの浮気ならしない方がいいと思い、
同居人の姿を見て、「なんて情けないんだろう・・・・」と思いました。
次に同居人の実家から電話が来た時、
同居人が自ら電話を取って事のなりを説明しました。
私が離婚したいと言っていると言うと、電話を変わるように言われました。
「これから、孫が成長するのに父親は不可欠だとは思わないの?」
「息子も、もう2度としないって言ってるんだから許してあげて・・・」
そして、最後に





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その時は悲しい気持でした。
でも、9歳も年下と結婚した私は周りから随分
「結婚生活の中で1度くらいそういう事だってあるよね」
と言われ続けて来たので、それはそれで、覚悟して来ました。
ただ、同居人が「遊び」で浮気をした事が悲しかったんだと思います。
相手の人が本気で好きだったら私なりに、
納得出来た事も多少はあっただろう・・・。
もう少し相手の人へも家族にも心ある行動や言動をして欲しかった・・・。
家族の事を土下座するくらい大切だったら尚の事・・・・。
そう思いました。

暫く経って少し落ち着きを取り戻した私は1冊の本を読みました。
前の不倫の時、どうやったら彼が離婚出来るのかと思い、
沢山の法律の本や離婚のプロセスの本を買い込んで熟読しました。
その中には離婚を選ばなかった人達の本もあったり、家庭内別居に至ったのは
どうしてか?というような本もありました。
私が読み返したのは「ひとつ屋根の下の他人」という本でした。
その中には「夫の靴を履いてみる」という項目がありました。
又、「心の傷ついたご主人の訴えに耳を傾ける」
「ご主人の暴力の意味を知る」
という項目もあって、読み進めるうちに「
うちと同じかも・・・・」と当てはまる点が幾つもありました。
そういえば、出産してからの半年間、子供にばかり掛かりっきりで同居人の事は
やはり、二の次になっていた部分がありました。
完全母乳だった事もあり、眠る場所も同居人の横から子供の横に変わり、
寝不足が続く夜には同居人が勤めに出るのに見送りにも出ない時がありました。
帰宅時間が遅い同居人とは御飯を一緒に食べる事もなくなり、
子供を御風呂に入れるのも私の役目で、「少しくらい早く帰ってきてよ」と
詰った事もありました。
私は本を読み終えると
「仕事から疲れて帰って来ているのに、私の態度がこうだったら、
きっと落ち着けないな・・・・」と私は少し反省しました。

そして、私は前の不倫相手の事を思い出しました。
彼も最初、自分の妻の事を詰ってこう言いました。
「仕事から戻って家に居ても、近所の奥さん連中との世間話ばかり俺にして来て
疲れる」
「どうして中年になってくると女はあんな風に変わるんだろう・・」
「群れにならないと何も出来ないのか?オバサン・パワーはウンザリするよ。」
でも、私はその時、20代で結婚した事も無く、
彼が何を言っているのかサッパリ解りませんでした。
離婚の話が彼と奥さんの間で話し合われた時、最後に出て来たのは
一番下の娘さんの事だったそうです。
娘さんは中学生で彼の事を慕っていたそうです。
彼も娘さんの気持を思うと奥さんの事は置いておいても
娘の為に家に居てあげたいと思ったのかもしれません。
やはり、結婚は二人の意志で出来たとしても、
離婚においては「家族」の問題があるので容易に出来無い物なのだな・・・
とそう思い返しました。
私は彼の奥さんの事も思いだしました。
私が妊娠をして離婚の話が初めて出た時、
彼女は少し感情的になって居たかもしれませんが、
それから、彼が入院をして家に戻る間、約2年間、彼女は私に
接触して来ようとはしませんでした。
年の功からか、とても落ち着いた口調で話す人だったように思います。
彼と奥さんの間に相手を思いやる感情が残っていたかは定かではありませんが、
最初の電話の後、
私の事を一度たりとも攻撃して来ようとしなかった彼女の気持ちを
自分の同居人の浮気と照らし合わせた時、頭の下がる思いでした。

そして、今。
現在、付き合っている彼の事を思います・・・・。
彼も又、奥さんとは心では繋がっていないと私に言います。
ただ、子供の事を思うと離婚出来ないと・・・・。
結婚生活も10年を超える彼。
子供も大きくなり、いつの間にか家の中では
自分の事を尊敬や労りの目で見てくれる人が居なくなってしまったと嘆いています。
ただ、彼の過去の話を聞くと、
仕事や趣味に没頭していて、家族の事を顧なかった部分も
あるように見えます。
子育てが大変な時期に家族の事はそっちのけで自分の趣味を真っ当しようとして、
ホイホイ出掛けて行かれたら、家に居る奥さんも、たまった物では無いでしょう。
しかも、仕事の帰りも遅く家族と一緒に居てあげられる時間も今までは少なかった
ように思えます。
自分の事を尊敬してもらえない、家族に愛されていないと嘆く彼・・・。
でも、それは過去に自分のしてきた事がネックになっている事を
気づいて欲しいと思います。
彼の奥さんにも又、彼の今の心境に耳を傾けてあげられれば、
何となく、修復出来そうな気がするのは私だけでしょうか?
前に彼と私の間で問題が勃発した時に、
「家の中の問題はすみれには関係ないでしょ?」と彼に言われた事がありました。
私は突き放されたようで、とても悲しかったです。
「修復しようなんて気はサラサラないよ。」と言っていた彼ですが、
私は心の中で「腐っても夫婦って言うしね・・・
どうにか修復すればいいのに」と思っていました。
あの「ひとつ屋根の下の他人」はそんな彼と奥さんにプレゼントしたい一冊です。


同居人の浮気から色々、考えて私は何とか努力しようとしました。
でも、結果は出ませんでした。
もう、努力するのもやめてしまいました。
私と同居人は何も繋がっていません。
ただ、子供が居るのでかろうじて「夫婦」や「家族」と呼べるだけです。
悲しい関係だと思います。
そして、彼と私も、心は繋がっていても形がありません。
それも、悲しい関係です。

御互い家の中が上手く行っていないから、不倫しているというわけで
は無いけれど・・・。
何だか最近、色々と矛盾していて解らない事だらけです。

不倫をしている人達は皆、何処へ行こうとしているのでしょうか・・・・・。
何処まで行ったら答えがみつかるのでしょうか・・・・。
誰に聞いても解らないんだと思います・・・・。
誰も知らない事なのですから・・・・・。




<今日の出来事>


昨日、やっと彼と友達の事を納得して話せたと思ったのに、
今朝の電話では又、別問題でイザコザ・・・。
彼から頼まれた仕事の事で・・・・。

ほとんどの仕事は彼がアイデアを出してくれて解決したけれど、
まだ、難問が残っていて、遣り方は解っているのだけれど、
良い案が思い浮かばない私。
締め切りが迫って来て彼も少し気持が焦ってる。
一緒に考えて欲しいと思う私、一人で頑張って欲しいと思う彼。
意見が合わない・・・・。
仕事の事だから、彼に甘えられない。
思っていることが素直に言えない。
私にはそんなにスキルも能力も無い。
彼に「実践じゃないと何も身につかないよ」と言われても、自信も無い。
「解ってるんだ、解ってるんだよ。」
でも、やっぱり、考えても考えても何も思いつかない。
電話を切った後、久々に悔しくて大粒の涙が零れた。
遣りたかった仕事なんだ・・・・それなのに、どうして出来ないんだろう。
彼からのメール・・・。
「すぐに怒らないで欲しい、何も会話が成立しなくなるから」
お昼くらいには、
「仕事の事、今夜あたり一緒に考えられるけれど順調に進んでる?」
一応、仕事は夕方に提出したけれど、解らない所はそのままにして出しました。
もう、自分に自信も無いので仕事は引き受けないって付け足して。
夜に又、彼からメール。
「出来ると思ったから頼んだんだよ。提出されたものに問題は無かったから・・・」
仕事帰りのメッセでは・・・。
「今日は逢えないんだね。寂しい・・・・」って・・・・。

何だか、無性に腹がたつ。
彼にも・・・仕事はマンツーマンで教えてくれないのに、
何で会う時間があるなら「仕事の事、一緒に考えよう」って
一言でも言ってくれないんだろ?と腹がたつ。
そりゃ〜一緒に考えたら私の力にならないかも知れないけれど・・・。
少しくらい助け舟を出してくれよ〜(T_T)。
それよりも、なによりも、自分に腹がたつ、
「何で、こんな事が出来ないんだ?」と・・・・。
自分の無能さに腹がたって泣いてしまった。
悔しくて悔しくて仕方が無い。
そもそも、私には文章力が無いんだな・・・・。
この日記もそうだろう・・・・。
人からして見たら、話がリアルだから覗いてるだけで、
私が書いてる事を理解してくれたり、共感してくれる人なんて少ないんだろうな・・・・。
「おめぇ〜の話、解りづらいんだよぉ〜」と思ってる人が沢山、居るんだろうな・・・。
私が書く文章・・・・。なんて情けないんだろう・・・・。
こりじゃ〜やっぱり、仕事は引き受けられない。
今すぐ、スキルアップは出来ないけれど、

決めました。

最近、怠けてて全然、して無かったけれど・・・・。
私、本を読みます。
1週間に1冊から始めます。
読んだら、感想書きます。
ここにでは無いけれど・・・。
出来たら描写の多い本を選んだりして、
それで、少しでも表現方法を学べたら得した気分です。
毎日、時間が無いので、どうなるか解らないけれど・・・。
彼から貰う仕事はどしてもやりたい。
でも、今はそんな段階じゃ無いんだという事に気がつきました。
もう少し、自分自身で勉強します。
それから、胸を張って仕事を引き受けます。


ここを覗いて下さっている方、有難う御座います。
こんな、私の拙い文章を読んでくださって、
本当に本当に感謝しています。



2002年06月14日(金) 今までの事<ふたりだけの世界>

<今の彼と付き合い初めて、3度の夜を共にした。
3度とも、1週間に1度という間隔で逢った。
私はその頃、親族会社で働いていて、
子供も保育園には預けず会社に連れて行って遊ばせていた。
社員の人も私の子供と遊ぶのが仕事の息抜きのようで皆、良くしてくれた。
仕事が終ると、母子家庭の社員の方の子供を代わりに
迎えに行ってあげたり、面倒を見てあげて過ごした。
同居人は何時も帰りが遅いので年頃も同じ2人の子供を1人で深夜まで見ている。
会社の人も残業があったりで家に子供を迎えに来る頃には、
彼も仕事が終っていて何時も電話で
「それじゃ〜帰るね。」と帰るコールをしてくれていた。
まだ、付き合い初めだった事もあり、私達はそれでも、満足していた。

そんな頃、夢のような話が私達にやって来た。
私の実家に近い地域に彼が出張で行くという話だった。
話を聞くと、3泊4日。「すみれも一緒に行けないかな?」
突然の誘いだったが嬉しかった。
「子供が居るし・・・・会社は休めると思うけれど・・・」
私は素っ気無く答えた。
まだ、自分の気持ちを素直に伝える術も知らなかった私は彼にそう答えた。
「そうか〜そうだよね。でも・・・考えておいてね、
もし、行けるようだったら一緒に行きたいんだ〜」
O型の彼らしい素直な返答だった。
出張に不倫相手を連れて行って大丈夫なんだろうか?
行けたとしても同居人の休みと合わせてくれないと誰が子供の面倒を
見るというのだろう?
難問は沢山、あった・・・。
彼は出張の日取りを私に合わせて考えてくれていた。
その日取りは誰が考えても勤め人の彼が出張に行くには可笑しい日取り
だったのだが、彼は自分の家への言い訳もちゃんと考えて居てくれた。
私はそれより、もう何年も男の人と旅行に行った事が無く、
そちらの方が心配だった。
同居人とは結婚する前も結婚した後も新婚旅行も休日や有休を使って、
何処かへ泊まりに行ったことも一度もなかった。
自律神経の発作は子供が産まれてから完治しているように思えたけれど、
何時も子供とピッタリくっついていないと怖かった。特に地下鉄では
ベビーカーで乗り込んだとしても、
子供を抱きかかえる様にして居ないと動悸が聞こえた。
私は結婚してから自分勝手に行動する事は無かった。
何時も、家族と一緒だった。何かする時には同居人に良か否かを
絶対、聞いていたし、
買い物にも出来るだけ同居人と一緒に行った。
当たり前の事だったかもしれないが、それが「家族」という物だと思って
今までやって来た。
何でも相談して何でも分かち合うのが「夫婦」だとも思ってきた。
しかし、同居人は違った、すぐばれる様な嘘を何度も吐いて、
私の「家族」「夫婦」という、信念みたいなものを随分、困惑させられてきた。
ずっと思っていた・・・・。
こんな同居人に対して当たり前の事をキチンとやっている自分は
一体、何なんだろう?
自分の存在価値って何処で理解してもらえるんだろう?
自分で自分の事が嫌になっていた。
「仕事で叔父と実家のほうへ行くから、ついでに御祖母ちゃんの所にも
顔を出して来ようと思うけど・・・・」
「休みが丁度、重なるし食べる物は用意しておくから、これを食べてね。」
必要な物、食べるものを指示して私は日曜の夜に彼と待ち合わせて
出発する事を決めた。

旅行に向う車中、ずっと手を繋いでいた。
横に3度しか夜を共にしていない男の顔・・・・。
それでも、私は安心していた。
逢った回数は少なくても私達はきっと、自分達の家族と会話する時間よりも
多くの時間を共有していた。
出勤時間にメールと電話。会社からはメッセ、彼が帰宅する間、
ずっと電話で会話する。
家に戻って食事をして御風呂に入ったら又、メッセ。
まるで、同棲でもしているかのような、そんな、毎日の遣り取り。
彼は「好きな人とは何時も繋がって居たいと思う。」と言い、
私もそれに同意していた。
車の中でも話はつきる事は無かった。
何時も私の話ばかりしていたが、その日は彼の話しを沢山聞けた。
仕事の事、友達の事、人に裏切られた事、
大切だったお母さんを亡くした事。
トンネルに入ると臆病な私の手が少し汗ばむ。
彼は少し心配して「大丈夫だよ」と言って強く手を握ってくれた。
「今晩は目的地まで行けないから、何処がで泊まろうね。」と彼がふいに言った。

私は昔の自分に気がついた。
強かった頃の私は何時も行き当たりバッタリで生きていた。
そうだ・・・・思いだした。あれは何時頃だっただろう。
前の不倫をする前だっただろうか?
世の中に悲しい事が、こんなに多いとは思っていなかった。
人の話を聞きもせずに、こんな風に好きな時に好きなだけ走って、
休みたくなったら休んで、又、何かを思い立ったら好きな時に走り出して・・・・。
自由に伸び伸びとしていた昔の私。自由に旅をしていた私。
私は・・・・・。
何時から、こんなに臆病者になったんだろう・・・・。
私は何時から小心者になって、自分の世界の中だけでしか
息を出来なくなったんだろう・・・・。

突然、彼の携帯が鳴った。
現実へ引き戻されて「誰から?」と聞くと、彼の自宅からだった。
彼が電話を掛けなおすと電話口から明るい女の人の声が聞こえた。
彼が何かを説明している。
PCの事だった。
「今電話くれた?何かあった?うんうん・・・。
それはあのフォルダーの中に閉まってるから・・・・・うんうん。
それじゃ無いと思うよ?
こっちは開けてみた?もう一度、調べてみて?うーん、検索してみたら?
今は状況が解らないから、帰ってみて調べてみるよ・・・・・うん。
解った、それじゃ・・・」
とても、落ち着いた口調だった。
私の家とは大違いだった。
普通の家庭では日常の遣り取りってこんなに、優雅な物なのだろうか?と
思いたくなる程、理性的な話し方だった。
少し・・・・嫉妬した。
「ナンカ、怒ってたみたい・・・・」と言う彼。
勝手にPCのシステムを入れ替えて奥さんが自分で使いこなす事が出来なくて
怒って電話を掛けてきたみたいだった。
それでも、彼は腹を立てずに一つずつ丁寧に教えていた。
目的地に今日は行けないので、丁度、中間地点にある街のホテルに
私達は泊まる事にした。
その時も彼の携帯には息子さんからメールが来た。
「仲の良い家族なんだね・・・・・」私は笑いながら言った。
でも、心では嫉妬していたと思う。
「私、浮気しちゃおっかな〜?」冗談交じりに言うと
「駄目!!絶対、駄目なんだからね!!」と言う彼。
その日はギューっとしながら、グッスリ眠った。
「明日も彼と一緒に居られる、誰も邪魔しない。
朝になっても帰らなくてもいいんだ・・・」と思うと、とても、安心した。

次の日、目的地についた彼は仕事が待っていた。
それでも、仕事していた時間はとても、少なく。
「挨拶程度でいいから、ちょっと待っててね。」と言って猛スピードで
何件もの仕事をこなして行った。
夕方、事前に予約していたホテルにつく。
ホテルがある街は昔、私が住んでいたところに近い大きな街で、
よく学生の時に買い物や遊んでいた所。
懐かしくて夕食は繁華街に出て取る事にした。
川沿を手を繋ぎながら少し散歩して歩く、
きっと、この街に私達の事を知っている人は居ない、
何処をどう見たって仲良く会話しながら歩く私達は恋人同士にしか見えない。
そして、明日も私はこの人と手を繋いでいる。
時間が止まればいいと思った・・・・・。
夕食を二人で取る。
でも、そのお店のマスターが観光者のような私達に
何度も話しかけて来て、煩かった。
彼はそのまま聞かれた事を素直に答える。
人の良さが伺えた。

その夜、ホテルの部屋に戻ると二人で持ってきたノート型のPCを開いて
少し遊んだ。
彼が私のPCを触って色々、教えてくれる。
PC歴10年以上の彼、流石に聞いている私には解らない事だらけ、
ちょっと疲れ気味の私に気を使ってか、
とても面白そうなものを見せてくれた。
それはPCの液晶画面いっぱいの星空だった。
「これはね、今日の夜空と一緒の星座なんだよ?」
「それから、こっちが北斗七星でしょ、これは琴座。」
彼が一つずつ説明してくれる。
「へぇ〜凄いね〜。」私が画面の星座を見つめていると。
「だけどね・・・・これってね。ソフトをインストールした訳じゃなくて、
ネット上からダウンロードしたものなの」
「それも、お試し版(笑)」
「不可視ファイルっていうのがあってね・・・・」
ちょっと、大きな声では話せない、ホントにここでは話せない事なのだが、
かれはお試し期間を過ぎてもこれを見続けたいと思って、
何週間も掛かって、無料でこの星空を一生、見ることを確実な物にしたらしい。
「へぇ〜、そんな事が出来るんだぁ〜」
驚いた様子の私に彼が続けてこう言った。

「あのね、自分でどうしても、こうしたいって思った事をね、
諦めたり途中で投げ出す事が凄く嫌なの」
「どんなに困難な状況でも絶対、解決策はあるはずだから・・・」
「好きな事だったら、どんな事でも頑張れるでしょ?
困難な事も好きな事なら困難なんて思わないよ。
それに、自分の思った事が達成した時の喜びは何物にも変えられないよね。」

心臓がズキンッとした・・・・。
彼は私の後ろに居た。
その時の私の顔を彼は知らない。
きっと、泣きそうにしていたと思う。
彼が言った言葉・・・。それは私が今まで生きて来て、
何処かへ置き忘れてしまった気持だった。
私も昔は彼のように頑張ったら絶対、何でも達成できると思っていた。
その為に辛かったけれど努力も精一杯して来たつもりだった。
それなのに・・・・今までで一番、自分の命を掛けてでもと
願った事が出来なかった。
初めての不倫で堕胎を余儀なくされた時。
世の中にはどうしても出来ない事があるんだな・・・・・と
何処か生きてる事を諦めてしまった。
努力したって出来ない事は出来ないんだろ?
そんな目でしか物事を見られなくなってしまった。
私が置き忘れてきた気持はもう、奇跡みたいな事が起きなければ、
きっと戻ってこないだろう。
だから、尚更、彼が言ってる
「努力したら絶対、良い事あるよ。」って言う言葉が胸の奥底に突き刺さった。
ほんの些細な事なのかもしれない、それでも、何事にも諦めず、
努力し続ける事や忍耐強く居る事はとても、大切な事だと思う。
彼は・・・・昔の純粋に何かを信じている私の姿だった。
自分の可能性を絶対に否定しない、そんな彼がとても愛しく思えた。

「そういうところも・・・・・好きなんだょ・・・・。」

上手く伝えられなかったけれど、一言だけ彼に言った。
彼が「解ってるよ。すみれの言いたい事は解ってるんだよ。」と
言うかのように、後ろからただ、何も言わずにギュとしてくれた。

この人を無くしちゃいけないんだ・・・・。
この人を失ったら私の希望みたいな物も何処かへ行っちゃうんだ・・・。
そう感じた。
それと同時に彼の全てが私のものじゃない事を素直に悲しいと思った。

次の日、残っていた彼の仕事を終らせて、まだ、時間があったので、
そこから遠くない私の生まれた町に行く事にした。
夫に不倫をされて悲しみのどん底に居る友達と、
御祖母ちゃんの御葬式で実家に戻っていた友達と、
離婚して子供達と新しい彼と暮している友達と、
私の御祖母ちゃんに会った。
離婚問題で揺れている友達と御祖母ちゃんには彼の事を職場の人として紹介した。
子供と新しい彼と暮している友達に彼を紹介すると、少し呆れた目で見られた。
御葬式で実家に戻っていた友達は彼の事を予め話していたので、
「今度、一緒に御飯でも・・・・」という話でホンワカムードでした。
御祖母ちゃんの家は私の育った家。
そこで彼と一緒に御飯を食べた。
少し耳が不自由になってはいたが、昔と変わらず私を可愛い孫として扱ってくれた。
その日、私達は400km以上の道のりを帰らなくてはいけなかったので、
そうそうに懐かしい家を後にした。
どんどん、私の育った故郷が後ろになって行く・・・。
「あっ、あの店まだ残ってるんだ。」
「あそこで、昔よく遊んだたんだよ。」
彼は私の子供時代を想像して楽しそうに話を聞いてくれた。
途中の峠越えで彼が少し眠いから仮眠するね、と車を止めた。
私は見たことも無い程の無数の星が光る夜空を眺めながら一人で大人しくしていた。
暫くして横から彼の寝息が聞こえてきた。
私はジッと考えていた。
「今日が終ったら又、離れ離れになるんだ・・・・」
「どうして一緒に居られないんだろ・・・・」
「彼が家に帰ったら・・・・又、あんな風に優しい口調で家族と楽しく生活するんだろうな。」
私はこの旅行中、ずっと奥さんと彼の会話が頭の中でリフレインしていた。
そして、それはこの旅行の最後の夜となるホテルの一室で爆発してしまった。

「あのね・・・・私、やっぱり浮気してもいい?」
突然、彼に言ってしまった。
「どうして?」と聞き返す彼に間髪も入れず。
「ナンカ・・・このまま、付き合って行くと好きになり過ぎて、
自滅しちゃいそうだから・・・・」とそう言った。
「浮気」の話は前から出ていた、御互いを御互いに重荷とならないように
付き合っていくにはどうしたら良いか考えていた時に私が言い出した。
彼はそれを否定していた。
「どうして、逃げるの?二人で話し合って解決できないの?」
そう言われていた。
でも、彼は私の気持をきっと、理解できないだろうとそう思った。
私の毎日はそんなに幸せではなかった。
彼だけが、ここ何ヶ月間の間のせめてもの救いだった。
彼が居なかったら、きっと、もっともっと同居人とは喧嘩が絶えなかっただろう
そう思う日々もあった。
彼とメッセしていると、自分でも心なしか笑顔で居られるのが解った。
電話していると楽しくて心が開けていくのも解った。
でも・・・・きっと、何時か依存しすぎてしまう・・・・。
前日の夜、彼が話してくれた「絶対に諦めない」その信念を聞いて、
尚更、そう思った。
彼には理性的に話せる家族がキチンと存在している。
可愛い子供達と楽しい生活が待っている。
私は彼との温度差が悲しくて寂しかった。
自分の気持ちに押しつぶされる前に、この思いを分散させなくっちゃいけない
と思った。彼に、自宅からの電話の事を少し話した。
「家の人・・・怒ってたと言っていたけれど・・・理性的に話してたでしょ?」
「それは・・・・普段から相手の事を暖かい目で見てあげているからだよね・・・・」
彼は「そうじゃないよ、早く説明を終わらせて電話を切りたかったから・・
キチンと説明してあげないとナカナカ電話を切ってくれないでしょ?」と言っていたが、
「何だか私も・・・自分で空回りしてるみたいに思えるから・・・・辛くなってきちゃうし・・・・」
「体の浮気かもしれないし、心の浮気かもしれないし・・・
解らないけれど、他の男友達と遊んで、少し気持が楽になれたら、
きっと、貴方の家庭の事なんて考えずに笑顔で付き合えると思う。」
私が自分の考えている事を涙声で言うと、彼は無言だった・・・。
終始、この問題は彼の反対にあって来たのに、彼は何も言わなかった。
そして・・・私が横を向くと。





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私は少しビックリして思わず彼をギュとした。
「どうして・・・・僕の事は好きじゃないの?
僕は・・・こんなにすみれの事を好きなのに、
どうして浮気するなんて言うの?」

「でも・・・・・・いいよ、すみれが僕と付き合って辛くなるって
言うんなら・・・そうしなければ僕とは付き合えないって言うんなら・・・・
僕は我慢するよ。だから・・・・・浮気してもいいよ。」

彼は涙をボロボロ流し、まるで子供の様だった。
男の人が涙を流しているのを見た事が無かったわけではありません。
ただ・・・・一緒になって泣いた事は今まで無かったかもしれない・・・・。
その夜、私達は沢山の涙を流した。
そして、彼が泣き終わった後も私は・・・・ただ、泣いていた。
あっという間に朝が来た。
私達の夢のような時間も終わりを迎える。
彼も私も家に戻ったら又、何時もと変わらない日常を送るんだ・・・・。
こんな風に何度も現実を痛いほど直視しないと付き合っていけないなら・・・・いっそ・・・・。
「もう、やめよう・・・・・」
私はそう彼に言うと無言で車を降りた。
家までの帰り道、又、私は泣いていた。



<今日の出来事>


昨日の仕事の一件で私はまだ、モヤモヤ・・・・。
昨日の深夜に「仕事の事、まだ納得がいっていないので今度メールします。」
と彼にメッセでメッセージを残したら、彼からもオフライン・・・。
「仕事の話でイライラするのは嫌だから、もう仕事の話はやめよう。」
( ̄□ ̄;・・・・・・・・・。
何だか、モヤモヤが増してしまった。
今日は朝の電話も無し。
お昼前に又、彼からオフライン。
「今日も僕とは話したくないようだね、メールもメッセも無いもんね。」
どうやって、連絡をして何を話せばいいのか解らなかったけれど、
丁度、ワールドカップで日本の試合の日だったので、
「ワールドカップゆっくり見れる?」とメールしたら、
すぐに、「会社で見れるようになったよ〜」と返事。
その後、日本勝利の話題で少しメール出来ました。
帰りに少し電話で会話・・・・。
仕事の話さえしなければ何時もの二人に見えるけれど。
私の心の中では「仕事の事・・・・・どうすんの?」って気持でイッパイ・・・・。
明日は子供が保育園で初めての運動会。
今日は御弁当の下ごしらえで私は大忙し。
明日の朝は寝坊は絶対、出来ない。
彼とのメッセもお休みです。
明日、晴れると良いな。
うちの子が一等を取れますように。(−||−)オイノリ〜!!



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